「お前を愛することはできない」と婚約者殿に断言されました。早期のご通達に感謝します
両家の親族及び立会人の目前で、婚約の誓約書が載った銀の盆に、火が置かれた。私は一番遠い席で、他人事のように自分の婚約が灰になっていくのを見ていた。
羊皮紙が焼ける匂いは臭かった。
§§§
「君を愛することはできない」
月に一度のお茶会の席で、我が婚約者殿はそう断言した。
自分の永遠にして真実の愛は別の女性に対してのもので、たとえその女性を伴侶とすることができなくても、彼女への愛を貫くために、自分は他の女性と契りを交わすことは、政略結婚であったとしてもできない……のだそうだ。
すげぇな。貴族の長男で、これ言っちゃうか。筆頭宰相の親が禿げるまで考えて捻り出した国内の政治バランスの最適解を何だと思っているんだか。
いやまぁ、これまでの付き合いで、こういう男だとは知っていたけれど。
「そうですか。本当に真剣なご決意なのですね」
「そうだ。だから……」
「わかりました。ご協力しましょう」
混乱も遺恨もなく丸く収めて、貴方様がご自分のお心に沿ってお望みを叶えられるように、今後の方策をともに検討いたしましょうと提案すると、婚約者殿は鼻白んだ。
「……まさか……また勉強会か?」
「覚悟と信念がお有りなのでしょう?崇高な目的のためには泥臭い手間と労苦を惜しんではいけません」
「嫌だ!私は優しいエリスちゃんに癒やされながらゆっくりお茶をするような学生生活がしたいんだ〜!」
"エリスちゃん"?ああ、先日、遅れて入学してきた編入生の女生徒か。
なんとまぁ。私との婚約前からの付き合いのある相手でもいたのかと思ったら、びっくりするほど底の浅い話だった。
これは婚約者殿の気の迷いを晴らしてさし上げたほうが世のためかと少し考えたが、彼の気性を鑑みて、諌めればかえって意地になるであろうと判断した。
「では、つつがなくそのような生活が送れるようにするために、可及的速やかに段取りを考えましょう。障害は大きいですが、できることはたくさんあります」
「それはやることが沢山あるって意味だよな?な?」
「ご理解が存外早くて嬉しゅうございます。これまでの勉強会の成果ですね。引き続き精進しましょう」
「うわーん」
婚姻予定だった学院卒業までには、まだ時間的な猶予が十分にございます。早期のご決断と迅速な通達ありがとうございました、と礼を言うと「お前、喜んでないか?」と言われた。
失礼な。この年齢で婚約者がいなくなって嬉しいやつがあるか。
「そんな事はございません。いいからまず謝れ、バカ者が」
「ひいっ、ごめんなさい」
「ついでに、エリスちゃんとやらの馴れ初めと、今どこまで仲が進展しているのか、全部吐け」
「は、はいぃっ」
そうして絞り出させた主観オンリーの供述書に、他の生徒や従者などからの第三者視点での証言からの情報を加えて、総合的に分析した現状を元に、私達は両家の親族に話をした。
予想通り我が父は激怒し、先方のご両親は頭を抱えたそうだが、男性側の一方的な事情による婚約解消であるために十分な賠償を行うことと、どちらの醜聞にもならないように、公には時期をみて穏当な理由を公表することを、セットで提案したため、刃傷沙汰や政治闘争に発展することもなく、比較的円満に合意に至った。
そこはわがまま言わずに添え!とか言われて、無理やり結婚させられても困るので、終始一貫して、相手の思いが成就する道を作って差し上げたいのだという論旨で、すべての対応策を提供し続けた甲斐があった。
もともと両家のパワーバランス調整と、対外的に内政が円満で安定していることをアピールしたいがための縁談だったので、そこはどちらの当主もわきまえていて、私達の提出した素案にきちんと肉付けして、見事に内々で解決してくれた。
私達の婚約は無事に解消された。
§§§
「さあ、ではここからが正念場ですよ」
「なんでまだ解放されないんだ!?」
「これまで何を聞いていたんですか。貴方がエリス・ドートルード男爵令嬢と無事に添い遂げられるよう協力すると、さんざん申し上げたでしょう?」
「いい。もういいから放っておいてくれ」
「本当によろしいのですか?現状、挨拶する知り合い程度の扱いで、ハナにも引っ掛けられていないんでしょう?」
「そんなことはない!いつだって彼女は目が合うと幸せそうに微笑んでくれる」
「それくらい女は社交辞令で皆します」
「お前はしないじゃないか!」
「してもらいたかったんですか?婚約当初、やったら顔をしかめてそっぽを向いたからお嫌なのだと思っていました」
「いや、それは……そんなことをした覚えはないっ」
「そうですか」
「それに、学院の他の女生徒もやらないぞ」
「それは貴方が婚約者持ちだと皆さんご存知だからです。ちなみに私も他の男性にむやみに愛想を振りまいたりはしていません」
「それはそうだろう。お前は私の婚約者……」
「だった」
「……だった、のだから」
「そういうことです」
我が元婚約者殿は大きなため息をついてうなだれた。
「しかし、貴方は晴れて自由の身です。まだ婚約なさっていないドートルード嬢に微笑みかけても、彼女にしょうもない小物を贈っても、なんならその際のどさくさで手をとることすら可能な身です」
「婚約解消前にやったことを糾弾するのはよせ」
「本来はギルティですが、効果が上がっていなかったようですし、以後、私の忠告を文句を言わずに大人しく聞くならノーカウントにして差し上げます」
「ううう……泣きたい」
「真実の愛はどうした、バカ者。根性出せ」
そもそもアプローチの仕方が、自分本位で、相手の事情や好みを考慮していないから、効果が上がらないのだと指摘すると、彼は不満そうにむくれた。
「でも贈ったのは、それなりに高価な品で、しょうもない小物ではないぞ」
「バカですか。一点物のオーダーメイドの派手なアクセサリーなんて、男爵令嬢は普段遣いできないし、換金すれば足がつくし、盗難されれば代わりが用意できないし、管理に困るだけでしょう」
「贈ったのは派手なアクセサリーだけではないし……」
「肖像入りのペンダントなんて、最悪です」
「君は喜んだじゃないか!」
「ただの顔見知りからもらったら気持ち悪いって気づきましょう!あと、他の女に贈ったのと同じ品を贈るな」
「ダメ出しだけではなく、どうしたらいいかの方針を具体的に示せよ。お前がいつも言っていることだろう」
「綺麗、可愛い、かさばらない、消え物、または返しやすい貸し」
「ええっと?消え物?」
「名店の小綺麗な菓子。その場で消費できる適量か、持ち帰らせる気なら目立たず軽く小さいパッケージで」
「なんで?けちくさくない?」
「相手と会う場所は?渡されたあと、相手がどうやってそれを持ち帰るか考えたことは?」
「荷物なんて従者が……いないか」
「学院で従者が付き添うのは、侯爵以上。男爵令嬢はむしろ他の貴族令嬢の従者代わりに取り巻きとして働く立場で自分用の従者も下女もいない。ご存知ですよね」
「なるほど。そのとおりだ」
彼女はいつも殿下や学友の高位貴族と一緒にいたから、そのような身分であるということが、あまり実感として意識できていなかったなどど、戯言を語る元婚約者殿に私は冷ややかな視線を送った。
「よいですか?真の問題はそこです」
「え?どこ?」
「彼女の視線の先には、貴方が勝たなければならない相手が、大量にいて、しかも、どなたもあなたよりいい男なんです」
「なっ!?」
私は指折り数えてやった。
「まず、アーベル殿下。文句なしの玉の輿です。次に騎士団長の御子息のイアソン殿。武勇に優れ、たくましい非常に男性的な方です。聖堂のウリューエル殿は表向きはただの下級貴族の養子ですが、最高位の枢機卿の隠し子で、憂いのある絶世の美男子。エイダス殿は容姿はそこそこですが、お忍びで留学中の大国の公子だけあって金遣いが非常識。オルソー殿はスマートな色男で、未亡人、人妻、デビュタント前の令嬢と、年齢も倫理も問わず遊び慣れている」
「おい、最後の方、褒めてないぞ。あと、非公開情報が山盛り過ぎる」
「とにかく。学業の成績だけが取り柄の貴方では、本来なら太刀打ちできません」
「成績だけって言うな!」
「だって、一緒に詰め込んだ学院のテスト範囲の予習済み問題以外は弱いではありませんか」
「身も蓋もない……」
頭を抱えた相手に、私は優しく声をかけた。
「大丈夫。貴方は詰め込みはできる人です。対策と演習を数こなせば、正解を丸暗記はできます」
「褒められた気がしない……っていうか、いつもそれで丸め込まれていたけど、よく考えたら褒めてないからな、それ」
「気づきは成長ですよ。貴方にはまだ伸びしろがあります。一緒に頑張りましょう」
「泣ける……」
幸い、元婚約者殿はオールそこそこだ。殿下や大国の公子とは比ぶべくもないが、家格は国内で上位から五指……は微妙だが少なくとも十指には入る。
容姿は美麗とまでは言えないが整っている方だ。(肖像画は私のそっけない部屋の唯一の装飾としてまだ役に立っている)
英雄体型ではないが、上背は、女にしては背が高めの私よりも高いし、物覚えが良いだけあって、馬術も武芸も嗜み程度にはこなす。
女性の扱いに長けているとは言い難いが、そこは教えてやればなんとかなるだろう。
「いいですか。彼女に対して貴方が売り込める最大のポイントは、彼女のみを誠実かつ真摯に愛していて、確実に結婚できるところです」
愛情を優先する女なら十分に嬉しいだろうし、玉の輿を狙っているなら、一か八かで王妃の座を狙っていらぬトラブルで何もかも無くすより現実的な線で手を打つ可能性がある。上流貴族の資金力では飽き足らず、男を金袋だとしか思っていない浪費家なら、そんな奴は家を傾けるだけなので見切ってこちらからフレばよい。
「障害や禁断は恋愛のスパイスになりますが、結婚で重要なのは堅実と安心の日常です。……男は顔だと言われたら泣いて諦めて、筋肉だと言われたらその時は体を鍛えましょう」
「とほほ」
「大丈夫。場の雰囲気にふさわしくてパートナーの女性の良さを立てる服装と言動を心がければ、感じの悪い美形や無愛想な筋肉男にはきっと勝てます」
チョロくて、頼りないのは、"思いやりがあって優しい人"といえなくもない。ちょっと困難を前にすると逃避行動にはしる癖があるのは、まぁ、口説く間ぐらいはごまかし通してもらうしかない。なんだかんだで土壇場で切羽詰まると根性をみせる人なので、なんとかなるだろう。
とりあえず泣き言と愚痴は、私が聞いてやるから、安心しろと言ったら、泣かれた。
§§§
それからしばらくは、特訓の日々だった。
「二人での気楽な会話で、女性からの好感度が上がるのはどっち?1番"自分のカッコいい武勇伝を聴かせる"、2番"彼女のとりとめのない話をただうなずきながら聞く"」
「1番」
「ハズレ」
「なんで?アピールしたほうが良いんじゃないのか?」
「好きでもない男の情報に、女は興味ありません」
「でも、キャッチーなつかみ、ちょっとしたユーモア、スリルある山場、小粋なホッとするオチのある話って、面白いだろ」
「男の人はそういうの好きですよね」
「君も好きじゃん」
「私を基準にしない!目的の相手がそうじゃなかったら意味がないんです」
「ただ頷くって退屈じゃない?」
「共感は女にとっては愛情の表明です。論理もなく、山場もオチもない、思いつくままに話題の飛ぶ話でも、真摯に聞いて、寄り添って相槌を打ちなさい」
「うえぇ」
「その際、結論と正論と解決策を提示してはダメですよ」
「それいつも君が要求するやつ!」
「普通の女の子はそんなもの会話で必要としていないんです。要点はこれです。"そうか"、"すごいね"、"それはひどい"、"よく頑張ったね、君は偉いよ"……どれだけ論理が破綻していても自己矛盾していてもダブルスタンダードでも、そこを指摘せずに、その場は全肯定!具体例が見たければオルソー殿が女性としている会話を思い出してご覧なさい」
「…………本当だ。マジかアイツ。その基本パターンのアレンジと褒め言葉と流行り物の話をしているところしか思い出せない。私には無理だ」
はい、そこ。絶望しない。
次の問題、行くよ。
「この中で爽やかな夏の午後に彼女に勧める飲み物はどれ?」
「1番」
「ハズレ」
「でも、これは夏の定番だよ。君もよく飲んでいたじゃないか」
「ドートルード嬢は酸味の強い飲食物が苦手なの忘れたの?レモネードは貴方の好物。正解は2番の果実水」
「飲み物なんて、勝手に用意されるじゃないか」
「あのね。飲み物を淹れるのは使用人でも、あらかじめその使用人に指示を出すのは、もてなす側の主人なの」
「難しすぎる」
「好きな相手のことなら、些細なことでも覚えられるでしょう?相手をよく見て、相手が心地良くいられるか気遣うだけでいいのよ。好きな人が嬉しそうにするのを見るのは喜びでしょ。やりなさい」
彼が疲れた様子だったので、私は少し休憩にしましょうと提案した。
用意されたお茶を黙って飲み、お茶菓子を一口食べたあとで、彼はポツリと「美味しい……いつも」と呟いた。
「ありがとう。嬉しいわ」と応えたら、彼の機嫌は上向いた。やはり感謝というのは、些細なことでも言葉にして伝えることに意味はあるらしい。
§§§
彼がドートルード嬢を口説くことに全力を尽くしている間に、私は私で支援を始めた。
と言っても、二人の仲を取り持とうと奔走したわけではない。ただ、その他の男性諸氏とその婚約者殿との仲が破綻しないように、手を貸しただけだ。
妻帯禁止の聖職者になる予定のウリューエル殿には聖堂関係者とのしがらみを、浮気者のオルソー殿には、切れそうで切れていない焼けぼっくいを、つついてけしかけてみた。
結果として、アーベル殿下は険悪な関係だった婚約者と仲直りした。騎士団長の御子息のイアソン殿が婚約者と仲良くなりすぎて、学生結婚する羽目になったのと、枢機卿と感動の親子対面&和解を果たしたウリューエル殿が中退して聖職者になったのは、想定外。
オルソー殿がド修羅場で刺されて入院したのは不可抗力。さらに療養先から失踪して駆け落ちしたのは、完全に知ったこっちゃない展開だ。
お幸せに?としか言いようがない。
そして、エイダス公子がエリス・ドートルード嬢を祖国に連れ帰ってしまったのは、完全に不慮の事故……いや、予想外の誘拐事件である。過ぎた豪遊を親元にチクったら、帰国命令が出たところまでは想定通りだったのだが、なんと、あの非常識放蕩息子、"お気に入り"をお持ち帰りしてしまった。
ハーレム文化のある後宮持ち御曹司の思考って、ぶっ飛んでいる。流石にそんな無茶をされるとは思わなかった。
§§§
悲嘆に暮れたであろう我が元婚約者殿を慰めるために、私は手紙を送った。
返事は来なかった。
彼は学院にも来ていない。
ここ数ヶ月は、彼とは学院でも顔を合わさないように気をつけていたのだけれど、流石に心配になったので、様子を見に行くことにした。
半年以上ぶりに訪ねた彼の屋敷で、顔なじみの使用人たちは、少しよそよそしくはなっていたものの、あいかわらず丁寧に応対してくれた。
通された女性客向けの客間は、印象が変わっていた。内勤にセンスのいい職人が入ったのだろうか。カーテンとクッションとクロスが、これまでの重厚で厳めし過ぎる暗色から、温かな落ち着ける色味に変わっている。ひだ折は丁寧で、縁飾りの柄や刺繍は繊細で華やかだが派手すぎない。生けてある花も含めていい感じだ。香りがきつすぎないのもいい。
うちの若い親族用の居間の雰囲気に近いが、こっちのほうが自分の好みなので、今度、私室のインテリアで真似してみようなどと考えていると、我が元婚約者殿が来た。
型通りの礼と簡潔な挨拶を交わして、私達はお互いに相手を見つめた。
「こうして会うのは久しぶりだね」
「もう婚約者でもないというのに、図々しく押しかけて申し訳ございません」
「かまわない。座ってくれ」
彼は、少しやつれたようだった。
どれほど詰め込み勉強で切羽詰まっても、泣くほど弱音を吐いても、どこか明るく澄んでいた瞳が、痛々しく憂いに陰っている。それほど心の傷が深かったのだろう。
私は用意していた定型のお見舞いと気休めの言葉を言えないまま、静かに彼の向かいの客用の長椅子に座った。
なんとなく黙ったままの二人の間に出されたティーカップからは、温かい湯気が立ち上っていて、良い香りがした。
……ほのかなハーブの香り。うちでたまに母と飲むお茶と同じ香りだ。
私はなんだか少し気分が上向いた。
私は顔を上げて、黙ってじっとこちらを見ていた彼に、詫びの言葉を切り出した。
「申し訳ありません。こんなことになるとは……」
「そうだね」
「あれだけ豪語したのに、貴方の望みを叶えることができませんでした」
「いいよ。貴女が謝ることではない」
「もし、貴方が望むなら、彼女を取り戻すか、貴方があちらの国に行けるように手配を……」
「いいんだ。貴女はよくやってくれた」
私は視線を落として、膝の上で組んだ手を握りしめた。
彼は立ち上がると、テーブルを回り込んで、私の隣に座り、私の手に自分の手を重ねた。
「ありがとう」
私はギュッと目を瞑って、3つ数えてから、隣でこちらを覗き込んでいる彼をジロリと睨み返した。
「上出来です……が、どういう了見ですか?」
「うぇっ?」
「私が教えた口説き落とし構文を、こんなときに私に適用してくるというのはなんなんですか」
「い、いや……なんだか、貴女がつらそうだと思ったから……」
「えっ?」
私は思いも寄らない言葉を聞いて、きょとんとした。
「私の様子がつらそうだとか、どうだとか、これまでお気になさったこと、ないですよね?なんでまた突然?」
悪いものでも食べたか、ショックで寝込んで熱でも出たのかと心配すると、彼は大きなため息をついた。
「すまない。私が悪かった。どうか勘弁してくれ」
「あ、はい。特に謝罪されるようなことはされていないので、お気になさらず。あえて言うならば、この距離は現状の私達の間柄では大変不適切なので、どうか向かいのお席に」
彼は、深く傷ついた様子でガクリとうなだれた。
「大丈夫ですか?そういえば最近、本当にご無沙汰していて、愚痴も不安も聞いて差し上げておりませんでしたね。そんなに不調になるぐらいお辛かったのなら、お話ぐらいは聞きますよ。どうかお顔を上げてくださいまし」
重ねられたままだった手を握り返して励ますと、彼は心底つらそうに「どうしたらいいんだ」とぼやいた。
「ただ素直に本音を打ち明けてくださればいいですよ。気取る必要はありません。これまでだって、ずっと情けない泣き言を並べてきたじゃないですか。逃げたくなるほど辛いことは、全部、吐き出しちゃってください」
彼は、どこかがひどく痛むのをこらえているような顔をして、苦笑した。
「……逃げるのをやめたいんだ」
「いいことです」
「ちゃんと向き合いたい」
私は微笑んだ。
真面目で努力家で、伸びしろが大きいって素晴らしい。ちょっと会わない間にこんなに立派なことを自分から言うようになってくれるとは。
「お手伝いしますよ」
「結論と正論と解決策を提示するのか?」
「いいえ。一緒に考えましょう」
彼は、恨めしそうに私をじっと見てから、「私の話を聴いて欲しい」と告げた。
「笑えないかもしれないけれど、オチはちゃんとある」
「そんなこと、お気になさらなくても、貴方のお話なら、私、いつでもちゃんと全部聴きますよ」
「……ありがとう」
彼は静かに、これまでのことを語り始めた。
最高学年になり、卒業後を見据える必要ができて、このまま学年首位を取り続けて、父の補佐に入れるのか、学業や家業の重圧に押しつぶされそうな気分だったこと。
そんなとき、周りの男友達が可愛い可愛いと噂する男爵令嬢が、自分に気のある素振りをしてきて、舞い上がってしまったこと。
彼女から「そんなこと、全部忘れて、楽しく生きればいいんです」と言われて、解放された気分になったこと。
でも、私に教えられたとおり、彼女をよく見ていたら、彼女が自分の為を思ってそう言ってくれたわけではなさそうだということが、だんだんわかってきたこと。
他の男友達や周囲の女性達をつぶさに観察するようになって、色々と気付いたことが多かったこと。
「貴女と私の関係は、普通の婚約者同士の関係とはちょっと違ったらしいというのにも、その時気づいた」
たしかに、私は平均的なご令嬢方のように女らしくないので、至らぬ点は多々あったのだと思う。
「それで、アーベル殿下やイアソンが、自分の婚約者と一緒にいるときの様子を見て、自分はどうだったかなと思ったんだ」
不甲斐なくて気が利かなくて我儘で情けなかったと反省した、と彼は告解した。
「私はウリューエルほど清廉でもないくせに、オルソーやエイダスほど女性の扱いに長けているわけでもなかった」
「彼らは極端な例ですから」
「あまりにも貴女に対して子供っぽい無神経な振る舞いをしていたと思う」
「子供の時からの付き合いですもの」
私も淑女らしからぬ振る舞いが多かった自覚はあるので、お互い様だ。
「いいんですよ。私とのことをそんなに気に病まなくても。私は貴方が幸せになってくだされば、それで満足なんです」
私はなんとなく重ねたままだった相手の手の甲を撫でた。彼は泣きそうな眼差しで、私の手を取り直して指を絡めた。
「それは、愛情だろうか?」
「え?」
「私と貴女の関係が普通ではなかったらしいと気づいてから、私は貴女が他の男性にどのように接しているかよく見てみたんだ」
んんん?それはいつだろうか?
学院では最近できるだけ会わないようにしていたし、一緒にいたことはほぼなかったはずだが?
「私との婚約を解消した後も、貴女の態度は変わらなくて、どの男性ともよそよそしく距離をおいていた」
まぁ、普通にしていただけというか、基本的に恋愛が下手というか、可愛らしく男に媚びを売るのが苦手というか……そもそも関わりたいと思う相手がいなかっただけというのが正しい。
どう答えたものかと当惑している私の手を彼はぎゅっと握った。
「思ったんだが……貴女は私のことをかなり愛してくれているのではないだろうか?」
「ぷわっ!?」
「私のうぬぼれの思い込みだったら、滑稽だと笑ってもらって構わないんだが、諸々の検証を行うと、どうにもそういう結論になるんだ」
彼は、困ったような、それでもどこか澄んだ瞳で、私の目を覗き込んだ。
「私の思考パターンは、かなり貴女の影響を受けているんだが、真実の愛は永遠に一人に捧げるもので、たとえその相手と婚姻を結べなくても、相手の幸せのために、自分にできることをするのみ……という、この一般的でない発想は、実は貴女の恋愛観の刷り込みではないだろうか」
「んぎゅ?」
「思えば、幼い頃、ともに読んだ童話や、聞かせてもらった昔語りも、そういうものが多かった気がする」
そんなことは……やばい、あるかもしれない。え?私、意外に頭お花畑?
「そのう……違っていたら否定してもらっていいのだが、貴女は世間一般で女らしくて可愛らしいとされる女性像に対して、多少コンプレックスがあって、自分はその範疇に入らないと思いこんでいるのではないだろうか。そして、異性の気を引くために男に甘えたりする方法は知識では理解しているが、テクニックとして分析ができすぎているせいで、それに類似した行動を自分の愛情表現として使うと、後ろめたく感じるのではないか?」
……そういえば、こいつ、十分に知識を詰め込んでやると、解像度の高い分析と検証能力を発揮するんだった。
まさか学業のノウハウをこんな方向に適用してくるとは。流石、優秀な男って仕込みがいがあるって喜びたいけど、白目むきそうな気分だ。
「待って。論点がずれているわ。私の気持ちは、貴方の悩みや人生に関係ないでしょう」
「関係ある」
「だから逃げないで」と彼は囁いた。
「八方美人で、オルソーやエイダスと享楽的に楽しんでいるドートルード嬢を観ていて、自分の考える愛とは一般的でなく、あまり理解してはもらえないものだとわかったんだ」
あー、それはそうでしょうね。
「それで、私は自分を見つめ直したんだ。他人を見つめて、相手がなにを好み、何を望んでいるのか理解するのと同じ方法で」
おおー。応用ができている。
えらいなぁ……。
「その結果、わかったことがある。私は貴女から逃げていたんだ」
あちゃー。
これはあれだ。お前が一方的に入れ込んで粘着して構い倒すのに、もううんざりだから、二度と干渉しないでくれという縁切り宣言だ。もう一人前だから、いつまでも関係者ヅラして、お節介にベタベタすんな、と言い渡されるんだ。
つらいな~。
なんとなく、いつまでも一緒にいる道はあると思っていたんだけど、直接、お断りされるとダメだ。
そこまで考えて、私はさっき彼に言われたアレコレが、すとんと腑に落ちた。
ホントだ。私、この人が好きだ。
「泣かないで」
「泣いてないわ」
「はい。ハンカチ」
「ありがとう。洗って返すわ」
いや、記念にもらっておこうかな。
「好きだ。結婚して」
「わかったわ。ところでこのハンカチ…………え?」
彼は私の額に自分の額を押し付けて、言い聞かせるようにもう一度ゆっくり繰り返した。
「君が好きだ。もう逃げない」
相手の顔が近すぎてよく見えない。視界がぼやける。困った。息ができない。こんなに近いと吐息が。ああ。
「君と結婚したい。協力して」
「やらなきゃいけないことがいっぱいあるわ」
「一緒に解決しよう。君とならできる」
頭がクラクラする。自分がどう答えたかわからない。
私はぼやけてちっとも見えない目を閉じた。
両頬をつたった涙を、彼の両手が拭った。ごめんなさい。ハンカチ私が握りしめたままだわ。
§§§
「さしあたって、親にどう話すかなんだけど。今更、もう一度婚約したいって言い出すなら、それなりにプランを立てないと」
「ああ。それなら、うちの親にはもう相談した」
「えっ」
「前回の取り決め通り、君のお兄さんが宰相補佐に入るのはそのまま。賠償金も全額支払うことでいい」
「ちょっと、それってバランスが……」
「うちの父曰く、君がうちに嫁に来てくれるなら、それで十分に天秤が釣り合うってさ」
どうも今回の諸々の案件での暗躍?を知られていたらしい。うう、それは恥ずかしい。
「君と会えない日々でよく思い知ったんだが、私は君がいないとやっていけない」
「そんなことないわ。むしろ私と離れていた間に貴方、一周りも二周りも成長したと思う」
「ありがとう。でも、君の助けがあるなら、君と同じ思いで、互いの幸せのために生きられるのなら、私は一人のときの何倍も力が出せると思うんだ」
そんなことを正面から真っ直ぐ言われて、私はどうしていいかわからなくてモジモジした。
仕方ないので、私は少し話題をはぐらかすことにした。
「ところで、この話のオチって何?」
「ああ、それなんだが」
彼は、にっこり微笑んだ。
「私達の婚約誓約書、本物は無事らしい」
親族、立会人一同、全員グルで、偽物を焼いたのだそうだ。
「私の一時の気の迷いだっていうのはバレバレだったらしくてね。そういう対応にしたらしい。婚約解消の公表もなんだかんだでまだだったろう?一国の宰相職なんてやっている大人ってそういうところ汚いというか、流石だよね」
親の七光じゃなくて、実力が伴うまで下級職で経験積むので、よろしくお願いしますと頭を下げられて、私も深々と礼をした。
ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします。
もう、そうとしか言えないじゃん!!
お読みいただきありがとうございました。
感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。
よろしくお願いします。
2024年3月
主人公のお兄様の話を書きました。
「政略結婚のお相手は氷雪の翼獅子様!〜お家のために絶対に落としてみせます」
https://ncode.syosetu.com/n8933iq/
主人公はちょっぴりだけ出てきます。
ーーー
長編版を作りました。
【連載】
恋下手な翼獅子は婚約破棄なんて起こさせない
https://ncode.syosetu.com/n2438it/
基本はまったく同じ話ですが、婚約者サイドや学院の友人の話等が間に挟まります。よろしければどうぞ。
なんと!連載版では、主人公と婚約者に名前がついているぞ!!(アピールする違い、そこかい)