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魔女の息子

 母が異国の王に嫁いだのは彼女が強い魔法の力を持っていたからだった。自国で聖なる乙女として国を守っていた彼女は、近隣の大国と友好な関係を築くための道具として知らない国に送られた。俗に言う政略結婚だった。

 王には恋人がいた。魔力は弱いが高貴な産まれの美しい恋人、心根も優しく朗らかな恋人。王と恋人の間に割って入ったのが母だった。母は愛されなかった。しかし友好関係のためには母が王妃となる必要があった。そのために母は海を渡って異国に来たのだから。

 波打つ金髪の、菫色の目をした恋人を王はこの上なく愛していた。国民もまた明るく微笑む彼女を愛した。黒髪で黒い瞳の魔女は誰からも愛されなかった。ただ豪華な部屋と、心の通わないいく人もの使用人と、いくつもの贈り物があるだけだった。

 一年中暖かい気候の花の美しい国だと聞いていた。王は若く、文武に通じた壮健な男だと。夢を抱いて国を出た。母は下級貴族の出身だが、魔法一つで上り詰め、国を背負って嫁いできた。泣き言を言ったり帰れたりする状況ではなかった。ただ夢があった。王と子を成し国を守ること。強い魔力の子供を産むこと。

 いつかは愛されるようになる、今は拒絶していてもいつかはきっと。いつか、は来なかった。母は壊れてしまった。夢は絶望に、憎しみに容易く取って代わった。

 幸か不幸か、初夜しか共に過ごさなかったはずなのに母は懐妊した。王は本当に自分の子供かと疑ったが母は第一王子だと言い張った。真相は母しか知らない。私は母に良く似た黒髪に黒い瞳だった。私もまた王から愛されない子供だった。

 魔法が使えた。母の願い通り強い魔法が。私にいくら強い魔法があっても王の気持ちは母には向かない。憎しみは母の心を蝕んだ。


 王は美しい恋人を第二妃にすることに決めた。質素な結婚式で、それでも恋人はとても嬉しそうに笑った。王は妻となった恋人をより一層愛するようになった。結婚から数年で彼女は子供を産んだ。魔力は弱いが王にそっくりな可愛らしい王子を。

 「心配しないで、第一王子はあなた。魔力が強いのもあなた。」

 母は私の手を握りしめてそう言った。蒼白な顔をしていた。母の目はもう私を見ない。未来の私が大国を統べるところを見る、そして遠い母国で崇められるところを見る。

 第二妃がもう1人子供を孕んだと聞いて母は狂った。私の声はもう母には届かなかった。転移魔法で第二妃の部屋に行こうとする母の豪奢なドレスに縋った。魔法陣の中に入った私もまた二妃の部屋に転移した。

 ゆり椅子に座って腹を撫でていた二妃は突然現れた第一妃に驚いて声も出ない。お腹はもう目立つほどに膨らんでいた。小さく居心地の良さそうな部屋には奇しくも誰もいなかった。母もまた何も言わず第二妃に手をかざした。

 その後のことはあまり覚えていない。母がいけないことをしてしまう、そう思って必死で母の前に飛び出した。人を魔法で傷つけてはいけない、そう教えてくれたのはまだ笑顔のあった母だった。私を見たら魔法を止めてくれるはずだと思った。

 右半身が熱く燃えたように痛んだ。私は崩れ落ちる。第二妃の叫び声で大勢の人が部屋にやって来た。私は誰かに運ばれながら必死で母を呼んだ。茫然と立ち尽くす彼女を。狂ってしまった弱々しい彼女には私しかいない。それなのに誰かが私を連れて行く。


 目覚めた時最初に見えたのは金色の髪の毛だった。第二妃、後に私の支えとなるソフィアがずっと私に付き添ってくれてたと知った。顔の右半分が包帯で覆われている。体も右半身がずっと痛む。

 「気がついたのね、ひどく痛むでしょう。ごめんなさいね、本当にありがとう。」

 ソフィアは菫色から透明な涙をこぼして私に何度もごめんなさいとありがとうを繰り返した。母様は、と声を出そうとしたが喉が張り付いて何の声も出なかった。それを見てソフィアの顔は悲しみに歪んだ。

 「ゆっくり休んで、目が覚めたら今よりきっと良い状態になっているから。ずっと側にいますからね。」

 母様はどこにいったのだろう。どうして来てくれないのだろう。

 寝て起きてを何度繰り返しただろう。医者とソフィアとの会話から私は幼いながら自分が置かれている状況を理解した。母の魔法は命を奪うものではないものの、醜い傷が残るようなものだったようだ。私は母の前に飛び出して、自分の魔力で軌道を逸らした。たださすがに母の魔法には勝てず、右半身は逸らしきれなかった魔法を身に受けた。それで顔の右半分と半身に傷を受けた。痛みはだんだん引いて来たが、もう二度と右目の視力は戻らないことをソフィアから告げられた。彼女は私を抱きしめた。

 痛みが完全に無くなり、包帯が取れても醜い傷跡は残った。しかも不思議なことに私は魔法が使えなくなっていた。医者の話では、もともと持っていた力を全て今は体機能の再生に使っていると言う。普通の子供だったら四肢にも麻痺が残っていただろうと。確かにスムーズでは無いものの四肢は動かせた。魔力の半分を受け止めた右目は再生しなかったが。私は密かに魔力がなくなったことを喜んだ。魔力は私にとって呪いで重荷だった。

 母は遠い地に幽閉されている。表向きは体調が優れないとしてある。母の国には知られないように、秘密裏に事は処理された。私は表向き、流行病で命を落としたことになった。名前と母を捨てた。

 私もまた城から隔離されようとしていたところをソフィアが止めた。私のところに来なさい、と彼女は言った。ターヤ、と彼女は私を呼んだ。母の故郷で『光』と言う意味らしい。ソフィアに呼ばれる度に私はターヤになる。

 父親、とされている王は反対した。私を見るとあの女を思い出す、城から遠いところへやりたい、と何度もソフィアに訴えているのを聞いた。私はそっと耳を塞いでうずくまる。あの子は私たちの恩人なのよ、私だけじゃ無い、子供の、とソフィアの声だけが聞こえた。

 間も無くソフィアの子供が産まれた。菫色の瞳の、けれど顔立ちは王に似たこれまた愛らしい王子だった。慈愛に満ちた表情のソフィア、弟を覗き込む長男のイリアス、見たことのない微笑みを顔に浮かべる王、私はそれを遠くから眺めた。子供はユーリスと名づけられた。

 ソフィアは親切にしてくれるが使用人は私を空気のように扱い、イリアスは王とそっくりの顔をして私を見る。ソフィアといる時だけ心が休まったが彼女のところにはひっきりなしに訪問者があるので、私は邪魔できない。1人で部屋にいることが多くなった。

 死んだことになっている私はあまり表には出られない。もともとそう活発な方でもなかったので別に嫌ではないが、ソフィアがすまなそうにするのが心苦しい。大丈夫です、僕毎日絵本を読んでいるから楽しいです。そう言って安心させたいがあの日からなぜか舌がうまく回らない。機能は問題ないから精神的なものだろうと医者は言う。舌足らずで愚かな醜い音しか出てこない。ソフィアはまた悲しそうな顔をする。

 鏡で自分の瞳の色を見るのが私の数少ない楽しみだ。魔法で見えなくなった右目は何の悪戯か菫色に変色した。ソフィアとユーリスとお揃いの菫色。与えられた宮殿の奥の暗い部屋で私はじっと瞳の色を見る。私はターヤ、魔法なんか知らない、母親なんかいない。

 時間を見つけてはソフィアが部屋に来てくれる。ユーリスは乳母に預けてくるのだろうか、1人で来てくれる。私は絵を描いて見せたりぬいぐるみで遊んだり、元気に暮らしていることを見せつけた。実際外に出て忌まれるより1人で想像に耽っている方が気が楽だった。ずっと部屋にいる私を心配して、ソフィアは夜の裏庭に私を連れ出した。

 「いけないことをしているみたいで素敵よね。」

 彼女は夜の散歩をそう言い表した。暗闇なら私の醜さも紛れた。夜の暗闇でも彼女の美しさは月明かりに光った。ターヤは彼女の方だ。


 ターヤになってから何年も月日が経った。私の過去を知るものも少なくなり、宮殿の裏庭の奥深くに自分の家を建ててもらって暮らすようになった。私の存在を知る者は一体何人いるだろう。本を読み、食堂から食べ物を持って来て自分で料理する、昼間に外に出てももう何も言われない。誰もここにはいないからだ。

 ソフィアは時折こっそり訪ねて来てくれていたが、正式に王妃となった彼女は子供達の教育や王を支えるのに忙しい。ユーリスの下にも子供が1人産まれていた。

 穏やかに暮らしている。瞳の色はずっと菫色だ。傷跡はまだ引きつれ、痛む時もあるが塗り薬で事足りた。このまま暮らしていけるだろうかと言う不安はあるもののあまり考えないようにしている。もし出て行けと言われたらどうしようと眠れなくなる日もある。そんな日はソフィアとしたように夜に庭を散歩した。夜って落ち着くわよね、お月様が好きなの。彼女はよくそう言った。その時の表情は王や息子に見せる時よりも陰って見え、誰もしらない彼女を覗き見ている気になった。

 代わり映えしない毎日に訪問者が現れたのは少し風のある日だった。洗濯物が飛ばされるかもしれない、と心配になって外にでた。不意に茂みからがさがさと音が聞こえた。驚いて身動きが取れなくなる。茂みを目だけ動かして見つめると最初に金髪が見えた。それから四つん這いの子供、立ち上がるとその子供も驚いた顔をしてこちらを見た。菫色の瞳、ユーリスだ。

 「義兄さん。」

 聡明そうな顔に成長した子供は大人びた口調でそう言った。私は首をぶんぶん振る。義兄さんなんて呼ばれたくない。ユーリスは戸惑う私に構わず近づいてくる。

 「こんなところで暮らしているんですか?1人きりで?」

 彼は物珍しそうに私の家に入り込み、駆け出て来て楽しそうだと呟いた。

 「な、な、な。」

 私の舌は相変わらず役に立たない。何をしに来たのか聞こうとしたのに、どうしてここにいるのか訪ねたいのに哀れな音しか出てこない。

 「家庭教師の授業が退屈で。隠れながら逃げていたらここまでたどり着きました。」

 ユーリスは私の表情を呼んだのかそう言った。私を嫌がっていない様子なのはありがたいが久しぶりに人と会ったのでどうしたら良いのかわからない。

 「僕もここで暮らしてみたいです。」

 私は首を痛くなるほど振る。

 「そんなに嫌がらなくても。」

 とりあえずユーリスを家に入れて椅子に座らせた。食堂からくすねて来たクッキーがある。お湯を沸かして紅茶を入れようとしたが少年にはそれが珍しいらしかった。

 「自分でやるんですか?僕もやってみていいですか?」

 茶葉に湯を注ぐだけなのに彼はそれを慎重にした。ソフィアがくれた紅茶は甘い香りがする。

 2人で向かい合わせに椅子に腰掛けクッキーを食べる。数年ぶりにあったユーリスは健やかに成長したようだ。ますます顔だちは王に似てきているが煌く菫色は間違いなくソフィアのものだった。神経質そうに私の家を見回している。記憶にあるよりも(と言っても私の記憶の中の彼はよちよち歩きをしている頃だが)表情が硬く勘の鋭そうな印象を受ける。

 「1人で何をして過ごすんです?」

 私は口を指差して指でばつ印を作った。喋れないと伝わっただろうか。少年は目についた髪とペンを持って来た。書け、と言うことだろう。

 『読書とか。絵を描いたり。』

 「どんな本を?」

 ユーリスを書斎へ誘った。書斎と言っても屋根裏に本を積んでいるだけだが。いつか自分で棚も作ってみたいと思っている。

 「この本、僕も読んだことがあります。竜が悪者でないところが良かった。これも読みました。外国の本ですね。」

 難しい本も読んでいるらしいことに驚いた。王子たちには高度な教育が施されているようだ。一方私は宮殿の中にある書庫からこっそり本を持ち出したり、捨てる本をもらい受けたり自分でできる範囲のことしかしていない。

 「あ、続編がある。イリアスとも家庭教師とも意見が合わなくて、面白くないって言うんです。どうでした?」

 『面白かったよ。』

 書いてみせるとユーリスの顔は少し緩んだ。続けて彼は床に置いてある魔法についての本を見てそれを開いた。もう魔法は使えないのに私は書物としてそれに親しんでいた。体に塗る薬を作るのにも役立つ。

 「俺も少しは魔法が使えるんです。」

 彼の口調は無意識に砕けてきている。イリアスには敵わないけど、とユーリスは続けた。

 「魔力が弱いからすぐに負けるんだ。」

 苦々しげに言って腕をまくると細かい擦り傷が腕についていた。王子たちは勉強だけでなく魔法の訓練もしているのだろう。魔法から遠ざかって久しい私だが薬の知識は身につけている。

 地下に薬を貯めてあるのでそこから外傷に効く薬を取ってきてユーリスに塗った。少年の白い肌にきつい匂いの緑色を塗るのは気が引けたが、これはよく効くのだ。右目が見えないのでものの距離を掴みかね、傷ばかり作っていたので実証済みだ。あまりの臭いに彼は顔をしかめたが大人しく私に従っている。

 「痛みが消えた!」

 ユーリスの顔がここに来てから初めて明るくなった。王の顔に似ていると思ったが明るい表情だとソフィアを思い出させる。


 ユーリスは私に懐いた。ことあるごとに顔を見せる彼に最初は戸惑い、宮殿に帰そうとしたが彼は頑固で私のもとを去ろうとしなかった。そのうちに私もユーリスに慣れた。彼に親しんだ一番の理由は一緒にいると会話が滑らかにできることだった。ユーリスの魔法は弱いが私と相性が良く、彼が両手で私の喉元を支えると舌がうまく動くことが分かったのだ。ユーリスは私が精神に受けた呪いを解こうとしている。

 「周りの奴らは馬鹿ばっかりだ。ターヤといる方が良い。」

 神経質で利発なユーリスは友人をほとんど作らず、心配になるくらい冷たい表情をすることがある。彼の心の内には出来の良すぎる兄を持った弟の鬱屈した感情が渦巻いているのがわかる。もう小さい頃のようにわかりやすい嫉妬心を見せることはないが、言葉の端に顔を覗かせる劣等感が悲しかった。

 「同じ年頃の友達を作った方がいい。私とは剣術ごっこも魔法で遊ぶこともできないんだよ。」

 「チェスもカードもできる。」

 他の子供と遊ぶように話を向けても彼の眉間の皺が増えるだけだった。

 母であるソフィアも彼のことは気にかけているらしいが、彼曰く母様は好きだけど邪魔者が多すぎるとのことだった。母と話そうにも妹や兄、父が邪魔をすると。愛されていることは間違い無いだろうが、宮殿という場所が彼には合っていない気がした。常に兄や貴族の子供と比較され、使用人の噂の種になる。視線に敏感な彼には酷な場所だ。私の家に来るとユーリスの肉体が弛緩するのを感じる。

 ソフィアの話では家族の前では無口らしいユーリスだが、私の前では能弁だった。絵を描いたり、音楽を聴いたり、お気に入りの本を読んだりして過ごした。私の横でユーリスが穏やかな寝顔を見せる時、気性の荒い獣が懐いたかのような奇妙な充足が心の中に湧き上がる。ユーリスは私に父や兄や友人といった全ての役目を求め、私もまたそれに応えることで足りない何かを満たした。

 今日もまた疲れ果てたユーリスが足取り重く私の家にやってくる。剣術大会だったらしいが結果については何も言わず、ただ空虚な目をして椅子にだらしなく腰掛けた。

 近くに寄るといつものように喉元を支えてくれようとする。魔力を使うのは疲れるだろうと私はその手をやんわり遮った。

 「良いから。」

 ユーリスは少し乱暴に私に手を伸ばした。

 「怪我は?疲れた顔をしている。」

 向かい合った私たちは側から見たらおかしな格好で会話をしている。ユーリスが私の首を絞めようとしているように見えるだろうか。

 「大丈夫だ。」

 「何か飲みたいものはある?」

 立ち上がろうとするが手が離れない。ユーリスは首を振る。

 「イリアスが、ここに行くのをもう止めろと言ってきた。父がどう思っているか考えろと。」

 王の射るような視線を思い出す、イリアスの侮蔑の表情も。

 「お父様に気に入られたいならもう止めろってあいつはそう言ったんだ。」

 「そうか…。」

 私はそれ以外何も言えない。年下の友人が何を思っているのかもわからない。

 「何故あんたは怒らないんだ。母上と俺を助けたのはあなたなのに、王の血を引いているのに、この仕打ちはなんだ。」

 彼は怒っているのだった。静かに、静かに怒りを煮やすのが彼のやり方だった。冷静に見える瞳の奥に冷たい色の炎がある。

 「良いんだ。私は望んでここにいるんだし、親切にしてくれる人だっている。」

 不思議とあの日から今まで怒りに支配されたことはない。母が幽閉されたと聞いた時、半身が傷で覆われていると知った時、死んだことにすると告げられた時、心の中にあったのは諦めに近い感情だった。私は母の魔法で半分死んだのだろう。抗議する力も泣き叫ぶような余力も私にはなかった。

 「王様のお気持ちもわかる。私を見ると思い出してしまうんだろう。お父様を憎むものでは無いよ。」

 私の代わりにユーリスは怒り、憎んでいるのだった。私達は長い間一緒にいすぎたのかもしれない。

 「君だっていつかはこのままじゃいられなくなる。」

 王が国を守り、王弟はそれを支える。彼は将来兄の右腕として働くことになる。王は宮殿で職務を果たし、王弟は与えられた領地で職務に就く。いつまでも私とだけ親しんでいるわけにはいかないのだ。

 「そんなことない、俺はずっとターヤと一緒にいる。」

 幼い頃の彼が帰って来たような気がした。兄に勉強や魔法で負けた日、決まって泣きそうな顔をして家に来た。ターヤがいるから良い、俺にはターヤがいるから、と震えながら言っていた。いつしか上手に仮面を被れるようになっていたのに、脆い仮面は兄の言葉一つで剥がれ落ちた。

 ユーリスは昔そうしたように私を抱きしめた。私もまた彼を受け止める。あらわになった怒りや悲しみが胸に刺さった。お互いにお互いしかいないような関係は強固なようで儚い。


 「ターヤのおかげであれでも随分社交的になったのよ。」

 久しぶりにソフィアが私に会いに来てくれた。歳を重ねても彼女の身のうちから溢れる煌めきは衰えない。自然と話はユーリスについてになる。

 「本当はもっとイリアスやユナと仲良くして欲しいのだけれど、気が合わないのはしょうがないわね。」

 『心配ないですよ。』

 何がどうと言う解決策はわからないものの、ソフィアが思い悩んでいる姿を見るのが嫌でそう書いた。

 「ありがとう。あなたがいなければあの子きっともっと寂しかったでしょうね。ユナが小さくて病気がちだったからあまり構ってもあげれなくて。乳母や使用人のことは嫌がるし。」

 他人に対して壁を作ってしまう性質がユーリスにはあった。そう考えるといくら半分血が繋がっているとは言え私にすぐ慣れたのは不思議なことだった。話に聞くところによると兄のイリアスは社交的で、弟と遊ぶより家臣の子供達と遊ぶ方が楽しかったようだ。ユーリスは他人を警戒し、兄は容易に親しむ。そんなところまで2人は対照的だつた。

 「陛下は初めからイリアスが次の王にふさわしいと考えていらして、イリアスにばかり目をかけるの。国王としては正しい判断だけれど、父親として…。」

 そこまで言いかけてソフィアは口を閉ざした。私にもまた真偽はどうあれ王の血が流れていることを思い出したのだろう。私とソフィアは親子と言うよりもう歳の離れた友人になりつつあり、お互いの立場を忘れがちだ。ソフィアの子育ての悩みを私は何度聞いただろう。手がかからなかった長男、気難しい次男、病弱な初めての女の子、私は彼らのことをよく知っている。

 「イリアスがけしてユーリスに意地悪をするわけじゃないの、ただ理解できないのよ。優しい子なのに、弟にだけは厳しい一面があって。」

 自分の弟なのだからもっとできるはず、王の血を継いでいるのだからと言う意識がどこかにあるのだろうか。だとすれば私はイリアスから一番嫌われる存在だろう。

 「ユーリスもいいところがたくさんあるのにイリアスの土俵では勝てないから悔しい思いをするのよ。うまくいかないわね。」

 皆イリアスの味方なんだと幼い頃にはよくそう言った。ユーリスにとって兄はいつまでも超えられない壁であり、妹は小さくて邪魔な生き物らしい。

 「あなたがいてくれて本当に良かった。」

 ソフィアはそう言ってくれるがそうなのだろうか?自分の存在のせいでユーリスは世間に対してより硬く心を閉ざしてしまったかのように思える。ターヤは俺の味方だよね?と涙を目にいっぱい溜めていた顔が忘れられない。

 『私も楽しいです。』

 結局それだけ書いてソフィアに見せた。実際読んだ本のことを語り合える人がいること、作ったものを食べる人間がいること、ボードゲームに興じられることは私を退屈から救い、慰めた。そしてそれを許してくれているのはユーリスの嫌う王だった。この関係を賛成しているわけではないようだが、無理にやめさせようともしていない。

 「ごめんさない、私のことばかり。こんなこと他の人には言えないから。」

 ソフィアなら相談相手などたくさんいるだろうにこんなことを言ってくれる。彼女の気遣いが嬉しかった。

 だからといって外に出ない私は世間のことなどユーリスの口から聞き知るしかないのだ。特に新しい何かをするわけでもない。私の話など聞いても同じ毎日の繰り返しでしかないのに、ソフィアは今日は何をしていたのかとかなんの本を最近読んだかと聞いてくれる。ユーリスもまた私の話を好んだ。菫色の瞳が私を見つめる。時々どちらに話したか混同することがある。

 美しい親子だと思う、顔貌だけではなく心根が。ソフィアの純粋さと無垢なところはユーリスに通じるものがある。王族として生きるには彼は純粋過ぎた。もっと大人になればうまく生きていくことができるだろうか。


 イリアスが正式に次期国王として発表された。宮殿はどことなく浮き足立っている。ユーリスは兄の言葉に従ったのか、私の家に来る頻度が減った。父や兄に気に入られている方が後々役に立つのだと彼は言った。寂しさはあるが大人の仲間入りをしていく彼を見ているとこれで良かったのだと思う。

 時間の止まった私の家でずっと子供時代を過ごすわけにはいかない。優秀な王族をこんな裏庭に匿っておけるものではなかった。剣術にも性を出しているらしく会うたびに逞しくなる。最近は兄に勝つこともあるとユーリスは言うがそれほど嬉しそうではない。ボードゲームで私を困らせている方がよっぽど楽しそうだ。

 体は強くなり、知性にも磨きがかかっているユーリスだが菫色の瞳が陰っているのを私は知っている。少年時代にはなかった色で私を見る。魔法が使えれば何を考えているかわかるだろうか。

 成人式の後に彼はこっそり私の家に現れた。酒を呑んだのだろう、少し赤い顔をして深夜に家の扉を叩いた。こんな時間にどうしたのか尋ねるとこんな時間にしか来れなかったと答えた。成人の宴会はまだ続いているのかもしれない。

 「おめでとうを言ってくれないのか?」

 慌てておめでとう、と言うと彼は笑って私を抱きしめた。酒の匂いがした。そのまま家に入り、ソファに2人で並んで座った。

 「まだ寝てなかったんだな。」

 「君に起こされたんだよ。随分呑んだみたいだ。」

 闇の中でもユーリスの目はきらきら光った。もう大人の顔をしている。

 「成人したら領地を任される。ここに来れるのもあと少しだ。」

 領地を与えられ、そこに城を建てて暮らすことになる。ユーリスの手が触れているはずなのに私の舌はうまく動かなくなる。

 「寂しいだろ?ターヤ。」

 答えない私にユーリスは苛立ち手の力を強めた。

 「寂しいって言えよ。」

 彼は酷く酔っているのだ。でなければこんなことをするような子じゃない。さ、び、しい、となんとか絞り出すと満足して手の力が緩んだ。

 「俺がいなくなったらあんたは独りぼっちだ。」

 「慣れてるさ。」

 顔をしかめたのがわかる。

 「北の領地に守りが必要だと父に言われた。今は叔父が守っているが、叔父には子供が無いから俺が適任なんだろう。」

 北の果てには隣国に睨みを利かす立派な山城があると聞いたことがある。山育ちの兵士は勇敢で怖いもの知らずだそうだ。書物に埋もれているのが好きなユーリスが兵士を率いて戦う所は想像もつかない。昔のユーリスなら泣いて嫌がりそうだが今目の前にいる若者なら立派にやり遂げそうだ。

 「馬で4日くらいかかる。北に行ったらそれっきりだ。祝い事には呼び寄せられるがな。」

 遠い土地だ。私は北の土地に想いを馳せる。しばらく2人して黙って夜の気配に耳を澄ませた。

 「ターヤ、言わなきゃいけないことがある。」

 暗闇で菫色の瞳は見えない。

 「あんたの母さんは北の領地に幽閉されている。叔父が今まで管理してたんだ。もし俺が北の守りに成ったら母さんを解放することだってできる。」

 母親?私に母親がいただろうか。遠い記憶を引き摺り出そうとして頭が痛く成る。私はターヤ、菫色の瞳の、魔法の使えないターヤ。

 「会いたいか?あんたが会いたいなら俺は…」

 「やめてくれ。」

 思ったより大きな声が出た。

 「もう思い出せないんだ。どんな人だったか忘れてしまった。それに君を殺そうとしたんだぞ、危険すぎる。私は生きていることだって知らなかった。今のままで良いんだ、満足だから、もう私のことは放っておいてくれ。」

  ユーリスは黙っている。表情が分からなくて怖い。

 「俺があんたを放って置けると思うか?」

 「どういう意味だ。」

 彼は私を引き寄せて唇を吸った。首を押さえられている私は抵抗できない。一瞬で柔らかいそれは離れた。

 「こういう意味。」

 「馬鹿な、兄弟だぞ。」

 月の明かりが差し込んでユーリスの表情がようやくわかった。笑っている。珍しく上機嫌だ。

 「関係あるもんか。半分だけだし。」

 それで?と男は私の顔を覗き込んでくる。

 「なんだよ。」

 「どうだった?ターヤは俺のこと好きか?」

 顔が熱くなる。ユーリスは満足そうだ。

 「まあいいや、ゆっくり考えてくれ。と言っても俺が北に行くまでからあまり時間はないけどな。」

 言いたいことだけ言って男は風のように去った。私の返事を恐れたのかもしれない。言わなければいけないこと、とは母のことだったのかユーリスの気持ちだったのか。

 ユーリスのせいで頭痛は治まったが違う厄介ごとが頭を支配した。母の行方、ユーリスのこと、今から布団に戻ってももう眠れないだろう。


 ユーリスが私のことを好きだというのは勘違いではないだろうか。彼は自分のパーソナルスペースに人を入れないから、偶然入り込んだ私に興味が向いているだけで誰かいい人がいればそちらに気持ちが向くだろう。イリアスの結婚相手を探すためのパーティーが日夜行われていると聞いた。ユーリスも顔を出しているようだからどこかの令嬢とダンスしたりお茶を飲んだりするのだろう。その中で好きな人ができるかもしれない。そうしたら私への気持ちは勘違いだと気がつくはずだ。

 私は罪を犯した女の子供で、隠された子供だ。半身は焼け爛れ引き攣れているしそうでなくとも凡庸な顔をしている。小さい頃から見慣れているからとはいえよく躊躇いもなくキスしたなと思う。醜い魔法の上をユーリスの唇が、触れた。私は感触を思い出して赤面する。

 第一許される訳がない。ユーリスは王の怒りを知らないからあんなに平然と好きだなどと言えるのだ。子供を残せない男を好きになったと誰かに知られたら、しかもその相手がよりによって私だと知られたら。王は今度こそ私を殺すかもしれない。背筋が寒く成ってきた。平穏に暮らしていきたいだけなのに、何も知らないで勝手に思いだけぶつけてきて、ユーリスに腹が立ってきた。

 ユーリスについて思い悩むのと同時に過去の記憶も蘇ってきた。幼い頃の記憶だ。ターヤに成った時から封じ込めていた記憶が母の生存を聞いた時からぽろぽろとこぼれ出てくる。

 「○○、おいで。魔法の使い方を練習しようね。」

 紅茶を淹れている時、本を読んでいるとき、お構いなしに記憶が溢れる。その度息を詰めて忘れないように何度も思い出した。母の優しい匂い、黒くて長い艶やかな髪の毛、白い肌。そして何より耳の奥をくすぐるような温かい声。

 「お前はすごいねえ。まだ小さいのにたくさん魔法が使えて。」

 母は私に夢を見ていたのだ。魔法でこの国を統べる王に私がなるだろうという夢。母の名が世界に轟くだろうという夢。しかし現実は母の消息を尋ねる人もなく、私は魔法を忘れた。

 王にすげなくされて憔悴する母を思い出すと胸が詰まる。椅子に腰掛け項垂れる母の背に縋り付いてその悲しみを分け合った。どんどん細くなる腰、キツくなる眼差し。私への教育にも熱がこもった。

 ただ幸せになることを願ってこの国に来たのに彼女は必要とされなかった。故郷では魔法は絶対的な力を持っていたが、この国では魔法への関心が低い。そのことも彼女を傷つけた。飾りだけの王妃であり、お飾りの生活だった。身分が低いために故郷でも厄介者だった彼女は別の国でも腫れ物扱いだった。寂しかったのだ。寂しさは精神を蝕んだ。しかしどんな理由があろうとも人を傷つけてはいけない。

 母に関しての記憶は思い出せてきているが自分の名前だけが思い出せない。2文字だったか、3文字だったか。柔らかい母の声に乗って、記憶が出てこないかと頭を掻き回す。私は自分自身に魔法でもかけたのだろうか。私はターヤだと。

 ユーリスのこと、母のことを考え続けて疲れてしまった。それでも残酷に時は過ぎ、ある日手紙が窓辺に置かれているのを見つけた。ユーリスが置いて行ったのだろう。

 『俺のことが好きなら明日の晩に正装して待っていてくれ。ユーリス』

 簡素な手紙に丁寧な文字が書いてあった。言葉が足りないし、意味がわからない。腹が立つ。大体、正装する目的を教えてくれないと何が何だかわからない。好きか嫌いかなんてすっぱりと決められるようなものじゃないし、突然キスされて混乱したままなのにどうしてこうも勝手なのか。しかも明日の晩なんて急すぎる。

 それでも頭の片隅で正装なんてあっただろうかと考える自分がいた。ユーリスは本気なんだろうか。彼は昔から聡明な子供だったけれど、心の中で何を考えているのかわからないところがあった。私の前では解れていたけれど、近年では私の前でも仏頂面だった。思春期特有の何かを抱えているのだろうと気にしないようにしていたが。

 ある可能性を思いついて顔が熱い。仏頂面で隠していたのは私への思慕か。今まで近しい距離感で話していたのが急に恥ずかしくなる。ユーリス、こんな男を好きになるなんて君はなんて馬鹿なんだ!いや、馬鹿は気が付かなかった私か。喉に触れられた手の感触、だんだん大きくなるユーリス、自分だけに向けられた笑顔。王族を箱庭に閉じ込めているという密かな喜びが私にはあった。ユーリスが私を思うのとは違う、暗い粘着質な愉しみ。この感情を恋愛と呼ぶなら私もユーリスへ抱くものがあったということだ。

 勘違いだとユーリスが気がついたらそれはそれで良い。許されず王に殺されそうに成ったらなんとかして1人で逃げよう。ユーリスについて行ったら母に会えるだろうか。私は決心を固めつつあった。

 箪笥の奥深くから昔ソフィアがくれた深い緑色の服を見つけた。丈を直して裾をもう少し継ぎ足せばなんとかまだ体に入るだろう。様々な懸念を拭捨てて私は年代物のミシンの前に座った。手を動かしているうちは何も余計なことを考えなくて済む。カタカタという柔らかい音が夕方まで続いた。


 正装に身を包んだ私を見つけたユーリスはにやりと笑った。

 「こうなるとわかってた。行くぞ、サキヤ。」

 「え?」

 「あんたの本当の名前。」

 彼は私の手を掴んで走り出す。彼の魔法は弱いはずなのに体は簡単に宙を舞った。

 「一体どういうことだ!?」

 「俺達は相性が最高に良い!」

 風に飛ばされないように大声でユーリスは言った。いつの間にか私はユーリスの補助がなくても言葉を発していた。

 「サキヤ!俺から離れるな!」

 私達は夜の闇を駆けた。

まだ続きます。読んでいただいてありがとうございます。

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