第2話 恋愛感情とかけて、心拍数と解く1
土曜日。一週間で一番最強の日である。一番であり最強なのである。
八月も中旬となると、日本が屋外サウナを領域展開する時期だ。車内が快適な気温であるにも関わらず、窓から見える景色はあまりにも夏夏しく、見てるだけで暑くなってくる。インパネの気温計を見ると、36.3度と表示されていた。体温かな?
バス停やタクシー乗り場のあるロータリー側の反対側は、細い路地が入れ込んでいる。西駅の裏っかわだ。前後にはちらほらと出迎えらしき車が停車していた。ちょうど車内から二階の改札口に繋がる駅構内の階段が見える。
ダッシュボードのアナログ時計を見ると、十三時まであと六分。髪型を整えるべくサンバイザーを下ろし、鏡を確認すると、にわかに気分がそわそわしだした。髪型OK、コンタクトも大丈夫。ジャケットに糸くずが付いていたので払う。LINEを確認すると、五分ほど前にメッセージが来ていた。紗希さんのアイコンはお洒落なオレンジ色のパフェ。ちなみに俺のアイコンは高校のオタク仲間が昔描いてくれた、良い感じにデフォルメされた似顔絵だ。
<みながみ:あと五分でつきます [午後 12:51分]>
あじゃあもうすぐかと思い階段に目を向けると、紗希さんが丁度階段を降りてきていた。車から降りて歩道に向かう。ドアを開けた瞬間に熱気と湿気に襲われて心がノックバックした。
「紗希さん! こんにちは」
右手を胸下のあたりで控えめに振りつつ声をかけると、紗希さんがこちらに気付く。
「こんにちは」
俺につられたのか、控えめにあげられた右手が可愛かった。右手だけじゃなく全身も最高に可愛かった。大きめの麦わら帽子に白ワンピとかいう黄金ファッション。リボンが結ばれた腰から上はノースリーブですらりとした感じで、腰から下はひざの半ばぐらいまでの丈でふわりとしたシルエット。つばの広い麦わら帽子はめっちゃ麦わら帽子って感じで、自然な曲線を描くつばから、なんとなく戦前のアメリカ人女優を連想した。どういう連想? ネイビーのリボンがふんわりと巻かれているのがお洒落。砂浜を歩くかもと伝えたのを踏まえてか、下はヒールのないサンダルを履いている。ソールは帽子と同じ小麦色で、甲の部分は白い素材でシンプルながらもお洒落~。手には深い藍色の巾着みたいなバッグを下げている。総評、お洒落。可愛い。
なんていうかさぁ……オタクが想像する白ワンピと、お洒落な人が着てる白ワンピって、同じ白ワンピなのに何でこんな違うんですかね。オタクの白ワンピはなんていうか、純粋で、ノスタルジックな感じで、最早概念に近い。一方、紗希さんの白ワンピは、もうこれでもかというぐらい大人の良い女感が醸し出されていた。良い女すぎて普段だったら絶対に近付きたくない。怖い。近付いたら最後、屈強なイケメンマッチョマンに頸椎を折られて即死する未来が見える。
自分が釣り合って無さすぎて最早笑いそうになるが、なんとかこらえる。
「……どうですか?」
挙動不審の独身男性に対する発言がそれか? やめてくれ、その優しさは俺に効く。冷ややかな目線を浴びなかっただけで優しさを感じてしまう。独身男性だもの。
「めっちゃくちゃ似合ってますね……夏っぽくて、凄い可愛いと思います」
やり手のイケテルメンズをトレースしようとしたけど、自身の魔力では扱いきれず良い感じにキモくなる。いつものことやん、気にせんと気張っていこ! と脳内の美人応援団長が俺を鼓舞してくれた。彼女だけが今の救いだ……。脳内に人いすぎ問題。
「……ありがとうございます。ちょっとガーリーすぎるかなと思ってるんですけど……良かったです。伊織さん、ジャケット似合いますね。暑そうだけど、薄手だから案外……日焼け対策?」
「ありがとうございます。慣れたからか、割とジャケット着ようが着まいがあんま変わりないですね。てかごめんなさい暑いですよね、どうぞ」
ちょっと良い感じにならんか? と思って着てきた失敗ファッションを無事咎められつつ、紗希さんの肌に汗が浮かんでいたので慌てて助手席のドアを開ける。
「どうも」
自然と差し出された紗希さんの左手。オタクに衝撃走る。思わず手にとる我が右手。重なる手と手、滲む汗。内なるラッパー解き放たれる。……もうこのままフリースタイルで食っていこうかな。オタク何故すぐ会社止めてラップやろうとする?
紗希さんと視線が重なりつつ、ゆっくりとドアを閉める。グレーのセダンに白いワンピースを着た女性が乗り込む姿は犯罪的に美しい。犯罪的とか言うな。いずれにせよ俺よりよっぽどこの車に似合う。
運転席に戻る最中、今の一連の行動がリフレインする。アレ、もしかしなくても手をとって貰うために差し出した訳じゃなくて、バランス取るために左手が出ただけなんだろうな。それを俺の勘違いで握られてびっくりしたから、座った後に思わず俺を見た。はい、QED。
役得の気分以上に、引かれたかもしれないというやっちゃった感に内臓をやられつつ運転席に座る。紗希さんの手は細くてひんやりとしてた。とかリフレインするのがキモいんだって。でもしょうがないじゃん。
車外の猛烈な環境と打って変わって、車内は正しく地上の楽園だ。若干の気まずさも熱および湿気と共に車外に置いていきたいところだけど、そんなものを置いていかれても車外環境さんも困るだろうし、仕方が無いので車内に連れ込むしかない。
これまでの浅すぎる経験を鑑みるに、紗希さんはあまり愛想を振りまくタイプでは無いし、もちろんスキンシップを取る系の女子でも無さそうだ。本人もダウナー系と言っていたし。ただしイケメンじゃないに限る、ではないと思いたい。分からんけど。ただ、直感的に正解な気はした。親しい相手だろうとそうじゃ無かろうと割と塩対応な雰囲気がするし、そういうところも彼女が樋口円香にシンパシーを感じる由縁な感じはする。人に媚びないというか。
紗希さんがシートベルトを締めたのを確認し車を発進させる。カーナビの目的地にセットされている野間埼灯台の予想到着時刻は午後二時四十分。途中のサービスエリアには二時過ぎに着くぐらいか。邪推を振り払いしばらく運転に集中していると、紗希さんの方から沈黙を破る。
「……高そうな車ですね」
「親父の車なんです。単身赴任中で、たまに動かしといてと言われてるので」
「そうなんですか」
先週ドライブデートの約束をした後、喫茶店帰りの車内で親父に許可を貰っておいた。
『親父、来週の土曜に車借りていい?』
『ええで。何や、女か?』
『そう、ちょっと、見栄張りたくて』
『別にええやんデミオで、けどまあ見栄張りたい気持ちも分かるから許したるわ。ちゃんとやれよ。けど車内ではヤるなよ』
『ありがとう、なんやけどやかましいわ』
カッカッカッと笑う親父の声が脳内にこだまする。うるさい。つくづく、何でこの関西親父からこの陰キャが生まれるのか、これは立花家の七不思議の一つ(俺調べ)。
「実家暮らしですか?」
「一人暮らししてるんですけど、実家から車で三十分ぐらいのところに住んでます。紗希さんは?」
「私も一人暮らしです。実家は岐阜の方ですね」
「ああ、そうだったんですか。やおって言わないですね?」
岐阜の言葉といえば『やお』やお?
「……よくご存知で。高校と大学は東京の方なんです。それで方言が抜けたのかも……元々、そんな方言を喋るタイプでも無いですけど」
「高校からって珍しいですね。親の都合とかですか?」
「はい」
身の上話をしている内に気まずさが消えていく。会話に気を取られ過ぎないように、ハンドルを改めて持ち直し運転に集中する。ルームミラーチェック、ドアミラーチェック。しかし走行中の静けさがデミオとはダンチですわ。やっぱ良い車って良いな。買う気は無いけど。というか買えないけど。
「岐阜から東京でこっちに来られたって、何かUターン未遂って感じですね」
「ふっ……そうですね。まあ、こっちの方が会社多いですし」
「なるほど」
紗希さんが静かに前を向いて座っている様子をちらりと伺う。横顔も本当美人だ。
「伊織さんは、ずっとこちらですか?」
「俺は大学は関西の方でした。中高はこっちだったんですけど、小学校は西日本を転々としてましたね」
「そうなんですか。伊織さんも方言、無いですよね」
「父はこってこての関西人なんですけど、何故か逆に方言使わん、みたいなマインドになってましたね……」
「ああ、なるほど」
しばし会話が途切れると、視界を緑白青の看板が通り過ぎていく。
「あそうだ、高速乗る前にコンビニ寄ります?」
もうちょっとで高速に乗るというところで、そういえば聞いてなかったとふと思い出した。
「飲み物、買ってきていいですか」
「了解です」
すぐに次のコンビニが見つかり、車をバックで駐車させる。これぞ現代日本、消費社会の恩恵を感じる瞬間だ。
「何か買ってきましょうか?」
紗希さんが聞いてくる。
「あ、自分も付いていきます。ありがとうございます」
車から降りると、先に降りていた紗希さんがこちらを向きながら待ってくれていた。気持ち歩幅を大きくして近寄り、一緒にコンビニに入る。距離が近い。二十センチと離れておらん。すげえ! デートみたい! デートなんだよ。
しかし浅ましすぎて口に出す事は無いけど、美人と共に行動してる時のドヤ顔感半端じゃないな。でも君紗希さんの何なの? はい、何者でもございません。虎の威を借りて申し訳ございませんでした。というかよくよく考えずともその紗希さんの横を歩いてるのが俺なんだぞ。委縮しろ。はい、委縮します。
脳内で謝罪会見をしつつ紗希さんと連れ添って飲み物コーナーまで歩く。何となく一人ですーっと行きそうなイメージがあったので、一緒に行動をしてくれることに対してデートだから気を遣ってくれているのかと勘繰る。でも最初は俺の分まで買ってこようとしてくれてたぐらいだし、気心の知れた相手ならすーっと一人で買いに行くんだろうか。
紗希さんは午後ティーといういかにもなチョイス。俺は綾鷹を選ぶ。選ぶといったら綾鷹である。
レジに並ぶと紗希さんが右手を差し出した。
「会計、一緒に」
「あっえ? はい」
普通逆では? と思ったけど後で清算すれば良いか。良いか……?
「運転代です。……いや、お昼も私が出しますよ」
イケメン? 彼女の発言、ちょくちょくスキップしてるから一瞬考え込むけど、今のは察するに、運転の労力とかガソリン代とか高速代とか諸々のコストを考慮して飲み物代だけじゃ釣り合って無いだろう、というのを踏まえての発言か。奢られる気の無い感じ好きよ。全然こっちが払うつもりで来たけど。でも女性に財布を出させない原理主義者の者では無いので、素直に奢ってもらう。
「えーと、とりあえずじゃあ、お茶はごちそうさまです」
「はい」
会計を済ませ車に戻る道すがらに綾鷹を手渡される。まあ、昼のお金の話とかはその時になったらしよう。だって高速代はETCだから自動親父払いだし! 馬鹿息子がよ……。だが親父は承認済みなのだ! 伊織ちゃんの勝ち勝ちー。馬鹿息子が……。ガソリンが減ってたら自分で払うぐらいはしてるのでセーフということにしておく。
親父への親孝行について考えつつ車に乗り込み綾鷹を一口。紗希さんは制汗シートで汗を拭き、日焼け止めを塗っていた。
「ゴミ箱、足下にあります」
「ありがとうございます」
紗希さんは足下を覗き込んで、ふとももに乗っけていた制汗シートを捨てた。後で――……一瞬脳内に浮かび上がってきた閃光を瞬時に葬る。まだ人としての尊厳を失いたくなかった。




