・エピローグ 2/4 硝子の墓標
「ユリウス、寝不足……?」
「まあ、そりゃな……」
あの箱船を出た後のことを話そう。
「ふふふっ、大丈夫よ。だって今はみんなが寝不足だもの」
「フフ……古代の女王陛下も粋な置きみやげをしてくれたものだね。おかげでこっちは……あふ……。眠いよ……」
そう、女王シェラハはとんでもない置きみやげを残して散っていった。それは緑だ。今日まで吸い上げてきた大地のエネルギーを彼女は地上に返還した。
砂の砂漠が潤いに満ちた豊かな土へと変わり、芽が芽吹き、双葉が割れ、植物たちが爆発的に大地を覆い尽くしていった。
砂岩の家は根に浸食され、壁中を緑のカーテンに包まれてしまった。
石の家もまあ同様だ。どこの家も植物に家の中まで入り込まれ、浸食され、バカにできない損害が出た。
シャンバラは深い森になった。整備された道も浸食され、かつてそこが道であったという目印程度にしかならなくなった。都市機能がほぼ完全に麻痺し、オアシスとオアシスの繋がりが断たれた。
「でも、ぶっちゃけ……加減して欲しかった……。もう一人の姉さん、やり過ぎ……」
「あたしは許すわ。だって、砂漠がなくなっちゃったのは寂しいけれど……緑の匂いがこんなにいっぱい! ここはなんて素敵な世界なのかしら!」
「ま、じきに落ち着くさ。ユリウスのがんばり次第だけど」
で、俺たちがどうしたかというと、今も問題が片付いていない。
シャンバラは恐ろしく広大だ。その大地の全てが深い森に飲み込まれたとあっては、とてもではないが1ヶ月程度で復旧できるものではなかった。
しかし見ての通り、ヒューマン目線では大災害にも見えるこの事態を、シャンバラのエルフたちは喜んで受け入れていた。
だから俺は朝から晩まで、魔法の斧やノコギリ、ハードワークを可能とするスタミナポーションや、除草剤を錬金術の力で造っている。
緑を蘇らせるのが夢だったのに、それが今は新街道に撒くための除草剤を作っているだなんて、もう何から何まであべこべだ。
「大丈夫、ユリウス?」
「前見て歩かないと、危ないよ……?」
「すまん、ちょっとよろけた」
俺たちは森の中を歩いている。いやどこもかしこも森なのでもっと具体的に言うべきか。
俺たちはもう1度、あのパンドーラの棺に向かって歩いている。
「まだ義手に慣れないのか……? 片腕のない君を見たとき、ボクは泣きそうになった……」
「同意……。ていうか、泣いてたし……」
腕を失った俺は魔法の義手を作った。まだ少しぎこちないが意のままに指が動く。だが物に触れても感覚がないのが妙な感じだった。
「な、泣いてなんかいないよっ!」
「いや泣いていたな」
「そうね、泣いてたわね」
「だって、君たちと一緒に行けなかったのが悔しかったんだっっ!」
「きっと定員が4人だったんだろう。夫である俺。もう1人の自分であるシェラハ。妹として共に育ったメープル。そして父であり、シャンバラを今日まで守り続けてきた男シャムシエル。枠がもう1つあったら、そこにグラフが入っていたんじゃないか?」
「本当……?」
「ええ、あたしもそう思うわ」
「あと、わがままに、巻き込みたくなかったのかも……」
俺たちは森を進んだ。久々に一緒に過ごせる休暇をハイキング感覚で楽しみながら、森の果てを目指した。
やがて森を抜け、その先に美しいガラスの大地が現れた。
すり鉢状になった広大なガラス化地帯を俺たちは慎重に下り、その先に設けられたガラスの墓標の前に立った。その墓には名が刻まれていない。名を刻むわけにはいかなかった。
「始祖様……ううん、姉さん……。遅くなってごめんね……」
コモンエルフと箱船。女王シェラハの本当の役割は、彼らを守りつつ、過去へと世界を戻すという夢を叶えることだった。パンドーラの棺の奥深くには、数え切れないほどの白の棺が眠っている。
だがそんな事実は存在してはならない。
シャンバラの砂漠化はあくまで原因不明の災害であり、断じてエルフの女王が俺たちを裏切ったのが真実であってはならなかった。
「あなたがやり過ぎたのがいけないのよ。もう、地上は今大変なんだから……」
「いいじゃないか。灼熱の日差しも酷寒の夜もなくなった。迷いの砂漠もだけれどね……」
「グラフ、その話は今は止めてくれ、頭痛の種だ……」
シャンバラはかけがえのないものを手に入れたが、いくつかの利権と安全保障を失った。今のシャンバラはフリーパスだ。人間たち外敵がこの森に入り込めてしまう。
今日までエルフが独占してきた砂漠を越えての交易網も、これから失われてゆく。
だから俺たちは急ぎ森を拓き、街道を造り、各地のコロニーや国境砦との繋がりを復旧しなければならない。
「しょうがないわ。上手く言えないけれど……赤ちゃんだっていずれ揺り籠から卒業して、自分で立たなければいけないでしょ。迷いの砂漠は女王様があたしたちを守ってきてくれた証拠よ。あの人の揺り籠から、エルフが立ち上がる日が来たのよ」
「姉さん、いいこと言うね……。まるで、本当の女王様みたい……」
危機は去った。夢も突然叶った。だが問題は山済みだ。俺たちを今日まで守ってくれた母親のような存在が、シャンバラから消えてしまった。俺たちには新しい役割や夢が必要だ。
祈りを捧げ、考え続けた。新しい夢、新しい役割について。
「お腹、すいた……」
「……ああ。すまん、もう少しだけ」
「別にいい……。でも教えて、何、祈ってるの……?」
「大したことじゃない。ただ……彼女のもう1つの夢を、叶えてやりたいと思っただけだ。彼女は箱船の守護者だった。せめてその夢が遙か未来で叶うといいなと……そう思った」
口には出さず、心の中で俺は墓標に誓った。
どうにか方法を探して、コモンエルフの箱船を未来に届ける手伝いをしたい。だがこの重い誓いを口に出せば、シェラハたちをも縛ることになるだろう。
俺は彼女の遺した箱船を守りたい。それが俺の新しい、だが叶うはずもない夢と役割になっていった。
・
あの運命の日より2ヶ月が経った。人海戦術で街道を整備し、どうにか大半のコロニーとの接続が完了した。
畑が森に飲まれ、木々に日光を遮られ、次の収穫は凶作どころではなさそうだ。
「気にすんなよっ、俺と前の仲じゃねぇかよ、ユリアスゥッ!」
「そうですよ、大先生。長期的に見ればさらなる躍進が決まっているようなものです」
そんなシャンバラに各国が食料支援をしてくれた。
相変わらずファルク王はやかましく酒臭く、ツワイクの新王は抜け目ないがうちの娘たちに色目を使っていた。
「あら王様たち! いらっしゃい、元気にしていたかしら?」
「ああっ、ウェルサンディ……なんて君は美しいのでしょう……。君はお母君とはまた違った若々しい色気といものが――」
「陛下、サンディに手を出したら刺しますよ」
「パパッ、うちはもう大人よ。そういうことはうちが自分で決めるわ」
「だ、だが……サンディ、この男はダメだ……。手当たり次第エルフと重婚を――」
「パパも同じでしょ」
「ガハハハハッッ、違いねぇわ!」
「大先生と同格にしていただけるだなんて恐悦至極。ところでウェルサンディ、この後少しお食事でも……」
「ふふっ、いいわね。でもパパが睨んでるから今日は止めておくわ」
支援してもらっている手前、この酔っぱらいとくせ者たちに邪険にできない。ファルク王に酒を飲まされ、都市長と一緒に泥酔する日も増えていた。




