・フェーズ1ー1ランスタ王国 - 豪傑となった姫君 -
嫁たちは俺の青い顔を心配してくれた。
しかしそれもレッドハーブが投入されて赤くキラキラと輝く水溶液を見るなりすぐに薄れて、さらにベースハーブの緑が加わって桃色へと変わると、続けて蜂蜜の琥珀色が足されていった。
そこに25キロの干し肉や薫製肉を流れ作業で溶かせば、完成まであと一歩だ。
ところがそんな中、部屋の入り口が小さく音を立てた。
誰かが入ってきたようだが、俺は構わずに調合に集中した。一国の姫君に――いやあれだけ家族に愛されている子に、妙な薬は飲ませられない。
「あ、ガラテア……きたんだ」
「え、お姫様っ!?」
しかしやってきたのは車椅子に腰掛けたお姫様だった。
彼女は王妃様に押されて釜の前までやってきて、力のない小さな声でこういった。
「ごめんなさい、どうしても、気になって……。あの、お邪魔でなかったら……ここで見ていても、いいですか……?」
「もちろんいいに決まっている。ユリウス、ランスタ王国一可憐なプリンセスの御前だ、失敗は許されないと思え」
「いちいち余計なプレッシャーをかけるな……」
グラフはガラテア姫の庇護欲誘う弱々しさと可憐さに、すっかり目も心も奪われていた。
彼女は女性的な美しさに目がないからな、こうなることは姫を見た時点で予想が付いていた。
さて、そろそろ仕上げに入ってもいいだろう。そこでオークの牙へと手を伸ばそうとすると、シェラハが察してくれて代わりに投入してくれた。
薄桃色に輝いていた液体は、瞬く間にオークの肌のような緑色の濁った液体へと変わってゆく。
一抹の不安がよぎったが、仕上げの純銀の欠片を落とすと濁りが消えて澄み渡っていった。
これで完成だ。最後にポーション瓶を投げ込むと、薄水色に輝くマスキュラーポーションがそこに完成していた。
・
「さて……問題はここからだな。誰が飲む?」
「え、もちろん、ユリウスでしょ……?」
「お前は旦那が変わり果てた姿になってもいいのか……」
「あまりいかついのはボクの好みじゃないぞ」
「あ、あたしも、今のユリウスが好きよ……」
じゃあこれは飲めないな。
王妃様に目を向けると、彼女もこちらの意図を理解してくれた。
「わかりました、毒味役を呼びましょう」
筋肉の付かない身体に悩んでいる者はそう少なくない。被験者はすぐに見つかるだろう。
「毒味役なんていらないっ! それ、私が飲むっっ!」
「な、何を言っているのですガラテア!? これが安全かどうかもわからないのですよっ!」
「母様、私はユリウスさんを信じます……。それに私、もう誰かを犠牲にするなんて、もう嫌……。それ、かして……っっ!」
ガラテア姫は車椅子から立ち上がろうとして地に崩れた。
それでも彼女はやせ細った身体ではいずって、俺の手にあるマスキュラーポーションへと腕を上げる。
「ガラテアッ、よしなさい!」
「嫌っ、もうお荷物は嫌っ! 私は強い身体が欲しいのっ、今すぐに!!」
彼女は俺の手からポーションを奪い取った。
騒ぎを聞き受けて王や兄弟たちが駆け込んできたが、ガラテア姫は止まらない。
彼女は歯でポーション瓶のコルクを引き抜くと、中の液体をためらうことなく一気飲みした。
家族は誰もそれを止めなかった。長らく彼女が病に苦しんできたことを、誰よりも知っていたからだろう。
「ユ、ユリウス殿……これは、大丈夫なのだろうな……?」
その王の言葉に、王子から王女、王妃まで俺に答えを求めて必死の形相を向けた。
ぶっちゃけどうなるかわかりません。……なんて言えるわけもない。
「ぁ……これ、何……?」
ところがその凝視は再びガラテア姫へと戻った。
ほのかな光が彼女の全身を包み込み、穏やかにやさしく明暗している。
この反応からして、どうやら毒ではなかったようだ。
その場にいたありとあらゆる者が、ホッと安堵のため息を吐いた。だが、それは予兆でしかなかったのだ。
「あ、あれ……身体が、熱い……。あっ、あっ、あっ、ああああっっ?!!」
ドレスが弾けた。
ガラテア姫の全身が膨れ上がり、それが衣服を引き裂いて、やがてそこに――そこにその、言葉にするのもはばかられるがあえて言葉にするならばその……。
隆々たる肢体を持った美少女マッチョ姫が爆誕してしまっていた……。
身長180はあるだろうか。枯れ枝のような腕は揺るぎない丸太のごとき太さに生まれ変わり、6つに割れた豊かな腹筋が究極の境地へとガラテア姫が至ったことを証明している。
ガラテア姫は筋肉の病気を筋肉で克服した。
「ユリウス殿ォォォォーッッ?!!」
「げ、元気になりすぎではないですか……?」
「妹が……俺の妹が……俺より立派な姿に……。あ、悪夢だ……あのかわいい、ガラテアが、そんな……っ」
王族たちは絶叫した。変わり果てた最愛のガラテア姫の姿に悲鳴を上げた。
だがぬっくと姫が立ち上がると、それがジワジワとした喜びへと変わってゆく。
「お父さん、お母さん、兄さんたちに姉さんたちっ! 私、立てた! また立てたよっ! あっ……」
しかしイレギュラーは姫の豊か過ぎる体躯だけに止まらなかった。
新しい身体にまだ慣れないのか姫はよろけてしまい、窓際の壁へと手を突いた。
すると壁が消えた。爆発音を立てながら壁が弾けるように吹き飛び、麗らかな午後の日差しが室内へと差し込んだ。
あ、これ、以前どこかで見た光景だな……。
「ユリウス殿っ、こ、こここっ、これはどういうことだっ!? た、確かに姫は健康になったが、こ、こういうのは聞いておらんぞっ?!!」
姫は救われた。だが麗しく儚げだった姫は、ランスタ国内でも最強無敵の豪傑に変わり果てていたのだった。
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その後軽いドタバタが続いたが、グタグタを極めただけなので割愛しよう。
とにかく姫は死に至る病より救われた。俺と王は謁見の間へと戻り、仕切り直すことになった。
「約束通り経済封鎖を解こう……。ずいぶんと隆々とした体躯になってしまったが、それでもあのまま死ぬよりはマシだ……。い……いや、だがしかし、あれでは嫁の貰い手が……う、ううむ」
「すみません……」
「いや、あの時はつい取り乱してしまったが、それは別にいいのだ……。立ち上がれなくなった娘がああして元気でいてくれるのだから、私は嬉しい……。嬉しいはず、なのだが、どうにも釈然とせん……」
「本当にすみません、まさかあんなに効くとは」
「いいのだ……謝らないでくれ、ユリウス殿。娘が幸せなら私はそれでいい!!」
そうは言うが気持ちの整理が付かないのか、王はさっきからずっと眉をしかめっぱなしだ。
そこに彼方より轟音が轟くと、なんとも言えない苦笑いに変わっていた。
またお姫様が何かやらかしたようだな。
あちらでは似たような体質のシェラハが付き合って、メープルとグラフと一緒に力の加減を教えている。
「すみません」
「謝らなくていいと言っているだろう! いいのだ、これでいいのだ……」
「では仕事の話に戻しますが……。残りの薬はどうしますか?」
「全てこちらで引き取ろう。あれは徐々に筋肉が衰える病だ、常備しておきたい。だが……虚弱体質の姫であれなのだ、健康な人間が飲んだらどうなるかわからぬな……」
「止めておいた方がいいでしょうね」
当のガラテア姫は今の自分の姿が大好きだそうだ。
本人にとっての理想の体型がアレなら、まあこれでハッピーエンドだろう。剣を覚えたいとも言っていたくらいだ。
「して、そなたらは次にどこへと向かうのかね?」
「ファルクです。といっても俺たちは新婚旅行中でしてね、ランスタの宿で一泊釣りでも楽しんでからになりますが」
釣りの仕草をすると、王も釣りが嫌いではないのか小さく笑った。
「オドにも行くのだな?」
「ええ、ツワイク行きの交易ルートを復活させたいので」
「そうか。では差し出がましいかもしれないが、両国宛の紹介状を書こう。ツワイクに味方する利薄し、とな」
「それは助かります。……ですがガラテア姫のことは、本当に申し訳ありません。まさかあんな――」
「謝るなと言っておろう。君はランスタ王家の恩人だ、何かあればいつでも我々を頼ってくれ」
「いえ、そこは持ちつ持たれつで――」
そこでまた轟音が轟いた。今度のは金属音も混じっている。
姫の手から剣でもすっぽ抜けたのだろうか。
「……気が変わりました。あの研究棟、もう少し貸してもらえますか? このままじゃやっぱり申し訳ないので、サービスで壁の補修剤を調合させて下さい」
「お、おお……そんなことまでそなたは出来るのか! ではそうしてくれると助かる! ははは、しかしあのままでは、いつか城ごと吹き飛ばされてしまいそうだな、わははは……は、はは、はぁぁ……」
「すみません……」
「謝らなくていいと言っておろう……」
ツワイク王に礼を言って、奇跡の建築材コンクルを生産してから俺たちは王宮から立ち去った。
次の目的地は都を離れた湖畔の宿、川鵜亭だ。
次回更新分、ボリューム少なめになります。




