・もうないよ
「な、何者――えっ、ユリウス様!?」
「すまん、少し邪魔をする」
男はボロボロだった。まあそれもそうだろう。
ソイツが白の棺の強奪を狙った仲間なのだから、どうにかして情報を得ようとここの連中も必死だったろう。
「どうした、ユリウス。顔色が悪いぞ……?」
打撲痕だらけだというのに、陰湿で意地の悪い声が男の喉から吐き出されていた。
「転移門が奪われた」
「だからなんだ? どこにあるのか教えて下さい、とでも言うのか?」
「さらには国境にヒューマンの軍勢まで現れた」
「おお、やっときたか……」
男は安堵したように本音を吐露した。
俺はその言葉を聞いて疑惑をさらに深めた。以前より疑いを持っていた部分に目を向けて、確証はないがそれを掴んでみた。
「痛っっ、何しやがるっ?!」
「……何か変だ」
「離しやがれっ、負け犬! テメェらはこれから滅ぼされるんだよっ!!」
この耳、何かが変だ。体温は感じられるが、触れてみると少し硬い……。
あのダイニングの夫婦の証言によると、こいつらは頭痛持ちが多かったという。
エルフがエルフをヒューマンに売った。だが、ここまでするか?
エルフには自分の国を滅ぼす理由がない。ロキシスのように金に目がくらんだ者がいたとしても、国を売るようなことだけはしないはずだ。
俺はヤツの耳から手を離し、ヤツが油断したところでその背後へと飛んだ。
狙いは耳の先端だ。聖剣を振り下ろし、耳の先だけを切っ先で切断してやった。
「ユリウス様、何を……っ!? あ、あれ……?」
男の耳からは血が一滴も流れなかった。
見張りが切断された耳の切っ先を恐る恐る拾い上げると、彼はまた声を上げた。
「これは、作り物……っ!? ということは、この男……っっ!?」
「ああ、コイツはヒューマンだな。まんまと騙された」
複雑なトリックを組んだ犯人というのは、そのトリックが見抜かれるのを心のどこかで期待しているという。事実その男もそうだった。
エルフに化けたヒューマンというなりすましが明るみになったというのに、狂ったように男は笑っていた。
「よく気付いたな、ユリウス・カサエル……」
「確証はなかった。だが、エルフがエルフを裏切るとは、俺には信じられなかった」
「てめぇ、エルフがそんなに大事かよ?」
「ああ」
「なんでだ? こいつらはよ、1000年だって平気で生きる怪物どもだぜ?」
「そう思ったことはない。むしろ羨ましいと思う」
「違うな。生まれ付きの魔法の才能を持っているくせに、ただ滅びを待つだけのお高く止まった負け犬。それがエルフ族だろ?」
俺はそのエルフ族を救った。緩やかに滅び行く種族に、かつての栄光を取り戻させた。生まれ付きの高い魔力を持つ俺には、エルフが自分と同じ存在に見えたからだ。
この男はそれが気に入らない。だから俺を、裏切り者だとなじった。
「アンタ、自分の耳はどうした……?」
「俺の耳? もうないよ。テメェらを滅ぼせるなら、安いもんだろ……?」
「コ、コイツ、狂っている……っ」
体温を持つ偽物の耳。構造を想像するだけでおぞましい……。
エルフに化けるために耳を切れと命じるコイツのバックも、コイツ自身も、理解しがたい……。
「なぜロキシスを殺した?」
「裏切ったからだ」
「なぜ裏切った?」
「契約に従ったくせに、仲間を売りたくないとぼやき出したんだ。どうしても従わないから、始末することになった」
「だったらロキシスは英雄だな」
「ふんっ、最後だから教えてやるよ、俺はガルツランドの工作員だ。転移門の停止と、強奪を命じられた」
正体不明の軍勢の正体を彼が明かしてくれた。
全てはそのガルツランドの陰謀であり、ロキシスは妹とシャンバラを裏切ってなどいなかったのだと。
「転移門さえ止めちまえばこっちのものだ。エルフごと滅びろ、裏切り者」
「ヒューマンがエルフの味方をして何が悪い?」
「全部だっ! テメェはヒューマンを滅ぼすつもりかよっっ!!」
そう言われて、『ああ、もう始まっているのか』と思った。
もう1人のシェラハゾがあの箱船で見せてくれたあの未来は、もうその序章が始まっているのだと強く実感した。
揺りかごは失われた。揺りかごはあまりに性質の異なる2つの種族を、隔てる意味も持っていたのだろう。
「エルフだからエルフの味方。ヒューマンだからヒューマンの味方。そもそもその考え方が間違いだ。俺は死んでもこのシャンバラを守り抜く、それが俺の人生だ」
ヤツは怒った。
その理性なき罵声を無視して、俺は市長邸ではなく己の錬金術工房へと戻った。
今回の敵ガルツランドには話が通じない。
そんな連中を黙らせるための道具が必要だった。




