・3年目 甘き森
新しい緑の種は『砂漠の光』と名付けられた。
名付け親は最大の出資者にして渇望者であるシャムシエル都市長で、従来の4倍の面積を再生するこの種はまさに『砂漠の光』となっていった。
しかしそうなると、これをどこに使うのかという問題が浮上する。
転移門を使った琥珀の迅速な輸入に商人や都市長が奔走する中、候補地選びにシャンバラの議会が荒れた。
「ユリウスは仕事中よ。政治の話ならあたしが聞くわ」
誰もが自分の地元に緑を蘇らせたいに決まっているからだ。
ここが行政区に近いこともあって、ごますりに来る議員たちだけでも大変だった。
「これはシェラハゾ婦人。しかし可能ならば、直接ユリウス様とお会いしたいのですが……」
「ごめんなさい、ユリウスの研究は根気と記憶力の両方が要るの」
オアシス各地に平等に分配するか、それとももっと意識的に使ってゆくべきか。議会ではその点でも意見が分かれていた。
・
「ユリウス、やっとあの話がまとまったそうよ」
「あの話って、砂漠の光のことか?」
「そう、結局みんなで分けることにしたみたい」
「ま、妥当なんじゃないか」
それからしばらく経ったある日、バルコニーにもたれて1日の疲れを癒していると、シェラハが続報を持って来てくれた。
彼女は俺のすぐ隣にやって来て、同じようにバルコニーにもたれてオアシスと砂漠を見た。
「でもね、その前に実験をすることになったわ。南にフリドと呼ばれる小さなオアシスがあるの。まずはそこで試験的に運用してみて、問題がなければ各地に配布するそうよ」
「ラッキーなオアシスだな。それっていつ始まるんだ?」
「材料が集まり次第、こちらから報告を入れる手はずよ」
「なら明後日の夕方までに納品すると言っといてくれ」
「わかったわ。ふふふっ……なんだか楽しみね!」
「参加すること前提なんだな」
「もちろんよ! 自分の手からこぼれた種が、砂漠を花のある草原を変えてゆく。何度見ても飽きることなんてないわ」
彼方を見つめるシェラハを横目に、俺も同じ光景を眺めた。
ここ一帯は少しずつ砂漠とも言い切れない世界に変わってきている。毎日のように試作品をあちこちに蒔いていたら、こうなるのも当然だ。
「ならもう少し働くか。よければ手伝ってくれるか?」
「ええ、あたしがそれを断るわけないわ」
俺とシェラハはバルコニーから工房に下りて、砂漠の光の大量生産に入った。
・
オド産の美しい琥珀に囲まれながら、俺たちは約束通りに2日で納品を済ませた。
こうしてあれから3日目の今日、人口200人にも満たない小さなオアシス・フリドで『砂漠の光』の実験が始まった。
3階建ての兵舎の屋上から辺りを見回すと、オアシスの周囲は一面の耕作地だ。
それを囲むようにドーナッツ状に居住地が立てられ、その外側には不毛の白い砂漠が広がっていた。
「行こっ、行こうよ、ジィジ!」
「すみません、ユリウスさん。サンディがこう言うので私は……」
「行ったらいい。後でどんな光景だったか話すよ」
俺は高見の見物を決め込んだ。自分の今日までの成果と苦労を噛みしめるには、距離を置いてここから眺めるのが一番だ。
「パパも一緒に行こうよーっ! 見てるより自分でまいた方が楽しいのにー!」
「アレを作ったパパからすると、みんなが使うところを眺める方が楽しいんだ。それより早く行かないと始まるぞ」
「もうっ、パパの頑固者! いこっ、ジィジ!」
「フフフ、言われてしまいましたね、ユリウスさん」
「さっさと行け……」
サンディたちが兵舎の屋上から下りて行くと、残るは俺だけになった。
高見の見物を決め込んでいるのは俺だけで、ジジババから議員、金持ちまでもが自ら蒔く方を選んだ。
しばらく待機すると、人々の歓声が沸き起こった。ついに始まった。
白い砂漠に緑の染みが広がってゆくかのように、次々と砂漠が草木の生い茂る緑に変わってゆく。
都市長は今頃感動に震えているだろう。
これは彼が都市長が幼少期に見たという、シャンバラの砂漠化とは正反対の光景に見えた。
「ヤバいのじゃ! 父はヤバいのじゃ!」
「わっわっ、足下から木が……っ、スクルズちゃんっ、あんまりこっちに飛ばさないで……っ!」
「木の実! 木の実がなったよっ、ジィジ!」
この『砂漠の光』は、集中的に蒔くと何種類かの果樹を産み出すことが判明している。
フリド・オアシスを囲むように果樹が生まれ、熟した甘い香りが漂い、砂漠を植物の潤いで飲み込んでいっている。
「いい匂いだな……。それにずいぶんと盛り上がっている……」
人々は歓喜に笑顔を浮かべ、大人から子供まで興奮にはしゃいでいた。
年寄りは涙を流し、森の再生を目撃して立ち尽くす者もちらほらだ。そんな彼らの姿は森が広がるにつれて木々に覆い隠され、やがて全く見えなくなっていった。
「あれ、何か忘れ物か?」
ところが何か違和感を感じて後ろを振り返ると、そこにシェラハが戻って来ていた。
「ううん、あなたとこれを一緒に見たくて戻って来たの」
「そうか、なら隣が空いてるぞ」
手招いてもシェラハは隣に寄って来なかった。
俺からちょっと距離を置いて、彼女は砂漠の再生を見つめて動かなくなった。
「こんなことがあり得るのね……。不可能だと、誰もが諦めていたのに……」
「俺も驚いているよ。生きているうちは無理だと思いかけていたが、これはいけるかもしれない……」
「ふふっ、あなたには長生きしてもらわないと困るわね。あ、みんなにはこのこと内緒にしてくれる……?」
「わかった。でもそんな中途半端なところにいないで、もうちょっとこっちに来たらいい」
こっちの方が見晴らしがいいぞと、シェラハの手を引こうとした。
しかし何が気に入らなかったのか、彼女が逃げるように俺から離れた。
「シェラハ……?」
「ごめんなさい……急に恥ずかしくなってきて……」
「そうか、シェラハらしいと言えばシェラハらしいな」
「あ、ほら見てっ、ほら見て、もうあんなに果樹の森が広がってるわ!」
「ああ。シャンバラじゃドライフルーツばかりだったけど、じきに食べきれないほどの果物が流通するだろうな。バザー・オアシスに売られるようになるのが楽しみだ」
シェラハは俺と距離を取ったまま、屋上の手すりにふらふらと寄った。目前の光景に魅了され、何も見えていないかのようで少し心配になった。
「小鳥たちも帰って来てくれるかしら……」
「鳥……? ああ、果樹があれば鳥だって戻って来る。どこかの木に巣を作って、毎朝さえずってくれるだろう」
「そうね……。そうだといいのだけど……」
なんだか、変だ……。
上手くは言えないが、これはいつものシェラハではない。彼女は果樹の森から視線を外さない。
「夢のような光景ね……」
「そうだな。ただ……」
やっぱり今の彼女は変だ。どうかしたのだろうか。
「何?」
「いや……綺麗だ。緑が蘇ってゆく姿は何度見ても飽きないな。これが見られるなら、死ぬまでこの事業をやっていけるよ」
将来死に別れるという話をすると、シェラハは悲しんだり、そんな話はするなととても嫌がる。
だけど今日のシェラハは広がってゆく緑の方に夢中のようだった。
「あ、ごめんなさい、ちょっとよろけちゃって……」
「大丈夫か……? 本当に、どうかしたのか……?」
それとなく手を繋ごうとすると、何が気に入らなかったのかまた逃げられた……。
励ましたかっただけなのに、今日の彼女はわからない。
「そろそろ帰るわ。念押しだけれど、くれぐれもこのことは秘密よ?」
「わかっているよ」
シェラハは手すりの前を離れて俺から背を向けた。
彼女の美しいブロンドにシャンバラのまぶしい光が降り注ぐと、まるで太陽がもう1つそこにあるかのようだった。
「ありがとう……。本当に感謝しているわ……本当に……」
どういう意図で言ったのだろう。
去り際のその言葉はどこかシェラハらしくなかった。
・
この日、シャンバラの南部に果樹にあふれる森林が生まれた。
何も生み出さない砂漠から、果樹や材木が手に入るようになったのは大きな進歩だ。
ちなみにあの後に転移魔法で合流してみれば、うちの子供たちは森に興奮して駆け回っていた。
「パパはうちの誇りよ!」
「父はスゲェのじゃ! ワシはっ、とんでもねー父を持ってしまったのじゃ!」
「わ、私も、これのお手伝いしたい……。お父さん、お願い……」
まだまだ未熟だけれど、この子たちがいればきっと大丈夫だ。
俺が天寿を迎えても、俺の代わりに未来を築いてくれる。その時は強くそう信じられた。




