15.私の思い
上の階を覗いて見たが、霊の気配はない。どこかに隠れているということを警戒しつつ、壁に背中を付けて一歩一歩階段を登っていった。リビングから出てきたら背筋も凍るが、そうならないことを願って階段を登りきる。
物音に気を付けてゆっくりと寝室の扉を開くと、布団の盛り上がりを見つけた。最悪の事態である。考えてみれば、寝ていた時に尿意を催してトイレに向かったわけであって、その行き着く結果は二度寝以外にない。下手したらこの刺激で起きられる可能性もある。
どのようにすればここから安全に出られる。起きるのを待つのがいいか、それとも今確認するか。ゆっくり確実な道を選ぶほうがいいに決まっている。そうするかと思って扉を閉めようとしたときに、布団同士が擦れる。
扉を瞬時に止めた。反応があった。どうすればいい。辺りを見回しても、ここはどこに行っても剥き出しだ。こちらに足音が近づいているので、扉の影になりそうなこの場所をあえて選び、ぴったりと壁に張り付いた。
浅く開いた扉が廊下側に動く。蝶番が見えるわずかな隙間から、あの霊が見える。扉を閉めるな、そう何度も願を掛けて固唾を飲んだ。
なにかを怪しんでいる。ドアノブを握ったまま立ち止まっていた。まだ油断ならぬ状況。このまま寝室に帰ってくれと願う。釘付けになった視線は片時も離さず、瞬きすらも許さない。
だが、願いが叶うことなく、その敷居を跨いで廊下に出てしまった。律儀に扉さえ閉めなければ、なんとかなるはすだ。そんな期待もあっさり裏切られ、霊に姿を確実にとらえられてしまう。最悪だ。また殺される。空気すら擦り傷ができるであろう勢いで、両腕を掴んで覆いかぶされる。
「ダカラオマエハダレナンダ!」
「あなたが恨んでる人は此処にもういない! 私は関係ないの! ここから出して!」
必死に抵抗するが、一切かなわない。この力がどこから出ているというのか。
「ウランデ、イル?」
急に頭を抱えて叫び始めた。
「コンナハズジャ、コンナハズジャ!」
逃げられるかと思ったが、跨がれている腰はびくともしなかった。言葉が届いてるようなので、心に訴えかける。
「どうしてこんなことを?」
「私は、私は単に、あいつがパワハラをしてくるから、少しでも不幸になれと恨んだだけで!」
「でも、それだけじゃこんな」
「代行のせいよ! あいつがきっと!」
余計に許せなくなってきた。この生霊はきっと、許せない楓を病気にさせるくらいのちょっとした不幸を味わあせて、苦しめてやりたかっただけなのかもしれない。
「どんなことを?」
「知らない! 私はただ、この人形に私の恨みを込めてくれってお願いしただけで。もう取り返しがつかない!」
急に目つきが代わり、首を絞めてきた。苦しさがなぜかある。
「やめ、て」
「もう変わらない! 二人も殺した!」
「あなた、は」
「うるさいうるさいうるさい!」
「離し、て」
それでも離してくれない。絶え絶えになっている中、言葉を絞り出した。
「私も、昔罪を犯した」
手が止まる。咳き込んでしまったが、息を整えるだけの時間がしっかりとあった。
「全てが嫌になって、家を燃やしてしまったの。今も鮮明に覚えてる。あなた以上に殺してる。本当なら死刑になってる。けど、私はまだ小学生だったし、それに助けられてしまった。助かる気持ちも、死ぬ気持ちもなくて、ただこの場所から逃げ出したくて。燃やせばなにか変わるなんて、そんなことも思ってなかった」
生霊の表情がゆがんだ。言葉を続ける。
「一生かけたって償いきれない。何度も考えた。自分が幸せになる価値があるのかって。でもね、だからといって不幸になるのも、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのかって思っちゃって。意味わからないでしょ? 自分がいけないってわかってても、そう思ってしまう。あなたも、そう思ってるんじゃない? どうすればいいかわからなくて、もうどうにでもなっちゃえって暴れてる」
「うん。本当に、どうすればいいの?」
初めて、生霊から返事があった。
「私だってわからない。今でも答えが出ない。だけど、今言えるのは同じことは繰り返さない。それだけなんだよ」
「あなたは、不安じゃないの?」
この先どうなるか、罪を償えるのか、生きる価値があるのかわからない。その不安はよくわかる。だが、これまでの人生で早優は決断した。
「その不安も受け入れてる。受け入れられるように頑張ってきた」
「私は、そんな強くない」
「強くならなきゃいけないの。だって罪を犯したんだから。一緒に頑張ろう?」
再び、首をきつく絞められる。言葉を捻ろうとしたが、ここで覚悟を見せなければ、と思った。一切の抵抗をせず、腕の力さえも抜いて床に体を預けた。手の震えが止まらないが、拳を作って押し殺す。苦しさを増していき、意識も遠のいていく。
だが、またどこかで目を覚ますこともなく、肺が酸素を求めて反射的に咳き込んだ。
「なんで、なんでよ。なんで出来るの」
「私だって怖いよ。怖くても、死ぬことは許されない。寿命が尽きる限界まで生き続けて、二度とそんなことをしないって死ぬまで証明し続ける」
「そんな姿になっても、なんで」
「だから、私はそんなに強くないよ。片足がない状態で襲われて怖かったし、泣いたよ。そういうの受ければ受けるほど、私に殺された人の気持ちも思い出すし、幽霊を見れば見るほど被害者の気持ちを思い出す。でも、それが私のやるべきことだから」
すっと、早優の体から離れる。
「出口はあっち」
寝室の奥を指さした。中を覗いて、指し示すその先を見る。クローゼットのようだ。
「一緒に出よう」
そう言っても動こうとしない。襲われるかもしれない不安を押し殺し、生霊の腕を組んで引っ張った。抵抗する様子もなく、流れに身を任せている。片足がないので、上手く力を入れられずに倒れ込んでしまった。
生霊はためを息をついて、早優に手を伸ばす。
「私に、こんな資格はないと思うけど」
生霊の差し伸べた手を握り、肩を組んでクローゼットに向かった。そこはどう見ても普通のクローゼット。血の跡やハンガーに掛けられていたはずのスーツなどが落ちている。ここが出口だとは到底思えない。
生霊に導かれてクローゼットの中に入って扉を閉めた。すると、壁が透けてその奥が姿を現す。ここはどこだろう。祭壇の上に乗せられているのだろうが、その奥から異様だが聞き覚えのある声が聞こえる。
本堂の奥にある、呪物が封印されている部屋だ。どうやら、残った人形を本堂に保管していたようだ。この空間に二人で外に出た。




