1章-14 探り合い
「名前をおぼえていてくれたからですよ」
降参しようと思ったら、ライナが声をかけてきた。
まるで、心の中を読まれているようだ。
「……それだけ?」
「私たちには十分すぎます」
ライナは、鏡越しにサフィリアの前髪を整えていった。
機械仕掛けのように正確な動きが、ライナの性格をあらわしていた。
「会った人の名前をおぼえる。相手の名前を呼ぶ。これって普通のことでしょう?」
「普通というのも、案外難しいものですよ」
「どういうことかしら?」
サフィリアは好奇心から問い返した。
普通が難しいなど、聞いた事もない。
「強い力……例えば財力や権力を持つほど、その普通が難しくなるのです」
「……」
サフィリアは考え込んだ。
魔術師の場合、名前をむやみに呼べば、呪いをのせる手段と疑われることもある。
そのため、メティスではアリウスを名前ではなく【長老】や【総督】と呼んでいる。
そして、王や総督になれば、顔を合わせた全員の顔と名前を覚えることなど不可能だ。
王国の慣例として、役職で呼ぶことが多い。
特に戦死者が多い騎士団などは、頻繁に人が入れ替わるためにその傾向が強いという。
「そうね。確かにその通りだわ」
魔術師も王も、強大な力を持つ。
人に身にて、人を超越することを望み、不要であるものを捨て去る。
権力や英知を得るためには人として普通の考え、つまり人間性こそが不要の最たるものかもしれない。
「ねえ、ライナ。私はその……」
鏡越しにライナと目があった。
「普通に見えるかしら?」
ライナはキョトンとして、目をパチクリとさせた。
瞳に映る感情は、驚きや戸惑いだった。
なるほど、心を読まれているように感じた理由が分かった。
ライナはずっと、サフィリアの目を見ていたのだ。
「見えますよ」
「なぜ?」
「分からないに悩んで、不安があれば人に聞きたくなる。ごく普通の女の子と変わりません」
鏡越しに見えるライナの瞳が、サフィリアを直視する。
ライナの反撃を予感した。
「それに、甘いものや可愛いものが大好きとも聞いていますから」
「だ、誰がそんなことを!」
予測外の言葉にサフィリアは思わず声が大きくなった。
「リーザ様ですよ」
ライナに声色を変えずに答えた。
この落ち着いた女性にとって、サフィリアの反応は予想通りだったのだ。
顔は平静を保ったまま、瞳が笑っている。
「リーザ様には口止めをしておきました。知っているのは私だけです」
「……ありがとう」
記憶の塔に、お菓子やぬいぐるみを持ち込んだ。
そんな事がアリウスの耳に入れば、懲罰の対象になる。
自分はともかく、リーザまで巻き込まれてしまう。
「ねえ、聞きたいことがあるのだけど」
「なんでしょう」
「リーザの作るぬいぐるみって、本当にかわいいの?」
サフィリアの問いに、ライナは再び目をパチクリさせた。
瞳に動揺の色が浮かぶ。
この人にも、予想外はあるのだ。
ライナは落ち着きを払って、ゆっくりと瞬きをした。
一度間をおいて、心を落ち着けているのだ。
考えをめぐらせて、感情的にはならない。常に冷静で理知的なのだ。
物語に出てくる淑女とは、ライナのような人のことに違いない。
「サフィリア様はどう思いますか?」
なるほど。
淑女たるもの、自分から先走って意見を言わず、相手の反応を先に見るわけか。
「正直、どうかと思うわ」
サフィリアも仕返しとばかりに、あいまいな意見を返した。
真意を探る視線に、ライナも気づいている。
「血走った大きな目ですね」
「夜は怖くて仕方がないの」
「私もそう思います」
鏡越しにライナは微笑んできた。
サフィリアも思わず、笑い声を上げた。
瞳の動きで相手の心理を読み取り、問い返す事で相手の言葉を誘い、意見を合わせる。
それだけで、相手を理解し、話題を誘導することができる。
心を読む魔術以上に、交渉術として優れているように思えた。
「あなたと話をするのは、とても楽しいわ」
「私は決闘をする以上に、緊張しましたよ」
「決闘? 女の人なのに?」
「いたって普通にたしなんでおります」
平然として断言するライナ。
サフィリアは思わず微笑んだ。
「あなた、剣が使えるの?」
「身を守るために必要でしたから」
「剣が使えて、決闘するのに普通の女の子なの?」
「私はそう思っていますよ」
ノックする音が会話を止めた。
小さくうなずいたライナが扉を開けにゆく。
外にいたのは、ラスティー・クルスの副官を務めていた男だ。
確か名前はロイス・スティルバートといった。
「まだ、準備が終わっていません」
「しかし、アリウス長老がお呼びです」
ライナが冷淡に答えるが、ロイスは食い下がった。
悲壮な表情と、緊張した声。
よからぬことが起きたに違いない。