第参拾弐話 烏兎神話
この地に伝わる古き言い伝えによれば、この世には太古の時代には、最も強き水の龍がいたとされる。人々に水害をもたらし、長雨によって疫病を広めた龍は、人から恐れられるもその存在なくしてこの地に水の恩恵はなく、人々は龍を神として崇めた。
のちの世で『烏兎神話』と呼ばれる文献によれば、その時この地に現れたのが、双子の姉弟であったという。巫女であった姉の力により、龍の力の根源である『龍脈』の流れを四つの柱、東の『聳孤』、南の『炎駒』、西の『索冥』、北の『角端』を四方に打ち込み、力の流れを絶った。それにより弱体化した龍を湖に封じ、害なき神へと変えた。
人々は災いから救ってくれた双子を崇め、二人を『王』にして湖を中心とした国を作り上げた。民は年長者で功労者である姉の方に王になるよう勧めるが、姉は首を横に振るとこう告げた。
『…巫女は誰とも交わることができない。その霊力を四方の柱に分け与える必要があるからです。故に、血統を繋ぐことのできない私は、王に相応しくない』
『しかし、私には有能な弟がおります。今後、この国の政は、巫女の片割れの男児に任せることにいたしましょう』
決して驕らず、自らの使命に殉ずる巫女の言葉を受け、人々はその弟を王とし、その期待に応えるように弟はのちに賢王として国を繁栄させた。
のちの世に、巫女“烏師”と国王“兎君”が統治する国の名を『陰陽国』と、神話に記す。
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皇宮の外は真っ赤な夕焼けをも勝る“紅”に染まっており、そこらじゅうから逃げ惑う悲鳴が聞こえてくるが、そんな瑣末な事を気にしていられる余裕は、今の赫夜にはなかった。左耳のいつも身につけている青い石の耳飾りをしゃらり、と揺らしながらただひたすらに急ぐその先にある、皇宮の中心、紫微宮の玉座の間に向かった。きっとそこにいるであろう人々のことを思い浮かべては、頭の血管が一、二本切れそうになるのを必死に堪えながら。
鬼のような形相で玉座の裏側から現れた赫夜は、二つ並んだ玉座の内の太陽の刻印のされた方に腰掛けると、玉座の位置より低い下座に集まった集団を冷めた双眸で見下ろした。
「…無礼者どもが。頭が高いぞ」
「烏師様、いやもうそう呼ぶのも間違いですな。赫夜殿下」
武器を携えた人々を束ね最前に立つ、青龍の家紋を掲げる男が赫夜を睨みつければ、紅の双眸がカッと見開き吼えた。
「私達の苦労も何も知らない奴等がほざくな! この国の為に、朔夜がどれだけ苦しんだと思ってる!!」
「……その苦しみは、もう終わりました」
「———っ!?」
そう告げて男が赫夜の前に掲げたのは、見覚えのある艶やかな黒髪。髪の隙間から覗く赤い石の輝きは赫夜の瞳と同じ光を放ち、それによって男の手に握られているのが、愛しい者の首であることに気づいた。
「………さく、や?」
見間違えるはずはない。あの黒い髪と、赫夜と対の赤い石の耳飾り、それはあの首が双子の弟の朔夜であることを物語っていた。ぶらりと揺れる朔夜の首は固く瞳が閉じられ、驚くほど穏やかな表情で眠っているようであった。
目の前が真っ赤に、燃えている。全身の血液が沸々と燃えたぎり沸騰していくのを感じる。なのに、指先は驚くほど冷たく震えている。そして、頭の中でもう一人の自分が何度も何度も、殺せ、殺せ! と叫んでいる。それに身を任せてしまえば、後は簡単なことだ。
「…っお前ら全員、塵一つ残さず消し去ってやる!!」
そこから先の記憶は、闇に覆われている。
今回から朔夜と赫夜の過去編である『赤烏ノ章』が始まります。この後書きにも次回から過去の人物の紹介などを載せていくので、一緒によろしくお願いします。




