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慶功宴と戦術研究会

第一砦から王都への帰還は、凱旋行進そのものだった。

街道には、勝利の報を聞きつけた領民たちが詰めかけ、「愛の賢者様!」「救世主!」の歓声を上げ、花びらや布切れを投げた。馬車の中で、窓の外の熱狂的な群衆を眺める涼は、毛布にくるまったまま、ほとんど動かなかった。疲労と、重すぎる賞賛に、心身が痺れているようだった。

王城に戻ると、すぐに盛大な「勝利と賢者を讃える宴」の準備が整えられていた。広間は、前回よりもさらに豪華に飾り立てられ、長い食卓には、王国が調達できる最高の食材が並べられている。獣の丸焼き、色とりどりの果物、蜂蜜がけの菓子、そして泡立つ蜂蜜酒。戦場の粗末な食料とは、別世界だ。

涼は、またしても王の玉座のすぐ下、一段高い特別席に着かされた。彼の前には、特に豪華な料理が盛りつけられている。が、食欲はない。むしろ、脂っこい匂いが胃を押し上げる。

広間は、貴族、将軍、高位の魔術師、そして戦功のあった騎士たちで埋め尽くされていた。皆、勝利の余韻に酔い、笑い、語り合っている。その会話の中心は、常に「賢者様の御力」だ。

「あの『星空の如し』の一言! オーガが跪いた時は、我が目を疑った!」

「いや、『一緒に帰らぬか』の広域呪文こそ! スケルトンどもが、すっかり戦意を失ってな!」

「あの優雅で、慈愛に満ちた言霊…間違いない、これこそ『愛』の力だ!」

涼は、なるべく目を合わせないように、皿の上の肉をいじっている。耳に入ってくる賞賛の一つ一つが、胸に刺さる。彼らは本気だ。本気で、自分を「愛の賢者」と信じ、崇めている。

(ちがう…あれは、ただのパニックだ…ゲームの台詞だ…)

心の中で叫んでも、何も変わらない。事実として、彼の言葉は戦場を変え、人々を救った。たとえそれが誤解と偶然の産物でも、結果は変わらない。

玉座から、王、ロードヴィック四世が立ち上がる。広間が静かになる。

「諸君、今日、我々は集い、大いなる勝利と、我が王国に降り立った真の希望を祝う!」

王の声は、感極まって震えている。

「漆黒の密林より迫り来る魔王軍の脅威。我々は、預言の賢者、佐藤涼閣下の導きにより、その危機を予見し、備えることができた!」

拍手が起こる。熱い視線が涼に集まる。

「そして、先の戦い! 砦は危うかった。が、賢者閣下の、深遠にして慈愛に満ちた『言霊』の力が、強大なる敵を挫き、我が軍の士気を大いにかき立てた! 一言一句が、愛と希望に満ち、敵の心胆を寒からしめた!」

(寒からしめた、って…あいつら、むしろ混乱してただけだ…)

涼は、内心でツッコミを入れながら、うつむく。

「この勝利は、賢者閣下なくしてありえなかった! 彼こそ、『愛』をもって我が国を救わんとする、真の救世主!」

王は、杯を高く掲げる。

「諸君、杯をあげよ! 我が救世主、愛の賢者、佐藤涼閣下に!」

「「「賢者閣下に栄光あれ!!!」」」

広間中が、杯を掲げ、歓声を上げる。音楽が奏でられ、宴は最高潮に達する。

涼は、仕方なく杯を持ち上げ、ちびりと口をつけた。甘くて強い。喉が焼けるようだ。すぐに杯を置き、またうつむく。

(早く、終わらないかな…)

その願いもむなしく、次々と人々が彼の元に挨拶に来る。貴族は媚びへつらい、将軍は戦術について尋ね、魔術師は言霊の原理を議論したがる。涼は、ほとんど理解できず、翻訳魔法に頼ることもできず(スマホはポケットの中)、ただ曖昧にうなずくしかなかった。その様子が、かえって「賢者の深遠な沈黙」と解釈され、ますます尊敬の眼差しを強くする始末。

そんな中、一人、涼の隣の席に、自然に座り込んだ人物がいた。

リナ・アークシスである。彼女は、宴のためのドレスではなく、いつもの実用的な服—ただし、きちんと手入れされたもの—を着て、手には分厚いフォルダーと、あの慣れ親しんだメモ帳を持っている。髪もきっちりと後ろで束ね、目元の隈は相変わらず濃い。

「宴は、お楽しいですか、賢者様」

彼女の声は、静かで、宴の喧騒を一刀両断するようだった。

「…はあ」

涼は、疲れたため息のような返事をした。

「お気持ち、わかります。私も、こういう騒ぎは苦手です」

リナはそう言うと、フォルダーを開き、中から一枚の、大きな羊皮紙を取り出した。それを、涼の前のテーブルに広げる。

「ですから、せっかくの機会です。本戦闘の分析と、今後の戦術構想について、さっそく協議を始めましょう」

(…は? 今、ここで?)

涼は目を丸くした。周りは、まだ宴の真っ最中だ。人々は飲み、食べ、踊り、騒いでいる。そのど真ん中で、戦術会議?

「まず、本戦闘における、あなたの『発言』と、その『効果』の詳細な分析です」

リナは、宴の喧騒をまったく気にせず、淡々と説明を始める。羊皮紙には、複雑な表とグラフ、そして戦場の見取図が描かれている。手書きの文字は、小さく、しかし整然としている。

「記録された主な『言霊』—コード名で呼びます—は以下の五つです」

彼女の指が、表の項目をなぞる。

「一、『星空囚籠』。発言:『その瞳、星空のようだ』。効果:一点集中型強力精神干渉。対象:オーガ一名。効果:戦意喪失・行動停止。持続時間:約五分。魔力消費:中(推定)」

「二、『死霊支配・温かな家の呪い』。発言:『一緒に帰らない? うちのカップ麺、まぁまぁうまいよ』。効果:広範囲郷愁誘発・戦意剥奪。対象:下級不死者スケルトン約三十体。効果:戦闘行動不能化。持続時間:十分以上。魔力消費:中~大(推定)」

「三、『広域嘆息・運命弄びの哀傷』。発言:『なんでこんなことになっちゃったんだろう』。効果:広域感情感染(哀傷・諦念)。対象:戦場全体(敵味方問わず)。効果:敵指揮官の戦意喪失・戦闘終息誘導。魔力消費:大(推定)」

「四、『内省促進・自戒の呪縛』(仮称)。発言:『あなた、本当に、どうしようもない人ね』。効果:対象集団内の自省・内紛誘発。対象:ゴブリン約十体。効果:戦闘離脱・仲間内紛争。特記事項:『どうしようもない』という否定的評価が鍵か」

「五、『慈愛馴致・安堵の呼び声』(仮称)。発言:『よしよし、いい子だね、怖くないよ』。効果:知性低い魔獣への懐柔・馴致。対象:魔狼数頭。効果:敵対行動停止・友好的態度。応用可能性大」

リナの分析は、淡々と、しかし情熱を込めて続く。彼女は、各「言霊」の詠唱時の涼の表情、声のトーン、身振り、そしてその前後の戦況の変化まで、詳細に記録し、関連付けようとしていた。

「…現在の分析では、これらの『言霊』に共通する要素は、『対象への直接的呼びかけ』『比喩的表現(星空、家、子等)』『話者自身の強い感情の反映』です。特に、『愛』『慈しみ』『哀れみ』といった、一般的な攻撃呪文とは正反対の感情に基づく言葉が、強力な効果を発揮しているようです」

彼女は、涼を見つめる。その目は、研究者の純粋な好奇心に輝いている。

「そこで質問です。涼閣下。これらの『言霊』…あなたは、それらを『愛の呪文』と自覚して使用されていますか? あるいは、『愛』というキーワードの使用頻度と、効果の強度には、相関関係がありますか?」

(…はあ?)

涼の頭が、再びぐちゃぐちゃになる。愛の呪文? キーワード? 相関関係? 彼はただ、怖くて、ゲームの画面に表示された文字を、そのまま叫んだだけだ。

「…違う。あれは…『ゲーム』だ」

彼は、疲れ果て、本音を零した。もう、隠し通す気力もない。リナなら、多少はわかってくれるかもしれない。彼女は、いつも観察し、分析している。なら、このおかしな状況の核心にも、気づいているはずだ。

「『ゲーム』…?」

リナは、一瞬、首をかしげた。その言葉は、翻訳魔法を通さない涼の日本語だった。が、彼女は前後の文脈と、涼の絶望的な表情から、何かを推測したようだ。

「『遊戯ゲーム』…ですか。なるほど」

彼女の目が、鋭く光る。ペンを取り出し、メモ帳に走り書きを始める。

「戦闘や駆け引きを、一種の『遊戯』としてシミュレートし、その中で用いられる『決まり文句』や『駆け引きの言葉』を抽出、学習する…あるいは、異世界における、高度な『戦術言語』の研修法…」

(ちがーう!)

涼は、内心で叫んだ。方向性が、またもや逆だ!

「つまり、あなたの世界では、『愛』や『慈しみ』といった感情を駆使した言語戦術—『恋愛戦術』とも呼ぶべきもの—を、『ゲーム』という形で若年層に教育している…? そしてあなたは、その『ゲーム』の熟達者であり、その『戦術言語』を、我が世界の魔力を通じて現実に干渉させる技術をお持ちだ…!」

リナの推論は、荒唐無稽でありながら、ある意味で核心を突いていた。彼女は、「ゲーム」を「訓練」と解釈し、「台詞」を「戦術言語」と読み替えた。結果として、涼の「ただのゲームオタク」という正体は守られつつ、その「力」の説明に、一応の理屈がついてしまった。

「…いや、そうじゃなくて…」

涼が、さらに否定しようとすると、リナは深くうなずいた。

「お気持ちはわかります。『遊戯』であることを明かすのは、その技の神聖さを汚すと思われるのでしょう。が、心配には及びません。むしろ、そのように体系化され、学ぶことのできる技術であるならば、それは我が国にとって、計り知れない希望です!」

彼女の目が、興奮に輝く。

「もし、あなたの『ゲーム』—いえ、『恋愛戦術言語研修』—のデータを解析し、その『言霊』の体系と発動条件を解明できれば、我が国でも、選ばれた者たちにそれを教育できるかもしれない。『愛の騎士団』の創設も、夢ではありません!」

(恋愛戦術言語研修…? 愛の騎士団…?)

涼は、もう何も言えなかった。彼の頭の中に、ツンデレやヤンデレのヒロインたちのセリフを必死に暗唱する、真面目な王国の騎士や魔術師の姿が浮かび、眩暈がした。

「しかし」

リナの表情が、少し曇る。

「問題は、その『力』の源泉、そして消費です。あなたの『道具』—『記録媒体』の『バッテリー』表示は、戦闘後、明らかに減少していました」

彼女の声が低くなる。

「58%…それが、残量ですよね。戦闘前との差分から推算すると、今回の戦闘での消費は、およそ24%。一度の大規模戦闘で、約四分の一。これは…厳しい数字です」

涼は、息をのんだ。彼女は、しっかりと数字を把握していた。観察眼が鋭すぎる。

「無計画な使用は、あなたの力そのものを枯渇させかねません。今後の『言霊』使用は、最小限の、決定的な局面に限定すべきです。そのためにも、我々は通常戦力による戦術を、さらに洗練させねばなりません」

リナは、羊皮紙を捲り、新たなページを開く。そこには、これから強化すべき通常戦力—騎兵、弓兵、魔術師団、そして新兵器の開発計画などが、細かく書き込まれていた。

「あなたの『力』は、決定的な一手、あるいは、想定外の危機を切り抜ける『切り札』として温存します。日常の防衛と戦闘は、我々の力で賄う。そうすることで、あなたへの負担を減らし、『バッテリー』の消費を最小限に抑える—これが、現時点での最善の戦略です」

彼女の説明は、理にかなっている。涼も、スマホのバッテリーを無駄遣いしたくはない。むしろ、もう二度と、あの戦場で叫びたくない。

「…ありがとう」

涼は、思わず、小声で感謝した。これは、彼がこの世界に来てから、初めて聞いた、彼自身の負担を慮る言葉だった。

リナは、少し驚いたように涼を見た。そして、わずかに、しかし確かに顔を緩めた。

「いえ。これは、王国のためであり、同時に、貴重な研究対象…いえ、協力者を失わないための、当然の措置です」

彼女は、またしても、本音と建前を混ぜたような言い方をした。が、涼には、その中にわずかな「気遣い」があるように感じられた。

その時、王が、再び立ち上がり、杯を掲げて叫んだ。

「そして、さらなる吉報がある!」

広間が静かになる。

「この度の大勝利と、賢者閣下の偉大な力に鑑み、我は、ここに一つの決断を下した!」

王の目が、涼とリナを交互に見る。

「賢者、佐藤涼閣下と、我が娘、リナ・アークシスの、婚約をここに宣言する!」

「「「……!!?」」」

広間に、一瞬、水を打ったような静寂が流れた。

涼の思考が、停止する。

(…え?)

リナも、目を見開いた。その表情は、驚きよりも、「ついに来たか」という覚悟に近い。彼女は、父王の目をじっと見つめ、ゆっくりとうなずいた。

「…父上のご決定、重く受け止めます」

彼女の声は、平静だった。が、涼には、その中に微かな諦念のような響きを感じた。

「何と! 賢者様と、リナ殿下の!?」

「これは、国を挙げての慶事!」

「まさに、愛の賢者にふさわしい、愛による絆!」

貴族たちの祝福の声が、一気に沸き起こる。宴は、新たな歓喜の頂点を迎えた。

涼は、ただ、ぼう然としている。婚約? 自分と、この、分析魔の王女と? 冗談だろ? いや、王の前で、こんな場で、冗談を言うはずがない。

(なんで…? なんで、俺が…?)

王が、涼に歩み寄り、彼の肩を力強く叩く。

「賢者よ、この婚約は、単なる政略ではない! そなたの『愛』の力と、我が娘の優れた知性と戦術眼が結びつくことにより、アークシス王国は、まさに盤石の未来を手にすることになろう! どうか、我が娘を、そしてこの国を、そなたの愛で導いてくれ!」

王の目には、本気の期待と信頼があった。涼は、その重さに、押しつぶされそうになった。

彼は、リナを見た。リナは、すでに冷静な表情に戻り、涼に向かって、公の場にふさわしい優雅な微笑みを浮かべていた。が、その目は、涼に静かなメッセージを送っているように見えた。

『今は、受け入れるしかありません。後で話します』

涼は、深く息を吸い、そして、ゆっくりと吐いた。もう、抗っても無駄だ。この流れを、止められるはずがない。

彼は、王に向かって、無理やりにうなずいた。

「…光栄です」

その一言で、広間は、さらに熱狂に包まれた。

人々が祝福に押し寄せる。涼は、またしても、その騒ぎの中心に立たされた。

リナは、涼の傍らに立ち、彼に寄り添うように微笑んでいる。が、彼女の口元が、かすかに動く。

「…すぐに、研究所の具体的なプランを練りましょう。まずは、あなたの『ゲーム』データの解析からです。協力、よろしくお願いしますね、『婚約者』様」

その呼び方に、涼は、わずかにぞっとした。

彼は、ポケットの中のスマホに、そっと手をやる。ひび割れたガラスを、指でなぞる。

58%。

この数字が、これから、どれだけ速く減っていくのか。

そして、その先に、この「婚約」とやらが、どんな意味を持つのか。

彼には、何もわからなかった。

ただ、一つだけ確かなことがある。

彼の、平凡でどうでもいい日常は、もう、二度と戻ってこない、ということだ。

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