8.ガチャガチャ
なにを思ってテレビを見ているのかわからない。凛子の横顔は、ただ切なそうだった。訴えることもなく、ただ目の前を呆然と眺めている。
一応念の為に外を確認しているが、ストーカーの線は薄いようだ。この一連の恐怖は生霊が与えているもの、と考えるのが一番妥当だろう。
生霊はテレビの目の前に移動している。凛子の見える位置に立っているが、なにやら変なポーズをとっている。右手で輪を作り、前髪の隙間から見える瞳に笑みを浮かべている。
その後の行動が気になり、その生霊を凝視したまま凛子の右隣に座った。避けることもなく、こちらに向けるような視線も感じない。
「ねぇ、教えてよ」
「なにが?」
「恨んでる人、知ってるんでしょ?」
「知らないよ」
「じゃあどうしたの? 様子が変だよ」
「疲れただけ」
「じゃあ、生霊について話してもいいよね」
「葬式のあとに幽霊の話するの?」
不謹慎だ、と言われている気がして口が止まってしまった。ただ、瞳の奥は震えている気がする。表情からでは考えが読めない。生霊の存在がどうしても気になる。
目が笑っていない。怒っているようにも見える。ふと紫苑の存在が気になったが、あたりを見渡しても見当たらない。黒い霧になって早優の体に戻っているようだ。同化してしまうと黒い靄を早優自身が纏っているように見えないため、消える瞬間を見ないと分かりにくい。気まぐれさに半分呆れてしまった。
透けている体の奥のテレビでは、ししおどしに流れている水音と映像が流れている。心が洗われる心地よさが続き、カタンと空洞の竹の中を音が行き交った。
ミネラルウォーターのCMのようだ。
しかし、なにか変だ。もう次のCMに入っているのに、水の音はまだ聞こえる。先ほど竹に注がれていた水の音ではなく、金属製の物に打ち付けているような音だ。
雨でもなく、水たまりに落ちる音でもない。気になってキッチンに顔を向けた。隣りに座っている凛子は、無理に無視しているように見える。
蛇口の背中しか見えないため、詳細はわからない。立ってキッチンまで向かってみると、残尿のように蛇口から水が滴っている。しっかりと栓を閉めた。
紫苑がまた女性の姿として現れる。
「なんや不気味やなぁ」
あんたが言うかと思ったが、口にするのは止めた。食いるようにして観察しても、生霊に変化はない。
凛子の視線の先に立っているため、自分の存在の主張をしたいのだろうが、本人はそれを一切見えてもいなければ気づいてもいないだろう。気づかせたら、なにか変化があるだろうか? と、思ったが、恐らく不毛な疑問だろう。
ガチャ、ガチャガチャガチャ。
玄関の方に反射的に目を見る。凛子が心配だ。表立って怯えているように見せてないが、怖がっているのは間違いないだろう。早優はダッシュして玄関に向かった。一度波は止まっているものの、再びドアノブが勝手に動き出す。
音を立てないように扉の穴から向こう側を覗くが、誰もいない中でドアノブが自発的に動いている。ドアノブをぐっと握って扉を勢い良く開いた。
包み込む静寂と廊下の匂い。生暖かい空気が舞い込んでくるだけで、人の気配すら感じない。
扉を閉じて中に玄関に戻る。振り向くと、凛子が心配して覗きに来ていた。驚いてしまう。
「ごめん」
「いいよ。誰もいなかった」
「じゃあ、本当に」
「話す気になった?」
「本当に知らないの。会社の人って言われても、ここまで恨まれる覚えはないし」
凛子の背後に視線をやる。生霊のいる場所は変わらない。未だテレビの前にいる。
「とりあえず、うちに来る?」
「え?」
「うちなら結界が張ってあるし、並の幽霊なら入ってこれないよ」
結界というのは、内にいる者を外に出さず、外にいる者を入れさせないというもの。ただ、これは基本的にレベルと鍵があり、守護霊や仏、修行僧の霊や神などが部屋に入れるのと同じようなもの。
鍵はこちら側が認めたものが通れるということだが、妖狐である紫苑が入れたのは、鍵というよりレベルの方だ。神聖な存在――良い行いも悪い行いも自主的に行える上位の存在に対して、拒絶するほどの結界を張ってはいない。そこまでの物を張れるだけの技術を、花蓮は持ち合わせていなかった。
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、いい?」
頷く。早優の家に向かうため、凛子の家を後にする。
・ ・ ・
早優の家に着く。玄関に入ると、花蓮が出迎えた。驚いた様子だ。
「話すと長くなるんだけど」
花蓮が一瞬だけリビングを見やると、二人を招き入れた。とりあえず、凛子を早優の部屋に案内する。扉を開いて背中で支え、部屋に入った凛子に声を掛ける。
「ここまで待ってて」
「ごめん」
「大丈夫。気にしないで」
扉を閉じて、リビングに向かう。入って正面にあるテーブルを一茂と花蓮は囲んでいた。花蓮と目が合っている。その奥の感情は読み取れない。いきなりなことで申し訳ない、という気持ちで早優はテーブルの前で正座した。
「なんで、今日の葬式でいた人がいらっしゃるんですか?」
花蓮が淡々と話す。
「退魔刀がなくなってたでしょ」
「あなたの部屋に入ってないので、よくわかりません」
「早優」
と、一茂が話す。その流れのままで口を開いた。
「君を責めてるわけじゃないんだ。わけを知りたいだけなんだ」
「わかってる」
今までのことを話した。一茂は親身になって聞いてくれた様子を感じられたが、花蓮からは表情の動きは一切感じられない。
「今、どんな状況かわかっておられますか?」
と、花蓮から言われる。
「心配してるのは分かるけど、でも」
「盗まれたのなら、一言相談してくれてもよかったのではありませんか?」
「妖怪だよ? 花蓮さんには見えないし」
「見えなくても信じます。ずっとお側にいたのですから」
「今回は許して」
「最近、自分から鍛錬するようにもなって、心霊番組を見たから気になってました。幽霊の声が聞こえる、姿が見える。訴えてくる願いを無視するのも大変なのも分かります。何故、そんなに関心を持つんですか?」
「関心なんてもってないよ」
「我慢をさせたのなら申し訳ございません。ですが、私はあなたのことを思って言ってます。ここまでひっそりと生きられたのも、あなたが特別な人で、皆さんに顔を知られていなかったからこそ。運が良かったと言っても過言ではありません。嘉成家の次期当主が生きていたと知られたら」
「わかってる」
ため息をついた。
「初めてですね。ここまで反抗的になったのは。どうしても放っておけないのであれば、付き合います。最後まで」
「ありがとう」
少しばかり微笑んだ。
「お腹、空いてませんか? みんなで食べましょう?」
早優は頷いて立ち上がる。二階に向かっている中で、一茂と花蓮は話していた。
「任せちゃって良いのかい?」
「私が作ります」
「いつも悪いね」
「いいえ。お気になさらず」
早優の部屋の前にたどり着き、凛子を呼んで一階に降りた。