1章-8 花の名前
「はい、できたよー」
サフィリアの新たなる決意は、のん気な声に阻まれた。
「フィーちゃんは、チーズケーキがいいかなー?」
床に置かれた皿にはチーズケーキが乗っていて、ティーカップからは湯気が出ていた。
部屋中に甘い香りが満ちてゆく。
「ちょっとまって、今どうやったの?」
「ほい?」
「だって、ポットも火もないのよ?」
リーザはケーキをほおばりながら、紙の束を差し出した。
クッキー、と綺麗な字で書かれている、
順番にめくっていくと、ハーブティー、シナモンケーキと続いていた。
サフィリアが求めていた【結果】が目の前にある。
それも束で。
何のために質問を繰り返していたのか、この人は全く分かってなかったのだ。
「フィーちゃん、ひょっとして怒っている?」
「怒ってない」
腹が立つのを通りこして、呆れているのである。
「果物の方が良かったのかなあ」
会話がまるでなりたっていない。
落ち着けと、自分に言いきかせた。
リーザが恐々とこっちを見ている。
「これを作ったときのことを詳しく教えて」
「3日前くらいにね、やっぱり眠くなったんだ。その時に出来たんだよ」
「……どうやって、クッキーやケーキを焼いたの?」
「うーん、よく覚えてないなあ」
リーザは首をかしげている。
「あ、ほら。フィーちゃんも、目をつぶったまま塔の中を歩けるんでしょ。慣れた事は目を閉じていてもできるんだよ。同じだねえー」
絶対に同じではない。
「ねえねえ、それよりも早く食べようよ」
サフィリアは思わずため息をついた。
この人は何を聞かれているかも分かっておらず、事の重大さを知りもしないのだ。
「うーん、おいしい!」
満面の笑顔を浮かべるリーザ。
たいして、サフィリアは精神を集中させた。
魔力の流れは感じられない。
食器やケーキにも特に異常は見当たらなかった。
通常の魔術では、探知不可能なのだろう。
「3日前だったわね?」
「そだよ」
食べながら話すので、リーザの声はくぐもっている。
紅茶は熱を持ったままだ。
生クリームは全く傷んでおらず、冷たかった。
まるで作ったときから時間が止まっていたかのようだ。
保存の魔術でも、ここまで見事に熱を維持できない。
「お腹が減っていないの?」
「ううん、そんなことないわ」
警戒心を溶かず、ケーキを口に運ぶ。
口の中が溶けそうなほどに甘く、サフィリアは思わず目を閉じた。
紅茶を飲むと、生き返るような気持ちになる。
自分がひどく空腹で、渇いていたことにようやく気づいた。
先に食べ終えたリーザは、床に本を並べている。
「ねえ、リーザ。それは何?」
「お花を持ってきたんだよ」
表紙を開くと、布に包まれた花が出てきた。
こちらは、乾燥しているが保存状態は良好で、色も落ちていない。
本に押しつぶされて、平らになっている。
一体どんな魔術かと、サフィリアは考えをめぐらせる。
「これも、眠っている間に?」
「違うよ。起きていたよ」
ならば、真実に近い答えが得られるに違いない。
「じゃあ、その時のことを詳しく教えて」
「えっと、こうやって、こう」
リーザは花を布に包んで、本のページを閉じた。
「……ほかに何か覚えていない?」
「お花をつみに言ったところから、話した方がいい?」
サフィリアは首を横に振った。
この人は魔術の何たるかも分かっていない。
「ねえ、リーザ。星回りとか、時間がとても重要なの。何か覚えていることはない?」
「うーん、難しいことは良くわからないなぁ」
「起きていたんだから、ちょっとは覚えていることがあるでしょう」
枯れて散る花を、これほど良好な保存状態で保てるのだ。
並々ならぬ魔術に違いない。
「だけど、大したことじゃないよ?」
「そんなはずないわ」
サフィリアは断言して詰め寄った。
リーザは難しい表情をして、困っている。
「何でもいいから、知っていることを教えて!」
「これ、押し花だよ」
「え?」
サフィリアは言葉に詰まり、リーザは目をぱちくりさせている。
「押し花だよ?」
確かめるように繰り返すリーザ。
サフィリアは書の記録をたどった。
押し花とは、草花を紙などの間に挟み、押しつけて乾かしたものだ。
見るのは初めてだが。
もちろん、魔術などではない。
「……えっと、どうして?」
「だって、今日はベルテヌだもん」
そこで、ようやくサフィリアは思い出した。
ベルテヌは、夏の花祭りだった。人々は花を持ち寄って、宴を開くのだ。
だから、リーザはケーキや紅茶を持って、サフィリアに会いに来たのである。
「左からパセリア、アルメリア、エリシア。えっーと……」
リーザは順番に花を並べていった。
「サルビアに、ラレンティアかしら?」
「あ、そうそう。ありがとう、フィーちゃん」
サフィリアが見たのは本の中だけだ。
それも、羊皮紙にインクで描かれたものだ。どれほど緻密な絵でも色はついていなかった。
知識でしか知らなかったものが、目の前に広がってゆく。
大陸中の人々はこうやって自分の周りにある自然に目を向けて、恵みを祝っているのだ。
だが、魔術師たちはどうだろうか。
暦にばかり気を取られて、元々が何の日だったか気にするものもいない。
貴金属と宝石にばかり目を向けて、自然を軽々しいものとみなしている。
自分もまた、空腹さえも忘れるほどに思考の中に没頭していた。
魔術以外に考えを向けることをせずに、世の中にありふれた方法に気付きもしなかった。
「花って、本当に綺麗ね」
「そうでしょ?」
リーザはうれしそうに笑った。
ごく当たり前の言葉なのに、口にしたのは初めてだ。
おそらく、メティスの高位に属する魔術師のほとんどが同じだろう。