9.あと片足だけ
こういう自体になってしまったので、もう花蓮に話す他ない。麗乃にお供してもらい、二人でリビングで花蓮と向き合っているのだが、叱られているわけでもないのに妙な緊張感が包みこんだ。今までの経緯を丁寧に説明する。
「私がいますから」
と、早優が説明し終わった後に麗乃が花蓮に向けて言った。数秒の間、なんの表情を変えずにいたのだが、しばらくして体の緊張だけを緩めたように感じる。
「わかりました。その代わり、私も立ち会わせてください」
そんなの出来ない。あんな化け物に立ち会わせることなど出来ない。
「花蓮さんは部屋にいて!」
思わずそう口から出てしまった。
「であれば受けられません」
「じゃあせめて、離れたところで」
「それでは、早優さんを助けられません。結界を張る時に、より強力にするために念入りにするんでしょう?」
麗乃は頷き、口を開いた。
「念には念を」
結界は神木に封印するのと同じで、時間の経過で段々と弱まると花蓮から聞いたことがある。当然、本堂の奥の部屋にある呪物が保管されている部屋も定期的に交換しているが、その時間の経過は数ヶ月後などといった具合なので大丈夫なはずだ。ただ、それは一切傷がつかないという状況なので、恐らく相手も相手ということでかなり神経質になっているのだろう。
「私でも、なにか助けにはなりますか?」
「それはもちろん。私の紙じゃ限界があります。基本の術式に込める名力は桔梗がやりますけど」
やはり、なんとかなりそうもない。なにか言い返したかったが、そんな打開案など思いつかない。花蓮からの視線を感じ取り、視線を交差させた。
「早優さんがやられてもご自身の責任と言えるでしょう。ですが、黙ってなにもしないで怪我されても、私は耐えられません。せめて、私がなにか手助けをして」
そんなことを言われては断れるはずもない。花蓮の身を案じて部屋でゆっくりと寝てもらいたかったが、確かに結界の維持には桔梗と麗乃の紙だけというのも難しいそうだ。
四人いれば破られても修復を繰り返ひ、完全にその中に閉じ込めることができる。桔梗と麗乃の能力を使って補助するという判断だったが、三枚に分散した分だけマントラに込められた命力のの消費も激しいだろう。
やはり、この条件で了承するしかない。
早優は頷いて、その条件を飲んだ。
これからが大勝負。この先でどうなるかが変わる。
・ ・ ・
夕食やら風呂を終えた後。もう既に時間が十時を回っている。
桔梗が早優の家に来て、階段を上がった本堂までの敷地内で、角四つに力を込めた呪文が書いてある札を貼り付けた。各種角の二つに花蓮と桔梗の二人、そして残りの二つに麗乃の二枚がスタンバイしている。
紙には桔梗の術式に加えて、麗乃の紙に命を吹き込む名力を込めた術式が備えられている。人型の紙が俺に任せろと言わんばかりに腰に手を添え、背中を反らせていた。
壁は無色透明ではあるものの、内側にいるとよりわかりやすいのだが、ガラスに曇り掛かるようにして若干滲んでいる。
準備が完了した。後は、中の人形からあの霊が出てくるのを待つのみ。退魔刀を腰に結びつけ、いつでも鞘から刀を出せる準備をする。
霊に殺されるということがどれほどのものか、全く予想がつかない。今回は、前回車の事故を誘発させて早優と凛子を巻き添えにさせようとした出来事とは違う。
霊自身が己の力を使って殺しに来る。
段々と不安が増してきた。これでは手元が狂ってしまうかもしれない。
「三神さん」
隣にいる麗乃に声をかけた。
「麗乃でいいよ」
「幽霊に襲われると、どうなるの?」
「さぁ、私もあんなの見るの始めてだしなぁ」
背後にいる紫苑が声を発した。
「魂が切られるんと同じやで。力によりけりやけど、厄が付くんと同じで、例えばその腕に悪霊が触れたとする。そこに厄が付き、ミスや不運が舞い込み、怪我をする言うこと。
基本的には弱いのが大半で、かけられた本人が意識の仕方で回避できるのも多いんやけど、弱っとるとミスや行動一つで起きるもんやろ? 傷の大きさは関係あらへん。力の強さとどれくらい触られたかで決まる。まぁ、あやつは一回触られただけでも持ってかれるかもしれへんなぁ。気を付けるんやで?」
昼間の出来事を思い出す。
「そんななのに、首絞められたけど大丈夫なの?」
「苦しかったやろ? 本来は厄が付くだけやのに、絞められたときと同様の苦しみがお前さんを襲ったんや」
経験してる故に身に染みてよくわかる。ますます足が竦んでしまった。
「怖気づいたん? あんなんぐさっと一突きすればええんやで」
「簡単に言ってくれるじゃん。尻尾切られたくせに」
と、早優が呆れた声で言った。麗乃が声を発する。
「ちまちま傷をつけて弱らせるしかないね。確実な方がいいし」
麗乃のほうに視界をやると、ポケットから数十枚ほどにも及ぶ中央に折り目が入った正方形の紙を取り出し、そこになにかペンで記していった。
「墨じゃなくていいんだ」
「書く内容とその内容を書いた人の力が重要だからね」
てっきり筆と墨によって描かれるのかと思ったが、そういうわけではないようだ。異能も時代に追いつくというところだろうか。こだわりや文化を守る人なら、きっと筆を使っていたことだろう。
「あんまり出てこないようなら誘うけど、どうする?」
「出来るの?」
「うーん、まぁ勘だけどね。一応当てがないわけじゃない。どうせ体を求めてるわけだし、出てくるとは思うけど」
麗乃が新たに用意しようとしたその時、ようやく歪んだ倍音を聞かせた轟音が響く。声からでも察せられるほど力強い。
刀をぐっと握りしめ、引き抜いた。人形が口を開くわけでもなく、唐突にその姿を現す。
黒い人型に腕だけが未だくっついており、何故かつなぎ目から血を垂れ流すこともない。力なく腕を垂らして、両性的な足を蟹股で開いて立っている。辺りを見回して、こちらと目が合った。開いているであろう口からは涎を垂らしているわけではないが、早優には涎が垂れているように見えた。
こちらから突っ込むか、と以前と同じように考えているとき、走らせたのは紙。鶴の形に折られた紙は、自律的に羽を起用に羽ばたかせ、宙を舞う。一枚が胴体めがけて突っ込むと、少しの声を漏らした。見た目上はなにも変化がないが、声からして効いているのだろう。その鶴に反応して追いかけまわし、手を振りかざしている。
牽制してくれたおかげで、こちらがうまく動きやすい。前衛は早優が行くとしよう。その背中を追いかけて、縦に切りつける。先ほどよりも大きく唸った。黒い体に亀裂が入り、色が薄くなったように感じる。わずかに体の向こう側の風景が覗かせていた。
振り返り、こちらに反撃しようとしてくる。左手か右手か。ジャンプ攻撃か、足払いか。注意力を働かせていると、右手を上げてこちらにとびかかってくる。そんな時、見覚えのある黒い靄が悪霊の体をかすり、ダメージを与えた。バランスを崩した悪霊のすきを狙い、早優は突っ込んで悪霊の左わき腹を攻撃する。
さすがに三体一ともなれば、順調に弱らせられている。早優が下がろうとしたその時、悪霊は後ろにジャンプして後退したその左腕が、早優の視界に突然現れた瞬間、脳全体が揺らされて三半規管を刺激される。ぐらっとして立てない。胃酸が上がってくるような強烈な吐き気を催した。
頭を左腕が掠ったのだろう。
刀を持っていない手で口を押えるが、逆流した内容物を飲み込むこともかなわない。鼻と口から出てしまった。
「早優さん!」
花蓮の声が響く。なんのこれしき。この程度は死んだうちには入らない。
膝をついた状態で、なんとか見上げて悪霊を視界にとらえると、次の一手を掛けようとしていた。引き下がって避けようと思うが、体が思ったように動かない。完全に攻撃されると思ったが、黒い靄が前回よりも強い障壁を作ってくれている。
その奥は同化していてうまく姿をとらえることができないが、猛々しい異様な白さをした目ははっきりととらえられる。もう吐き気は収まっているが、胃酸のちりちりとした刺激は食道に残っていた。立ち上がったところで、黒い靄の左側に麗乃の姿が見える。ここからでは朧げにしか把握できないが、腹になにか白いものを張ったようだ。
しばらくすると、攻撃をやめて体勢を崩し、体を床に打ち付けて大きな断末魔を上げた。黒い靄が消えると、目の前で土下座させているような光景が広がっている。なにが起きたのかはわからないが、湿布さながらの札から広がるようにして黒色が薄くなっていき、離散した一部が人形に吸い込まれていく。
しばらくしてその札は剥がれ落ちると、わき腹がごっそりなくなっていた。立ち上がろうとしている悪霊を見て、今がチャンスだと思う。刃先を向けて、背中から勢いよく胸に刺した。地中を揺るがすような轟音。阿鼻叫喚であふれるが、まだ姿を保っている。これしきで瀕死にさせることなんて思っていない。引き抜いて、もう一度刺そうとしたとき、一瞬にして早優の足に爪を立てて通った。
一切の痛みを感じない。尻もちをついてしまう。認識としては足がそこにあり、動かしているとも思うが、右足が全く動かない。
「しぶといやつめ!」
紫苑がそう叫び、黒い靄を使って悪霊の胸を貫いた。
「麗乃!」
動きをしっかりと止めている。暴れる悪霊から引き離すように後ろに引っ張られ、麗乃が早優の盾になった。神木をかざそうとするその腕が一瞬止まるが、力強く向けた神木に悪霊が吸い込まれていく。しっかりと封印できたところで、結界を切った。花蓮と桔梗が駆け寄ってくる。
「早優さん!」
花蓮の叫ぶ声。
「大丈夫、大丈夫だから」
「大丈夫ではありません!」
「ほら」
と言って、立ち上がろうとするが、体しか起こせない。左足は膝を立てることができるが、右足が一切動かない。
「あれ、動かない」
声が震える。これからどうなるというのだろうか。死ぬのだろうか。初めて、死の恐怖というものを知った。火災のあの時は、なにもかもどうでもよくてただ放心していただけだったが、今はただ怖い。足がすくむ、背筋が凍るなどという表現はいろいろとあるが、あの言葉通りのものをこんな時に経験するとは思ってもみなかった。
紫苑が動かない右足に裾を向けているが、足が動くことはかなわない。麗乃が早優の左腕を首に回して、体を立たせてくれる。右腕は花蓮に支えられ、家に向かっていった。
「説明は後。ね?」
と、麗乃は言った。
「なにかわかってるの?」
それになにも答えない。なんとなく察してしまった。




