・4年目 黄金の日々 1/2
「ふぅ……」
出来上がった種をラベル付きの小ビンに移して、俺は文字でぎっしりのメモ帳に簡単な記録を残した。
迷いの砂漠が復旧してからは、代わり映えのしない静かな日々が続いている。
変化があるとすれば、昔より辺りが少し涼しくなったところだろうか。
外の世界から流れ込んできた湿気が雨となってシャンバラに降り注ぎ、川の方で増水が起きたとも聞いている。
迷いの砂漠はシャンバラを密封するガラスの容器みたいなものだったのだろう。
俺は小ビンたちを箱詰めして、実験のためにそれを抱えて工房を出た。……オアシスではグラフとメープルが水浴びをしていた。
「平和なのも、なんかつまんないね……」
「キャッ?! い、いきなりどこを触っているっ!?」
「お腹。ちょっと、増えた……?」
「増え……?! ふ、太ってなんかいないよっ!」
それに目を奪われ木箱を抱えて立ち尽くす俺の姿は、さぞはたから見て間抜けなものだったろう。なのでいつものように木陰に身を隠し、美しい彼女たちの姿に目を細めた。
時刻はまだ昼過ぎ。ギラギラとした日差しが青い湖水を輝かせて、2人の肌をクッキリと描き出していた。
「じゃあ、また抜け駆け……?」
「な、なんの話かわからないな……」
「ふーん……。じーー」
「み、見るなっ! うぅぅ……わかったよ、僕は太ったよっ、認めるよっ!」
「いいお腹、してますね……。スリスリ……」
「ひぅぅ……っ?!」
メープルのやりたい放題につい笑ってしまった。そしてそのちょっとした出来事が俺を我に返して、木陰から立ち上がらせた。
「父っ、のぞきはもういいのかっ?」
「ス、スクルズッ!? な、ウルド……!? こ、これは……これはただ、ちょっと、彼女たちの様子を見ていただけであってな、な、何も……」
「嘘じゃ」
「ご、ごめんね、お父さん……。わたしたち、お父さんが工房から出てくるところからずっと、お父さんを見てたの……」
思わず木箱を落としかけた……。娘2人がそれを支えてくれて、父の動揺をありありと悟ったことだろう……。
「父はスケベじゃ」
「うっ……?!」
「スクルズちゃん……っ、そ、そういうのは、もうちょっと言い方があると、思うよ……?」
「花に誘われるチョウチョみたいに母に誘われていったのじゃ!」
「ぐっ……」
「クフフフフッ、父はかわいいのぅ!」
スクルズは嬉しそうだった。自慢の母親に見とれる父親の姿がそんなに面白いのだろうか、元気に笑っていた……。
親の威厳……俺の親としての威厳は、もはや存在しないも同然なのかもしれない……。
「えっと、あっ、実験っ! これから実験するんだよねっ、お父さんっ!」
「あ、ああ……まあどうせ失敗だろうがな」
「わはーっ、実験! 実験なら手伝うのじゃ! ほれほれ父っ、キリキリ歩くのじゃ!」
スクルズを追って歩きながら、名残惜しさにオアシスの方に流し目を向けた。これだけの騒ぎもあってグラフとメープルにももう気づかれていた。
メープルは肌を隠しもせずに俺たちに手を振って、グラフは湖水に身を沈めてしまっていた。
「父は本当に母たちが好きじゃのー」
「だってお母さんたち、綺麗だもん……」
「うむうむっ、ありゃ辛抱たまらんの!」
「スクルズちゃんだって、グラフお母さんの子供だから、綺麗になると思うよ……」
「ふむふー、その時は町中のネコヒトさんたちをメロメロにしてやるのじゃ」
子供たちの会話に入り込めないまま背中を追いかけて、失敗作のひしめく小さな草地を抜けるとそこが砂漠だ。
「どのラベルの種を使ったか――」
「忘れるなよと言うのじゃろ、父はいっつも言っておるぞ」
「いつもというほどではないだろ」
「い、いつもだと、思う……」
2人は明るい得顔を浮かべて小ビンのコルクを抜いて、手のひらに移すと慣れた様子で辺りに蒔いていった。
まるで神の奇跡のように砂漠へと小さな緑が生まれ、俺はメモ帳とペンを手に1つ1つを観察していった。
「この葉っぱはなんかかわいいのぅ」
「うん、そうだね、スクルズちゃん。でもこっちのは、もうちっちゃなお花が咲いてるよ……」
「おおぉーっ、ちっちゃいのぅ……! 後はチョウチョがいれば、父と母たちじゃの♪」
「うっ……」
「あっ、えっとっ、さ、最後の蒔くねっ、えいっ!」
ウルドはやさしい子だ。成長してもこの子の本質はこのまま変わらないだろう。だがスクルズは、将来どんな厄介な女に育つのか将来末恐ろしい……。
しかしそんなつまらない物思いは、目前の事象の前に吹き飛ぶことになった。
「ひゃっ!?」
「おわぁぁーっ?!」
たった3、4粒の小さな種が砂漠に落ちると、緑の爆発が起きたからだ。爆発的に草地が半径3mほどを飲み込み、さらには若木が3本も急成長して子供たちの腰を抜かせた。
「大丈夫か?」
「あ、父……。抱っこは……抱っこは恥ずかしいのじゃ……」
「ならさっさと立て。ウルドは怪我とかないか?」
「だいじょうぶ……。でも、これって大成功だね、お父さんっ!」
「ああ、ジィジが泣いて喜ぶ。おっと」
「離せーっ、お子ちゃま扱いはするなと言っておろう! こう見えてワシはもう母たちと同じレディじゃ!」
そんなつれないことを言わないでほしい……。
俺は鈍い悲しみを覚えながらスクルズを立たせて、それからウルドが差し出す小ビンを受け取った。ビンは36番だった。
「確かこれは……」
番号とメモ帳を付き合わせてた。俺は最近妙に迷宮からよく回収されてくる『ゴーストプラント』という素材を軸にした組み合わせだ。『ゴーストプラント』はふわふわと重さの感じられないへんてこな素材だった。
効果面積は去年に完成させた成功レシピの、約3倍くらいだろうか。
「ねぇねぇ、この木も葉っぱがかわいいね。名前、なんていうのか知ってる……?」
「それはメープルだ」
「え、お母さん……?」
「ああ、お母さんの名前がその木の名前なんだ」
「おおーっ、凄い偶然じゃ! じゃあじゃあ、こっちはなんじゃ!? なんか白くて面白いのじゃ!」
「そっちはシラカバだな。どちらも樹液を煮詰めると甘いシロップになる」
どちらもツワイクではそう珍しくない寒い地方の木だ。シャンバラでこの木々が見られるとは嬉しい。悪ガキの頃の記憶が断片的によみがえった。
「それは一大事じゃ! 今すぐ新しい種を作るのじゃ、父!」
「わたし、舐めてみたい! お母さんたちも呼ばなきゃ!」
「煮詰めないとそんなに甘くはないぞ。……とにかくオアシスまで戻ろう、都市長に報告しなきゃならない」
「だけど父、母たちはもう水から上がっていると思うぞ?」
「都市長に報告するためだって言っているだろう……。あまり父親をからかうな」
「そんなこと言って父は――ギャーッ、何をする父ーっ?!」
「あ、また……。いいなぁ……」
人の嫌がることをするやつには、同じ嫌がることで仕返しをした。俺はでっかくなったお姫様を抱き上げて、オアシスの前まで運んでやった。後でウルドにも抱っこをしてやろう。




