立て札になった話
なんか、眩しい。
あのうるさい犬、今日は吠えてない。
目の前に広がるのは、雲ひとつなく晴れた空。
これぞ草原ってくらい草まみれの原っぱ。
地平線に青い山々が連なってる。
……ここどこ? 俺の部屋は?
いつ目ぇ覚ましたんだ?
昨日は……空き地の立入禁止の立て札塗り潰してたら、むちゃくちゃ怒られてさ。
部屋に逃げてふて寝したんだったっけ。
とりあえず起きるか……ん? 動かない。
ベッドの感触どころか、手足すら繋がってる感覚がない。
え、何これ気持ち悪っ!
確かめたいのに、できることがない。
でも、見ることだけは強制されてるみたいに逸らせない。
そのくせ、視界は古いモニターを通したようにぼやけてる。
あ。
正面に伸びる一本道から人が来た。
おーいって言いたいのに、声の出し方が分からない。
どんどん俺に近づいてくる。
……なんだ、あれ。
白いお面をつけたやつが、三人。
柄も色もない着物は、死んだじぃちゃんが葬式で着てたのに似てるな。
こいつらに声かけられるのは、ちょっと遠慮したい。
三人は、俺を避けるように分かれてる道の分岐点で立ち止まった。
一人だけ俺を指差しながら、ぐんぐん迫ってくる。
無地のお面って妙に怖いな。
うおっ! 冷たっ!
今、指でおでこ押された!?
指……だよな?
皮膚を内から撫でるようなぞわぞわが、俺の意識に広がる。
体をぶるっともできなくて、余計気色悪ぃ。
本当に人かと白い面をじっと見つめる。
いきなり、そいつが首に掛けてた鏡を俺に向けてきた。
鏡には俺が映るはずだろ。
……真っ黒な立て札が立っていた。
なんで?
*
鏡に映るのは、何度見ても立て札。
でも、見てるのは俺。
吾輩は立て札である。
いやいやいや。
転生してみたいって思うけど、無機物はないわ。
しかも真っ黒って。
目の前が薄暗いのはそのせいか。
……真っ黒の立て札?
まさか……
いやいや、そんなことあるわけない。
絶対、悪い夢だ。
早く覚めよう。
で、どうすればいいの?
はぁ、仕方ない。
景色でも見てれば、そのうち目が覚めるだろう。
それにしても、ここはどこなんだ?
空に太陽がある。よく見たら遠くに雲もある。
じゃあ多分、地球。
三人はまだ俺を見てる。
着物とか白面とか、なんか日本っぽい。
今どきこんな格好してるやついないけど。
ふいに、三人が揃って俺を指さした。
そのポーズのまま、右の道に去っていく。
足音もしないし、のっぺらぼうで動きも同じ。
人形みたいで不気味だった。
目の前に残されたのは、絵に描いたみたいな田舎だ。
右に行ったら村でもあんのかな?
左は……
ん?
立て札が一本。あんなのあったか?
赤のペンキが乾いてなくて垂れてる。
けど、読めなくはない。
『おまえ』って書いてる。
急に、ひやっとした。
風か? 触感はあるんだな。
風の音はやっぱしないけど。
道を挟んだ右側は、草とかすっごい揺れてんのに……
右にボロボロの立て札が二本、立ってる。
は!? なんで?
絶対さっきまでなかった!
白面のやつらが戻ってきたのか?
いやいや! 目ぇ離したのほんの一瞬じゃん!
左を見た。
三本に増えてる。
すぐ右を向く。
もう数えられない。
ひ、左は……
ひっ!
札、札、札。
右、左、右……どっちを向いても原っぱを埋め尽くす、札。
書かれた文字は全部『おまえ』。
視界の切れ目に立ったのまで、俺を向いてる。
おまえって、俺?
なんなの?
まるで意志を持つように。
立て札が増えていく。
俺を向いて。
俺の右側で人影が揺れた。
さっきの三人が戻ってきた。
なんでそんな落ち着いてるんだよ。
一人だけ、俺を横切って左の道に入っていった。
あとの二人は前のでかい道をちょっと進んでから、左右に分かれた。
ひしめく立て札の中に入っても、白いから凄い目立つし。
赤い文字もこれでもかってくらい目に入って、不気味だ。
明るくてもそう思うんだな……って、あれ?
さっきまで青かった空が、白い。
にごり湯みたいな透けてるのに底の見えない、白。
いつの間に?
左側の視界が、色褪せていく。
黒い煙みたいなのがじわじわ右に流れる。
その先を追ったら、赤い文字が目に入った。
『ばつ』
ちょうどその奥にいた白面が、俺を指さした。
ぶわっと、黒い飛沫が上がる。
燃えてるのか?
でも、熱気はない。
むしろ、寒い。
立て札を飲み込んだそれは黒くて、色も光も映さない。
でも、ゆらゆらと揺れて穂を伸ばすのは炎そっくり。
黒い炎、としか言いようがない。
それはどんどん広がり、景色を黒く潰していく。
跡は無、だ。
左の煙が徐々に立ち込めてくる。
燃える音も焦げた匂いもない。
耳も鼻も削ぎ落とされたかのよう。
ただ視界だけが、明るさを失っていく。
もう、やめてくれ!
俺から見ることまで奪わないでくれ!
嫌だ!
残ったのは、襖の隙間くらいの景色。
『ばつ』の赤だけ、鮮やかに焼き付く。
ばつ。
✕。
……なに?
唐突に、白がそれを遮った。
俺に向けて、指をさす。
やめて、くれよ。
頼む!
黒が飛びかかった。
真っ暗だ。
錆びた鉄の臭いが詰まる。
息が、できない。
赤、赤、赤。
『ばつ』『ばつ』『ばつ』
俺、だ
翌朝。
空き家の前の立て札は消えていた。
土の上に黒いものが揺れていた。
アドバイス、ありがとうございました!
精進してまいります。