・揺りかご無き世界
転移門。それそのものが1つの要塞だ。
タンタルスからの襲撃を迎え撃つために、常に臨戦態勢に入れるように兵たちが詰めている。
そんな場所の中枢から、果たして白の棺を奪い取れるものなのだろうか。
棺を運び出すにしてもあの大きさと重さでは、多頭立ての馬車が必要になる。どうやって秘密裏にそんなものを外に運び出す?
「ユリウス、様……私、などより、奪われた、棺……」
「それはアルヴィンスが合流してからだ」
だが現実として、転移門の中枢から白の棺が消えた。
あるのは血溜まりと、見張りの死体と、全体の2割にも満たない生き残りだけだ。俺はその2割をまず生かすことを優先した。
「ユリウス様……。貴方は、正しく、我々の救世主だ……っ!」
「大丈夫か? ゆっくりでいいから、ここで何があったのか教えてくれ」
敵の誤算はエリクサーだ。口封じに警備兵を皆殺しにつもりだったようだが、奇跡のぷにぷにが死にかけを健康体の情報提供者に変えた。
生き残ったのは2名。もう1人はエリクサーを与えてもダメだった。
「裏切りです……」
「ミーズリルの他に共犯がいたのか……?」
「ミーズリルをご存じなのですか? 彼はしばらく前から仕事に現れなくていましたが……」
「その話はいい。それよりも誰が裏切った? やつらはどうやって、あんなでかい物を盗んだんだ?」
「新任のマリク、ゾゾ、アルホースの3人です。マリクが見知らぬ者たちを中へと招き入れて、ゾゾとアルホースが仲間の背中を刺したのです!」
生き残った兵たちは裏切り者に怒りを燃やしていたが、俺の方は疑問の方が勝った。
なぜ、エルフがエルフを裏切るのか。ヒューマンの国に白の棺を奪われることは、自分たちの身を危うくするだけだ。
迷いの砂漠が消えた今、シャンバラはかつてよりもずっと危うい状況にある。裏切る理由がわからなかった。
「外から馬の鳴き声が聞こえました。恐らくは転移門への搬入用のルートを使ったのではないかと……」
「それが本当なら――」
搬入ルートの方にも裏切り者がいる。
生き残ってる者がいると信じて、そっちにも薬を持って行かなければ――
「おう、バカ弟子。そっちの連中ならこっちでフォローしといたぜ」
「師匠……? 早いですね……」
「う、嘘……こっちも、やられちゃってる……」
しかし薬の保管庫を聞こうとする前に、アルヴィンスとサンディが俺の右隣に転移してきた。当然、転移魔法使いに慣れていない兵たちはそれに驚いていた。
「あっちの生き残りは1人だけだ。ソイツによると、4時間前に馬車が外に飛び出していったそうだ。まさかそれが白の棺だったとはな……」
「なんで……なんで、うちらを裏切るの……? 同じ、エルフなのに……」
慰めてやれと師匠が目配せするので、まだ小さなサンディを俺は少し乱暴に抱き寄せた。
クズクズなどしていられない状況ではあったが、こうなってしまっては転移魔法の天才であるサンディの力が必要だ。
「国境を封鎖――でいいんだよな、バカ弟子?」
「ええ、賛成です。シャンバラの広大な国土と、樹海化に助けられましたね」
白の棺は重く巨大だ。これを運搬するには馬車が必要で、馬車は悪路である樹海を抜けられない。つまり、敵は必ず国境を通らなければならない。
「俺は南をやる。サンディは東だ。バカ弟子は北と西の国境に伝令を頼む」
「じゃあ、ジィジのところに戻って書簡――」
「いらねぇだろ、このメンツならよ」
そう言いながらアルヴィンスが俺に耳打ちをした。
『報告したから嫁さんところに帰ろうなんて考えんじゃねぇぞ。北と西は任せたからな』
それは師匠なりの弟子への愛情だった。
仕事を終わらせたら、弟子であり孫弟子であるサンディを家に帰したいというアルヴィンスのやさしさだった。
「そんなことは言われなくともわかっていますよ。それより、師匠こそ……その格好で行くんですか……?」
「そうよっ、パジャマのままでいいのっ!?」
「ヒャハハハッ、パリッとした格好で行っても説得力がねーだろ!?」
白の棺はまんまと敵の手により奪われた。
強奪不能と思われていたエルフの秘宝は、エルフの裏切りにより実現されてしまった。
俺たちは情報を共有すると、世界の裏側へともぐり込み、北と南と西へとそれぞれが背中を向けて歩き出した。
これはサンディの――いや、カサエル三姉妹のお手柄だ。
彼女たちのエヴァンスの願いに応じなければ、白の棺はまんまと国外に運び出され、何かとんでもない使い方をされることになっていた。
転移門は俺たちに栄光をもたらすと当時に、最も脆弱な弱点でもある。
たとえ敵が何者であろうとも、白の棺だけは渡せなかった。
転移門による同盟、転移門による迎撃体勢、転移門による流通網は、数に劣るエルフたちがヒューマンと対等に渡り合うために必要だ。
・
「やあ、ずいぶんとお疲れみたいだね。あっ……!? お、おい……っ?!」
「やっと、きてくれたのか……グラフ」
夜が明けて早朝。指揮官兼伝令として北部から西部に戻ると、コンクルで構築された白亜の国境砦に、グラフの爽やかな笑顔があった。
そんな彼女の姿を見たら、俺は泣きつくようにグラフを胸に抱き込んでいた。
「や、止めろ……っ、人前でそういうのはっ、止めろ恥ずかしいだろ……っっ?!」
「すまん……。だが、きてくれて嬉しい……」
「それはわかったからっ、仕事とプライベートは分けろっ、君らしくもない……っっ」
「そうだな……」
忘れていた。グラフは外面を気にするタイプだ。
彼女は元々兵士であったし、その麗しさから男女問わずファンが多い。彼女もそれを当然のものとして受け入れている。
だから旦那とデレデレしている姿を見せて、かわいいファンを失望させたくないのだろう。
「ユリウス、それでは封鎖は?」
「完璧だと思う。だがすぐに増員をして、裏切り者が出ても排除できるようにしておきたい」
「裏切り者か……。ボクは今でも信じられないよ、エルフがエルフをヒューマンに売るなんて、ボクの生涯でも、そんなの数えるほどしかなかった……」
肩を叩いて慰めると、グラフはたくましくも胸を張って凛とした白百合のグライオフェンに戻った。あの女王アストライアが懐刀にしていたのも納得の頼もしさだった。
「ここはボクに任せて君は少し休め」
「だが、事態が急に動くかもしれない。ここで休んだ方が――」
「君が帰ればスクルズもウルドも安心する。サンディも自分だけ仲間外れにされたと、ブーブー文句を言っていたぞ」
「子供がするべき仕事じゃない」
「うん、そうだね……。でも、きっと彼女の才能がそうさせるんだよ」
「それはある。昨晩は俺もアルヴィンスもつい、彼女の才能を頼ってしまった」
サンディは有能だ。だからこそ困る。
つい子供がするべきではない仕事を任せてしまう。
「ユリウス。君の才能を引き継いだサンディは、この先も誰かに頼られ、その願いにまっすぐに応じて生きてゆくと思う。あの子はそういう子だ。だから帰れ、休む君の姿をサンディに見せるんだ」
家の外だとグラフは男前で、いかにも友人に欲しくなるようないい女だった。
俺は彼女と男同士がするようにハイタッチをして、必要はないのだが別れのために背を向けた。
「いつこっちに帰れる?」
「この問題を君が片付けてくれれば、すぐにでも」
「わかった、どうにかしてみせよう」
互いに笑い返して、俺は世界の裏側に身を投じた。
そして果てしなく続く平面の世界を歩き、やがて己のベッドの前に転移すると、糸が切れたようにそこに倒れて重い眠気に身を任せた。
書籍版1巻、7月29日発売です!
活動報告などでパッケージの紹介もしています。
どうかお財布に余裕があれば、予約なり購入を検討していただけるとありがたいです。
コミカライズの話まだきてないので、
1巻の売り上げがコミカライズ化にも繋がります。




