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民間へ浸透する「愛」

魔法学院での「事故」から数日後、リナは「民情と市場への影響調査」として、涼を城下町へ連れ出した。

「研究所内での研究だけでなく、『恋愛呪文』が社会にどのように受容され、応用されているかを観察することも重要です」

そう言って、彼女は質素な旅行者風の外套を羽織り、涼にも目立たない服を着せた。が、涼の顔はすでにある程度知られており、完全な変装には程遠い。リナは「むしろ、自然な反応を観察するためにも、多少は気づかれる方が良い」と淡々と言い放つ。

城下町のメインストリートは、戦勝と研究所設立の余韻もあってか、以前より活気づいていた。が、その活気の質が、明らかに変わっていた。

第一印象:グッズ、グッズ、グッズ。

通り沿いの露店や小さな店舗の軒先に、見たこともない品々が所狭しと並んでいる。

「お嬢さん、いかが? 今流行りの『傲嬌ツンデレお守り』!」

声をかけてきたのは、ひげ面のたくましい露天商だ。彼の手には、素朴な木の札がいくつもぶら下がっている。一つを取り上げ、涼たちに見せる。札には、丁寧に彫られた文字。

《ち、違うんだからね!》

その下に、小さく但し書きのように。

(別に…貴方の為にやったわけじゃないんだから!)

「魔物除けに、恋愛成就に、効果抜群なんですよ!」商人は威勢よく宣伝する。「なんたって、賢者様の『愛の力』の源、あの『ツンデレ』の心をこめた言葉ですからな! 戦場に行く兄ちゃんも、恋煩いの若い衆も、一つ持ってりゃ心強い!」

確かに、店先には若い兵士が恥ずかしそうに金を払い、お守りを懐に入れる姿や、頬を染めた少女が友達と一緒に選んでいる姿が見える。

涼は、言葉を失った。(…あのセリフ、どこで聞いたんだ? 確か、ゲームで委員長が、主人公にこっそり弁当を渡す時の…)

リナは興味深そうにそのお守りを観察し、商人に尋ねる。

「売れ行きはどうですか?」

「はい、王女様! 爆発的に売れてますよ! なんせ、賢者様ご自身が『バカ』って言葉で敵を倒したって話ですから、この『ツン』ってとこが効くんでしょう!」

「…『バカ』と『違うんだからね』は、厳密には別の咒文ですが、同系統の『ツン』属性という点では共通かもしれませんね」

リナが真面目に分析する。商人も「はは、さすが研究所の所長様!」と恐縮する。

涼は、心の中で叫んだ。(違う! あれは別系統でもなんでもない! ただのゲームの決まり文句!)

次の店は、小さな本屋兼文房具屋だ。店頭には、色とりどりの表紙の薄い冊子が積まれている。タイトルは『ツンデレ呪文 初歩から実践まで~心を開かせる(砕く)言葉~』。

リナが一冊手に取り、ぱらぱらとめくる。中身は見開き構成で、左頁に大きく「実践セリフ例」、右頁の隅に小さく「本心(※心の中で唱える)」と書いてある。

左頁:「…邪魔だよ。あっち行ってよ。」

右頁:「(本当は側にいてほしい)」

左頁:「…別に、君のことが心配なんかじゃないんだから。」

右頁:「(とても心配でたまらない)」

左頁:「…勝手にしろ。どうなったって知らないから。」

右頁:「(絶対に無事でいて)」

涼は、そのあまりに典型的で、かつ恥ずかしい例文の数々に、目を背けたくなった。まるで、異世界に古臭いラノベの指南書が流出したかのようだ。

店の奥では、十歳前後の少年と少女が、その練習帳を開き、真剣にセリフの練習をしている。

少年(棒読み):「…邪魔だよ。あっち行ってよ。」

少女(照れくさそう):「…うん。ご、ごめん…(小声)本当は側にいてほしい…の?」

少年(顔を赤らめて):「ち、違う! これは、左のページを読む練習なんだ!」

少女:「あ、あ、そうだよね!」

涼は、思わず耳を覆いたくなった。(やめて…子供にまで広がってる…!)

「これは…教育ツールとしての可能性がありますね」

リナが、またしても分析モードで呟く。「感情の表出と制御、さらには他者心理の推察を学ぶ教材として、一定の効果が期待できるかもしれません。学校の授業に採り入れられないか、検討する価値があります」

(学校の授業!? まさか!)

涼の顔が引きつる。そのうち、王国の国語の教科書に「ツンデレ古文」とか載り出すんじゃないか? そんな悪夢が頭をよぎる。

さらに歩を進めると、菓子屋の前で、子供たちが群がっている。看板には「賢者様の愛の言葉カード 全20種コレクション! お菓子に一枚必ず入ってる!」

「やった! 『星空囚籠』のカードだ!」

「えー、僕は『一緒に帰らない?』が欲しいんだよなあ」

「これ、レアカードらしいよ! 『なんでこんなことになっちゃったんだろう』の金箔バージョン!」

子供たちが、包み紙を破り、中から小さなカードを取り出しては歓声を上げている。カードには、涼の「名言」と、その下に解説文が印刷されている。

涼が盗み見た一枚には、こうあった。

【賢者様の愛の言葉 Vol.7】

「一緒に…帰らない? うちのカップ麺、まぁまぁうまいよ」

解説:家族愛と郷愁を誘い、不死者の心をも揺さぶる深い言葉。相手を「家」という安らぎの場へ誘い、さらには「食事」という生命の根源的営みを共有しようとする、慈愛に満ちた呼びかけ。効果:広範囲戦意剥奪・郷愁誘発。

(カップ麺の話が、ここまで深読みされるとは…しかも、解説がやけに的を射てるような気がする…!)

涼は、もう、呆れを通り越し、ある種の諦めに近い感情を覚えていた。

第二印象:生活への完全な侵入。

グッズだけではない。人々の会話、商売、日常のふるまいそのものに、「恋愛呪文」的発想が染み込んでいた。

八百屋の前では、年のころ五十代はある、ふくよかなおばさんが、常連らしい傷だらけの兵士に、りんごをふたつ、いつもより安く渡している。

「ほら、今日はよく熟れてるから、特別よ! べ、別に…あんたがいつも戦ってくれてるから、なんて思って安くしてるわけじゃないんだからね!」

完全なツンデレ商法だ。兵士は苦笑いしながら「は、はい…ありがとうございます」と受け取り、恥ずかしそうに去っていく。おばさんは、彼の背中を見送りながら、ほんのり頬を染めている。どうやら、本心から気にかけているようだ。

(年齢も立場も関係なく、浸透してる…)

路地裏では、若い恋人同士らしき男女が言い争っている。

女:「もう、あんたのことなんて、知らない!」

男:「お前、それ、『星空囚籠』の逆バージョンを使ってないか? 孤独をアピールして、相手を引き留めようって!」

女:「違うわよ! これは純粋な『怒りの呪文』だって言ってるでしょ!」

男:「いや、でもリナ王女様の教本に、『表面的拒絶の裏には…』って書いてあったぞ!」

女:「あんた、あの教本、マジで読んでるの!?」

涼とリナは、偶然そのそばを通りかかり、思わず足を止めた。二人は、涼たちに気づき、慌てて口をつぐむが、女の子がこっそりリナを見る目は、「どっちが正しいんですか?」と訴えているようだった。

リナは、一瞬考え込み、小声で涼に言う。

「…確かに、先の喧嘩の女性の発言は、『怒り』の要素が強い。ただし、『もう知らない』という表現には、関係性の断絶を宣言しながらも、それを口にすること自体で相手の反応を期待するという、ある種の『関心の表明』も読み取れなくはない。『ツンデレ』の変形、あるいは未分化な感情の爆発と言えるかもしれません」

涼は、ただうつむく。(もう、何でもかんでも、分析しないで…)

人々は、もはや「恋愛呪文」を、単なる戦場の武器としてではなく、人間関係の解析ツール、コミュニケーションの新しい文法として使い始めていた。それは荒唐無稽でありながら、なぜか少しだけ、人々の心の機微に触れているような、危うい普遍性を持っていた。

視察を終え、人気の少ない路地へ入った時、涼はふと、ポケットからスマホを取り出した。明るい場所では画面が見づらいが、56% という数字は、かすかに確認できた。魔法学院の講義以降、特に大きな「発動」はしていない。減り方は、ごく緩やかだ。

が、その数字の重みは、以前よりもはるかに大きくなったように感じた。

この 56% の先に、この町の活気、人々の熱狂、そしてリナの研究がすべて、砂上の楼閣として崩れ去る瞬間があるかもしれない。それなのに、人々はその「力」を、より深く、より広く生活に織り込み始めている。

(俺が…言った(つもりのない)言葉が、独り歩きして…)

彼は、小さなため息をついた。

リナが彼の様子を見て、静かに言った。

「疲れましたか?」

「…うん。ちょっと」

「今日の観察、どう思われますか? あなたの『力』が、人々の希望となり、時には戯れの種となっている現実を」

涼は、しばらく黙っていた。風が、路地の埃を少し巻き上げる。

「…複雑。みんな、楽しそうで、頼りにしてくれてるみたいで…それは、嬉しいけど…」

彼は言葉を探す。

「…全部、本当は、僕の力じゃない。偶然と、誤解だ。それなのに、こんなに広がって…みんなが騙されてるって思うと、苦しい」

それは、涼がこの世界で、初めて人に(リナにさえ)打ち明けた、偽りのない本音に近かった。

リナも沈黙した。彼女は、涼の横顔をじっと見つめている。そして、ゆっくりと口を開いた。

「確かに、その根源には偶然と誤解があるかもしれません。けれども、今ここにある『希望』や『楽しみ』は、本物です。人々があなたに託す信頼も、あなたの言葉から感じ取った『何か』に応えて、自らを、あるいは他者を思いやるようになったその変化も、本物です」

彼女の声は、いつもの分析的冷静さを保ちつつ、どこか柔らかい響きを帯びていた。

「あなたは『騙している』と思っている。私は『研究している』。けれど、町の人々は、あなたや私の思惑とは別に、ただ純粋に、その『力』や『言葉』を受け止め、自分なりの意味を見出し、生きる糧にしている。それは、もう誰にも止められない、ひとり歩きする『物語』です」

リナは、路地の向こう、賑やかなメインストリートのざわめきをわずかに聞きながら、続けた。

「私たちにできることは、その『物語』が、人々を傷つけるような破滅的な方向へ暴走しないよう、ほんの少し、舵を取る努力をすることだけかもしれません」

涼は、リナの言葉を噛みしめた。彼女は、全てを承知の上で、それでも「利用」し、「制御」しようとしている。あるいは、「保護」しようとしている。

「…リナさんは、すごいな」

涼は、思わず呟いた。

「こんな、めちゃくちゃな状況で、冷静に、できることを考えて…」

リナは、一瞬、目を見開いた。そして、ほんの一瞬、年相応の少女らしい、少し困ったような、しかしどこか嬉しそうな表情が顔をよぎった。が、すぐにいつもの冷静なマスクに戻る。

「…私は、王女です。そして研究者です。感情に流されていては、どちらの役目も果たせません」

彼女は、記録帳を取り出し、今日の観察の最後のメモを走り書きした。

『観察:民間への「恋愛呪文」概念の浸透は、予想以上に急速かつ深い。グッズ化、学習教材化、日常会話への導入が進行。人々は、戦闘技術としてより、人間関係の修復・構築のための新たな言語として受容している節あり。』

『副作用:涼閣下の精神的負担の増大。自身を「詐欺師」と認識し、罪悪感を抱く様子。』

『今後の課題:①この社会的流行が涼閣下に過度の期待・プレッシャーとならぬよう調整。②誤用・悪用(詐欺、いじめ等)の防止策の検討。』

ペンをしまい、リナは涼を見た。

「帰りましょう。そろそろ、研究所に戻り、明日の予定を立てなければ」

涼は、うなずき、リナの後についていった。

振り返ると、夕日に照らされた城下町は、普通の、平和な日常のように見えた。

が、そこに流れる会話の端々に、彼の知っているゲームの台詞や、あやふやな「愛の理論」が混ざり、歪な、しかしどこか温かな文化を生み出しつつある。

スマホは、ポケットの中で、相変わらず冷たかった。

56%。

物語は、確実に、加速していた。


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