1章-13 話術
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髪にクシが通され、ゆいあげられてゆく。
鏡に写る自分自身を目の前にして、サフィリアは虚空を見つめていた。
ルーナサ(秋の収穫祭)には、宴が行われる。
その一席で、サフィリアとガリウスは各国の特使に挨拶をする。
建前は、城塞を守る【騎士団長】と【記憶の塔】の守護者のお披露目だ。
しかし実の所は、メティスの誇る【固定兵器】を各国の代表に見せる目的がある。
聖域へ侵入する者の息の根を止める【一陣の風】。
万の敵を瞬時に蒸発させる【報復者の剣】。
戦端が開かれる時は近い。
今年は、アリウス長老の予知通りに豊作だった。
食料の備蓄は十分であり、本格的な冬まではまだ猶予がある。
もしも、今宵の宴でどこかの国を【悪】と宣言すれば、即座に戦争が始まるだろう。
メティスには各国の高名な外交官や、大臣がつめかけている。
ダリムなどは、王が直々にやってきたほどだ。
アリウスの宣言に対応して、即時に軍事行動を起こしたり、同盟の交渉が可能な人物ばかりである。
この三か月、考えに考え、調べに調べつくした。
三日三晩、不眠不休で書を読みふけったこともあった。
しかし、アリウスの考えは分からない。
宣言によっては、外交折衝の段階を飛ばし、宴の場で乱闘が始まるかもしれない。
その時に、各国代表の息の根を文字通りに止めることが、サフィリアの使命なのだ。
いら立ちから、サフィリアは頭を横にふった。
「も、申し訳ありません!」
泣き出しそうな悲鳴に、サフィリアは我に返る。
髪が垂れ下がり、視界をふさいだ。
長い髪を塔のように結い上げている途中で、首をふったのだから当然だ。
髪がバラバラになって、頭にかぶさった。
鏡には今にも泣きだしそうになった少女が写っていた。
怯えても仕方がない。
何しろ自分は、大軍の息の根を止める兵器なのだから。
「ご無礼を致しました!」
「ごめんなさい」
声が重なった。
驚いて口が半開きになった少女が、鏡越しに見えた。
「怒ったわけではないのよ。考え事をしていたから……。急に動いたりして、驚いたでしょう」
薄い赤色の髪に年齢は十代の半ば。
優しげな雰囲気がリーザとよく似ている。
確か名前は――
「クレアさん、だったわね」
「え?」
「前のインボルグにも髪を結ってくれたわね」
クレアは立ち尽くして、彫像のように動かなくなった。
「どうしたの?」
不思議に思っていると、サラはポロポロと泣き出したのだった。
「どこか痛むのかしら?」
聞いても、何も言わずに泣き止まない。
顔を押さえて、うつむいているだけだ。
リーザは、お腹が減って泣き出したこともある。
他にも迷子になった時や、分からないことがあった時にも……。
よく考えたら、リーザはいつも笑っているか泣いているかのどちらかだった。
悩んでいると、小さなノックと共に扉が開いた。
クレアと同じく、正装するときに手伝ってくれた女性だ。
名前は、ライナ。
年齢は17,8くらい。短く切りそろえた黒髪が、細い顔によく似合っている。
無表情で感情を全く外に出さない。無個性を貫いているせいで、余計に印象に残る。
「そろそろ、お時間です。準備が整いましたら、隣の部屋までいらしてください」
ライナは淡々と言った後、動きを止めた。
視線を下げたままで、位の高い相手を直視しない。
相手の返事があるまで、決して顔を上げない。
貴人に対する一般的な礼だが、この場合は間が抜けていた。
声も出さずに泣き続けるクレア。
困っているサフィリア。
そんな二人に頭を下げたままのライナ。
「ええと、ライナさん?」
「はい」
返事と共にライナは顔を上げた。
細めた目を左右に動かして、部屋全体を見回した。
一介の侍女とは思えないきびしい目配せ。
まるで、訓練された兵士を思わせた。
「失礼します」
ライナは大股に歩いてくると、乱暴にクレアの手を取った。
「すぐに戻ります」
有無を言わせぬ様子で、ライナは短く答えた。
そして、クレアを強引に引っ張って部屋の外に出て行ってしまった。
クレアは大丈夫だろうか。
権力の中枢で仕事をする者は、わずかな失敗で職を奪われる。
最前線で戦う兵士が、一瞬の油断で命を落とすようなものだ。
冷徹な印象のライナ。
彼女は戦場の将軍のように、厳しくクレアを罰するのではないか。
不安に思っていると、ライナはすぐに戻ってきた。
「時間がありませんので、私が髪を結います」
ライナは不愛想に言うと、鏡の前に立った。
サフィリアが椅子に腰かけると、すぐにテキパキとした指の動きが、髪越しに伝わってきた。
「クレアはどうなったの?」
「隣の部屋にいます。すぐに泣き止むでしょう」
探る視線を鏡越しに向けると、ライナは微笑した。
「罰など与えません。安心してください」
引き締めた口元を緩めるだけで、印象が急にやわらかくなった。
「クレアが泣いていた理由が分かりますか?」
「怖がっていたのね。可愛そうなことをしたわ」
ライナは首を横に振った。
「違います。クレアはうれしかったのです」
「うれしい?」
ずっと鏡の前では、考え事をしていた。
最後には、結ってくれた髪を台無しにした。
一体にどこに喜ばせる行為があったのか?
そもそも、クレアは泣いていたではないか。
泣くのは悲しいときではないのか?