・父母の足跡を求めて、奈落の果てへ 1/2
俺たちは一通りの準備を整えて、翌々日の早朝に闇の迷宮の前に立った。
地上にそそり立ったその建造物は、どうやら光を飲み込むあの闇の結晶で構成されているようだ。新月の夜よりも暗いその外壁は、何一つ光を反射しないことから見る者の遠近感をこれでもかと狂わせる。
おまけに辺りには濃い霧が立ちこめていて薄暗い。朝だというのに日没のような深紫色の光に包まれていて、それが見送りのみんなの顔色を不安に染めていた。
言うなればその迷宮は闇を恐れる人間の本能を直接刺激するものだ。この迷宮が邪悪な何かであるという根拠は何一つないが、そのたたずまいに誰もが禍々しさを感じずにはいられなかった。
「それじゃ行ってくるわ。ユリウスのことはあたしに任せて」
「待ってくれ、シェラハ! どうしても行くというのか……?」
「ごめんなさい……。あたしは行かなきゃいけないの」
「頼む、どうか思いとどまってくれ……。メープルがまだ泣き出しそうだ……」
この場の誰もが突入に否定的だった。特にメープルは誰よりも突入に否定的で、昨日までシェラハと何度も口論をしてはケンカ相手本人に慰められていた。
「ごめんなさい……必ず帰ってくるわ。戻ったらメープルのどんなお願いも聞くから、お願い。あたしを行かせてちょうだい……」
「一応……その話は、覚えとく……。でも、反対、絶対反対……」
それから一通りのやり取りを終えると、俺たちは闇の迷宮の前に立った。
そこが門であると言わんばかりに光が扉の形に灯っている。その門の手前には石碑が地面から生えていて、そこに俺とシェラハの名前が刻まれている。
「これでもし俺たちが中に入れなかったら、冗談で全てが終わってくれるんだけどな……」
「冗談では済ませないわ。必ず、何か足取りを手に入れてから戻りましょ……」
「必ず? 一応偵察って建前じゃなかったか?」
「偵察も両親探しも、どっちもあたしにとって大切よ……。さ、行きましょ……」
2人で扉に触れると門が耳障りな高音を立てて独りでに開きだした。その内部へとシェラハと歩幅を揃えて踏み込むと、背中からメープルの大きなな叫び声が聞こえて、それがくぐもったように遠くなっていった。
「ここってこんなだったっけか?」
「違うわ……。前に立てこもったときは、もう少しこう、ドロドロと不安定な感じだったわ……」
「だったら入ってみて正解だったのかもな」
迷宮の内部はおどろおどろしい闇の世界だ。壁の代わりに真っ黒な霧が渦巻いていて、好奇心で触れてみると柔らかな弾力があった。
床の方はあの闇の結晶だ。光を全く反射しない漆黒の床は、脳がそれを地面として認識しようとはしなかった。この床のせいで、カンテラの強さを調整することになった。
「おい、待て! それは約束が違う!」
「なら早く行きましょ。あまり待たせたらメープルが可哀想だもの」
「だったら最初から突入なんて止めればいいだろう。待ってくれ、シェラハ!」
カンテラの調整を中断した。俺は早足で前を歩くシェラハを後ろから抱くように引き留めて、落ち着かせてから自分が前に出た。とても妊婦とは思えないバイタリティだ……。
「ユリウスがこんな身体にしたんでしょ……」
「そ、それは……お前、あんなに毎晩……迫るからだろ……」
「ふふ……そっちじゃないわ。こっちの方よ」
シェラハが俺の前にすり抜けると、細剣より繰り出された真空波が得体の知れない怪物を片付けた。その黒い影は絶命するとゴブリンへと姿を変えて、すぐに灰となって消えていた。ドロップはなしで、驚愕は増し増しだ。
「前に出るなと言っているだろ……」
「そのセリフ、ユリウスにだけは言われたくないわ」
「そんなことはわかってる。だがその身体は……」
もうお前だけの身体ではない。そうベタベタのセリフを言い掛けて、やはり恥ずかしくなって引っ込めた。ここ数日、みんながシェラハに繰り出したセリフだ。言っても陳腐だった。
「さあ、どんどん行きましょ!」
「お、おい、待て!」
「ふふふっ、いつもと立場が逆ね! 少しは普段の行いを思い知るといいわっ!」
「わかってるっ、もう思い知ってるから自重してくれ……!」
「まだまだよ! もっともっと、あたしたちはいつもユリウスのメチャクチャを心配してるんだから」
前を競うような形で、俺たちは倒すまで正体の判らない闇鍋みたいなモンスターたちを片付けていった。
・
早歩きの快進撃で地下3階までやってきた。
すると相も変わらず闇夜を歩いているかのような床に、白い紙きれが落ちていることに気づいた。
「あ、こらっ! そうやって飛び出すなと言っている!」
シェラハは遅れてそれに気づくなり、大きなお腹で走り出してそれを少し難儀そうに拾い上げた。俺が抗議をしてもシェラハからの返しはなく、彼女は紙切れに目を合わせて固まっている。……やがてその唇が、自分自身に聴かせるように動き出した。
「『分かたれた種族を再び一つに……。始祖の時代の栄光を再び取り戻し、地上の支配権を再び我らが――』……こ、これ……これは、お父様の言葉よっ! お父様が昔、似たようなことを家の者に言っていたわっ!」
俺たちは今、この迷宮に化かされているのだろうか。なぜ都合よくもそこにシェラハの望む手がかりが落ちているのか。俺には驚きよりも警戒心の方が勝った。
「なかなか物騒なお父さんだな。もし本当に会えたら、ヒューマンの俺を認めてくれるんだろうか」
「お父様はやさしいから大丈夫よ」
「それは子供の頃のシェラハにだろう……。って、またかよっ!?」
「進めばもっと見つかるかもしれないわ! あたしを戦わせたくなかったら、ユリウスもがんばって!」
まるで子供に戻ってしまったかのようだ。シェラハの少女時代が両親の失踪により突然に終わってしまったとするならば、両親の足跡に彼女がこうなるのは筋が通ってはいる。だが、妊婦にそれをやられると見ていられない!
俺は再び可能な限りのカバーをしながら、闇の迷宮の奥へと進んだ。通常ならば踏み入れただけで外に帰りたくなるこの迷宮も、こうなっては障害を排除して突き進むしかなかった。
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またあのメモが見つかった。シェラハが飛び付く前に俺が転移で緊急回収すると、子供みたいに抱きつかれてひったくられた。いつもはくっつくだけで恥ずかしがるのに、これではまるで幼児退行だ。
『友よ、私を許してくれ。私はそれでも、貴方が見た緑溢れる当時のシャンバラを見たかった。砂漠の外には豊かな世界がある。なのになぜ我々は、こんな荒れた土地で生きなければならない。このままでは我々は、いつかヒューマンに――』
シェラハの父は都市長と政治的に対立し、理想郷を求めてシャンバラを去ったと聞いている。
「読んだ感じ、どうやらこれはシャムシエル都市長宛てだな」
「そうね……」
「自分宛てじゃなくてガッカリしたか……?」
「うん……実を言うとそう……。でも、お父様の言葉を聴けただけでも、嬉しい……」
これもまた、なぜこんな場所に落ちているのだろう。迷宮が俺たちを指名したのは、このメモ書きを読ませるためだと解釈するならば、この迷宮は意思を持っていることになってしまう。
「シェラハのお父さん、都市長とは方針が合わなかったかもしれないが、これを見た限りだと、シャンバラのことを真摯に考えていたようだな」
「うん……そうなの……。理想が高過ぎるところはあったけど、とてもやさしい人だったもの……。あたし、大好きだった……」
さぞ愛らしい娘だったのだろうなと、かわいい嫁さんを見つめながら思った。……もし本当に彼女の父に会えたら、さぞ厳しい歓迎が待っているのだろう。こんなにかわいい娘を男に取られて喜ぶ男親はどこにもいない……。




