1章-9 夏のひと時
「リーザはいつまで、ここにいられるの?」
「今日だけだよ」
「そうなんだ……」
メティスは大きく二つに分けられる。
魔術の聖域が存在する場所が上都。
残りはそれ以外の場所だ。
上都への出入りは、魔術師であっても期間や場所が限定される。
世俗との関わりを断ち、孤高を保つことが良い魔術師になる条件と考えられている。
メティスは、都市そのものに魔術師の特性が反映されているからだ。
「ルーナサには、上都に来れないみたい。次はインボルグかなぁ?」
サムハインには、基本的に部外者は立ち入り禁止となる。
インボルグから半年。
アリウス長老は、再び大陸に宣言するべきことがあるに違いない。
「手紙は届けるからね。また、誕生日に見てほしいな」
「誕生日?」
聞きなれない単語をサフィリアは繰り返した。
言葉から考えるに、産まれた日を祝うのだろう。
「それじゃあ、毎日が誰かの記念日になってしまうわ」
リーザの故郷の住人が、毎日遊び呆けているなどという記録は見たことがないが……。
「ほえ?」
リーザはキョトンとしたあとに、ケラケラと笑い出した。
「やだなー。フィーちゃんの知っているみたいな、大きな式典なんかしないよ。知り合いを集めてプレゼントを贈ったり、ちょっとだけオシャレをしたり、美味しい料理を食べるだけだよ」
「…………」
「知らなかった?」
無知を指摘されサフィリアは顔を赤らめた。
書を守るものとして、知識の欠如は恥である。
「フィーちゃんは、お姫さまだもんね!」
「……違うわよ」
反論する声も小さくなる。
自分は王族ではなくて、魔術をつかさどる七家の一門に過ぎない。
例えるなら、侯爵以下の地位で王位継承権などない。
リーザが大笑いしているのは、身分の間違いが理由ではない。
自分が世間知らずと言うことだ。
【書を守るもの】は大陸最大の知識者と言われている。
それなのに、押し花も誕生日も知らないとは情けない。
「そうだ。シーグの誕生日にね、フィーちゃんも何かプレゼントしようよ」
「え?」
「絶対に喜ぶよ」
呪われた日に生を受けた、忌むべき少年。
産まれたというだけで、世界中から怨みを集めた命。
リーザはそんなシーグの誕生日を祝おうといっているのだ。
それは、とてもすばらしいことに思える。
「何を贈ったらいいの?」
「なんでもいいけど、相手が一番喜ぶものがいいかな?」
とっさに、食べ物が考え付いた。
だけど、日ごろからリーザの手作りのお菓子や料理を食べているのだろう。
次に毛布や服が思いつく。
まだ寒さの強いインボルグに、何よりもうれしかった。
そこまで考えて、サフィリアは黙り込んだ。
「ひょっとして、インボルグにくれた毛布や服って……私の誕生日だったから?」
「そうだよ。服が一度に代わるから、寒いって言ってたじゃない」
リーザは大きくうなずく。
自分の鈍さに嫌気が指した。
【書を守る者】には、記憶力はもちろん、分析や予測する力も求められる。
花祭りだというのに、花をじっくりと見るのも初めてだ。
贈り物をもらっても、相手が何を考えているかまるで考えていない。
世間の常識と照らし合わせたら、自分の方がよほど異常なのだろう。
だいたい、押し花と魔術を間違って、知った顔でリーザに詰め寄っていた。
思い出すだけで、恥ずかしい。
「また頭が痛むのかな。風でもひいた?」
「ううん、そうじゃなくて」
こういう場合はなんと言えばよかったのだろうか。
感謝しますとか、ご苦労様とか、そういう偉そうな言い方じゃなくて。
「どうしたの、なんか変だよ?」
「ええと、違うの。そのね」
「大変、顔が真っ赤だよ、熱でもあるんじゃない?」
「違うの、大丈夫なの、そうじゃなくて。あのね」
なぜか、どんどん早口になって頭に血が上ってゆく。
「なんか、いつものフィーちゃんらしくないよ、どうしたの?」
「あ、あーー」
「あ?」
「あ、ありが……とう!」
リーザがいつも言っている当たり前の言葉だ。
だけど、口から出すのに全身の力を必要とした。
「……へ?」
「それから。……ごめんなさい」
目の前では、リーザが呆けた表情でこっちを見ていた。
「だ、だって。ほら、その、誕生日に贈りものをくれたの築かなかったし、お礼を言うのが遅れたし……」
「…………」
「わ、私。ひょっとして、変な事を言った?」
サフィリアは不安になってきた。
初めてだったので、何か手違いがあったのだろうか。
慣れないことは事前に良く調べて、何度も練習しなくてはいけないのに。
「フィーちゃん……」
しばらくぼんやりしたあと、リーザは目をウルウルさせている。
泣いている・・・・・・わけではないようだが――。
「慌てたフィーちゃんってば、カワイイ!」
リーザは突然抱きついてきた。
怒っていない。サフィリアはほっとした。
「フィーちゃんってば、おサルのお尻みたいに顔が真っ赤だねー」
「…………」
その言葉には、疑問を感じた。
判断に困るが、むしろ怒るべきではないか?
リーザのサラサラの黒い髪から、いい香りがした。
また、新しい石鹸を作ったのだろう。
おいしいものを食べ、花の香りが部屋に満ち、リーザの暖かさに包まれる。
この時間がずっと続けばいいと、サフィリアは思った。