11.お前が原因だ
「お前さん、今のはあかんかったんとちゃう?」
玄関からフローリングの床に片足を踏み出したところで、紫苑から声を掛けられる。
「不器用やなぁ。嘘をつかなくてもいいような生活、うらやましい限りや」
相変わらずの嫌味にうざったさを感じたが、そのままスルーして階段に向かう。存在を維持したまま早優の隣を歩いていた。
「お前さんの顔、随分と楽しませてもろたわ」
立ち止まってにらみつける。紫苑はくすくすと笑っていた。返事もせずに足を動かして、早優自身の部屋の中に入る。
「どうだった?」
間髪入れずに凛子から話しかけられた。テーブル側の床に足を崩して座る。
「追い払ったよ」
「そう」
どこか含みのある様子でそう答えた。
「ただ、今から外出るのは厳しそうだよ。もう少し後にしよう」
「なんで?」
「疑ってるみたい。なに考えてるかわからない刑事さんだから」
俯いて、それ以上なにも答えない。
これからどうしたものか。生霊の霊現象を放っておくわけにもいかない。このままいけば、凛子になにかしらの悪影響、最悪の場合は命を落としかねない。出来るだけ早めに解決したい。
「ねぇ、その友達の電話番号知らないの?」
「電話番号? ええっと」
スマホを取り出して、器用に操作していく。
「まだ登録してある」
「電話かけてみてよ」
「なんて聞けばいいの?」
「うーん」
なにか揺さぶりをかけてみようと思ったものの、具体的な方法をまだ考えていなかった。
あなた恨んでない? と突然聞くのは怪しいし、それをしろというのも無理がある。もっとスマートな方法はないのだろうか。
それを考えてから発言すればよかったと思ったが、仕方がない。警察が来るとは思わなかった上、元から突撃で自宅に向かうつもりだった。ほんの思いつきでなにかわかるのではないか、と。
「なに? 思いつき?」
凛子から呆れたような口調でそう言われた。
「ごめん」
「それでなにかあったらどうするの?」
「別に、友人に何気なく電話するだけなんだし、特になにかあるわけでもないでしょ。私だって、あいつどうしてるんだろうって思う時あるよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、してみようかな」
「最近どう? って、聞くだけでもいいんじゃない?」
苦しくなったら途端にでてきたようだ。我ながらに感心した。
「わかった」
凛子は耳にスマホを当てる。どんな様子なのか気になる。凛子の隣に座り直し、そっと片耳を近づけた。少しばかり体を遠ざけた気がしたので、早優も少し離れる。
スピーカー音声に切り替えて、スマホを手に持ったまま正面に持ってきた。未だ保留音が鳴り響いている。ぷつりと止まって、ホワイトノイズに変わった。
「どうしたの? 急に」
「久しぶり。最近どうしてるかなって」
「順調だけど」
声色に変化はないが、奥の方から食器同士がぶつかる音が聞こえる。皿洗いでもしているのだろうか。
「そっちは?」
「私? 私はまぁ、それなりに」
「ほんと。旅行以来だよね」
「そうだね」
「あの時は楽しかった。またいく?」
「次行くとしたら、どこがいい?」
「うーん、どこにしようか」
段々と水の音が強く聞こえ、皿の音はそれ以上に大きくなる。台所に移動したようだ。その様子からして、ほかに誰かいる。
「誰と電話してるの?」
男の声がした。
「友達」
その声は、知っている人物だ。凛子は目をかっと見開いている。言葉を失っていた。それもそのはず、凛子の彼氏である十崎である。
喫茶店での一件を思い出し、十崎の抱きしめていた腕の存在が分かった。
凛子は電話を切る。なにに背中を押されたのかわからない。
「私、あいつの家に行く」
「今出たら」
「うるさい。連れていきなさいよ!」
静かに言葉に怒りの感情を乗せた。
「グズグズしないで。早く!」
「どうなっても知らないよ?」
凛子はなにも答えない。二人で外に出て、バイクで凛子の友人の家に行く。
・ ・ ・
鉄製の階段に、紺色の屋根。一階二階と横並びで一斉に奥まで並んでいるアパート。それぞれ五部屋ある。その二階、奥から二番目の場所まで行く。凛子は二階ほどピンポンを押すと、生霊と全く同じ女の人が出てきた。
凛子は手で押しのけて、中に強引に入る。
「誰?」
女にそう聞かれたので、凛子の友人であると答えた。体に気になる跡があるが、今はそれどころではない。
「あんたこれどういうこと!」
怒号が外に漏れる。
「ご、誤解だって」
早優は急いで中に入る。玄関から入ってすぐのところにリビングがあり、中央に木のテーブルと向き合うように二脚の椅子。
その奥の部屋は引き戸が開けられており、ソファーが剥き出しになっていた。その場所で、凛子が十崎に跨って掴みかかっている。
「このクズ!」
クズと何度も連呼して、殴りに殴っている。早優の隣に凛子の友人が立つも、どこか顔が綻んでいるように見えた。凛子を止めに入ろうとする。
肩を掴んで離そうとしたが、考えられない力で引き離された。
「あんたどういう立場でしてるかわかってる?」
「どういうって」
「あんたこそ人に言えないよね! ぶち壊してしてやるから!」
「ぶち壊しにしてやるって?」
左後ろから聞こえる、友人がそういった。
「紗奈、これどういうこと!」
ぶち壊しにしてやる、という問いには答えるつもりはないようだ。
「彼からなにも聞いてないの? あなた、随分困った存在のようね。それより」
「いつ出会ったの!」
「三ヶ月くらい前よ。マチアプでね。こんな偶然あるんだって思った。昔っからあんた、人を馬鹿にするところあったもんね。不幸になればいいってずっと思ってた。
それなのに、タイムラインでキラッキラな投稿ばっかりしててさぁ、前から思ってたんだよねぇ。なんなの? ほんっと。都合がいいから復讐してやろうって」
顔を十崎に向けた。
「付き合ってるくせにマチアプ?」
「だ、だって」
「だってじゃない!」
早優は紗奈に顔を向けた。
「しかし、マチアプで出会ったのによく許したよね」
「相手が凛子だって知ってね。土下座して言われたわ。別れられない女がいるって。ショックだったけど、話を聞いてるうちに、私しか助けられる人はいないって思ったの」
凛子は一気に手の力を抜いた。十崎に跨ったままこちらを見て口を開く。
「もう帰ろう」
物言わせぬ気迫に答えられず、立ち上がって共に歩いて部屋を後にした。階段を降りてバイクにまたがる。ショックや怒りなど、様々な感情が入り交じっているように見えた。
ヘルメットを被る。元気づける言葉が見つからなかった。気持ちとしては、やはりなにか言葉をかけてあげたいため、なんとか絞り出す。
「まぁ、クズ野郎と別れる理由ができたんじゃない?」
それを聞いた途端、凛子は不敵で控えめな笑い声を上げた。
「そっか。そうだよね。ありがとう。これでちゃんと別れられたんだもんね。怯える必要もない」
「う、うん。そうだよ」
「はは、はははは。本当に感謝してるよ、あいつには」
「だ、大丈夫?」
「なにが? 私、変なこといった?」
「いや」
「早く帰ろう? どのみち、あいつら二人とも幸せになんかなれないし」
うんと答えて、バイクで早優の家に向かった。