第30.5話 遠くの幼馴染
ハルがベンチで監督に説教をされている間、私はその後ろ姿をただ見ていた。
試合をしているハルを見て、改めて理解した。私とハルの遠すぎる距離を。
この前のデパートの屋上での1on1を見た時も感じた気持ち。だけど今はあの日以上のものが込み上げて来てる。
監督がハルに新しい作戦を伝えている間、私は少しだけ思案していた。
この後彼に、なんと声を掛けるべきかと。
ここまでのハルは、ファウル以外は自分の仕事をちゃんと熟してる。
得点も取って、あの小木君の得点も6点に抑えてる。
あの身長でそれだけのことをやってのけるハル。
やっぱり只者じゃないと思う。
それなのに本人は浮かない表情で。
体育館にインターバルの終了を告げるブザーが鳴り響く。
それを聞いて、ウチの主力選手たちがコートへ向かう。
ハルも水を飲んでから追いかけるように走り出す。
それを見て私は、ようやくなんと言って背中を押すべきかを決める。
私の口から思わず漏れた言葉。それは――
「頑張れ」
その一言だった。
今の私にはその一言を口にするのが精一杯だった。
それなのにハルは振り向くこともせず、「任せろ」と言う。
そういう言葉が自然と出る辺り、やっぱり私の幼馴染は格好いい。
「ところで監督。監督はハルをどう使うつもりなんですか?」
ハルを見送った後、私はさっき監督が話していたマーク変更について尋ねる。
今までハルがマークしていたのは、同じ中学三年生の小木冷君。
でも今度の相手は高校3年生。いくらハルでも相手になるはずが――
「俺はあいつを過大評価も過小評価もしていない。あのシューティングガード相手なら、確実に止められるようになる。そう判断して、あいつをあの選手のマークにつけることにした。それに対面すればあいつもわかるはずだ。目の前の相手との勝負が、どれだけ自分にとって貴重な経験になるかを」
昔から監督――ハルのお父さんは肝心なところを語らない。
それなのに叔父さんが言うといつも、自然とそうなるから不思議なのよね。
「でも大丈夫なんですか? ハルを小木君のマークから外しても」
「もちろん、大丈夫ではない。あいつと対等に戦えるのは、高身長の優秀なバスケットマン。または負けん気の強い優れたジャンプ力を持つ選手ぐらいだ。ハルがマークを外れれば、そんな人間は一人しかいない。そしてその一人も絶賛、相手のキャプテンの相手をしている最中だ」
叔父さんに言われて、私の視線が盾島先輩を捉える。
ゲーム再開直後、ゴール下で相手キャプテンと熾烈なポジション争いをしていた。
ハルはハルで以前みたいに、外で準備をしている。
まさか再開早々ボールを奪って、いきなり得点チャンスを得るなんて。
だけどゴール下は大丈夫なのかしら。
小木君の相手をしてる3年生が、全く脅威になってないように思うんだけど。
私がゴール下に注目していると、マークが変わって初めてハルにボールが渡る。
ハルをマークしているのは、横にも縦にも大きいシューティングガード。
いつものハルなら、相手が年上だろうとお構いなしに行くはず。
でも第1クオーターでの失敗からか。少しだけ大人な態度を見せてくれる。
ハルはボールを受け取ってすぐ、近くにいた神宮寺君にパスを出した。
得体の知れない相手とは戦わない。いつものハルには見られない冷静な対応。
「……バカめ。お前が逃げてどうする」
近くから聞こえた舌打ちに、私だけじゃなくて高等部の先輩たちも目を丸くした。
舌打ちの発信源である監督が呆れた様子で額に手を伸ばし、深く溜息を零す。
「このメンバーにおける得点源は間違いなくハルだ。そもそも相手はディフェンスに於いては、お前が逃げる程の相手でもないはずだぞ。何を怯えているんだ、あのバカ息子は」
「ハルが……怯えてる?」
「というよりも気づかないまま、会場の空気に呑まれ始めてるな」
でも今のハルのプレーは冷静そのもの。
初めて対戦する相手に対しては、多少の警戒をするのが普通のはず。
……だけどいつものハルだったら――
「あいつは試合中だろうがいつも、自分の勝負を優先する。今みたいな状況なら確実にインサイドヘ切り込んだはずだ。それなのに選んだのは逃げのパス。あいつ的には冷静なつもりだろうが――」
パン‼ という音が体育館に響く。
監督の言葉を遮ったその音はゴール下。
そこでの対決を物語っていた。
「このフォーメーションはお前のところで決める。そういうシステムなんだ」
ボールは巡り巡って相手のポイントガードからシューティングガードへ。
そのシューティングガードをハルが追いかける。
でも見てる側からも追いつけそうにないのは明らかで。
「わかってるか。それがお前の目指すべきプレーだ」
監督が呟いた時、相手シューティングガードがストップ&ジャンプシュートを放った。
それもスリーポイントラインギリギリから。
ハルの手はボールにも相手にも届かない。
ただただ空を掴んでいた。
そしてボールは静かにネットを潜る。
「……ハル」
もしかして私がハルにあんなことを言ったから?
気軽に頑張れなんて口にしたから。変なプレッシャーで――
「そんなヤワじゃないわよね、アンタは」
ゴールを決めたられた直後。
普通ならカウンターから1点差に詰め寄られるなんて最悪の状況。
そのうえ、それは確実に相手の流れを作り出すことにもなる。
それなのにそれを作り出した張本人は――
「やっぱりハルは強いですね」
私はコート上に立つ幼馴染を見て、思わず監督に呟いていた。
少なくても私にはあんな顔できないから。
もしもあの日――中学最後の試合。
あのコートに居たのが私じゃなくてハルだったら、何かが変わっていたのかしら。
そんな後ろ向きなことを考える私の視界には、この状況でキラキラと笑顔を浮かべるハルの姿があった。




