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206/308

・3年目 desert cradle 2/2

 迷いの砂漠の消滅は、まずいことに肉眼で把握することが出来た。

 こちら側とあちら側では極端に湿度が異なり、これまでは雲や光の歪みとして境界を露わにしていた。


 ところが今はそれが消え、外と内側の空気が入り交じっている。

 夜間には外の空気が霧となって国境を包み、あからさまな変化が国境沿いの民を驚かせた。


「助かるよ、アリ」

「もう少し休んでいけ、どうせ霧で何も見えない」

「そうですよ、せめてスープが出来るまで待って下さい」


 深夜にアリの暮らす村に寄ると、巡回をしていたアリに見つかって家に招かれてしまった。

 寒くてたまらなかったのでつい暖炉の前で丸まると眠くなって、温かいスープを腹に入れることになった。


「こんな夜中にありがとう、そろそろ行くよ」

「暖炉はこのままにしておく。芯まで冷えたらここに戻って来い。村の周囲は俺たちが見張っておく」


「マジで助かるよ、アリ」

「ふんっ、出資者の機嫌を取りたいだけだ。シャムシエル都市長に俺の功績を伝えておけよ」

「あの、これ……スープを水筒に詰めておきました……。湯たんぽ代わりにはなるかと……」


 俺はアリと嫁さんに感謝して、また夜の砂漠に出た。

 世界の裏側には寒さという概念がない。そのため身体が冷えることもなければ、暖まることもなかった。


 時計回りに霧の深い国境を巡り、湿気が流れ込んだせいでかすみ雲が浮かぶようになった夜空を見上げたりしながら、国境のアリの家を拠点にして各地を飛び回った。



 ・



「あ……ユリウスッ! きゃっ、冷たい……っ」


 国境を5周回ると早朝になっていた。

 冷えた身体で都市長の書斎を訪れると、書斎机にシェラハがいて、俺を見つけるなり胸に飛び込んで来た。


「あったかい……」

「もうっ、あなたって人はなんで無茶ばかりするのよっ! こんなに冷たくなるまでがんばらなくてもいいじゃない……」


 シェラハのやわらかな温もりは天にも昇る抱き心地だった。

 彼女から少しでも体温を分けてもらいたくて強く抱き締めて、肺の奥に入り込んでいた冷たい空気を吐き出した。


 離れたくない。このままベッドに連れ込みたくなった……。

 いやらしいことをしたいのではなく、暖炉のある部屋で一緒に眠ってしまいたい。


「都市長は……?」

「会議室よ。ひっきりなしに人が来て、眠る時間もないみたい……」


「いつか良い人材を見つけて隠居させてやりたいな」

「そっくりそのまま、あなたに返すわ!」


 冷たい廊下を進んで会議室に移動すると、暖炉で湯が沸かされていた。

 すぐにシェラハがその前に駆けていって、お茶の手配を始めてくれた。


「少し待って下さい……。お帰りなさい、ユリウスさん」

「ただいま、都市長。やつれた酷い顔だ」


「それはお互い様です。では、報告をお願い出来ますか?」

「あまり良くない。シャンバラを囲むように霧が発生していて、シャンバラへの侵入をもくろむやからが後を絶たない。狙いは辺境のエルフのようだ」


「なんと愚かな……」

「ユリウス、一気に飲んじゃダメよ。少しずつね……?」

「ありがとう。熱……っ」


「だから言ったじゃない」


 芯まで冷える凍えのあまりに、ついお茶を一気飲みしたくなる。

 シェラハが少しでも俺を温めようと、俺の左手を胸の中に抱え込んでくれた。ああ、やわらかい。温かい……。


「訊くのが恐ろしいのですが、その、侵入者の数はどれほどでしょう……?」

「この一晩でざっと100だ。うち3名はただの悪ガキで、家まで送り届けることになった」


「では、残りは盗賊や強盗ですか……」

「傭兵風の者もいた。悪党の振りをして話を合わせてみたんだが、人さらいに盗賊、強盗。どいつもこいつも悪人ばかりだ。キャラバンを狙うって言っているやつらもいたな……」


 都市長は頭を抱え込んでうずくまってしまった。

 起きていた重役たちも言葉を荒げて、それが居眠りをしていた連中を起こして、さらに大騒ぎだ。


「ひ、人前でそういうのは……ダメよ、ユリウス……」

「わかってる……。だけど今だけは許してくれ……」


「で、でも……」


 それを見ていたら一気に疲れが来て、俺はすがるようにシェラハを抱き寄せた。

 茶を一杯飲んだ程度で、芯まで来る凍えはそう簡単に消えなかった。


「よう、お二人さん、お熱いねぇ……お師匠様も混ぜてくれねぇか?」

「師匠も戻りましたか。うっ、酒臭っ?!」


 そこに師匠が戻って来た。身体を温めるために酒を頼ったのだろう。冷たくて酒臭くておっさん臭い身体が俺とシェラハをハグした。


「おっと、それどころじゃねぇんだった。今すぐ派兵の準備をしな、南から敵が迫って来てるぜ。数はざっと500名、ありゃ傭兵だ。他のオアシスを無視して、真っ直ぐこっちに向かってやがるぜ」


 軍人たちは師匠の報告を受けて慌ただしく動き出した。

 見ると中にはヒューマンの将校が混じっていて、そのうちの1人はどう見てもツワイク人だった。


「アルヴィンス殿、ここは我ら援軍に花を持たせてくれるよう頼めないか? せっかくシャンバラまで呼ばれてきたのだ、戦ってから帰りたい」

「はっ、いいぜ。旧交を温めるついでに俺が案内してやるよ」


 彼は師匠と知り合いだったみたいだ。彼が指揮官となることに決まり、連合軍を率いて行政区から出立して行った。

 俺は残った。疲れ果てていたし、俺が加わらなくても余裕で勝てる戦いだった。


「ユリウスさん、何かあればお呼びしますので帰って寝て下さい。その子も連れて行って構いませんので」

「ではお言葉に甘える」

「ちょ、ちょっとユリウス……ひ、人前でくっつかないで……」


「それは無理だ」

「な、なんで……っ」


「人肌が恋しいんだ。帰って暖炉で暖まって、起き出してきたみんなの顔を見たら、一緒に寝たい」


 そう正直に答えると、会議室の連中に冷やかされた。

 シェラハは恥じらいに真っ赤になって、おかげでその分だけくっついてる俺は温かくなれた。


 それから帰宅して、暖かな暖炉の前にシェラハと一緒に座り込むと、子供たちに会う前に眠ってしまっていた。



 ・



 目が覚めると夕方で、派兵に参加していたグラフからその後の報告を受けることになった。

 シャンバラを狙った傭兵団たちは聡い連中だった。500名による行政区への奇襲は合理的で、シャンバラの乗っ取りを目指すならば最も強力で確実な一手だった。


 しかし目論見は失敗に終わった。行政区のエルフたちを精鋭で蹂躙するはずが、彼らの前に3倍の数の連合軍が立ちはだかったせいだ。


 アルヴィンス師匠の偵察、伝令能力を駆使した包囲作戦が傭兵たちを囲い込み、小規模の戦闘で敵に白旗を上げさせた。

 シャンバラの弱点は平地が多いこと。だがその弱点は転移魔法使いと組み合わせることで強力な武器にもなると、今回証明された。


「君にも見せたかった! あっという間だ、あっという間にあいつらは白旗を上げたんだ!」

「母は戻ってからずっとその話ばっかりなのじゃ……」

「グラフは元軍人だからな。戦いとなると血が沸くんだろう」


「うー、困った母なのじゃ……。もっと父に色気のある話をしないと、愛想を尽かされるかもしれん……」


 スクルズが自分ではなく母親の心配をするようになったことに成長を感じた。

 だけどスクルズは誤解している。自分の父親が母親以上の戦闘狂とは知らないようだ。


「心配はいらない。グラフの気持ちは俺もよくわかる、きっと戦い足りなかっただろうな」

「ほら見ろ、ユリウスはよくわかってる」

「うーん……なんか納得いかないのじゃ。父と母は夫婦というより、戦友か何かに見えるのじゃ……」


 それも間違っていない。だがスクルズとしては夫婦らしい姿を見たいようだ。

 そこで俺はスクルズの前でグラフをちょっと強引に抱き寄せた。


「キャッッ……な、何を……!?」

「これで満足か?」

「満足じゃ! 母はやっぱりかわいいのじゃ!」


「は、離せっ、いきなり何をする……っ、君のせいでスクルズにまたからかわれただろうっ!」

「かわいい……。ワシも母みたいなお嫁さんが欲しいのじゃ……」

「スクルズ、お前は何を言ってるんだ……」


「だって母はかわいいのじゃ!」


 カエルの子はカエル。グライオフェンの子はグライオフェンの子だった。



 ・



 その後、侵略を企てた傭兵団たちは解放された。

 転移門と6国が同盟ある限り、迷いの砂漠が消えようともシャンバラの侵略は不可能。傭兵と盗賊たちには、そう世に知らしめる広告塔になってもらった。


 しかし現状、いたちごっこだ。シャンバラに集まる富や、エルフやネコヒトの希少性から、盗賊の流入が絶えない。国境の警備に大量の人員を割かなければならなくなり、シャンバラの緑化と対タンタルスの計画の動きが鈍った。


 半月が経った今も迷いの砂漠は復旧していない。今日まで自分たちを育んできたゆりかごが消えて、シャンバラの民たちはとても当惑している。

 せっかくヒューマンとの融和が進んだのに、疑心暗鬼が広がっていた。


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