1章-11 魔術の秘儀
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秘本の遂行は完璧に機能している。
七家の秘儀である、積層型結界陣。
塔の構造を利用し、7つ階層に結界陣を敷設したうえで、縦にも魔力の流れをつなげるのだ。
三角錐に積み重ねられた結界陣は、記憶の塔のすみずみにまで魔力を満たす。
いわば塔そのものが、巨大な結界陣なのだ。
結界陣の要に置かれた宝石は心臓のように。
塔の壁は皮膚のように、水晶球は目のように。
石碑や羊皮紙に刻まれた記録を、記憶へと変化する。
聖域と同化し、記憶の塔そのものとなる。
それが秘儀、秘本の遂行である。
探知の一族フェルナンディ。
魔術の粋を尽くせばこの世に不明は存在しない。
そう、言い伝えられている。
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サフィリアは結界陣の中心で魔術の印を組んでいた。
書棚や本、机や椅子、燭台さえも結界陣の一部である。
人が血肉で生きるように、魔術は金属と宝石を媒介とする。
膨大な魔力の流れが、周囲に満ち、塔と自分との境界が消えてゆくのを感じた。
これで、塔の中で起きるすべての事象を観察することが出来る。
あくまで観察力の拡大であり、当然術者の技量に左右される。
聖域と親和性を高め、書の理解を深めることで、秘本の統合はより精度を増してゆく。
書を守るものが、生涯を通じて塔の中で過ごすのはそのためだ。
リーザが置いていった紙に触れると、確かにそこには魔力の流れがあった。
普段は気づかないほど微弱ではあるが、確かにそこには魔力がある。
不明ではあるが、魔術には違いない。
ディテクト・マジック(魔力探知)
ディテクト・エレメンタル(精霊探知)
トレジャー・ファインディング(宝物探査)
インフラ・ビジョン(赤外線視覚)
アストラル・ビジョン(精神階層視覚)
アイデンティファイ(認定魔術)
立て続けに探知魔術を解き放つと、リーザの紙片がもつ魔力が明らかになってゆく。
本のページを破ると、紙が一瞬のうちにクッキーになる。
その一連の作用を、サフィリアの感覚はとらえることが出来た。
探知できた魔力は多岐にわたった。
すべてを見通すにはまだまだ足りないが、サフィリアの技量ではこれが限界だった。
精神の集中を解くのと、意識が途切れるのは同時だった。
サフィリアはその場に倒れこんだ。
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どれくらいの意識を失っていたのだろう。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
闇が支配する記憶の塔の中では知りようがない。
サフィリアは近くにおいてあった杖を取り、魔術の明りをともす。
全身が鉛になったように重い。
意識は乱れた麻のようだ。
「……困ったものね」
サフィリアは、目の前にあるクッキーを見つめた。
リーザの行った奇跡のような技は紛れもなく魔術であった。
結界陣は描かれてはいない。
秘密は紙の内側にあった。
リーザは紙の結晶構造を直接操作して、内部に結界陣を作っていた。
金属や宝石が魔術に適しているのは、結晶構造が一定だからだ。
宝石などは、存在そのものが結界陣のようなものである。
例えば、エメラルドは結晶構造が六芒星であり、魔術の統合には最高の環境的因子となる。
エメラルドはグラムファーレの守護石であり、宝石の緑は一族の象徴となっている。
金属はたいていが線状の結晶構造を持っている。
そのため、結界陣同士の魔力伝達には最適となる。
自然の作った結界陣。
それこそが、宝石であり金属なのだ。
リーザが【紙】で同じ事をしてしまったのが問題である。
もろく弱い構造しか持たない紙や布の繊維では、結界を編むのは【困難】だ。
リーザと同じことをしようと思ったら……。
十歩四方の部屋のすべてを糸で埋め尽くし、結界陣を作れば可能かもしれない。
本のサイズに小さくまとめることなど【不可能】である。
おなじことは、メティスのどんな魔術師にもできない。
エンチャンター(魔術付与)の理想であり、決して適わぬ夢とも言われる領域である。
誰もが手を伸ばしても届かなかった秘儀にリーザは踏み込んでいる。
しかも、半分は寝ぼけながら無意識に。
嫉妬や妬みといった感情が、渦のようにリーザを取り囲むことになるだろう。
「どうすればいいの?」
問いかけても答えるものはいない。
答えを見つけて与えるのが【書を守るもの】である。
春の涼風のようなリーザ。
太陽のような笑顔のリーザ。
道端の花のように無防備なリーザ。
彼女が彼女らしくあるためには、このメティスはあまりにも冷たく、固く、狭すぎる。
掟と風習に縛られたこの都は、冥府返しが行われた石室の中と変わることがない。
シーグ・ペイラックの生存もいずれ知れることになるだろう。
【冥府返し】と【空の道】のに関する報告書の矛盾に気づくのは難しくない。
慎重に書類に目を通す者がいれば、簡単に見破られるだろう。
リーザもまた、シーグ開放の関係者である。
あの人たちを守るにはどうすればいい?
問うたところで、誰も答えてくれない。
英知を授けるものこそが、書を守る者なのだから。
「悩んでいても、意味がないわ」
ならば、力をつけなければ。
世の中に流されず、正しいと思える事を実行できるだけの力を。
魔術の聖域である【記憶の塔】
真実を見極めるフェルナンディの秘儀。
極めればこの世に不可能はなし。
そう言わしめる神秘の源が自らの手の内にあるではないか。
決意して立ち上がると、小さく鐘の音が聞こえてきた。
分厚い壁越しにだが、耳を澄ませばなんとか聞こえる。
余韻を残しながら、ゆっくりと4度響き渡る。
正午の4点鐘である。
ルーナサの式典は夕暮れの6点鐘。
メティスを品定めするために、各国の代表が集まった。
魔術都市の【人的構成部品】と【固定兵器】。
すなわち、サフィリアとガリウス。
かの者は如何なる者か、と。
もはや、受身になっているだけではいけない。
クッキーを一つだけ口に放り込むと、甘さが口中に広がった。
リーザの笑顔と体温が思い出された。
あの人を守るためにこそ、自分の力を使おう。
サフィリアは立ち上がり、扉に向かった。