・砂漠に広がる緑の地平 - 刻印 -
「ずるいぞ! ボクが帰るまでほどほどにしておくって、約束だったじゃないかっ!」
「すまん……」
その翌日、グラフがリーンハイムでの出張から帰ってきた。
なんでも次から次へと頼られてしまい、帰るべきタイミングを失ってしまったらしい。
そりゃ自分と同じ人間がもう一人増えてくれたら、俺だってそいつを使い倒す。
もう一人の自分が存在することに最初は戸惑ったが、今となってみると便利でしょうがない。そうこちらの世界のグライオフェンが言っていたそうだった。
そこは同感だ。他のやつが大切な嫁の肌に触れるだなんて想像するだけで最悪だが、もう一人俺がいれば、この腰もここまでボロボロになることはなかっただろう……。
「いい。逆の立場だったら自分がどうしたかなんて、そんなの考えるまでもない。ぁぁ……会いたかったよ、ユリウス……」
「あ、ああ……」
平和が訪れてより、グラフはだいぶ変わった。
使命に駆られていた気高き白百合は、このシャンバラを介して外の世界を知った。
いや……変わったと表現するより、順応したと言った方が近いだろう。
環境や境遇が変われば人はガラリと変わる。
具体的に言えば、今日までグラフを縛り付けてきた全てのしがらみが失われて、ちょっと子供っぽい甘えたがりのお姉さんになった。
「酷いんだよ、こっちの世界のボク……。自分だけ女王陛下の御寵愛を受けてるくせに、キミがいると便利だとか言って、次から次へと仕事を割り振ってくるんだ……。おかげでボクは――」
「おお、よしよし、それは大変だったな……」
なんだか、仕事に疲れたキャリアウーマンを慰めてるような気分だ……。
青く美しいグラフの髪を撫でて励ますと、俺より遙かに年上のくせに上目づかいで甘えてくる。
もう一人のグライオフェンがこれを見たら、きっと発狂すること間違いなしの弱々しい愛らしさだった。
「疲れた……」
「そうだろうな、お疲れさま」
直立していると腰がゾワゾワと痛む。
かといってどこかに座ってからくっつき直すことになれば、なおのこと離してもらえなくなるだろう。
俺はオーブに魔力をかけながら、鈍い腰痛を堪えてポーションを仕上げた。
「ふぅ……やっと落ち着いてきた。すまない、ユリウス。ここに帰ってくると落ち着くんだ……」
「当然だろ、ここがお前の家だ」
ところが水槽の方からガラスのぶつかる音がした。
納入にきた商会の人間かと思えば、それはフードをすっぽりとかぶったメープルだ。
「お帰り、グラちん……。今夜は、譲るね……」
「ぇ……。み、見てたのか……っ!?」
「ま、割と、んーと……最初から……?」
「そ……そんな……」
「コイツの趣味はのぞき見だからな……。お、おい……?」
「うっ……ぅぅぅーーっっ!」
子供みたいに甘える姿を人に見られたのがよっぽど恥ずかしかったのか、我が家ぶっちぎりの最年長はそれこそ思春期の少女みたいに恥じらいながら、まあ端的に言えば工房から逃げていった。
「グラちん、ヤバくない……?」
「あんまりいじめてやるなよ……」
「だって……いじけながら、ユリウスの胸をグリグリするところとか、鼻血もので、つい……。それに対して、ユリウスも鼻の穴がヒクヒクと……」
「お前、どんだけ近くで見てたんだよ……」
「そこ」
我が家で最も厄介な嫁さんは、潜伏魔法ハイドを使って俺たちを足下から見上げていたと暴露したのだった。
とんでもないやつと結婚してしまったな……。
・
昨日はそんな日だった。
幼児退行してしまった美しき白百合を、ただひたすら慰める一晩だった。
「いつも搬送ありがとな」
「い、いえっ! ユリウス様のお力になれるだけで、ボクは光栄です!」
「様付けは止めてくれって言ってるだろ……」
「でも尊敬している人を敬称で呼ぶの当然だと思います」
素直なエルフの少年は笑顔を輝かせて、リーンハイム製の木箱にポーションを詰めていった。
彼はフードをかぶってから小さな身体で木箱を抱えると、汗を流しながら工房を出て行く。
「もう昼か。おーいっ、都市長のところに行ってくるから後よろしくなーっ!」
「はいっ、お任せ下さいユリウス様!」
ラクダ車に木箱を乗せる後ろ姿を見守ってから、俺はご年輩向けのステッキを突いてすぐそこの市長邸宅に向かった。
転移魔法は――あんなことがあった後だ。歩いて済む距離ならば歩くことにしていた。
・
「少し早かったか?」
「そんなことはありません、首を長くして待っていましたよ」
義兄に案内されて書斎に入ると、都市長はステッキを突く俺の姿をおかしそうに笑った。
「フフ……そのご様子からして、孫の顔も後一歩といったところでしょうね」
「ああ……。けどその前に俺が死ぬかもな……」
書斎机の前にイスを運び、斜めにして座った。
すっかり座れる場所を探したり、作り出すのが習慣だ。
「はて……。あのレシピ帳の数々に、腰痛を治す魔法の湿布みたいなものはないのですか?」
「いやそれが、そういうスタンダードなのは載ってないみたいだ。本にして解説するまでもない、口伝で片付く分野なのかもしれないな」
「ではあのスタミナポーションは効きませんか?」
「いや……」
無意識のうちに、俺は喉から乾いた笑いを漏らしていた。
都市長はそれだけで察してくれたようだ。コクリと、やや満足げにうなづいた。
スタミナポーションで腰への疲労の蓄積を解消したところで、そこは大人の事情により、明日に持ち越される疲労の総量はあまり変わらなかった……。
砂漠に多少の雨が降っても、砂の大地が全てを吸い尽くしてしまうアレに似ている。
「それで、今日はなんの話なんだ?」
「あなたがあの子たちを、そんなに愛してくれると私も嬉しいですよ。最近のあの子たちはいつだって笑顔で……ああ、すみません、つい」
「まんまとアンタにはしてやられたよ。こうなってはもう他国に寝返るなんて考えられない」
あの日、別の女性を選んでいたらこうは愉快にらなかっただろう。
「はい、私も貴方がシャンバラを捨てるなんて、もう絶対にあり得ないと思っています。さて、そんな姿のユリウスさんに頼みごとするのも申し訳ないのですが、お話がありまして……」
「この腰はただの自滅だ……。遠慮なく言ってくれ」
「大地の結晶と、植物系魔物素材が目標の数まで集まりました」
「お……」
その一言に俺は顔を上げて、期待を込めて都市長へと微笑んでいた。
「となると、ついにやるのか?」
「ええ、今回もパーッと使ってしまうことにしましょう! そうそう、国民投票をしたことはご存じですか?」
「国民投票? 俺のところにはこなかったな……」
「はて……まあいいでしょう。ともかく国民投票を行った結果、今回我々は森を作るのではなく、広い草原地帯を作る方針になりました」
草原か、いい考えだ。
最近はあの都市公園も、朝から夜まで人でごった返している。
あの場所にただたたずむだけで、彼らは幸せそうだった。
「候補地は?」
「はい、マク湖を取り囲むように草原を作ることになりました」
「マク湖? お、おい……ちょっと待ってくれ。あそこは、あそこだけは困るぞ……」
「あそこだからいいのですよ。あなたの彫刻を一目見るために、国中のエルフがあそこに集まるのです。現状、これ以上の候補地はないと行っていいでしょう」
「いやそれって、義理の息子の恥をさらすようなもんだろっ!?」
「恥? エルフの美貌にヒューマンの英雄が魅了される姿に誇らしさを覚えると、大好評ですが?」
「んなっ……んなわけあるかよっ!?」
つい力をかけたステッキが滑って、俺は死にかけの腰に深刻なダメージを受けるところだった。
昨晩のグラフは薄明かりにあの美しい青髪が揺れて……いや、こんなところで何を考えている、俺は。
国の発展に貢献した英雄ユリウス。その彫像を眺めにきた観光客たちは知るだろう。
英雄と呼ばれる男が、ただのドスケベ野郎である現実にだ……。
最近、俺も自分のことがわかってきた……。この腰の痛みは、ドスケベ野郎の刻印だ……。
日付をまたいでしまってごめんなさい。
どうにか書き上がりました。
追記、投稿ミス失礼しました。教えてくださった皆様ありがとう!




