10.私があなたを恨んでいたの
翌日。朝食を終わって、早優の部屋で凛子と背の低いテーブルの卓を囲んで座っていた。凛子は眠気がまだあるらしく、意識を空中に彷徨わせている様子にも見える。
「大丈夫?」
隣に座っている凛子にそう声をかけた。
「え? あぁ、まぁ」
神経質になってイライラしているかと思ったが、そうでもないようだ。
「ねぇ、紫苑さん」
と、この空間にはいない紫苑に話しかける。どうせ黒い靄となって同化しているのだろうと思う。朝食の時には猫がいなかった。
凛子は辺りをキョロキョロとしているようだが、質問してくる気配はない。適応しているようだ。
気配がしたので自分の両手を視界に移すと、早優の体から黒い靄が出て、人の姿を形成した。早優と紫苑が凛子を挟むようにして正座で座る。
「どうしたん? 急に呼び出しおって」
「どんな顔だった? 生霊は。私見てないからさ」
「ほう。それは助言を求めてるという認識で受け取るで?」
「ありがとう」
くすくすと紫苑は笑った。
「とは言うても、特徴を話したところで絵は描けるん?」
凛子に顔を向けて、似顔絵を描けるかどうか聞いた。
「絵心ない」
「仕方ないなぁ。写真見せてみ?」
そう紫苑が答えるので、早優は早速スマホの中に入っている写真を見せてくれとお願いした。
ここ一年くらいでは食事やら旅行とも思える場所、彼氏との仲睦まじい写真が入っている。指でスライドさせて先送りにし、友人と出かけた写真を見せた。
海を背景にして、凛子が自撮りをしている写真だ。左腕の先が画面右端に消えている。凛子の右手でピースをしており、それを挟むようにして女性がその隣に笑顔で映り込んでいる。
紫苑に向くと、彼女はなにも反応がない。次を見せるようにとお願いする。そうして、一枚一枚確認していく。
「それやなぁ、こやつや」
凛子に早優が止めるように話した。その写真は、奈良の大仏が背景に写った三人の写真の中央に凛子がいて、画面から見て凛子の右隣に、その該当の女性は立っていた。
紫苑はその女性を指す。服装は違うが、黒髪のストレートロングヘアー。この当時と変わらない髪型ではあるものの、長さが生霊の方が長い気がする。
こちらは肩までの長さのに関わらず、生霊は胸の高さまで伸びていた。
「この人」
早優はその人に指をさす。
「そんな」
凛子は衝撃のリアクションを取ったあと、言葉を失っている様子だった。それ以上話すこともなく、目を見開いて口が開きっぱなしであった。
「どんな人?」
「ほら、幽霊が見える友人って話ししたでしょ? この人なの」
「へぇ」
紫苑と目が合う。紫苑が口を開く。
「それにしても、単に霊が見えるだけであれほどの強い生霊は出せへんで? お前さんもそう思うやろ?」
早優は頷く。どちらにせよ、かなり不可解なことが起きているのは間違いはない。
「今の家、知ってる?」
「えっと、実家は知らないけど、住所が変わってなければ。普通に遊びに行ったことあるし。大学の友人なんだけどさ」
「それってバンド仲間の人?」
「ううん、違う人。だから、余計に恨まれる理由が分からない。最近遊んだって言ったって、この写真以降会ってもないし」
「いつ頃なの? これ」
「四か月くらい前」
「ロードもしてないの?」
「してない」
なにがきっかけなのだろうか。ずっと恨まれているのであればわかるが、今まではおそらくこういった霊障はなかったのだろう。彼氏がやったと勘違いするほどなのだから、直近では間違いはない。
「早速行ってみるか」
「うん」
怯えていた時の凛子とは違うようだ。その勇気のまま先に進めればいい。暴くだけ暴いて、スッキリして自分の罪と向き合ってもらいたい。
早優の部屋のノック音が響き渡る。扉の向こう側に意識が向いた。ゆっくりと扉が開かれる。姿を見せたのは、花蓮であった。
「すみません、警察の方がお見えになっておりますが」
「警察?」
花蓮は頷く。
「早優さんにご用件があるようで」
凛子に目をやると、目を伏せていた。
「行くよ」
早優は立ち上がって、玄関に向かった。
引き戸を左にずらして開けると、一人の警察官が姿を現した。くたびれたベージュのスーツに、二つあるボタンを開けて羽織ったジャケットとチェック柄のネクタイ。前髪がセンター分けのしっかりと色がある黒色の髪に、無精ひげに鋭い目つきで不愛想な男という印象だろう。ポケットに手を突っ込み、もう片方の手で警察手帳を掲げた。
手帳には、花涯剛志と書かれている。きつくないまでも、仄かにたばこの香りがこの男にまとわりついていた。
「この近くで起きた轢き逃げ事件、知ってるか?」
「はい。昨日、その人の葬式やりましたし」
「そうだな。その娘の銭田凛子は知ってるか?」
「知ってるって言われても。一茂さんに聞いたら?」
さらに目を細める。
「ふーん。でもな、あんたに用があるんだよ。この前、真田喫茶で喧嘩してたそうじゃねぇか。銭田と」
しっかりとそこまで調べているようだ。下手に嘘をつくと、とばっちりを食らいそうだ。
「そうですね。確かに」
「知ってんじゃねぇか」
「知らないふりをしたわけじゃないですよ。一茂さんなら話せると思ったし。そういうのが聞きたいんじゃなかったの?」
「俺が聞きたいのは喧嘩の事だ。そこに来たんだろ? 十崎雪彦が」
「誰ですか?」
「銭田の彼氏だよ。わかってんだろ?」
「名前は知らなかったもので」
「ふーん。まぁいいや。喧嘩の後、どうした?」
「凛子さんは、母親から電話が来て喫茶店を先に出て行って、そのあと私が家に戻りました。そのあとの十崎さんは知らないです」
「そっか。銭田は今どこにいるか知ってるか?」
「凛子さんですか?」
「会って話が聞きたいんだよ。家に行ってもいねぇしよ」
「なんでうちに?」
「なんでって。お前仲いいんだろ? 下の名前で呼んでるし」
しまったと思った。決して仲がいいわけではない。喫茶店での喧嘩のことを言われて、その時の彼氏が凛子と呼んでいた記憶をそのまま準えてしまった。しかし、確かに関わりがある。それは決して凛子の身を守ろうという意思があるのではない。できれば自首を進める形を取りたいし、猫のその後が分かればいい。このままでは勘違いされてしまう。
だが、ここで警察に突き出してしまったら、猫の所在を聞き出せないかもしれない。紫苑にも現場にいてもらってなにかしらの流れを作って話させる、というようなことをしない限り、生半可なことでは退魔刀。返してくれないだろう。ある程度は前座が必要と思われる。
「まぁ、仲良くないと言ったら嘘になりますけど、知らないですよ。彼女のことは」
早優の顔をじっと見る。目が合っているようにも感じられない。瞳の奥でなにを考えているかわからない上、この間が異様な緊張を誘った。
「そっか。協力してくれてありがとな」
そういって、花涯はその場所から離れていった。
しかし、あの刑事も不思議なことだ。どんな動機で刑事になったかは知らないが、守護霊に男性の僧侶が憑いているとは思いもしなかった。花涯は背中を向けたままでいるが、僧侶は後ろを向いて、手を合わせたまま丁寧にお辞儀をした。早優も返事をする。
結界の淵に立っていた女性が、花涯についていく。同年代くらいのように見える。儚げな眼でこちらを見ていたが、なにを訴えているかわからない。恨んでいるようには思えないが、いろいろな人から恨まれている人物なのは間違いない。
刑事という仕事柄のせいなのかはわからないが、足跡のようなものが体に数か所ついていた。誰かが蹴っている跡、と考えていいだろう。どんな人物だか興味は沸いたが、あまり関わらないほうがよさそうな人物なのは間違いない。玄関の扉を閉めて、早優の部屋に戻った。