第2話 二人の日常
「母さん~俺のバッシュどこに行ったか――」
朝5時前。俺が部屋着のTシャツ短パン姿で一階へ降りると。
そこではとある女の子が朝食を食べていた。
それも俺の席に並べられた朝食を。
「なんでフユがウチで飯を食べてるんだよ……」
「お母さんが出張でいないのよ。私も料理は苦手だし」
卵焼きを頬張りながら、フユは事情を説明した。
それにしたって、なんで我が物顔で俺の席に座ってるの?
そこが俺の席なのわかってるだろ?
背が低い俺は座高を調節するため、椅子の上にクッションを置いている。
それも品質にこだわった超低反発素材のクッションを。
「叔母さんのご飯、相変わらずすっごく美味しいです‼」
俺の分の朝食を作る母さんに向かい、フユは最大の笑顔で褒めたたえる。
ウチの母さんの料理なんて、俺からすれば特段美味しいわけじゃないのに。
むしろ時々、味付けが濃すぎる場合がある。
きっとフユと母さんは味の好みが似てるんだろう。
「ウチのお母さんとレシピ共有してるんですよね?」
「ツーちゃんは昔からスポーツマン用の料理作りが得意だからね」
ツーちゃん。それは母がフユの母親を呼ぶときのあだ名らしい。
ちなみに母さんのあだ名はサンちゃん。
かつてのウチの女バス――『私立海桜高校の月陽コンビ』といえば、今でも有名だ。
「それよりも母さん、俺のバッシュ」
「母さんが知るわけがないでしょ。全く自分のものぐらいちゃんと管理しなさいよ」
「しょうがないだろ。夏休み明けからずっと使ってなかったんだから」
ウチの学校は中高一貫校。特にスポーツに力を入れていて、大会終了後も希望次第で練習に参加することができる。また高等部の部活が大会を終えていれば、そのままそちらに合流することも可能だ。だけどバスケ部は冬にウィンターカップ予選を控えているため、俺はまだまだ中等部の練習参加である。ここ数日はずっと休んでいたが。
「全く。宿題もしないで毎日部活に明け暮れてたなんて、女バスの三年皆で笑ったわよ」
「そこは幼馴染としてフォローしろよ。夏休み中に風邪でぶっ倒れてたとか言って」
「無理に決まってるじゃない。だって女バスの全員が夏休み中、毎日体育館にいるアンタを見てたのよ」
「バ、バカ。そのことを母さんの前で――」
カチッと味噌汁を温めるガスコンロの火が止められた。
恐る恐るそっちへ視線を向けると、そこには鬼の形相の母さんが。
「アンタ、夏休み後半は図書館に行くって家を出てったよね? それも夏休みの宿題をやるために?」
「そ、それは色々と事情がありましてね。ほら、図書館に行くためには学校の前を通るじゃないですか。そしたら、体育館の方からドリブルする音が聞こえて、気づいたら混ざっていたというか……」
お玉を右肩に背負い、母さんが怒りのオーラを沸々と湧き上がらせる。
流石は鬼の司令塔。その凄さは未だに健在らしい。
「アンタは朝ご飯抜き‼ 今月は小遣いもナシ‼」
「そ、そんな~。俺の新しいバッシュ資金が~」
***
「余計なことをベラベラと」
「アンタが悪いんでしょ」
まだ日差しが強い八月下旬の朝6時。
俺とフユは並んで登校していた。
すれ違う人達が注目するのはフユばかり、隣を歩く微生物の俺には誰も視線を向けない。相変わらず世の中はなんて不公平なんだ。これでも中学バスケ界だとスターなんだぞ。
「ところで新しいバッシュって言ってたけど。やっぱり続けるのね、バスケ」
「誰も辞めるなんて一言も言ってないだろ。ただ悩んでるだけだ」
「悩むって。アンタ、身長以外は才能の塊じゃない」
「その一番必要な才能がないから悩んでるんだよ」
フユとは小学二年生ぐらいからの付き合いだが、未だに身長に関する配慮が足りない。
俺がどれだけ身長を気にしているのか、彼女は何もわかっていないんだ。
「フユはいいよな、背が高くて。俺もそれぐらいあれば、もっと楽に勝てるのに」
「女の子としてはいいことばかりじゃないわよ。小さくて可愛い服は着られないし、外ではなぜか格好いい系の女の子って思われてるし」
「そういえばお前の部屋、可愛い系のぬいぐるみで溢れてるもんな」
フユは以外と可愛いもの好きだ。
学校だとあまりその素振りを見せないけど、ウチの母さんとフユの母さんの世間話曰く。毎日、ぬいぐるみを一つ抱きしめて寝ているらしい。
「何? 私がぬいぐるみを集めてたら悪いわけ?」
「別にそうじゃないよ。可愛すぎる趣味だとは思うけど」
「あ、アンタだって‼ バスケ以外だと趣味なんてロウちゃんを弄るぐらいじゃない」
「ペットの犬を構うのはノーカンだろ‼」
今日も俺とフユは朝から言い合いを続ける。
相変わらず会えば水と油だ。すぐに喧嘩をしてしまう。
こんな時間も嫌いではないけど、俺としてはもっと仲良くしたいのに。
「ところでハル。アンタのバッシュだけど――」
「本当にどこに行ったんだろうな。部室もちゃんと探したんだぞ?」
かなり散らかして、後片付けは全部後輩たちに丸投げしたけど。
ちなみに各ロッカーから出てきたフユの写真は、ビリビリに破らせてもらった。
隠し撮りした写真を持ち歩こうなんて真似、俺が絶対に許さない。
「こうなったら当分は上履きで練習かな」
「だからアンタのバッシュ――」
「でも嫌なんだよな、感覚が狂う――」
「人の話を聞きなさいよ‼」
フユが振り回したバッシュケース。
それが俺の顔面にちょうど激突した。
そういえば、フユのシューズケースってこんな色だったけ?
確かピンク色のエナメル系だったはず。
それにこの黒いバッシュケースは――
「俺のバッシュケース⁉」
眼前にあったそれを慌てて抱きしめる。
ごめんよ、一週間近くも履いてあげられなくて。
それにしてもなんでフユが持ってたんだ?
「人騒がせなやつよね。アンタに捨てられないよう、私が預かってたのに」
「預かってた?」
首を捻るしかなかった。
俺、一度もそんな話聞いてないし。
「アンタのところの後輩に頼んで、アンタのロッカーから出してもらったのよ」
「そんなバカな‼ ウチの部室もそっちのロッカー同様に鍵付き――」
「アンタ、自分が一々鍵を閉めるタイプの人間だと思うわけ?」
……それは全然思いませんわ。
だとしても、おかしな話だ。
なんでウチの後輩はフユの指示に?
「アンタの所為で私の写真を渡す羽目になったじゃない。なんであんなものが欲しいのか、理解に苦しむけど。まあ元データーは他にあるし、アンタに借りを作るためなら悪くはないもの」
な、なるほど。だからフユの写真を持ってたのか。
ごめんね、隠し撮りなんて疑って。
まあ写真の所持は絶対に許さないんだけど。
「でもアンタがバスケを辞める気がなかったのなら、私の行動も無駄足だったわね」
「そんなことないだろ。少なくても俺は、自分にとってバッシュがどれだけ大切か再確認できた。それに……」
後輩の中にフユを狙う不届き者がいることも、再確認できたし。
あいつら、今日から足腰が立たなくなるまでミッチリ鍛えてやる。
今からメニューを考えるのが楽しみだ。
「それに何よ?」
「……フユには関係ない話だ。それよりも学校まで走ろうぜ」
「嫌よ。急いでもまだ体育館開いてないだろうし」
「久しぶりに俺が1on1すると言っても――」
「何してるのよ、早く行くわよ‼」
「早っ⁉ なんでもうそんなに遠くまで走ってるんだよ‼」
前方数十メートルと言ったところか。
そこからフユが笑顔でこちらに手を振っていた。
確かにフユの相手をするのは数ヶ月ぶりだもんな。
最後に相手をしたのは、全中の予選が始まる前日。
結果は10本やって5勝5敗の引き分け。
昔からフユとはなかなか勝負がつかない。
バスケでもそれ以外でも。
いつになったら、勝ち越せるのやら。
まだ蝉の鳴き止まぬ八月下旬。
今日も俺たちの関係は変わらない。