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・タンタルスの真実編 迷宮からの招待状

 朝、いつものように俺は木陰から、オアシスで舞うシェラハの妖精のような姿を眺めていた。

 この時刻の水はまだ冷たいのに、お腹の子は大丈夫だろうか。身重になったというのに、シェラハは軽い足取りで水の上を踊り回って綺麗な声で笑っていた。


 その姿がときおりこちらに確かめるような目を向けるのは、たぶん気のせいだ。木陰に隠れながら見れば見るほどに、やはり俺の嫁はこの世界で最も美しかった。

 ところがしばらくすると、突然に大地が震え始めた。まさかメープルのイタズラかと辺りを見回すも、どうやらこれは違う。水面に幾重にも波紋が生まれて、次第に揺れは激しさを増していった。


 湖の中の方がかえって安全かもしれない。シェラハの方は問題なさそうだったので、俺は頭上のヤシの実を見上げて、この場所に留まるのはまずいだろうと別の木の根本に場所を移した。


 その後も激しい揺れがしばらく続き、当然ながらあちこちで慣れない地震への悲鳴が上がり続けていた。


「シェラハ……?」


 揺れが止んだ。ヤシの実がいくつか落ちただけでこれといった被害はなさそうに見える。ただ妙なのは、シェラハの姿がオアシスのどこにもないことだ。


 背筋が凍るような不安を感じた俺は、シェラハが水を浴びていた辺りに転移した。幸いすぐに見つかった。シェラハは別に溺れたわけではなくて、ただ足を滑らせて身体を水に沈めていただけだった。

 よかった。両手でその身体を抱き上げて、俺は深いため息を吐いた。


「驚かさないでくれ……最悪の可能性を想像した……」

「あら大げさね」


「大げさなものか。お前に死なれたらみんなが困るぞ!」

「そこは自分が困るって、言ってくれた方が嬉しかったわ」


 シェラハはなんだか嬉しそうに笑っていた。姿はその、かなりまずいものだったが、首から下に目を向けなければ公序良俗に反する行為とはならない。本音を言えば、直視したかったが……。


「ふふ……」

「急になんだ?」


「うぬぼれた言い方だけど、ユリウスはあたしに夢中ね」

「それはうぬぼれだな」


 もう水浴びはいいから一緒に岸へと帰ろうと誘って、俺は身を反転させた。


「うぬぼれじゃないわ。ユリウスはあたしのことを――えっ、ちょっとユリウスッ、あれっ、あれ見てっ!!」


 指を追って見上げた空に、青白い光の柱が立ち上っていた。だがそんなものは毎日見慣れている。あれは転移門を発動させた後に起きるありふれた現象だ。


「近所迷惑を通り越して綺麗なもんだな」

「違うわっ、マリウスが作った転移門はあっちよっ! こっちは……こっちは、あたしの実家のある方角よ……」


 自分の顔から笑顔が消えてゆくのを感じた。

 ゾーナ・カーナ邸跡地の方角にて、青白き光の柱が立ち上る。俺たちが管理している設備からの発光ではないことは確かだ。

 彼女の温もりを両手と腹部に感じながら、何も言わずに岸まで歩いた。


「急いだ方がいいかもしれない。悪いが偵察してくる」

「え……でも……」


「大丈夫だ」


 最悪の展開を想像するならば、あれは異形の種族タンタルス側からの侵略の兆しだろうか。だが、あそこからはもう棺を回収したはずだ。なのになぜ、白百合のグライオフェンがやってきたときと同じような、光の柱があの地に浮かんでいるのだろうか。


「本当に本当……? 絶対に無理しないって約束出来る……?」

「わかってる」


 行かないといけないのに、シェラハがしがみついて離れない。

 岸に降ろしても彼女はくっついたままで、目が俺を信じていなかった。……前科が多すぎるからな。


「わかってないわ。ほら……触って……。無理は絶対にしないでね……?」

「わかって――」


 シェラハに導かれて膨らんだお腹に触れると、中の赤子が何かを感じ取ったのか、俺の手を蹴り返してきた。

 噂に聞くと、シングルマザーというのは恐ろしく大変なものらしいな……。この美しい人に、そういう苦労は似合わないか。


「わかった、今回は消極的にやってみる」

「うん、信じてる……」


 水浴びで冷たくなった唇が唇へと押し付けられて、世界で一番美しい女性が胸から離れてくれた。

 俺は世界の裏側へと潜り込み、ゾーナ・カーナ邸へと転移した。

 


 ・



 消極的な偵察を終えると、俺は都市長の書斎のドアを叩かずに彼の目の前に飛んだ。予期していたのか都市長はちっとも俺に驚かなかった。


「シェラハゾから話は聞きました。ゾーナ・カーナ邸は、どうでしたか……?」

「どうもこうも、妙なことになっていた」


「妙とは?」


 この爺さんはシェラハとシェラハの両親にずっと執着している。いつものひょうひょうとした余裕が彼から消えていた。


「あそこは地下に闇の迷宮があっただろう? あれが地表に現れるほどに巨大化していた。今のところ、危険はなさそうだが……」


 その迷宮には、1つだけ報告するべきか悩む妙な特徴があった。

 だがここで報告をしなくとも、誰かが都市長に報告をする。腹をくくって言うしかなかった。


「どうやら他に何か見つけたのですね? 教えて下さい」

「妙なんだ……」


「妙なのは今さらでしょう。あそこは何もかもが妙なことばかりです」

「なら言うが……。その闇の迷宮の入り口に、俺とシェラハの名が刻まれていた……」


「な、なんですと……!?」

「そうなると中が気になるよな。俺も気になって、シェラハとの約束を破って、迷宮の中を偵察してみたくなったんだが……これが、開かなかったんだ……」


 勝手に人の名前をフルネームで飾っておいて、闇の迷宮は俺の進入を拒んだ。


「これは以前聞いた話だが、迷宮の中には、入場者を指名してくる種類の迷宮があるらしい」

「……つまり、ユリウスさんとうちのシェラハゾ。この2人が揃わないと入れないということですか」


 やってみないとわからないがそうかもしれないと、俺は都市長にうなづいた。

 しかしタイミングが最悪だ。あんなにお腹が膨らんだシェラハを、迷宮探索に連れていけるはずがない。どこを斬られても一大事だ。


「お話はわかりました。ここは準備を整え、もう少しあの子にゆとりが生まれてから始めましょう。それまでは軍を配置して、監視しないといけませんね」

「それに賛成だ」


 あれがどんな物かわからない以上、放置はまずいのかもしれない。

 楽観視するならば、俺とシェラハを指名する時点で、もっと別の勢力が別の意図でやっている可能性の方が高い。


「反対よ!」


 ところが会話は盗み聞きされていたようだ。シェラハと一緒に秘書の義兄さんまで書斎やってきて、義兄さんの方は申し訳ないと頭を下げた。


「ユリウス、今から一緒に行きましょ! その迷宮、念のために調べておかないと危ないわ! また襲撃されるかもしれないじゃない!」

「その身体で迷宮なんて入れるわけがないだろう」

「ええ、その通りです」


「でもあたし、ずっとあの迷宮が気になっていたの……っ。あの迷宮を調べたら、消えた父と母の行方が、わかるかもしれないって……」

「シェラハ、それはダメです。危険過ぎます」


「わたしの両親はここではない別の世界に旅立ったわ! 自分の家の地下に、別の世界の入り口になると言われる闇の迷宮が存在しているなら、きっと父と母はその先の世界に行ったのよ! もしまた会えるなら、あたし、そこで子供を産んでから帰りたい……」

「それは都合の良い妄想だ。確かに闇の迷宮は別の世界に繋がると言われているが、戻ってきた者はいない。戻ってこれないのは色々と困るだろ?」


 消えた両親を捜したい気持ちはわかる。だがこちらでの生活を捨ててまでしてすることではない。俺たちが消えたらメープルはどうなる。不在に堪えられるとは思えない。

 そう現実を伝えても、シェラハは普段の聞き分けが嘘のように譲らなかった。だが俺たちだって譲れなかった。


「どうしてわかってくれないの……。あたしは、両親にもう1度、会いたいだけなの……両親に、ユリウスを紹介したいの……」

「ならなおさら後回しだ。せめて子供をどうにかしてからでないと、子供まで巻き添えだぞ」


「でも、シャンバラの未来はどうなるの……? また魔物の軍勢に襲われるかもしれないわ。2人が本当にこの国を守りたいなら、危険を冒してでも闇の迷宮を偵察するべきよ!」


 消極的な偵察だけに留めるならば、シェラハのその意見は間違っていなかった。いずれは調べなくてはならない。何か都合の悪いものが見つかってからでは遅い。


「なら偵察だけしよう……」

「ユリウスッ、ありがとう!」

「ダメです! ユリウスさんっ、そればかりは同意できません! 大切な我が子が産まれるのですよっ、なぜそんなリスクを貴方たちが冒さなければならないのですか!?」


 全てが正論だ。だが俺たちは行くと決めた。

 調べずに放置はやはりまずい。そんなことは都市長だってわかっているはずだった。


次回更新、恐らくは遅くなります。

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