・エピローグ 1/4 シャンバラという名の失楽園
ここは天国の外、失楽園だ。昼は灼熱の日差し、夜は酷寒の風が人々を容赦なく襲う。国土を覆い尽くす砂の地表にはまともに育つ植物もなく、迷いの砂漠の向こう側には短命で野蛮な猿たちが繁栄を思うがままにしている。
魔力を失った元同族タンタルス。その始祖となったシェラハの父と母とその信奉者は、ある意味では正しかった。エルフたちから見ればねずみ算式に増えるヒューマンたちに、いつかはあの迷いの砂漠を破られ、迫害や蹂躙を受ける未来もある。
彼らは生き残りを賭けて異世界に入植し、ついに悲願を果たし、こことは異なる速い時の流れの世界で変質していった。
彼らはシャンバラへの襲撃を諦めないだろう。魔力を失い、そしてもう一度魔力を科学的に発見した彼らが文明を維持するためには、どうしても魔力を吸い上げる牧場が必要だとアダマスが断言していた。
ここは失楽園だ。地獄だ。全てが崩れ去った果てに生まれた荒廃世界だ。少なくともコモンエルフ。そのリーダーだったかもしれない女王シェラハ・ゾーナカーナ・テネスからすれば、この世界そのものが破滅を迎えた失楽園だった。
俺はあの女王のことがよくわかる。彼女は都市長と同じだと思っている。シャンバラの大地を再生したいという都市長の願いは、彼女の願いとそうさして変わらない。
あの頃に帰りたい。そんなちっぽけで大それた願いのために、俺たちはシャンバラの今の生態系を犠牲にして夢を叶えようとした。
俺たちが虫けらに目もくれないように、コモンエルフからすれば今の造られたエルフや猿同然のヒューマンは、路傍の石と変わらない虫けら同然の存在だったのだろう。
そしてそれを変えてしまったのが、あの女王の気まぐれと、孤独だ。
彼女は箱船の番人だった。あの地底から彼女はシャンバラの全てを見渡し、言葉通り本当に見守っていた。夢果てたこの地でたくましく生きる今のエルフたちを見つめ、きっと迷いながらも深い愛着を覚えていたはずだ。
それから果てしない時が流れ、俺たちの知るシェラハが生まれた。いやあるいは――傍観しているだけの日々に飽き、彼女が何か細工をした可能性もある。あの箱船には、同じエルフが3体ずつ保管されていた。
ともかくだ。女王は今のシェラハに己を重ねるようになった。きっとそこで何かが決定的に変わったのだと思う。
徐々にヒューマンの繁栄に押されてゆく愛し子たちに、何かをしてやりたいと女王は考えた。
そんなシャンバラのエルフたちの前に、いや足下に、都合よくも迷宮という富の坩堝が現れた。都市長たちはこれに気付くと動きだし、ツワイク王国から錬金術師を奪った。いや、ただの落ちぶれた宮廷魔術師だったか。
その後も女王は地底の底から糸を張り巡らし、介入を続けた。俺たちの髪の色と同じ3つの宝石を迷宮からドロップさせ、さらに絹まで俺たちに与えて、運命を演出した。希有なる魔力を持った人材ユリウスを、この地に縛り付けるために。
ただ、なぜ自分の自己投影先であったシャラハと、俺のようなヒューマンの猿を結婚させようとしたのかがいまだにわからない。
ただの気まぐれだったのか、それともそこから先のシャンバラの歴史がユリウスを軸に動いてゆくことを予測していたのか。もはや真実は死後の世界にでも至らなければわからなかった。
それからまた少し経って、俺たちは今の家族であるグライオフェンと出会った。彼女の要請に従ってリーンハイムを目指し、こちらの世界のグライオフェンと出会った。グラフは破滅の未来を迎えたもう一つの世界から来た迷子だった。
しかし俺たちはそこでもう一つのものと出会っている。白紙の書だ。今回の事件を通じて、白紙の書の正体に大方の予測がついた。
女王には世界を過去に戻すという夢があった。その夢は俺と都市長の夢と皮肉にも利害が一致していた。そこで彼女は、あの書をまぎれ込ませたのだろう。
シャンバラの緑化計画を加速させるために、シャンバラを亜種の亜種であるタンタルスに奪われないように守るために、俺たちを陰から導き支えてくれた。
今回の死の砂漠化で、書がヒントをくれなかったのも根拠の1つだ。俺たちはあの悲しい女王に陰から操られ、導かれ、そして同時に見守られ、深く愛されていた。
時に女王はなりすましもした。あの時パンドーラの棺の発掘を中止するように提案したのは、シェラハになりすました女王だった。
シェラハと事実を照らし合わせてゆくと、驚くほどに多くの場面になりすましが発生していたことも発覚した。知れば知るほどに喪失感が深まり、それを殺めてしまった己の罪に俺は震えた。
メープルもまたあの時、女王に敵意を向けるべきではなかったと後悔している。少なくとも俺たちの思い出の中にある女王はシェラハと何一つ変わらない。やさしくて恥ずかしがりで、いつだって俺たちを包み込んでくれる最高の家族だった。
俺たちは思い出を失った。同じ思い出を共有した家族を失った。
確かに彼女が犯した罪は果てしなく重い。だがそんな事実は関係ない。俺たちにとってあの女王もまた家族の一人だった。
後3話で完結します。続きのプロット制作のために少しお時間を貰うかもしれません。




