1章-17 恐怖の向こう側
「サフィリア・フェルナンディ。そなたは何処にいたのだ?」
アリウスは問いかけた。
証拠をすべてをそろえ、どんな罪状を与えるかも計画したうえでの呼び出しである。
質問というよりも、確認といった方が正しいだろうか。
アリウスは探るような視線を向けてくる。
いや、違う。
神聖なる審問で、サフィリアが逃げの手をうつのを待っている。
アリウスの視線から悟った。
ロディウス・アクテの戦術書に曰く。
【拮抗状態では虚誘幻殺の計をもって、後手の優位を確保せよ。敵の虚実を探し、幻の逃走路を作り出して誘い込め】
「サムハインの日、空の道を通って冥府返しの石室に」
聞かれぬことまで答え、サフィリアは先手を打った。
ラスティーが鋭く息を飲む。
審問の塔で、嘘をつけばそれだけでも罪となる。
記録を司るフェルナンディの血筋、しかも知識の塔の守り手だ。
サフィリアは書を守る者、記録の守護者である。
嘘の証言をすれば、地位の責任からより深い罪になる。
つまりアリウスの作戦は、審問の塔でサフィリアに嘘をつかせることなのだ。
ロディウス・アクテの戦術書に曰く。
【虚偽は隙となる。逃げ隠れすれば、見つけ出し、暴き立てる側に大義が移る】
虚誘幻殺の計に対しては、真実こそが身を守る盾となる。
安易に見える逃げ道は、アリウスの仕掛けた幻だ。一歩先には罠が大口を開けている。
ならば、私は真実しか口にしない。
サフィリアは強く心に誓った。
アリウスは黙ったままだ。
沈黙を有効に用いれば、威圧感を増すことができる。
しかし、これほど長ければ、相手に考える時間を与えるのだから逆効果だ。
先手をとったことが、アリウスの予定表を狂わせたに違いない。
「……サムハインの夜、そこで【冥府返し】が行われたのは知っておるな?」
「はい」
サフィリアは簡潔に答えた。
アリウスの視線をまっすぐに受け止める。
瞳の中には、隠しようのない動揺が見て取れた。
「……では、【冥府返し】の儀式を妨害したことに相違ないか?」
「いいえ、私は儀式の妨害などしておりません」
右側で奇声にも似た呼吸が聞こえた
「サフィリア・フェルナンディ。審問の塔で、嘘を証言したな!」
勝ち誇った声を出したのは、ラスティーである。
「あなたに発言の資格はありません」
「なんだと?」
サフィリアは切りつけるように答えた。
「審問の塔において、左右に位置するのは聴聞官です。審問の任は長老に、発言の義務は私にあります。審議における、沈黙の神聖を汚すおつもりですか?」
「な、何をバカなことを。そんな事よりも、お前は嘘をついたじゃないか!」
ラスティーの声は切れ切れだ。
怒りに表情をゆがませ、声もかすれている。
見るからに無様だ。
「静まれ、ラスティー」
「し、しかし。長老、この小娘は――」
「ラスティー・クルス!」
アリウス長老の厳しい声に、ラスティーは全身を硬直させて沈黙した。
「サフィリア・フェルナンディ。先ほどの発言に間違いないか?」
「はい。【冥府返し】の儀式を妨害してはおりません」
確認の言葉に、サフィリアは深くうなずく。
「魔術で石室を破壊したのは、誰か?」
「私です」
「シーグ・ペイラックを石室から連れ出したのは?」
「私です」
「…………」
アリウス長老は沈黙し、ラスティーは窒息しかけた魚のように口をパクパクさせている。
ここまでくれば引き返せない。
ロディウス・アクテの戦術書に曰く。
【戦いは神速果断に行え。勝機は恐怖の向こう側にある】
危険を乗り越えぬものに、勝利は無いのだ。
「私は何も妨害しておりません。なぜなら、【冥府返し】は失敗していないのですから」
サフィリアは、勇気を総動員してゆっくりと断言した。
アリウス長老に質問される前の発言。しかし、違反をとがめる者はいなかった。
今、サフィリアの言葉こそが、審問を支配していた。