救世主の「愛」
戦場が、突然の静寂に包まれた。
魔王軍は撤退した。残されたのは、壊れた砦、累々たる屍、そして疲弊しきった生き残りの兵士たちだ。朝もやが、血と煙の匂いをゆっくりと包み込み、現実離れした静けさをもたらしていた。
その静けさを破ったのは、一人の兵士の、かすかな呻きのような声だった。
「…勝った…? 我々が…?」
その声を合図に、渦巻いていた感情が一気に爆発した。
「やったあああっ!!」
「生き残った! 生き残ったんだ!」
「魔王軍が…逃げた! 勝ったんだ!」
歓喜と安堵の怒号が、砦中に響き渡る。兵士たちは、武器を投げ捨て、抱き合い、泣き叫んだ。死を覚悟した絶望から、突然の生還。その感情の反動は、激しかった。
そして、その歓声の全てが、次第に一つの方向、一つの人物へと収束していく。
中庭の中央。崩れかけた城壁の瓦礫の上に、ぼんやりと座り込む、一人の青年。コンビニのポロシャツに、ぼろぼろの上着。手には、ひび割れた奇妙な板を握りしめ、虚ろな目で遠くを見つめている。
佐藤涼。異世界より現れし「賢者」。
兵士たちの視線が、熱い感謝と、そしてある種の畏敬の念を込めて、彼に注がれる。
「あれだ…賢者様だ…」
「あの方の言葉で…あの巨大なオーガが跪いた…」
「スケルトンも、動かなくなった…」
「魔族の指揮官さえ、逃げ出した…」
囁きが広がる。記憶が共有される。夜通しの戦いの中で、涼が放った「言葉」と、それによってもたらされた、数々の不可思議な「現象」。
「『その瞳、星空のようだ』…あの一言で、オーガの動きが止まった!」
「『一緒に帰らない?』…スケルトンが、うずくまっちゃった!」
「最後の…『なんで、こんなことになっちゃったんだろう』…それを聞いたら、敵の指揮官、槍を落としやがった!」
情報が交錯し、誇張され、伝説として紡がれていく。
「聞いたか? 賢者様は、愛の言葉で敵を倒すんだ!」
「愛…?」
「そうだ! 『星空のようだ』も、『一緒に帰ろう』も、全部、愛の言葉じゃないか!」
「なるほど! だから、魔族どもも、心を揺さぶられ、戦えなくなるんだ!」
「賢者様の『愛』は、武器よりも、魔法よりも強力なんだ!」
誤解は、さらに膨らむ。涼のパニックと偶然の産物が、いつの間にか「愛による救済」という美談へと昇華されていた。
兵士たちの間から、自然に、拍手が起こる。ぱち、ぱち、ぱちり。やがてそれは、砦全体に広がる熱狂的な拍手と歓声へと変わる。
「賢者様! 賢者様! 賢者様!」
「救世主! 愛の賢者!」
叫び声が、涼を取り囲む。彼は、その騒音にようやく我に返り、きょとんと周りを見回した。何百という熱狂的な目が、自分を見つめている。賞賛と崇拝に満ちた目。
(…え? なに、これ…?)
彼は混乱した。戦いは終わった。彼は疲れ果て、もう何もしたくない。ただ、静かに休みたい。なのに、なぜ、みんな自分を囲んで、叫んでいる?
その時、王、ロードヴィック四世が、兵士たちを押し分けて進み出た。王の顔は疲れきっているが、目は涙で潤み、感激に輝いている。その傍らには、リナがいる。彼女は相変わらずメモ帳を握りしめているが、その表情には、分析的な冷静さの奥に、かすかな安堵と、複雑な感慨が浮かんでいる。
「賢者よ! 佐藤涼よ!」
王が、涼の前にひざまずく。周りの兵士たちも、一斉にひざまずいた。鎧の軋む音が一斉に響く。
「この勝利は、紛れもなく、そなたの力によるものだ! そなたの深遠なる『愛』の言葉が、我が軍を鼓舞し、敵の心を砕いた! そなたこそ、真の救世主! 我がアークシス王国の、光なる希望だ!」
王の感激の声。涼は、ただぼう然とする。
(愛…? ち、違う…あれは…)
「王、父上」リナが静かに口を開く。「賢者様は、お疲れのようです。まずは、休息を…」
「ああ、そうだ! その通りだ!」
王は立ち上がり、兵士たちに命じる。
「我が救世主に、誉れ高き凱旋の儀を! 馬を用意せよ! 賢者を乗せ、この戦場を巡り、勝利の証を示すのだ!」
(…は? 凱旋? 馬?)
涼の理解が追いつかない間に、兵士たちが動き出す。手際よく、戦場から比較的无傷の白馬が一頭引かれてくる。装備は簡素だが、毛並みは美しい。
「さあ、賢者様、こちらへ!」
屈強な兵士二人が、涼の脇に付き、彼を優しく—しかし確実に—瓦礫から立ち上がらせる。彼の足はガクガク震えている。戦闘の緊張が解け、疲労が一気に襲ってきていた。
「え、ちょ、待って…自分で…」
抗議はむなしい。兵士たちは、涼が「恥ずかしがっている」「謙虚である」と解釈し、むしろ尊敬の眼差しを深める。彼らは涼をそっと持ち上げ、白馬の背中にまたがらせた。涼は、バランスを崩しそうになり、必死に馬のたてがみにつかまる。乗馬経験などない。恐怖で、ますます体が硬直する。
「さあ、皆! 我が救世主、愛の賢者、佐藤涼閣下の、名誉なる凱旋巡行の始まりだ!」
王の宣言に、さらに大きな歓声が上がる。
馬は、ゆっくりと歩き出す。兵士たちがその両側に整列し、道を開ける。彼らの視線は、全て馬上の涼に集まる。熱い、期待に満ちた、あるいは好奇の目。
涼は、馬上で縮こまるしかなかった。恥ずかしさと、状況の理解不能と、乗馬への恐怖で、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
(やだ…これ、やだ…降ろして…)
馬は、戦場の跡をゆっくりと巡っていく。倒れた敵の屍。壊れた武器。焼け焦げた地面。その生々しい戦場の傷跡を背景に、彼は「凱旋」しているのだ。その矛盾が、彼の胸を締め付ける。
そして、その「巡行」は、単なる儀礼では終わらなかった。
砦の外縁、まだ完全には撤退しきっていない魔王軍の残存兵力—主に動きの遅いゴブリンの小集団や、傷ついた魔狼などが、うごめいていた。彼らは、突然現れた「白馬に乗った人間」と、その周りの熱狂的な兵士たちを見て、警戒し、うなる。
兵士たちの緊張が走る。が、王は涼に呼びかける。
「賢者よ、恐れることはない! そなたの愛の言葉で、これら残る邪悪どもの魂も浄化してくれよう!」
(ええっ!? また、戦えって!?)
涼は内心で叫んだ。もう、台詞も思いつかない。スマホのバテリーも、あと62%。しかも、周りは大勢の兵士たちに囲まれ、馬から降りることもできない。
ゴブリンの一団が、武器を構え、ゆっくりと近づいてくる。十体ほど。醜い顔に、敵意むき出しだ。
(どうしよう…適当に、何か言わなきゃ…)
涼の頭を、パニックが襲う。ゲームの台詞…なんでもいい…思い出せるもの、何でも…
彼は、目を閉じ、スマホのホーム画面に表示されている、ヒロインたちの立ち絵を思い浮かべる。そして、その中で一番「強い口調」のキャラ、クールでツンツンした委員長、雪代深月の、別のイベントでの台詞を、思い出した。それは、主人公がやらかした失敗を咎める、少し叱責めいた言葉だった。
「…あなた、本当に、どうしようもない人ね。」
涼は、その台詞を、ゴブリンたちに向かって、半泣き状態で叫んだ。
「あ、あなた…本当に、どうしようもない人ね!」
翻訳魔法。スマホの微かな輝き。バテリー 61%。
「…汝ら、本に(に)、如何とも為し難き者どもよ。」
その言葉は、呆れきったため息のように、ゴブリンたちに降り注いだ。
効果は、予想外のものだった。
ゴブリンたちは、一斉に動きを止め、互いの顔を見合わせ始めた。彼らの醜い顔に、困惑と、ある種の「心当たり」があるような表情が浮かぶ。
(どうしようもない…? 俺たち…?)
(あ…確かに、いつもボスに怒られてる…)
(仕事もサボるし、略奪も失敗するし…)
(どうしようもない…人間に、そう言われた…)
ゴブリンの間から、小さなため息のような声が漏れる。彼らは、武器を下ろし、肩を落とした。そして、なぜか、互いに責め合い始める。
「お前が、さっき、宝箱開けるの失敗したろ!」
「うるせえ! お前が魔術師に気づかなかったからだ!」
「違う! お前の足音がでかすぎた!」
ゴブリン同士で、言い争いが始まる。やがて、つかみ合いの喧嘩に発展。彼らは、涼や兵士たちを完全に無視し、仲間内で殴り合い、罵り合っている。
「…は?」
「ゴブリンが…内輪で喧嘩してる…?」
「これも…賢者様の『言葉』か…『どうしようもない』と言われ、己の未熟さを悟り、自省…いや、内紛へと走った!?」
兵士たちの驚愕。リナの、興奮したメモ書き。
涼は、ただ呆然と見つめるしかなかった。あの台詞、ただのツンデレヒロインの決まり文句だ。なのに、なぜゴブリンが内輪もめ?
馬は、さらに進む。次に現れたのは、数頭の魔狼だ。傷つき、牙をむき、低くうなる。が、先程のゴブリンの顛末を目撃し、少し警戒している。
(次…次は…!)
涼は、脳内の台詞データベースを必死に検索する。魔狼…犬みたいなもの…犬に対する言葉…そうだ、幼馴染ひなたが、野良犬に話しかけるイベントがあった。優しく、いたわるような…
「よしよし、いい子だね~。怖くないよ~。」
涼は、できるだけ優しい声で、その台詞をまねた。が、疲労と焦りで、声は上ずり、不自然に甘ったるいものになる。
「よしよし…いい子だね…怖くないよ…」
翻訳魔法。バッテリー 60%。
「…よしよし、良き子よ。畏るることは無し…」
それは、あまりに直接的で、どこか上から目線な「なだめ」の言葉として、魔狼たちに届く。
魔狼たちは、耳をぴんと立て、きょとんとした表情—狼ながらに—を見せる。彼らは魔物として育てられ、戦闘だけを教え込まれてきた。恐怖心はあっても、「よしよし」と褒められる経験などない。
一頭が、首をかしげる。もう一頭が、しっぽをぴくぴくと動かす。そして、一頭が、ゆっくりとしっぽを振り始めた。つられて、他の魔狼も、警戒しながらもしっぽを振る。
彼らは、低いうなり声をやめ、前足を折り、地面に座り込んだ。あるいは、ひっくり返ってお腹を見せるものまで現れる。完全に、懐いた犬のようだ。
「ま、魔狼が…懐いた!?」
「しっぽを振っている!」
「賢者様の『慈愛』の言葉が、獣の心すらも和ませた!」
兵士たちの驚嘆は、さらに深まる。リナのペンが、紙面を擦り切れんばかりに走る。
『対象の言葉、より単純で直接的な『賞賛/安心』を与えると、知性の低い魔獣に対し、『馴致』効果! 応用すれば、魔獣使いとしても…!』
涼は、もう思考が追いつかない。馬は進み続ける。次は、数体の、鎧をまとったゾンビ(アンデッド・ソルジャー)が、がたがたと近づいてくる。
(また、きた…!)
涼は、もう何も考えられない。脳内でランダムに再生されるゲームの台詞。次に浮かんだのは、人気投票一位の、おっとりした天然系ヒロイン、『藤宮 つばめ』の、何気ない朝の挨拶。
「おはようございます。今日も、素敵な一日になりますように。」
適当だ。まったく適当すぎる。が、他に思いつかない。
涼は、棒読みのように、その台詞を呟いた。
「おはようございます。今日も、素敵な一日になりますように。」
翻訳魔法。バッテリー 59%。
「…御機嫌よき朝なり。今日もまた、佳き一日ならんことを。」
あまりに普通の、平和な朝の挨拶が、不気味な戦場に響く。
ゾンビたちは、一斉に動きを止める。彼らの腐った脳裏に、かすかな記憶の断片がよみがえる。生前、誰かに言った、あるいは言われた、同じような朝の挨拶。家族か、恋人か、友人か。その記憶は曖昧だが、そこにあった「平穏」と「希望」の感覚だけが、強く蘇る。
彼らは、武器を落とす。そして、ぼんやりと東の空—朝日が昇り始める方角を見つめる。あるゾンビは、腐った手で、存在しない涙をぬぐう仕草さえする。
「ゾンビが…朝日を見てる…?」
「戦意を…完全に喪失した…」
「『佳き一日を』という祝福…不死者にすら、生前の平穏への郷愁を呼び起こす…!」
兵士たちの声は、もはや驚愕を通り越し、ある種の宗教的な畏怖に近い。
馬は、ゆっくりと砦の外周を一周する。その過程で、涼は、思い出せる限りの、様々なゲームの台詞を、状況も考えず、適当に叫び続けた。
ライバルキャラに対する「負けるものか!」(効果:近くの敵兵が突然競争心に駆られ、仲間と腕相撲を始める)。
ヒロインが風邪を引いた時の「大丈夫? 手、貸そうか?」(効果:傷ついた魔物が、仲間の傷を気遣い、手当てし始める)。
文化祭の思い出話「あの時、君の作ったクッキー、固かったね」(効果:ゴブリンの料理班が、突然自分の腕に悩みだし、戦闘を放棄)。
効果は、まさに「五花八門」。論理的説明のつかない、荒唐無稽な光景が、戦場のあちこちで繰り広げられた。魔王軍の残存兵力は、戦うどころか、内紛、懐柔、感傷、自己嫌悪、技術的探求など、様々な「戦闘以外の活動」に没頭し、完全に統制を失った。
最後の敵—先の戦いで撤退しきれなかった、一人の下級魔族指揮官が、この有様を見て、完全に精神を崩壊させた。彼は、剣を地面に投げ捨て、虚空に向かって叫んだ。
「もう…もう、無理だ! この戦い、意味がわからん! あの人間、何を言い出すかわからん! 部下が戦うでもなく、喧嘩し、懐き、反省し、料理の腕を磨きやがる! こんな軍隊、統率できるわけがない! 撤退だ! 全軍、撤退しろ! 一刻も早く、ここから離れろ!」
彼は、我を失って叫びながら、一人で漆黒の密林へと走り去っていった。指揮官自らが逃亡する姿を見て、残るわずかな戦意もあった兵士や魔物たちは、一斉に敗走した。
こうして、第一砦の戦いは、完全に、そしてあまりに奇妙な形で終結した。
馬は、スタート地点である中庭に戻った。涼は、兵士たちに支えられながら、よろよろと馬から降りた。足はガクガク。頭はぼうっとする。喉はからからだ。
彼は、支えを振り切り、崩れかけた城壁の瓦礫のそばに、それとなく座り込んだ。もう、立っている力もない。
周りでは、勝利の歓喜が最高潮に達している。兵士たちは、涼を取り囲み、「愛の賢者」「救世主」と繰り返し叫ぶ。王も、涙を流して感謝を述べている。リナは、少し離れた場所から、その光景を、複雑な表情で見つめている。
涼は、その騒ぎを、遠くの出来事のように感じた。耳鳴りがする。手が震える。彼は、ポケットからスマホを取り出し、ぼんやりと画面を見つめた。
ひび割れたガラスの向こう。バッテリーの表示は、58% だった。
(…え?)
彼は、目を疑った。さっきまで59%だったはず。いや、もっと前…戦いが始まる前は、確か…62%? いや、違う…もっと前…
記憶がぐちゃぐちゃだ。彼は、必死に思い出そうとする。この世界に来た時、スマホのバッテリーは…82% だった。
(82%から…58%?)
戦いの間、いくつの「言葉」を放ったか。オーガへの二言。スケルトンへの一言。指揮官への一言。そして、さっきの「凱旋巡行」で、適当に叫んだ数え切れないほどの台詞。
24%の減少。たった一夜の戦いで、スマホのバッテリーの四分の一以上が消えた。
(そんな…そんなに減るの?)
彼の手が、震えた。このスマホが、翻訳魔法の「エネルギー源」なら、この減り方は、あまりに速すぎる。このままでは、あと何回、あんな「言葉」を使える?
「賢者様!」
一人の若い兵士が、涙を浮かべて涼の前にひざまずいた。
「あなたのおかげで、生き延びることができました! この命、あなたに捧げます!」
「賢者様、私の夫も、あなたの言葉で救われました!」
「わが子の仇を、あなたが取ってくださいました!」
感謝の言葉が、次々と寄せられる。人々の目は、狂信的ともいえるほどの崇拝と絶対的信頼に輝いている。涼は、その熱い視線に、焼けつくように痛みを感じた。
彼らは、涼を「救世主」として見ている。が、涼自身は、ただの「嘘つき」だ。偶然と誤解が生み出した偽物。そして、その偽物が、彼らの運命を、さらに危険な方向に引きずり込んでいるかもしれない。
リナが、人垣を抜けて、涼の前に立つ。彼女は、兵士たちに静かに手を振り、少しだけ距離を取らせる。そして、涼の横に腰を下ろした。
「…お疲れさまです」
彼女の声は、静かで、疲れている。
涼は、うつむいたまま、うなずくだけだ。
「あなたの『力』…今夜、そのほんの一端を見せてもらった気がします」
リナは、遠くの、朝日に照らされ始めた山々を見つめながら、ゆっくりと話す。
「予測不能。説明不能。しかし、確かに強大。そして、あなた自身が、その力を完全には制御できていない」
彼女は、涼の横顔を見る。
「そして、その力を使うたびに、あなたは確実に消耗している。顔色も、先ほどよりずっと悪い。あなたの持つ『道具』の輝きも、弱まっている」
涼は、ぎくりとした。彼女は、観察している。常に、冷静に。
「…バッテリーが、減ってる」
涼は、思わず、日本語で呟いた。翻訳魔法を通さない、母国語。リナには理解できない言葉。
が、リナは、涼のスマホを見つめ、深くうなずいた。
「『バッテリー』…それが、あなたの力の、『残量』を示す言葉なのですね」
彼女は、推測した。鋭すぎる。
「その『残量』…あと、どれだけあるのですか?」
涼は、黙ってスマホの画面を見せた。58% の表示。
リナは、その数字をじっと見つめ、眉をひそめた。
「…これは、多い方ですか? 少ない方ですか?」
「…少ない。かなり」
涼の声は、かすれている。
リナは、深く息を吸った。彼女の目に、一瞬、迷いがよぎる。が、すぐに、決意に変わる。
「わかりました。では、これからは、あなたの『力』の使用は、最小限に抑えなければなりません。無闇な『予言』や、戦場での乱用は、避ける。その代わり、我々は、あなたの力を『補完』する戦術と戦力を、最大限に発展させねばなりません」
彼女は立ち上がり、涼を見下ろす。朝日が彼女の背中から差し込み、顔は影になっている。が、その目だけは、しっかりと涼を見据えていた。
「あなたは、もう『ひとり』ではありません。あなたの力が、たとえ偽りや偶然から生まれたものだとしても、それが現実に人々を救い、希望を与えている以上、それは『本物』の力です」
その言葉は、どこか、涼を「赦す」ような響きを持っていた。あるいは、自分自身に言い聞かせているのかもしれない。
「そして、あなたをこの戦いに巻き込んだ責任の一端は、この国、そして私にもあります。だから、共に、この先を歩みましょう。あなたの力が尽きるその日まで、あるいは、この戦いが終わるその日まで」
リナは、手を差し伸べた。
涼は、その手をじっと見つめた。汚れ、傷つき、しかし確かにそこにある、現実の手。
彼は、ゆっくりと、自分の手を伸ばし、その手を握った。リナの手は、冷たく、細かったが、力強く彼の手を握り返した。
「…よろしく、お願いします」
涼は、かすかに笑おうとした。が、顔がひきつるだけだった。
リナは、わずかに微笑み返し、彼を立ち上がらせた。
周りの兵士たちが、再び熱い視線を向ける。王が近づいてくる。新たな感謝の言葉と、さらなる期待が、これからも続いていく。
涼は、リナに支えられながら、人々の祝福の声の中を歩き出した。
スマホは、ポケットの中で、冷たく静かにしていた。
58%。
彼は、ふと、あの猫のことを思い出した。コンビニのゴミ捨て場のそばで、おにぎりを貪っていた、あの三毛猫。耳の欠けた、小さな命。
(あの猫は、今、どうしてるんだろう…)
どこか、遠い世界の、取るに足らない心配事。
しかし、今の彼にとって、それは、最も「普通」で、「人間らしい」思いだった。
戦場の喧騒が、だんだんと遠ざかっていく。
彼の背中には、狂信的ともいえる熱い視線が、無数に突き刺さっていた。
愛の賢者。
救世主。
彼は、その重たい名を背負い、これからも、歩み続けなければならない。
ただ、スマホのバッテリーが、少しずつ、確実に減っていくのを感じながら。




