1章-16 審問の塔
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頭が溶けたかのように熱く、痛い。
サフィリアは集中することで、混濁する意識を繋ぎ止めた。
石の床に振れるヒザの感触が戻り、徐々に視界が開けてゆく。
六角形の壁におおわれた小さな部屋だ。
それぞれの壁の頂点に、魔術の明かりが灯されている。
上を見上げても闇があるだけ。
薄暗く、天井が高すぎて光が届かないのだ。
このような構造の建物は一つしかない。
審問の塔である。
「なぜ呼ばれたかわかるか?」
まずアリウスの声だけがして、三つの明かりが灯った。
正三角形にサフィリアを取り囲んでいる。
「この場所に相応しいことをするためですね」
サフィリアは立ち上がり、毅然として答えた。
宙に浮いた青白い光は徐々に大きくなり、三人の男を照らし出す。
正面に、アリウス・グラムファーレ。
左に、ラスティー・クルス。
右に、ガリウス・グラムファーレである。
闇が遠近感を狂わせているために、近くにも遠くにも見える。
ややもすると、幻覚か現実か区別もつかないほどだ。
審問の塔には、錯覚を助長する仕掛けが施されている。
暗黒もまた、錯覚を誘う仕掛けの一つだ。
この塔はただ審問のためだけに作られている。壁の一枚、床の感触、聞こえる音。
五感に感じるすべてが、自分に不利に働くと考えた方がよい。
「気分はどうかな?」
「よくありません」
ラスティーの嫌味まじりの問いに、サフィリアは淡々と答えた。
「場所は沈黙の回廊であり、暦は秋の収穫祭。環境的因子に恵まれているために、術の施工に失敗はなく、短距離ゆえに座標の狂いは起きません。ですが、黒炭と鉄粉で作られた結界陣では、意識の混濁を起こしますから」
サフィリアは目だけを動かして、左側を見た。
「粗雑な結界陣です。ラスティー、あなたの仕業ですね?」
「ぐ……」
粗雑という言葉に特に力を入れる。
詰まった言葉がサフィリアの予測を裏付けた。
あれは、移動を目的とした結界陣というよりも、トラップだったのだ。
沈黙の回廊から、審問の塔までは大した距離はない。
結界陣を用いて、平衡感覚を狂わせて、転倒させる。
精神を疲弊させ、思考を混乱させる。
サフィリアを追い詰める意図があったのだ。
だから、私はそうはならない。
あらかじめ意識を繋ぎ止め、転倒をしないように膝をついておいた。
ロディウス・アクテの戦術書に曰く。
【あらゆる戦術は、ようは敵への嫌がらせである】
ならば、戦いでは嫌がらせのすべてに耐えなくては。
「審問とは大ごとですね。何があったのですか?」
「サフィリア・フェルナンディ。質問は無用だ。そなたは答えるだけでよい」
アリウスは表情を動かさず淡々と語る。
「了解しました」
短く返事をして、サフィリアはアリウスを真正面から見つめた。
審問の塔は、文字通りに審問をするためだけに作られた。
闇によって相手の不安を誘い、複数人で包囲する。
相手を威圧し、恐怖で舌を凍らせ、審問を有利に進める目的がある。
審問ので相手の心をくじくのが目的だ。
だから、私はそうはならない。
「サフィリア・フェルナンディに問う」
「はい」
平静を保って答えると、アリウスの眉が不機嫌に跳ねるのが見えた。
ただ、ラスティーほど感情を表に出さない。
「サムハインの前日、お前は記憶の塔にいなかった。それは真実か?」
「はい」
サフィリアは正直に答えた。
審問官の席には、背後から明かりが当たるようになっている。
逆光で表情がよく見えない。
「ではどこにいた?」
「メティスの外に。記憶の塔にはいませんでした」
書を守る者が、無断で外出するのは処罰の対象となる。
ラスティーは驚きに表情を変え、ガリウスは微動だにしなかった。
正面にいるアリウス長老の表情はやはり読めない。
ふと左を見れば、ラスティーがそわそわと視線を泳がせていた。
いかにアリウスが感情を隠しても、この男の様子が有意義な情報を与えてくれそうである。
「私の罪状は、無断の外出というわけですか?」
審問の塔は別名、【サムハイン(死神)の角】と呼ばれている。
塔の先端は、13階相当の高さにおよぶ。
シージペリラスの象徴である不吉の数字をあえて使っているのだ。
そこで罪状を言い渡された者は、命があるまま幽閉され、社会的に止めを刺される。
まさに罪人を貫く、死神の角なのだ。
国家的な損害をもたらした者が招かれ、断罪されるのが審問の塔。
間違っても、家出娘一人を裁くために使われた前例などない。
「……サフィリア・フェルナンディ。そなたは質問にだけ答えるように」
かなりの間をおいて、アリウス長老が発言する。
戸惑いと警戒を、サフィリアは感じ取った。
「はい」
感情をこめない返事に、ラスティーは唸り声を上げた。
鉄面皮を通すアリウス長老も、内心では同じ感情が渦巻いているに違いない。
理論よりも直観によって、なぜだかサフィリアは確信できた。