・6年目 シュレンディンガーの錬金術師 - 棺が見せた破滅の未来 -
世界は変わった。そうする他になかったとはいえ、俺たちは世界を変えてしまった。
昔々、タンタルスの襲撃に対抗するために世界を一つに繋いだ時代があった。それは今から30年も昔のことだった。
俺は老いた。黒かった髪は白髪だらけとなり、みずみずしかった肌には深いしわが刻まれた。黄金時代が過ぎ去り、終わりが近付いているのを肌身で感じていた。
「裏切り者!!」
「それだけの力を持ちながらなぜエルフどもの味方をする!!」
「ユリウスッ、お前は俺たちヒューマンの裏切り者だっ!!」
たった30年で世界は変わった。魔力を持つ者と持たざる者の格差が深まり、やがてそれはエルフとヒューマンの対立――いや、魔力を持つ者と持たざる者の戦いに発展した。
うねる時代の奔流に俺たちは飲み込まれ、転移門がもたらすネットワークは俺たちの手に余る強大な力となっていった。
「すまん……」
「謝って済むものかっ、全てお前が悪いんだ!!」
「そうだ!! お前があんな物を作り出さなければ、世界は古きよき時代のままでいられた!!」
「お前が俺たちヒューマンを奴隷に変えたんだ、ユリウスッ!!」
捕らえられた反逆者たちは、女王シェラハの目の前で俺を糾弾した。
俺もシェラハもいつかこうなることを覚悟の上で、世界を一つに繋いだ。タンタルスに俺たち魔力を持つ者たちが奴隷にされるよりマシだと信じた。
「申し開きようがない。俺はそれが正しいと思って世界を繋いだ。今でもこの世界の混乱をどうにかしたいと思っている……」
娘たちはもうシャンバラにはいない。俺とシェラハに愛想を尽かしてここを去っていってしまった。
幸せな未来が待っていると信じていたのに、全ての予定が狂ってしまった。
「女王陛下! 例の物が到着いたしました!」
シェラハは変わった。グラフとメープルが最大の原因だ。和平交渉のために尽力していた二人もまた、もうここにはいない。
「ユリウス、これで戦いは終わるわ……。これで、やっと元通りになるの……」
「何を言っているんだ、シェラハ。もうあの頃には戻れない。俺たちは、とんでもない過ちを犯し――」
何かが謁見の間に届けられ、反逆者たちの顔色が凍り付いた。
不審に思い、彼らの視線を追う。するとそこには、俺の大切な家族の首があった。
「他になかった。こうするしかなかったのよ、ユリウス……。あたしはシェラハ・ゾーナカーナ・テネス。偉大なる始祖様と同じ姿、同じ名前を与えられて生まれた。あたしには、エルフを守る義務があるの……」
それは、反逆者マリウスの首だ。自らが生み出した物が激しい対立を生み出したことに、マリウスはいつしか深く気に病み、やがて彼女は俺たちと袂を断って反乱軍のリーダーとなった。
「お、俺、は……」
「ごめんなさい、ユリウス。あなたのためよ……あなたを守りたいからあたしはこうしたの。あなたのためだったのよ……」
俺は塩漬けの首を胸に抱き、激しい慟哭に絶叫した。あの頃に帰りたい。あの誰もが笑顔だった時代に帰りたい。そう願っても悪夢から覚めることはなかった。
転移門は俺たちを異世界からの襲撃の恐怖から救った。だが、巨大すぎる力はいつしか世界そのものを混乱の渦に飲み込んでいった。
・
「ジョン(・ ・)」
「ジョン、ジョン、ジョン?(?ー?)」
「ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン、ジョン?(・ー・;)」
いや、それは悪夢だった。俺は荒れ狂う船の上で転がっているかのような感覚に飛び起きて、自分が変な生き物たちに担がれて、揺すられていることに気付いた。
「ニーア……なっ、なんだお前っっ?!!」
「ジョンジョンジョンジョンジョンッ、ヨカッタ!!(TーT)」
それはニーアの群れだった。ざっと50体を超えるニーアたちが俺を立ち上がらせてくれた。俺の足下で、まるでカニの群れみたいにワチャワチャとしていた。
「……助かった。本当に助かったよ。悪いが都市長とメープルも起こしてやってくれ」
「ヨロコンデ(=ー=)」
二人をニーアたちに任せて、シェラハを揺すり起こした。どんな悪夢を見ているのか、もしかしたら俺と同じ夢を見ているのではないかと気になった。
「ぁ……ユリウス……?」
「よう、余裕のない寝顔だな、酷い悪夢でも見ていたか?」
「ユリウスッッ!! よかったっ、あたしっ、ユリウスが死んじゃった後の世界に……っっ」
「夢だ。俺は死なない」
震えるシェラハを抱き締めると、彼女が鼻を鳴らして涙を流す声が聞こえた。
俺も安堵した。シェラハの鳴き声と震える身体は、あんな未来にはしまいと俺に決意を新たにさせるのに十分だった。
「大丈夫か、都市長?」
「ええなんとか。……しかし酷い夢でした。私が追放したあの男が、タンタルス族となって帰ってくる酷い夢を見ました……」
「私は……都市長に拾われない夢、だった……。遠くから、あのスラムから見ているの……。ユリウスと姉さんの、幸せな結婚を……。でも、私はそこにいない……。羨ましくて、ひもじくて……最悪の気持ちだった……」
「お前らしい悪夢だな。ニーアが守ってくれなかったら危なかった」
「テヘ……(・へ・)」
なんて意地の悪い迷宮だろう。俺たちに悪夢を見せてどうするつもりだったのだろう。
ニーアが起こしてくれなければ、俺たちは死ぬまで悪夢に苦しめられることになっていた。
「ア、ジョン。コレ、拾ッテ、キマシタ。オ納メヲ……(・へ・)」
「この展開も昔にあったような……な、なんだとぉっ!?」
ニーアたちは腰に小袋を結わい付けていた。そのうちの1つを受け取って開いてみれば、中にあの白金貨が入っていた。
忘れもしない。この白い金は白銀の導き手となって迷宮発掘の助けとなった。
「凄いっ、凄いわ! あの綺麗なコインがこんなにいっぱい!」
「ありがとう、ニーア……超嬉しい……!」
「しかしなんなのでしょうね、このニーアさんたちは……?」
袋1つに5枚。それが50を超える個体数分あった。
「ニーア、これから俺たちは決戦に向かう。悪いがその白金貨を家に持ち帰っておいてくれ。俺たちもこの戦いが終わったら地上に戻る」
「ハイ、スベテ、存ジテマス。ゴ武運、ヲ……(ー ー)」
ニーアたちが白いカニの群れのようになって合わせ鏡の間を去った。
俺はいつまでも離れないシェラハをもう一度抱き締めて、あの悪夢を思い返した。あの未来が現実になる可能性は決して低くない。
ハッピーエンドでこの戦いが終わっても、いずれこれまでの無謀な革新のツケを払う日がくるだろう。ポーションの工業化が錬金術師を堕落させ、彼らを誇りなき労働者に変えたように。
だから俺は――
「ユリウス……ねぇ、この戦いが終わったら……」
「ああ、わかっている。俺もそうするべきだと思う」
あんな不幸な未来は認められない。マリウスともよく話し合ってこれからのことを考えよう。
転移門に依存しすぎた世界はやはり危険だ。
「ふふ、そう言ってくれてよかった……。二人目……ううん、4~6人目を作りましょ……」
「……えっっ!?」
「その話……乗った……!!」
あ、あれ……?
シェラハとメープルは既に完全にその気で、都市長もいったいどれほど恐ろしい悪夢だったのやら、涙を浮かばせて話にうなづいていた。
俺たちは悪夢を見せられた。だがそれは同じ悪夢ではない。悪夢は俺たちの背中を後押しして、その先にある未来を見つめさせていた。
夢の世界の俺は老い果てていた。あんな姿になる前に、やるべきことをやっておくべきかもしれない……。




