16.完 呪い代行業
あれから事故の件や凛子との経緯を警察に聞かれて、それなりに時間が経ってしまった。朝ごはんも食べていないので、お腹と背中がくっつきそうなほど腹を空かせている。
まだ警察署の中にいる。刑事の聴取がようやく終わった。立ち去ろうとしていたところで、早優の対面に座っていた刑事に声を掛ける。今しか恐らく、タイミングはないだろう。
「銭田さんに言いたいことがあるんですけど」
「なにを?」
と、聞かれて少々困ってしまった。父親から聞いた最後の感情を凛子に伝えたいが、周りに刑事がいる時に話すことになるだろう。そのまま伝えられはしない。
「まだなにか隠してることある?」
「そういうわけじゃないんです。挨拶、したいと思って」
「まぁ、恐らく情状の余地があるだろうし、その時で良いんじゃない?」
「今したいんです。駄目ですか?」
悩ましい様子だ。
「気になるんでしたら、その場で見ていてもらっていいんで」
渋々ながらも了承してくれた。刑事は部屋を後にする。しばらくして、扉が開かれた。
「いいよ。向こうも話したいことがあるって」
なんだろうか。凛子には、話したいことはすべて話したと思っていた。
「よかった」
席を立って、廊下で凛子と対面した。
「私から良い?」
と、早優から話した。
「いいよ」
なんだかスッキリした様子に見える。
「お父さん。たぶん、凛子のこと恨んでないよ。喧嘩してそれっきりだったんでしょ?」
これで伝われてば幸いだ。この場所では、ここまでが限界。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、やがて微笑みに変わる。
「ありがとう。私もね、お父さんにずっと謝りたかった。でも、こんな形で最後になるなんて」
嗚咽をこらえ、無理に言葉をひねり出してるように見える。必ず伝える。続けて口を開いた。
「猫ちゃんを埋めたところに、お花届けてくれる?」
だからか。猫の引っかき傷が、十崎にはあって凛子にはなかった差がここに表れているのだろう。
「場所どこ?」
場所を教えてもらう。手を降ってここで別れる。刑事にはエレベーターまで送ってもらい、中と外で向かい合った。
「捜査協力、ありがとうございました」
「いえ、全然」
一礼をして、エレベーターの扉が閉まる。
花を買ってこなければならないので、ここで一旦昼食をはさむか。時間は十一時を越している。昼食と考えると少し早いが、それでも構わない。
エレベーターが開いたので、警察署を出る。確かこの周辺に商店街があったはずだ。そこに花屋と昼食を食べられる場所があれば一石二鳥だろう。商店街まで向かう。
・ ・ ・
昼食を食べ終わり、近くの花屋で購入した花を買った。現在、道路が側にある山の中にいる。轢いた現場に戻って、猫の死骸を土に埋めたのだろう。誰にも花が手向けけられていない。凛子に教えてもらった死骸がある場所に黒猫がいて、その下をずっと覗いている。
買った花束をそこに起いた。猫がこちらを見ている素振りはない。その黒猫を見て、声をかけた。
「災難だったね」
自身の能力を使って供養してあげようか。そう思って、黒猫に手を伸ばす。すると、ガブガブと噛まれてしまった。
猫を飼っている人はこういうことが頻繁に起きているのだろうか。かなり痛かった。傷ができてないか確認する。指が赤くはなっているものの、傷はできていない。少しホッとした。
よく聞いたことのある笑い声。今回は嘲笑うより、本当に心の底から笑っているようだ。呆れ以上に、怒りがわいてきた。見上げると、そこには紫苑が立っている。
「本当に質悪いよ。ねぇ」
「お前さん、純粋やな」
「ふざけんな、この馬鹿!」
流石に殴りかかったが、紫苑の体を通り抜けた。神出鬼没で困る。この女、相当に質が悪い。動物に化けているときはなにかしら攻撃できるものの、そんな人でなしのような行動はできない。きっとそこまでのことを考えて行動しているに違いない。
一つくらいやり返さないと気は晴れない。がむしゃらに絡もうとするが、やはり体はすり抜ける。大きくうめいてしまった。
「そんなことしててもええけどな? 人おるで?」
辺りを見回すと、同年代くらいの女性二人が、こちらを化け物を見るような目で気持ち悪がっている。
最悪の気分だ。穴があったら入りたい。なにもなかったかのように歩いて去ろうとする。バイクのところまで行って、早く家に帰ろう。恥ずかしくてたまらなかった。
・ ・ ・
バイクで向かった先は、自宅がある寺の階段下。そばにある敷地内の駐車場にバイクを停めて、しっかりと盗まれないよう施す。
現在十七時。かなり時間がかかってしまった。夕暮れも近づいている。早速、自動販売機の元へ向かった。
まだ近くに父親の霊がいる。その近くへと向かった。
「わかったよ。猫のこと」
「ほんとか?」
「うん。苦労したよ。中々。ちゃんと生きて楽しく生活してる」
「それはよかった。世話になったよ」
「ついでにね。凛子さん。あなたに謝りたかったって。喧嘩のこと。それっきり話せなかったし」
「そっか、怒ってたわけじゃないんだな」
「大体ね、怒ってたから無視するなんて、そこまでのことできないよ」
「そうだな。馬鹿だな。俺は」
伝えられてよかった。手をそっと差し伸べる。今度は正真正銘、この力を使うことになる。うまく出来るかはわからないため、多少緊張している。
「いい?」
「どうすればいい?」
「やったことないから、勘だけど。私が霊界と現世の扉なの。成仏することにはなるだろうけど、もう未練はない?」
「ああ。君には色々世話になったよ」
「お礼なんていいよ」
父親は動かない。霊体の体に手を入れるも、それでなにかが起きたわけではない。見様見真似で念じてみる。
不安になって薄っすらと目を開けると、幽霊の体がさらに透けていく。そして、霊体は姿を消した。やってみようで案外出来るものなんだな、と少しばかり驚いた。正直、本当にしっかり霊界に行けたのかどうか心配ではあるが、それを確かめようがない。
とりあえず、霊界に案内できたという認識でいこう。家に帰るため、歩道を歩いていく。
「お前さん、つけられとるよ」
隣にいる紫苑に話しかけられる。
「誰?」
「送り狼という伝説を知っとるか?」
「男に下心があって、女を家まで送るやつ?」
「それの元になった妖怪や」
「ふーん」
「夜道歩いてる人間の後ろにつきまとい、立ち止まったり振り返ったりする人間を喰らう。改心したんやなかったんやな」
「誰か知ってるの?」
「立ち止まりい。挨拶しようやないの」
「え? 本気で言ってるの?」
「当たり前や。呪い代行業と共に行動しとる妖怪の方にな?」
「クリアしたんだし、刀返してよ?」
「もちろんや。出来るか?」
「鍛錬してたし」
紫苑に目を遣るが、目が合わなかった。
「数えるよ?」
「楽しみやなぁ」
三、二、一と数え、振り返る。手に刀を出現させ、黒い煙を足場にして空中に浮かせたまま柄を早優に向けた。柄をしっかりと握り、鞘から引き抜く。大きく口を開け、牙を顕にして飛び込んできた。
狼の唸り声が大きくこだまする。口角を割くようにして刀を構えた。が、刀を握った手が動かなくなり、小刻みに震え始めている。抵抗しようにもなにかに固定されているように動かない。
峰の部分が狼にむいている。これでは襲われてしまう。なにか対策はないのか。狼の体に、一本の狐の尻尾が伸びて巻き付いていた。それ以上先に進まない。
「おたくの妖狐もやるようだな」
男の声が聞こえる。木々に隠れて男が現れる。
「誰だ」
「お前こそ何者だ? 妖狐を連れてる上、その刀はなんだ」
「あんたから答えてよ。人に呪術をかけるってどんなことしてるかわかってるの?」
「呪術? そんなものは使ってない。俺は人から話を聞いて、そいつの魂を使って生霊を飛ばしただけにすぎない。あくまで代行さ。力を貸してやっただけだ」
「あっそ。だけどね、それのおかげで人が死にかけてるんだけど」
「人に恨まれるようなことをしなければいいだけじゃないか?」
「身勝手な理屈。逆恨みだってあるのに」
「そんな話をしても、堂々巡りになるだけやで」
紫苑がそう答える。
「今はなんと名乗っとる?」
誰に聞いたのだろう。
「禅童だ。お主はなんと名乗ってる」
相手の妖怪、狼がそう答えた。
「紫苑。お前さん、改心したんやないの?」
「遠い昔に、そんなことをあったな。俺だって食わなきゃ生きていけない。お主も我らと同様、わかるだろ?」
「うちは良いペットを見つけてな?」
「ペット?」
また腹立たしい言葉言われた。
「お前さんは黙っときい」
今までにはない剣幕でそう答えられる。
「そいつがなんだ」
「こやつに纏わりついてるだけで、命力はいくらでも蓄えられる」
どういう意味だろうか。あの説明では、まるで幽霊を食っているかのような応えではないか。
禅童は言葉を失っている様子だ。
「そんな人間がいるんだな。まさか、嘉成家の人間の生き残りじゃないだろう? どこの家系だ?」
「さぁ、どうだろうね」
男の背後から霊体が飛んでくる。四本足の生物のようで、禍々しさを放っている。狼のような鋭い目付きに鋭い歯。毛を逆立たせ、唸り声を上げている。
禅童よりも存在が小さい。禅童を大型犬とするなら、小型犬くらいの体型はあるものの、獰猛さは横に並んでいる。早優目がけて突っ込んできた。紫苑の尻尾を一つ一つすり抜けていき、あっという間に目前。
刀を反射的に振るう。透けた血液が飛び散る。簡単に斬り殺せてしまった。流石の力と言えよう。
「まさかとは思ったが、本当に。嘉成の家からどうやって盗んだ。火災の時に見つからなかったと聞いていたが」
「それを知りたくて」
「宗治よ。不用意に使うでない」
禅童が男に顔を向けて言った。
「そうみたいだな。だが、今のでお前が相当な人間だということはわかった。どこの家系だか知らないが、俺たちと戦争を起こしたいのなら好きにしろ。もし、どこの家系にも属していないなら、お前。どうなるかわかったもんじゃないぞ? この世界に関わるな」
「あんたが呪い代行業なんて止めてくれたら素直に引き下がるよ」
「そうか。なんとしてでも潰しに来るのなら来れば良い。戦争になっても知らないがな」
そう言って、禅童と宗治は立ち去っていった。
なにを言っているのかわからなかった。家系や云々と言われても困る。そんなことより、紫苑が呟いた名力の話だ。
「ねぇ、命力が蓄えられるってどういう意味?」
「本気で信じとるんか?」
いつもの人をからかう調子に変わった。目を細める。
「そんな警戒せんでもええ。お前さんが送った霊を食っとるわけやない。単純になぁ、お前さんは霊界と現世をつなぐ扉の役目を担っとる。常に能力を使っとるんと同じなんや。それを耐えうるために、自身で能力を蓄える物が体に備わっとる。だから、次期当主として選ばれた。それはちゃんと覚えときい? ええなぁ?」
「わかったよ」
複雑な感情ではあった。なりたくてなったわけでもない。苦労することのほうが多かった。
これからどうなるかは分からない。なにやら、嘉成家が崩壊した後に色々なことが起きているようだ。ただ、することは変わらない。宗治という男が許せない。あの男を止める。