1章 シージペリラス(命取りの座)
少年は死にかけていた。
石室の中にあるのは、瘴気と静寂。
深い闇と、細長い窓からもれて来るわずかな光。
それが彼のすべて。
少年の名はシーグ・ペイラック。
天空に不吉の星が輝く日、死神の日に産まれた。
漆黒の瞳と乾いた血色の髪。
魔術的に見て【死の印】であることは明白だ。
魔術師は彼こそが世界を滅ぼすものだ、と主張している。
魔術都市メティスは少年を『命取りの座』と呼んだ。
渇き、飢え、衰弱し、指一本さえ動かせない。
恐怖も、希望も、悲しみも感じない。
すでに魂さえも、すり切れようとしていた。
魔術師たちは石室を作り、呪いが外に出ないように2年間封じ込めた。
命はもちろん、魂までも砕き、【死の印】を冥府に送り返す。
二度と『命取りの座』が現世に迷い出て来ないよう。
命と暦を研究した魔術師たちは力を尽くし、魔術師たちは呪われた魂を冥府へ返す儀式を完璧に行った。
冥府の呪いを一身に生を受けた少年を、すべての呪いと共に冥府に送り返す。
少年の産まれた災厄の日、死神の日に冥府へと返そうというのである。
かくして、シーグは緩やかに苦しみぬく生を終え、この世で最も孤独な死を迎えようとしていたのである。
*
「間に合うのかなあ?」
「魔術師の計画は正確よ。残酷なくらいにね」
外から聞こえてくる2つの声に、シーグは目を開いた。
のんびり間延びした声と、よく通る澄んだ声だ。
共にまだ幼い少女のものである。
「魔術師が明日殺すと決めたら、今日は何があっても生き長らえさせる。だから、大丈夫よ」
「だ、大丈夫っていうのかなぁ。それって?」
強い意志を感じさせる声に、不安げな問いかけが続く。
「入り口はどこだろ?」
「そんなものはないわ。閉じ込めて、最後まで出すつもりなんてなかったのよ」
「じゃあ、息が出来なくなるんじゃ?」
「呼吸できるだけの穴はあるのね。見て、煙突もあるわ。最後には火を放り込んで、オーブンみたいにする予定ね」
「え、えーと。丸焼き? 人間の?」
「そうよ。最後の最後まで苦しませるつもりなのね。体が焼け、息の詰まる苦痛に身をよじらせ、更に……」
「ストーっプ。フィーちゃん。そこまでー!」
冷酷に死の予定を語る声は、慌てた叫びにさえぎられた。
自分に訪れるひどい結末を知って、シーグは逃げ出したくなった。
しかし、体が全く動かない。
「どうやって出してあげたらいいの?」
ここから出られる!
闇の中でいつも望んでいた言葉を聞いて、シーグは助けを求める声を上げようとする。
だが、うめき声も出せない。
「うーん。押しても引いても、びくともしないわ」
全く困ったように聞こえない。のんびりというより、ぼんやりとした声だった。
「一枚岩の岩壁。空気穴に、食料を入れるための扉。それだけか……」
楽器のような綺麗な声が耳に心地よかった。
「やっぱり、大人に頼まないと。ダメじゃない?」
「大人に何が出来るって言うの。だいたい、彼を閉じ込めたのもその大人でしょ!」
怒りを含んだ言葉の後に、八つ当たり気味に岩をたたく音が響いてきた。
「岩盤の厚さは1歩ってところね。リーザは下がって」
「ど、どうするの?」
「破壊するわ」
「杖で殴って?」
「魔術に決まっているでしょ! 中の人も、聞こえていたら後ろに下がって」
そういわれても、下がりたくても体が動かなくて――
石室全体を揺るがす爆発と共に、突然に世界が白く染め上げられた。
壁が破壊されたのだ。
よどんだ石室とは違う、清浄な空気にも肺が焼けそうに熱い。
しかし、この痛みと熱さこそが生きている証である。
苦しさよりも外に出られたことがうれしくて、シーグは顔を上げる。
太陽を背に、二つの人影が見えた。長い闇に目を慣らされた目に、太陽の光は突き刺さるようだった。
陽光に輝く金色が羽のように見えて、シーグは天使が助けに来てくれたのだと思った。
と同時に、ガンと頭に鈍い衝撃が走った。たぶん、大きな石が頭に直撃したのだ。
意識が遠のいていく。
気を失っては二度と目が覚めないだろう。
死にたくない。
「フィ、フィーちゃん。ちょっと待ってよー」
涙声でゴホゴホと咳き込みながら、足音が近づいて来る。
更なる重さが頭に加わった。後頭部と額が割れるように痛む。
「うーん?」
不思議そうな声が聞こえ、たっぷり5つは数えた後に――
「あれれー?」
つま先立ちにでもなったのか、痛みが更に強まった。
「ちょっと、リーザ、足元……」
「ほえ?」
「踏んでるわよ!」
「…………? えっとー、…………なぁに?」
「人よ!」
体勢を入れ替えたためか、えぐられる様に頭が痛い。意識がかなたへと去ろうとした、その時。
「キャーー! 私。この子を踏んじゃったー!」
「さ、騒がないで。飛び跳ねないで! とにかく足をどけて!」
「い、生きてる?」
「ひどい出血だわ。急いで血止めをしないと命にかかわるかも――」
「死んじゃうの?」
「まだ……大丈夫よ」
『まだ』、と言うからには死にそうな状態なのだ。
シーグは気が遠くなる思いだった。
「脳震とうによる意識の混濁を確認。頭がい骨の損傷、裂傷による失血、頚椎の損傷などによる死亡の可能性……」
言っていることはほとんど分からないけど、自分が死にそうなのは分かった。
「呼吸困難、全身の血流の不全、栄養失調……。後遺症の可能性は軽く数えて15を越えるわね」
冷静に淡々と語られる口調が、刃のように耳に突き刺さる。
綺麗な音楽のような声だから、なおのことだ。
「そんなあ。この子、死んじゃうの?」
「だ、だめよ、リーザ。人形じゃないんだから、そんな抱き方しちゃあ。首も手足も折れるわ!」
首と手足が同時に折れるとは、一体自分はどうなっているのだろうか?
呼吸ができなくて、体中がひび割れるように痛んだ。
雑に扱われて手足が取れ、継ぎはぎだらけになった人形が思い出された。
女の子というのは、けっこう容赦がない。
遠のく意識を繋ぎ止めるのもつらくなってきた。ひょっとしたら、冥府の方が楽かもしれない。
「とにかく治療よ。何があっても、死なせないから!」
治療のはずなのに、やけに怖いのはどういうことだろう。
昔話で、死者をもてあそぶ邪悪な魔術師が似たような事を言っていた気がする。
ひょっとしたら、生きているよりも酷いことになったのかもしれない。
石室から出てもなお、少年は苦しみ死にかけていたのだ。