・4年目 才能と業
「いってらっしゃい。パパのことはうちに任せて羽を伸ばしてきてね、ママ!」
世間は休日だった。だが急に午前の仕事が入ることになって、俺は森にハイキングに出かける家族たちを見送ることになった。サンディも一緒に行けばいいのに、急ぎの仕事を手伝ってくれた。
「ありがとうユリウス様。せっかくのお休みにごめんなさい……!」
「いいんだ。しかし……」
「え、僕がどうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
納入業者の若いエルフは、何年経っても姿が変わっていない。てっきり彼のことを少年だとばかり思っていたが、これはうちのウルドの同類なのかもしれない。
「何かお困りでしょうか? 僕に出来ることならなんでもしますよ……?」
「なら、今度機会があったらうちのウルドに話しかけてやってくれ。成長が止まったと嘆いていた」
「ふふふっ、それなら僕が適任ですね。任せて下さい!」
「お願いするよ。本当に助かる」
「あっ、親方が呼んでるのでもう行きますね!」
大きな木箱を小さな身体で抱えて、少年のように見えて年齢不詳のエルフはうちの工房を去っていった。
「あ、もう納品終わったの?」
「ああ」
「手伝おうと思ったのに……」
「十分過ぎるほどサポートしてくれただろう」
居間の方から甘いパンの焼ける香ばしい匂いがする。この香りとサンディの明るい笑顔を見るたびに、余所の誰にも渡したくなくなる……。
「パパ、もう少しでお昼ご飯だから待っててね」
「ぜひお言葉に甘えよう。さすがに疲れたよ……」
「お疲れさま、パパ」
俺たちはゆっくりと昼食を楽しんで、どこの家庭でもあるなんでもない会話を交わした。サンディはお喋りで、この口からは無限に話題が出てくるのではないかと感心させられた。
それから昼過ぎになると俺は屋根付きの桟橋に出た。
オアシスに釣り糸をたらしても、今日は美しきエルフの美姫たちは不在で、正直に言ってしまうと無茶苦茶に残念だった。
俺はきっと腰の曲がったジジィになっても、彼女たちの姿に見惚れ続けるだろう。
「パパ」
「サンディか。どうした、退屈か?」
「ううん、町でネコヒトさんたちと遊んできた後よ」
「騒ぎが目に浮かぶようだ」
気になって釣り針を戻すと、知らぬうちに餌を取られていた。餌を付け直してまたオアシスにとばした。
サンディはちょこんと隣に寄り添ってきて、ずいぶんとでっかくなったもんだと俺は横目でその姿を確かめた。
「えへへ、ママに似てきたでしょ、うち!」
「ママはもっと上品だ」
「えーっ、それパパに言われたくない!」
「ああ、全くその通りだ」
「うちはきっとパパに似たのよ」
「俺はサンディほど明るくないぞ」
不思議だな。サンディと話すと会話が絶えない。次々と話題が浮かんで、この元気な笑顔に話が盛り上がる。
「パパって孤児だったんだよね?」
「ああ」
「じゃ、パパのパパママってどんな人だったのかな」
「前にウルドとも似た話をしたな。残念だが覚えていない」
「そっか……」
「たぶん、普通の親だったはずだ。戦争で亡くして、悲しかったことだけは記憶にある」
だからオド王が他人には見えない。支えてやりたい。やりたいが、あの中二病斬鉄剣だけはちょっとな……。元はと言えば制作者である俺の自業自得なのだが。
「ふーん……じゃあ、パパのパパママも転移や錬金術の魔法使えたのかな……」
「だから言っただろ、普通の親だったよ。たぶんな」
魚がかかった。タイミングを見計らって、力いっぱい釣り上げて見るとそれは大きなマスだった。魚かごに入れようにも、半分しか収まらないほどの大物だった。
「参ったな、こんなにでかいの食いきれないぞ……」
「じゃあ、ネコヒトさんたちにあげるっていうのはどう!?」
「ああそれはいいな。いつも遊んでくれているお礼にはなるだろう」
「じゃ、うちが届けてくる! これ持ってくね!」
「お、おいっ、そのまま持って行くのか?!」
「大丈夫大丈夫っ、また後でね、パパ!」
オアシスの岸辺を駆けて、サンディがバザーオアシスの方に走って行くのを見送った。それから姿が完全に見えなくなると釣りを再開して、昔のことを少し考えた。
親のことなんてすっかり忘れていた。ごく普通の親から、俺みたいな変わり種が生まれる可能性もないこともないだろう。天才の子が天才とは限らないように、血の遺伝というのは予測が付かない。
「よう、バカ弟子、隣邪魔するぜ」
「ちょっと、静かに座って下さいよ、魚が逃げるじゃないですか……」
「そういうもんか?」
「そうですよ」
俺の親、どんな顔をしていたっけど頭を悩ませていると、転移魔法でも使ったのかいきなり師匠が後ろに現れて、水面を揺らしながら俺の隣にどっかりと腰掛けた。
「師匠より落ち着きやがってこのバカ野郎」
「それどういう難癖の付け方ですか……。で、何か厄介ごとですか?」
「いや、事件は起きてねぇよ」
「へぇ、師匠が用もないのに珍しいですね。ならどうかしましたか?」
「あー……」
師匠は渋い声でうなると、返答を諦めたのか知らないがそれっきり黙り込んだ。
なんかますます挙動不審だ。横目で表情を盗み見見ても、なんか似合いもしない遠い目をしていた。
「重い病気にかかったなんて言わないで下さいよ?」
「いや、違う……」
「そうですか、よかった……。いや、どうでもいいことですが」
「これは俺のことじゃねぇんだよ……。サンディのことなんだがよ……」
「サンディに手を出したら殺します」
「出すかアホッ! じゃなくてだな……はぁ……」
歯切れの悪い中年男が隣に陣取ると、これほどまでに邪魔ったいとは大発見だ。場所を変えようかとも思っても日差しが強い。屋根のある桟橋はここだけだった。
「らしくないですよ。一応なりにもツワイクの魔術師のトップだった男が、なんでそんなにうんうんうなってるんですか。ハッキリ言って下さい」
「なら聞くが……お前、親のことを覚えてるか……?」
「サンディと似たようなこと言いますね。ろくすっぽ覚えてません。魔法の才能を感じたこともないです」
「なら……ならよ。自分の娘からそれを感じたことは、あるか……?」
「サンディは攻撃魔法の天才だと、そう言ったのは師匠でしょう。遺伝を感じているに決まっています」
話はサンディのことらしい。まさかあの子が人に怪我をさせたのではないかと不安になった。
実際、宮廷魔術師の世界ではそう珍しいことでもなかった。
「ユリウス、落ち着いて聞けよ……?」
「十分落ち着いています」
「自分の才能が娘に遺伝する可能性は、考えたことがあるな?」
「さっきと同じ話じゃないですか。もちろん、現にウルドが錬金――」
俺の才能が、遺伝……?
それって、どういう意味だ……?
「そう、ウルドにはテメェの錬金術の才能が遺伝した。けどよ、他の才能が、他の子に遺伝する可能性だって、当然あるよな……」
頭が理解をする前に、自分の背筋が凍り付くのを感じた。
「ちょっと待ってな、呼んでくる」
「だ、誰を……」
「待てばわかる」
師匠は滅多に普段使いすることのない転移魔法を使って、誰かを呼びに行った。
取り残された俺は動揺した。震える手で釣り竿を握りしめながら、まとまらない頭でただ湖水のまぶしい反射だけを凝視した。
まさか、遺伝って、そういうことなのか……?
いや、だが信じたくない。もしそうだとしたら、俺は――今日までのツケを支払わされることになる。度重なる術の乱用が俺を成長させ、それが――
「気を確かにな、呼んできたぜ」
背中の後ろに師匠が戻った。足音は2人分だった。
「パパ、大切な話があるの。うちね……」
背後で魔力が高まり、それが忽然と消えた。そして俺の目前のオアシスに、背後にいたはずのサンディが転移して水の中にそのままドボンと落ちた。
最悪の展開だ……。サンディに、転移魔法の才能が遺伝してしまっていた……。
「パパには全然似てないけど、うちはパパの子だったみたい! うふふっ、この魔法っ、うちにも使えちゃったの!」
「バカ弟子よ、今回ばかりはマジで心中お察しするぜ……」
サンディは喜び、師匠は同情、俺は絶望していた。
「なんで、サンディに教えたんですか……」
「教えたんじゃねぇよ……。コイツ、俺の術を盗みやがった……。一言だってやり方なんて教えてねぇのに、見よう見まねだけで勝手に覚えやがったんだよっ!!」
それが本当なら正真正銘の天才だ。これが我が子でなければ、新たな仲間として祝福していた。だがなぜサンディなんだ……。
「もうっ、喜んでよ、パパ! おじさまもなんでそんな顔するのーっ!?」
俺と師匠は言葉を返せなかった。
ショックだった……。
サンディは天才だ。そして転移魔法の天才というのは、それだけ危うい存在だ……。
いつこの世界の輪からはみ出して、過去や未来、平行世界に飛ばされるかもわからない。これはそういう危険な魔法だ。
それを娘が覚えてしまった……。
「おいサンディ、よーくこいつの顔見てみろ。親のこの顔を見たらわかるよな?」
「うん、わかる。ちょ~~うちを心配してる」
転移魔法の問題点はその便利さだ。移動だけではなく、攻撃から防御、潜入まで用途は無限だ。危険性に反して、使い道は無限にある……。使わないなどという選択肢は選べない……。
「お前の親はとんでもないバカ弟子だったが、お前はコイツのマネすんじゃねーぞ? コイツが発狂するからな、はははっ、ざまぁねぇな、バカ弟子!」
「うん、わかった。グラフママみたいになるのは、怖いもん……。1人だけ別の世界に迷い込んで、一生元の世界に戻れないなんて、グラフママは可哀想……」
「おう、バカ弟子より賢いじゃねーか!」
俺の頭の中では理性が吹っ飛んでいた。感情だけが頭の中にあふれて、俺は衝動のままにオアシスに飛び込んで、サンディの肩をつかんだ!
「サンディ、ダメだっ!! その魔法は絶対に使うなっ!!」
「パパが言っても説得力ないよ。ママたちをあれだけ心配させておいて、それは通らないよ」
当然そう返されるに決まっていた。
「指導は俺がしてやる。お前より物わかりがいいから安心していいぜ」
「教えるのか……? そんなのダメだっ、矛盾しているのはわかっているが、サンディに使わせていい魔法じゃない!!」
「パパ、落ち着いて。うちを心配してくれているのはわかってるから……」
娘に慰められるなんて、なんと情けない父親だろう。
サンディは俺の腰に手を回して、甘えるように額を擦り付けた。
「下手に自己流でやられると凄く危ないから……おじさまが教えてくれるんだって」
「そういうこった。ま、ママさんたちへの報告がんばりな」
師匠はやさしい声で俺を慰めてくれた。いや、後半は死刑宣告にも等しかったが……。
どうやって伝えればいい……。
転移魔法の才能が遺伝していたなんて、どうやってあの娘思いの母親たちに伝えればいい!?
「うちから言う……?」
「お、俺が……俺から伝える……。サンディ、頼む、無茶な使い方はしないでくれ……」
「それパパが言っても」
「説得力ねーな。だからあれだけ言っただろ、バカ弟子」
ウルドには錬金術。サンディには転移魔法の素質が遺伝してしまった。
今日までのツケを、遺伝という形で支払わされることになるとは……。俺はこの日まで、この世界の因果応報の仕組みがここまで巧妙にできているとは知らなかった……。




