・その後の出来事と、シャンバラでの平穏な日々
毎日が平穏だった。まだ外の世界では包囲網と包囲網がせめぎ合っているとはとても信じられないほどに、俺たちの生活は元の落ち着きを取り戻していた。
都市長から定期的に外の情勢については聞かされるのだが、今一つ実感に乏しい。
シャンバラ包囲網から1国が脱退して、中立に姿勢を変えたとか。その影響で再びツワイク以西にキャラバンを送れるようになったとか、そういった話だ。
ツワイクでの手作りポーションの販売は絶好調らしい。シャンバラで作られたエリクサーは、甘味好きのエルフの口に渡らないように厳重に管理された状態で、あの転移門を使ってリーンハイムに輸送される。
そしてそこから迅速にツワイクへと密輸されて、工場を辞めた錬金術師たちによってポーションに変換される。
これが上手いことに噛み合っているようで、最近はどうも忙しい……。
連日8時間みっちりと働くなんて、これでは真人間のようだった。
ちなみにシェラハたちの方はこの錬金術工房ではなく、相変わらず耕作地の方に意識が向いている。
「ということでユリウス、明日はみっちりと砂漠で働いてもらうぞ!」
「腰の調子もいいしなんだってこい。しかしお前、すっかりシャンバラに順応してるな」
というのも俺が不在の間に、技術担当のマリウスたちが黙々と自分の仕事をしていた。その結果、第二の耕作地候補が見つかったそうだ。
なので明日はまた、沙漠のど真ん中におもむいてコンクルを現地生産する荒行を始めることになっている。
「最初は少し不安だったぞ。けど今はツワイクより居心地がいい。開拓し尽くされたツワイク王都と違って、こっちじゃなんだって作り放題だ。君たちの金でな!」
「ああ、そこはわかるよ。努力した分、みんな喜んでくれるところがいい」
「そうっ、そこでだ、ユリウス! 今回の地下水道は、水を循環させたい!」
「循環……? いや、ちょっと待て、それはつまるところ……」
「ああ、君には前回の2倍のコンクルを製造してもらう! 川から取水した水を、もう1本の水道で川に戻すんだ」
「俺はまあ付き合うが……それ、労働者がぶっ倒れるやつだぞ」
「優れたインフラというのはそういうものだ。俺たちが死んだ100年後でも問題なく使い続けられるものが本当のインフラだ。だから水は循環させる」
都市長や議会はマリウスの循環水道案を採用した。エルフは100年足らずで死んでしまう俺たちと違って、半永久的に壊れないインフラがお好みのようだった。
・
マリウスの工房での打ち合わせを終えて自宅の前に戻ってくると、時刻はもう夕方だった。
オアシスは夕暮れの日差しを受けて金色に輝き、弱い風が水面に微かな波紋を描いている。
それを眺めながら工房へと戻り、残りの仕事を進めていった。
「あ、今日は水を浴びていないな……。冷える前に少し――」
肌がベタベタしていることに気づいて、俺は大きく開け放たれた扉ごしにオアシスを眺めた。けれどもそこには先客があった。
スケベ心を持とうにも、そこにあるシェラハの姿はあまりにも遠い。彼女は浅瀬の上で子供みたいにくるくると回って、少しずつオアシスの奥へと身を沈めていった。
そんな光景に意識を奪われながらもオーブに魔力をかける。この差し入れのスタミナポーションがなければ、労働者がぶっ倒れることになるのは見えていた。
しばらくするとするとオアシスに裸のメープルと、グラフの白い肌が加わって、それがまるで妖精のように踊りだした。
3人ではしゃぐその姿は見るからに楽しげで、それに気持ちよさそうだった。長い往復の旅を終えてみれば、出発から約1ヶ月ほどが過ぎ去り、彼女たちのお腹も目立つようになっている。
あそこまで大きくなってしまったら、ツワイク側で何かが起きても次は俺の単独行動になるだろう。
と思っていたところで完成だ。俺は明日作らされると相場が決まっていたスタミナポーションを箱詰めして、それが済むと厨房に入った。
そこでようやくコツを覚えてきたシャンバラ料理を作って、彼女たちが腹をすかせて戻ってくるのを期待した。案の定、夕飯の香りにつられて家族が家に戻ってきた。
「また君はそうやって、ボクたちの仕事を奪おうするんだから困ったやつだよ」
「そうよ。それに私よりシャンバラ料理が上手くなられたら、こっちの立場がないわ」
グラフとシェラハが俺の仕事を横取りして、メープルが俺を引っ張って厨房から居間に連れ出した。うちではよくあることだった。
「またのぞいてた……」
「たまたま見えたんだ。それにずいぶん遠かったし、逆光だったぞ」
「じゃあ聞く。姉さん、どうだった……?」
「今日も綺麗だった」
「私も、そう思う……やっぱ、気が合うね」
「そう思うなら手加減してくれ」
厨房でシェラハとグラフがかしましい声を上げるだけで、俺とメープルは気分がよかった。
・
一方、その頃ツワイクでは――
貴族議会は大荒れだった。シャンバラに経済包囲網を仕掛けたはずが、瞬く間に切り崩されて残る味方は3国のみ。
元からツワイクは周辺国に敵が多いのもあって、敵がカウンターとして仕掛けてきたツワイク包囲網に加わる国が後を絶たない。
エルフたちの首を絞めたはず、逆に締め返されていた。
議題は3つある。どれも繰り返し議論されては、座布団を投げ合うほどの大荒れになる。
そのたびに議員たちは自分の投げた座布団を探し回り、議論が中断される。コメディのような話だが、貴族議会では珍しいことでもなかった。
――――
1.手作りポーションの販売禁止令法案
2.シャンバラに対する外交政策の再検討
3.国王への退位要求
――――
議題1は国王一派と、新工場長による新法案だ。工場を抜けた錬金術師たちが、個人でポーションを作り始めて、それを信じられない安値で売り始めた。
ツワイク王たちは俺たちが仕掛けたこの策略を、新たな法律を作ることで封じようとしている。だがさすがに、そんな恣意的な法案を諸侯が許すはずがなかった。
「輸入ポーションでも別にいいではないですか。安いんですから」
「そうですぞ。安いポーションが流通して都合が悪いのは、工場の持ち主である王家だけではないですか」
「適度な関税をかけましょう、関税を。シャンバラもそれで納得するはずです」
いかに王と言えど、貴族たちを説得しなければ新法は通せない。これは今日までポーション産業を、王家の独占事業にしていたツケだった。
議題2は現実主義者とハト派議員による提案だ。シャンバラに対する外交政策を変更し、和解した方がツワイクの利益は大きいという意見だ。
「何を言っている! やつらは表向きは隠しているが、シャンバラには迷宮がある! ツワイクとの共存は不可能だ!」
「ならどうするのだ? 彼らの国は迷いの砂漠の向こう側、軍事力では倒せんぞ」
「市場を健全な状態に戻しましょう。こうも両陣営に分かれて対立しては、貿易どころではありません」
優勢だったはずの経済封鎖を次々と切り崩されて、多くの諸侯が日和見を始めていた。
議題3は説明するまでもない。この状況を生み出した国王に、退位を迫る決議だ。過半数にはとても届かなかったが、むげに扱えば反乱のきっかけにもなりかねない危険な状況だ。
「あのうつけのアリの言葉が正しかったというのか……? 宰相、元はと言えばこれはそなたの思い付きだろう。何か案はないのか……?」
「申し訳ありません……。シャンバラの底力を見誤っていたようです……。陛下、ここは和睦を……」
今は退位の要求が議会を通らなくても、1月後にそれがどうなるかはわからなかった。ツワイク王は屈辱に顔を真っ赤に染めて、シャンバラとの和睦を拒んだ。
・
その一方、ポーション工場でも1人の男が頭を抱えていた。工場長の書斎机で、新工場長はうずくまるように身を丸めて、歯ぎしりを鳴らしている。
そこにまたノックが響き、それが若い彼を震わせた。
「退社すると言うのだろう!? 出て行きたいなら出て行け! 我が工場がポーションの独占販売権を得た後になって、吠え面をかくなよっ!!」
しかし扉の向こうにいたのは工員ではなく、前工場長だった。なんだお前かと安堵したのもつかの間、そのでっぷり太った叔父は書斎の前に立つと辞表を叩きつけた。
「今日まで世話になったな、甥よ。私も今日をもって退社させてもらうよ」
「はははは……無能者のお前などいらん……」
「無能はお前だ」
「なっ、なんだと……?」
「この期に及んで時流が読めないほど私は愚かではないよ。私は勝ち馬に乗らせてもらうことにした」
辞表を爪弾いて、叔父の方は背を向けた。
「まさか、叔父上……自分だけシャンバラに寝返る気か!?」
「それは言えんよ。ではな、男爵家と共に借金におぼれ苦しむといい。私を、便所掃除夫とした報いを受けるといい……」
勝ち誇る叔父が書斎から消え、甥は身が震えるほどの不安を抱いた。自分は勝ち馬だ。王こそが勝ち馬だ。勝ち馬に乗っているはずだと、彼は自分に思い聞かせた。
「工業生産品が旧時代の手作り品に負けるわけがないだろう! やつはら何か、イカサマをしているはずなんだ! あんなもの、王が認めるはずがない……!」
しかしその半月後――ポーション価格は適正相場の2割弱まで落ち込んだ。売れば売るほど儲かるボロい商売は、市場に商品の過剰供給をもたらした。
少し前までは自分たちの独占事業で、相場を下げるも吊り上げるも思いのままだったというのに。
当然、工場で作れば作るほどに赤字になる。冗談のような桁数の売り上げ報告が届いた。こうなってはツワイクポーション工場は操業を停止する他になかった。
ストックの都合で次回更新が遅くなります。




