・白百合目覚める
その翌日、シャンバラでは――
・白百合
終わりのない悪夢から飛び起きると、そこは白くて暖かい世界だった。
ベッドはふかふかでやわらかく、目覚めた部屋の内装は宮殿のように立派だった。
どうやら誰かがボクを保護してくれたみたいだ。
身を起こすと戦の傷が今さらになって痛んで、全身の傷に丁寧な処置がされていることにまた驚いた。
「帰らなきゃ……」
ここが女王陛下が言っていたシャンバラだろうか。
身を起こして少し歩くだけで、柔軟性を失った傷口が引っ張って痛い。
それでもどうにかしなきゃと、ボクはろくすっぽ回らない頭で部屋を出た。
廊下に出ると窓辺に寄った。
「え……」
そこにあったのは砂と湖の国だった。
見たことのないひょろりとのっぽな木々に、光であふれたまぶしい世界があった。
そしてそんな世界で、浮き上がるように青く輝く湖がたたずんでいる。
「うっ……。熱いな、ここ……」
それに惹かれるように建物を出ると、ジリジリと熱い日差しがボクの肌を焼いた。
それでもあの湖が気になって、ボクは涼しそうな湖水に近付いた。
大きな建物から出ると、左手に神殿を改造したかのような白い建物がある。
あそこだけ花に囲まれていて、砂の中に小さな緑があって綺麗だった。
「ん……ちょっとしみる……」
オアシスの水は浅いところはぬるく、奥の方はひんやりとしていた。
ボクは辺りを見回し、誰の姿もないことを確認すると、衣服を脱ぎ捨てた。
処置をしてくれた医者には悪いけど、水を浴びてすっきりしたかった。
「っっ……痛、いたた……」
最初は痛みを感じたけれど、次第に身体が慣れていった。
ということはもう治りかけているということだ。
ボクは湖の――オアシスの奥まで入って、軽く背泳ぎをして浮力に身を預けた。
コポコポと、水に浸かった耳がくぐもった音を聞き取った。
一面真っ青な空と、あまりに熱い太陽がボクの肌を温めてくれた。
「あれ……。あれって、砂漠エルフ……? じゃあ、ここは本当に、もう一つの……」
しばらく暖かさと冷たさの混じり合った沐浴を楽しむと、神殿側の湖にボクと同じように水浴びをするエルフを見つけた。
輝くブロンドと褐色の肌がまぶしい。
なんて美しい人だろうと、ボクは夢中でその人を見つめて、少しずつ距離を詰めていった。
そうすると向こうもこちらに気づいたみたいだ。
泳ぎ慣れているのか、湖をスムーズにかいて、ボクの目の前までやってきた。
ああ、そうだった……。
少しずつ頭が回っていって、水浴びどころではないことを思い出した。
「良かった、目が覚めたのね。ここはシャンバラよ。あなたは青い光の柱とともに現れて、ユリウスに――う、うちの旦那様に保護されたの」
ボクはその美しい女性の両肩を力強く抱いた。
近くで見ると、ますます綺麗だった。でもそれどころじゃない!
「キャッッ!?」
「いきなりごめんっ! ボクは森エルフの民、長弓隊の隊長グライオフェン! あなたたち砂漠エルフの民に救援を求めにきた!! お願いだ、ボクの故郷リーンハイムを救ってくれ!!」
ああ、それにしてもなんて美しい人なのだろう……。
まるで女王様みたいだ……。
彼女の名前はシェラハゾ。伝説の千年王国を築いたいにしえの女王と同じ名前を持った人だった。
彼女はやさしくたおやかで、すぐにボクたちの苦境を察してくれた。旦那のユリウスが憎らしくなるくらい、とても素敵な女性だった……。
・
ボクはこの素敵な女性、シェラハゾさんを信頼することにした。
なんと彼女はこのシャンバラの最大権力者の養女で、ボクが寝かされていた建物こそ、都市長こと伝説のエルフの邸宅だと教えてくれた。
これによりシャムシエル様との面会すぐに叶った。
当然、ボクは国への救援をすぐに求めた。
「なんと……それは本当ですか」
「は! あんな神出鬼没の軍勢、本来ならば絶対にあり得ません! ですが事実です、ボクが飛ばされた時にはもう、王都はもう陥落寸前で……」
すると彼らは何か知っているのか、どこか驚いた様子で顔を見合わせていた。
なんだろう……。彼らの納得もやけに早かった。
「まだ一月も経っていませんが、実はこちらも同じ状況に追い込まれました」
「えっ……!?」
「亜種族を中心としたモンスターの群れが突如現れ、あわやシャンバラは再起不能の大打撃を受けるところでした」
「じゃ、じゃあ……皆さんはアレを撃退したんですかっ!?」
あり得ない。あんな軍勢に勝てるなんて、この国はどうなっているんだ!?
「ユリウスが救ってくれたの」
「そのユリウスとは?」
シェラハゾはその名前を出すときに声を大きくする。
よっぽどそのユリウスが誇らしいのか、大きなその胸を張って彼女は得意げに笑い返してきた。
「私の自慢の息子で、そこのシェラハゾの夫です。強大な魔力と錬金術の才覚だけではなく、不思議なカリスマを持った男です。彼がいなければ、シャンバラの形式上の首都であるこの地は陥落していたでしょう」
それは都市長ことシャムシエル様も同様で、よっぽどそのユリウスは凄い男なのだと期待させられた。
その人がいれば、故郷を助けられるかもしれない。
「砂漠エルフにそんな素晴らしい英雄がいるのですか。一度お会いしてみたいものです」
「い、いえ、ユリウスは、その……」
「しかし救援ですか」
「はい、急ぎ救援部隊を編成していただきたく! 王都は既に、陥落寸前で……。ボクたちはあなたたちを頼るしかないのです……。どうかお願いします、ボクたちを助けて下さい……」
戦闘に巻き込もうというのだ。そう簡単な話ではないのだろう。
シャムシエル様は静かにまぶたを閉じて思慮を始めた。
彼は古くより生きる伝説の存在だ。
数々の功績を上げながらも、王とはならずシャンバラを共和制に導いたとされている。
「よっ、爺さん。爺さんが薦めてくれたあのニャンニャンパラダイス、最初はどうかと思ったが、なかなか良かったぜ」
「えっ、なっ――ヒューマンッッ!?」
そこにヒューマンのオヤジが入ってきて、ボクは会見の場だというのに剣を抜きかけた。
だけどそうだった、今はボクの腰に剣はなかったのだった。
「おう、ヒューマン様だが何か? つーかさっきから話聞いてたんだけどよ、それ、間に合わねーんじゃねぇか?」
「ッッ……」
誰もわかっている現実と突きつけられて、ボクは苦痛のあまりに暴れる胸を押さえ込んだ。
そんなボクを、シェラハゾはやさしくいたわってくれる。慰めにボクの背中をさすってくれた……。
けどなんでヒューマンがエルフの国にいるのだろう……。
「やはりそこですね……」
執事風の男が地図を取って、大きな書斎机に広げていた。
「両国の間には、ヒューマンの国が5つですか。国境通過の許可を取るだけで、正規軍の到着は1ヶ月以上も先になってしまうでしょうな」
「そ、そんな……」
リーンハイムにシャンバラの主力は送れない。
それは滅亡の宣告も同然だった……。
「大丈夫よ。都市長は仲間を見捨てる人ではないわ」
「一応、ツワイクでお偉いさんをやってた身だ。必要なら俺が交渉を取り付けるが、それでも半月はかかるぞ。そこから行軍となりゃ、いつになるやら……」
どうにもならない現実に、思考回路すら麻痺しかけた……。
敵と思っていたヒューマンが味方しようとしてくれているのも、混乱に拍車をかけた。
「だったらユリウスを頼ればいいわ」
「ユリウス……そのユリウス様は、そんなに凄いのか……?」
「そうよ。わたしの旦那様は凄いの! やさしくて、強くて、ちょっと突っ走り過ぎるところはあるけれど、彼は奇跡を引き起こす不思議な人よ」
「しかしいくらバカ弟子とはいえ、この状況がどうにかなるもんかね?」
「そ、それは……。例えば、と、透明になるアイテムを作っもらうとか……」
「ははは、んなもんあったら天下取れちまうぜ」
大事な会談の席だというのに、絶望が思考回路を埋め尽くして、言葉の理解を拒んでいた。
大好きな女王様があのまま、怪物たちに殺されてしまうだなんて……そんな……。
「まずは少数を派遣しましょう。それで多少の陽動にはなるはずです」
少数を派遣することになって、派兵の準備をしながらユリウスという男の帰りを待つことに決まった。
ボクの面倒はシェラハゾが見てくれることになって、今日から彼女の家にご厄介になることになった。
錬金術師ユリウス。転移術の天才にして、たった1人で国家規模のポーションを大量生産してしまう男。
本当にそんな超人がいるのだろうか……。
あまりに絶望的な状況だったけれど、今は傷を癒して待つしかなかった。




