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第22話 キーワード 

    22、キーワード


 ホテルに帰って、間宮の作ってくれた肉じゃが定食を食べた山部たちは、この日の夜に予定していたスナック・ブルンガでの聞き込みを中止した。

 日浦がいないし、チーママの静香さんも付添で東京に行ったとなると仮にスナックが営業していたとしても、たいして情報は集まらないだろう。というのが山部の考えだったが、檜坂は「日浦さんは本当にお気の毒だったと思いますが、私はちょっとスナック・ブルンガを覗いてみようかなと思ってました」と残念がった。

 山部は檜坂の提案を却下し、その代わりこれまでに分かった事実を部屋で分析してみることにした。


 友久教授のパソコンから見つかったシークレットファイルだが、山部には思い浮かんだキーワードがあった。それは河野からもたらされた情報で、友久教授の内縁の妻の名前が『三浦悦子』と分かったからだった。そこで山部は『えつこ愛』や『えつこLOVE』など片端かたっぱしから打ち込んでみることで、殆どを開くことができた。

 その、中年男性にしか思いつかないような内容に檜坂がしきりに感心していたが、最初に出てきたファイルは、三浦悦子を撮った写真集で、教授がいかに悦子を愛していたかがうかがえるものだった。三浦悦子が教授を金づるとしか考えていなかったと分かった今では、胸が痛んだが、中には見ている檜坂があきれてしまうほど、二人の性生活を露骨に切り取った写真もあり、気の毒に思えた気持も半減した。

「友久教授は奥さんに踏まれるのが好きだったんですね」

 檜坂が、真っ赤になりながら感想を述べた写真は、三浦悦子と思われる裸の女性が、ブリーフを履いた教授の股間部を踏みつけているところを定点カメラで撮ったもので、他にも同じポーズを教授目線で下から写したものもあった。

 別のファイル。これは悦子の自撮り写真で、四つん這いの教授の背中を椅子にして右手でピースサインをしながらリンゴを食べている写真などがあった。

「故人のプライベートに関するものは、詮索するのをやめようか」

 どうやら、あまり収穫はないかと諦めかけた矢先、文章ファイルで重要そうなものが見つかった。

たとえば、〈ブルンガ島の経済に関する考察〉と書かれた項目。

 それを檜坂が声を出して読み上げた。

「前から不思議に思っていたことがある。これだけの巨大なプロジェクトが、本当にブルンガ国の安い給与水準を利用した工業品製造のためだけのものだろうか」

友久教授は文化人類学者で経済学は素人だが、現在のブルンガと日本の関わりという点には興味を持っていたのかもしれない。

「調べてみるとこの浮島を製造するのに日本政府は7000億円といった巨費を投じている。(この金額については、とてもそんなものではないというウワサもある)それをブルンガ国に50年という期限を設けて貸出しているのだ。その後はブルンガ政府に譲渡されることを考えるとゼロ金利で、しかもアフリカまでの曳航費用を無視したとしても、年間140億円以上のリース料を取らないと、税金の無駄遣いになるはずだ。だとするとブルンガ政府の方は、これだけのリース料とメンテナンス費用を支払ってもなお利益が出るのだろうか」

 記述はまだ続く。

「確かにこの島には8000人のブルンガ人がいて、その1/4ほどが吉浦電気の工場や、下請けの関連施設で働き、本国で働く場合と比べて倍以上の給与を得ている。また地下にある桑山造船の波力発電施設では、自国の給与水準の4倍という高賃金で1000人程のブルンガ人が働いていると聞いた。しかしそうした従業員や商業従事者が収める税金は……」

「長いな。檜坂君、はしょろう」

「桑山造船の地下管理棟にいる高本氏に聞いたところ、島の波力発電能力は約88万kwということだった。波の上下運動を利用した、波力発電は太陽光や風力と違い、24時間発電することができる。波力発電に対する電気買取価格が、1kw20円となっている。これは太陽光の1kw8円よりかなり高額だ。こうした買取価格は政府の意向が反映されるので、波力発電が政府主導のものであることがわかる。計算すると、年間約1500億円余り……」

   (省略)

「問題は日本だ。勿論、製造時の雇用による景気浮揚策や、海外資金援助等の理由づけもできるだろうが。ブルンガ島から上がる利益の殆どが給与差によるものではなく、波力発電から出るものだとすれば、わざわざ他国に島を貸すメリットは薄いはずだ」

「そう言えばそうだな。間宮さんも言っていたが、波力発電所が元々の計画で、収益の殆どがそこから出るなら、外国を巻き込む必要はない。安定的な労働力が必要だったとしても、日本から遠いブルンガではなく東南アジア諸国、例えばラオスやカンボジアと契約しても良かったはずだ……」 

 ここまで読んで、檜坂はちょっと考え込んだ。

「もしかしたら教授は、こういった政治的な事情に興味を持って、あちこちをつついたことで、色々な利権を持った人たちから煙たがられたのではないでしょうか」

「その可能性も無くはないだろうね。ただ、それなら教授より浮島が計画された当初の事情に詳しい間宮さんが狙われても良さそうなものだけど、彼女の周辺では何も怪しいことは起きてないみたいだけどね……」

「だって間宮さんは、この浮島ができた経緯などを外部の人に話したのは私たちが初めてだって言ってましたよ」

「つまり間宮さんはノーマークだったとも言えるか……」

「まあ、もう少しファイルを読んでいきましょうか」

「声に出して読むと疲れるだろうから、黙読でいいよ。こっちも読んでいくから」

「わかりました」

 檜坂は再びファイルをスクロールし始めた。


 鍵の掛かった文章ファイルは他にも幾つかあり、中には三浦悦子が他の男性と付き会っているのではないかという嫉妬めいた記述もあったが、『エスノグラフィー』という副題の付いた複数のファイルはブルンガ国に置ける二つの民族についての真面目な考察だった。

 そこにあった〈クマ王国の崩壊とブルンガ島の関係についての考察〉と書かれた項目は、ブルンガ国に対する知識が乏しかった山部にとって新鮮でありがたかった。

 だがディスプレイに表示された文面を読み進むうち、この記述が驚くべき内容を含んでいる事に気がついた。


『クマ王の統治するブルンガ王国(ハミ族はクマ王国という呼称を使う)はアフリカの年と呼ばれた1960年にカメルーンやマリ等と共に独立を果たした』

   (省略)

『独立時には指導者が多数いたが、中でもクマ族の若き首長アズーラ・ピラト(当時27歳)は、最大の人口を持つハミ族やイスラム系のトゥーラ族などの人々にも広く慕われ、ユーゴにおけるチトー的存在となり、初代大統領に選ばれた。しかし長期政権は腐敗する。本人に自覚が無くても必要の無い忖度が繰り返され周辺部から朽ちていくものだ。1985年、汚職に端を発したデモが起こると、アズーラはより強い政府を目指し、側近に担がれて王国を樹立。初代ブルンガ王を名乗った。アズーラはその後、いったんは国を建て直したが、2011年にチェニジアで起きたジャスミン革命がブルンガにも波及し失脚。処刑された。これは永続的支配を嫌うハミ族などの……』

(省略)

『各勢力が入り乱れ、一時的に少数派であるイスラム勢力が政権を奪取したが、フランスやアメリカの支援を受けたアズーラの息子・ベクラ・ピラトが2013年に国権を掌握。二代目・ブルンガ王を宣言した。その際ベクラは王権を強固にする目的で、自分たちは7世紀に栄えた古代ブルンガ王国と繋がりのある一族であると喧伝させ、歴史学者に依頼して、周辺国の伝承を都合よく解釈させた物語を創作。それを学校で教えさせた。要するに彼は伝統の創造を行ったのである』

   (省略)

『ベクラの最終目標はブルンガ国内に幾つも存在する民族を一つの民族に作り変えることだったと言われている。独立当初ブルンガが目指した統治形態は、インドネシア的な表現をすればスクバンサを束ねたバンサといったものだった。それがベクラが登場して以来、明らかに変わった。ここに彼が宣誓式で述べた有名な言葉がある。「およそ地球上の民族は全て、原初よりその地に存在していたものではない。それは侵略と略奪、殺戮とレイプの末に形態を成した物だ。しかし私はそのような残虐な統合は望まない。それゆえ、教育せよ。異論を封じよ。私以外に王はない。広報せよ。ブルンガこそ、この世で最も幸わせな国なのだと! さすれば100年の後、この国にはハミもクマもトゥーラも無く、等しくブルンガの民となるであろう」というものだ。まさにサラダ・ボウルからメルティング・ポットへというわけだ。これは世界の潮流に逆行する考え方と言える……』

     (省略)

『その言動から誤解されている面もあるが、ベクラが行おうとしたのは同一性の政治だ。エスニシティについては、原初主義ではなく道具主義であったと言える。側近のクマ族の有力者たちがクマ族を中心とした国造りを考えていたとしても、ベクラの頭の中にはクマもハミも無かったと思われる。目的を達成させるための強引な政策は、ある意味で理にかなっている。選択の自由を奪われた人々は、認知的不協和から生じる不快感を解消するため、自らベクラを良き指導者と思い込み民族への自己同一化を行うのだ。その結果……』


「エスニシティ? 道具主義? 同一性の政治? 訳のわからない専門用語が多いな。檜坂君、適当に読み飛ばそう」

「そうですね。この辺りは荒筋だけを押さえれば良いと思います。要するにベクラは自分を中心にした民族同化策を夢見たんですね」

 檜坂は文面をスライドさせた。


『だがベクラはやり過ぎた。作り上げたファンタジーをリアルなものとするため考古学者を雇って遺跡らしきものを発掘。豊富な天然資源の輸出によって得た資金で1400年前の町並みを、想像を交えて誇張し再現してみせた。こうして捏造された古代の遺跡は、名目上は公園だが実際には一般人が許可なく立ち入れない聖地とされた。そんな場所が国民の反発を招いたのは、COVID-19によってパンデミックが起こった2020年だ。あの時、病院のベッド数が極端に不足していたブルンガではWHOの指導の元、臨時の病院が各地に作られた。ところが強制的に収容されたのは都市近郊の農民が所有するトマトやピーナッツの畑で、ベクラが整備したいわゆる聖地や、都市中心部に広大な土地を持つ教会の敷地などには一切、手がつけられなかったのだ』 

   (省略) 

『さらに2027年に起きた国境をめぐる隣国との紛争も問題を大きくした。アフリカの国境は、そこに住む民族構成を無視して、旧宗主国間の都合でラインが引かれている。そのため北部のクマ族が多く移住する放牧地域は隣国にまたがっていたのだ』

「これはアフリカではよくある話です」

「確かにアフリカの地図を見れば、地形なども無視して直線で国境が引かれているね」

「それでも遊牧民が自由に行き来しているうちは良かったんでしょうけど、国が整ってきて国境線をバリケードなどで覆うようになってくると、やはり問題は起きてきますね」

「ヨーロッパ人も罪なことをしたね。で、この続きはどうなってるんだ?」


『この曖昧な地を自国の領土とすべくベクラは軍を動かした。しかし軍事力に優る隣国の前に敗れた。その際、多くの犠牲者が出たがその大部分が徴兵されたハミ族の若者だった。これに対しハミ族の間では「なぜ自分たちが狩りをすることもできないクマの地を守るため、ハミの青年たちが犠牲にならねばならなかったのか」という強い怒りが噴出した。一方、昔から利用してきた放牧地を完全に失ったクマ族の間では「ハミは元々隣国と繋がっていた。土地を奪われたのは、ハミのスパイのせいだ」という声が上がり、国内は分裂状態に陥った。2028年に入るとついにベクラを支えるクマ族と、最大の人口を持つハミ族や遊牧民のトゥーラなどと陣営の間で内戦状態になり、人口で優るハミ族が勝利した。ベクラは失脚し翌年7月に処刑された』

     (省略)

『元々ブルンガの地下資源開発は、アメリカのメジャーや日本の商社、フランスの国営会社が中心になって行われていた。人権には厳しいアメリカも、ブルンガがキリスト教国で周辺のイスラム教国とは対立していたことや、資源を売ってF16戦闘機やA1戦車などを買っていたこともあって、べクラの強権政治にも沈黙を続けていた。だがベクラが処刑され、王制が廃止された後は、西側諸国は撤退を余儀なくされた。なぜならハミ族を中心とした反乱軍を支援していたのはロシアや中国であったことにより、新生ブルンガ共和国の中枢にはこれらの国の人間が、顧問として入り込んだためだ。なお撤退による損失は、アメリカが4兆円ほど、日本とフランスが2兆円程度とみられている。この試算は、フランスの経済誌の……』

     (省略)

『もちろんアメリカや日本及び旧宗主国のフランスが、そのような状況を傍観していたわけではない。CIAはブルンガ王国の再建を目指し、ピラトの血族を亡命させようと画策した。だが、確認されている血族は全て殺害された後だったのだ。ところが後に発見された王位継承権記載帳により、ベクラにはもう一人隠し子がいたことが判明した。それはなんと2026年に私がブルンガ本国でホームステイさせてもらっていた家のあるじモカンゼだったのだ。(当時私は、西アフリカで唯一この地域にだけ強固に残る非カルケドン派キリスト教の伝統と周辺のイスラム国からの影響を、参加観察法の手法を使って調査していた。モカンゼとは網膜芽細胞腫という小児癌を患った彼の娘を知り合いの日本人医師に紹介したことで親密になった)』

 この文章には(2026年6月・撮影) とある一枚の写真が貼り付けてあった。

そこには友久教授とモカンゼと思われる精悍な顔つきのアフリカ人。その奥さんとみられる女性。それに片目に眼帯を付けた5歳か6歳くらいの少女が写っていた。


「なんと、殺されたモカンゼというのは王族だったのか!」

 山部はハミ族であるルカ・ベンが、何故あれほどモカンゼことを嫌っているのかが分かった気がした。

 そのモカンゼに対する記述はまだある。


『私と同じようにブルンガ人の文化や習慣を研究している人物から得た情報ではモカンゼは第七王子に当たるそうで、継承順位も下であることから本来であれば、少し裕福な一般人として一生を終えるはずの人間だった。だが、ピラトの血族が根絶やしにされる中、王党派の准将(この男はクマではなくハミ族だが、元フランス軍・外人部隊経験者だという)の手引きで妻子と共に町を脱出し、地方都市に身を隠したらしい。しかもその際、正当なる王位継承者を表す《ブルンガの涙》と呼ばれる、20カラットのブルー・ダイヤモンドを持って逃げたというのだ。このブルンガの涙は、この国の秘宝で、公開されたことはないが、伝えられる話では、透明度が高く傷も無い丸みを帯びた極めて良質のダイヤモンド・ラフらしい』


「よく分からんが、20カラットのブルー・ダイヤモンドってどの位の値打ちがあるものかな……」

「ラフは原石という意味で質にもよりますが、透明度が高く丸みを帯びたブルー・ダイヤモンドならば特に高価で、20カラットともなると10億円以上してもおかしくありません」

「君はファッションに関しては、あまり興味がなさそうだけど、こういうのには詳しいんだねえ……」

 檜坂はおそらくダイヤを一般の女性のようにオシャレをする物としてではなく、警察官の目から、狙われやすい貴金属というカテゴリーで見ているのだろうと、山部は思った。

「要するに、これは王家の生き残りが国宝級の宝を持って逃げている。それを現政府が追っているという、構図なのか?」

「この先にそれに関する記述があります」


『クマ族を中心に設立された共和国・政府軍や、それに協力する中国・国家安全部、FSB(ロシア連邦保安庁)だけでなく、彼らより先にモカンゼを保護しようと動いたであろうCIAやDGSE (フランスの情報機関)などの努力も虚しく、モカンゼとその家族の行方は、東南部にある国境近くの村・ガセンリで目撃されたのを最後に、ぷっつりと途絶えてしまったという。私はブルンガ情報に詳しい学会の友人との懇談会や、インターネットを駆使して、現地で発行される新聞を片っ端から読んでみたが、モカンゼの名前はおろか、行方不明の王族に関する新たな記述はまるで見当たらなかった』


「ここからは文字のフォントが大きくなっています」


『ところが、昨年日本政府が推し進める新海洋国家建設における、テストケースとして作られた、この浮島にブルンガ人の文化に詳しい者として招待され、吉浦電気の工場を視察させてもらった時、当のモカンゼを発見したのだ。それは、私が工場の休憩室でコーヒーを飲んでいた時のことだった』


「これはまた大変な再会だな」

 山部は思わず唸った。


『私を見て動揺しているブルンガ人を、私はすぐにモカンゼだとは気付かなかった。それ程、彼の容姿は以前と違っていたのだ。元々多少精悍な印象があった彼ではあるが、今や単独で行動するライオンのように研ぎ澄まされた獣性を帯び、頬はこけ、目つきも鋭くなっていた。その男がモカンゼだと認識した私もまた、戸惑った。彼が現在置かれている立場を知っていたからだ。一瞬、私は気付かないふりをした方がいいだろうかと考えた。しかし、モカンゼは私の元にやって来て、テーブルの対面にさりげなく座り「Ça fait longtemps Monsieur Tomohisa(お久しぶりです友久さん)」と微笑んでくれた。最初はぎこちなかったが、少し話すうちに、お互い落ち着き、私が知りたかった動乱の後の様子を語ってくれた。彼の話によればモカンゼの家族と王家に忠誠を誓う准将ら少数の兵たちは、国内が危険になったことでDGSEやプロの傭兵集団の力を借りて国から脱出を図り、なんとか無事にフランスにたどり着いたそうだ』


「モカンゼさんは、その後、この島にやって来たんですね」

「友久教授も驚いただろうね。なにせ今のブルンガ政府が血眼になって探しているモカンゼが目の前にいたんだから」


『モカンゼがその後、どのような経過で、このトウキョウ島(日本名・ブルンガ島)に移ったのか、彼は多くを語らなかったが、現在の心境は少し明かしてくれた。奥さんが亡くなり、娘さんとも離れて暮らさなければならないのが辛いそうだ。(娘が今どこで暮らしているのかは分からない)そんな境遇であっても、彼は仲間と共に吉浦電気の工場で働くことに生きがいを感じているようだった』


 山部の頭の中に「愛する娘をどうやって守ろう。そうだ呪術師に頼んで娘を隠してもらおう。大事なものは隠せばいい」と歌う『ケセラセラ』の楽曲が鳴り響いた。

「モカンゼにとっての呪術師とは、あの人物のことではないのか? だとすると……」

 山部の呟きで、檜坂も同じことを思ったかのように頷いた。


『ここからは私の推測に過ぎないが、日本政府がなぜ島の貸出国にブルンガを選んだのか? それはブルンガ本国で失った権益の失墜と関係しているのではないだろうか。そしてモカンゼと、どこかで生きているであろうその娘こそ、アメリカや日本、フランスにとって失地を取り戻す重要なキーマンなのではなかろうか?』


 この書き方だと、どうやら友久教授は、この島にモカンゼの娘と思われるアミラがいることは知らなかったようだと山部は思った。

 山部はふと、モカンゼ自身はどうなのだろうかと考えた。

 もし自分が父親なら……、知っていても会うことは無かったのではないだろうか。それは娘も危険にさらすことになるからだ。

 だとすればモカンゼも、アミラことは守ってくれる者たちに任せて自身は遠くから見守っていたことだろう。

 では、アミラはどうだろう? 

 こんな狭い社会で父親がいることに気付かないものだろうか?

 山部には、教授が書いていたようにモカンゼの印象が、以前とはまるで別人のようだったということが原因であったと思われた。

 つまり、アミラが幼い頃に見た父親の記憶と、現在のモカンゼの容姿は、あまりにも違っていたのだろう。  

 山部は、アミラが奏でるストリートピアノを、気付かれぬように少し離れたベンチに座って聴いているモカンゼの姿を思い浮かべ、ぐっと唇を噛んだ。 

「山部さん、どうされたんです? 怖い顔をして」

「いや、ちょっとオペラ座の怪人を思い出してね」

「はあ……?」 

「ああ、すまない。次の項目を出してくれ」

「では、ファイルをスライドさせますね」

 ファイルの続きを読もうとした時、遠くから風にのって、歓声が聞こえて来た。

「何でしょう?」

「サッカーの声援じゃないかな。この島の人たちはサッカーが大好きだって言ってたし」

 時計を見ると9時半を回っていた。

「ルカはアマチュアリーグがあると言ってたけど、ずいぶん遅くまでやってるんだね」

 島の東側を向いたベランダから覗くと、遠くの方からスタジアムの明かりが見えた。

「日本では演劇なども夜7時頃から開演になりますけど、フランス文化圏では開演時間が遅くて9時を回ることもあるので、サッカーの試合も遅い時間に行うんじゃないでしょうかね」

「ルカは公務員チームのゴールキーパーをやっていると言ってたから今頃、試合に出てるかもしれないね。我々には今日、試合に出るとは言ってなかったが……」 

「4チームありますから、今日は別のチームが試合するのかもしれませんが、もし試合があっても私たちには言わなかったかもしれませんよ。ルカさん、私たちが短期間しか島にいられないことを知ってますから」

「ルカが、もし試合に出ているなら応援に行きたいところだけど、今回は観光旅行じゃない。しかも明日には引き上げなきゃならないとなると、行けそうもないね。音がうるさいと気が散るからサッシを締めてくれる」

 檜坂がサッシを締めると部屋の中が静かになった。

 山部たちは再びファイルに目を通し始めた。


『最近、私の部屋に人が立ち寄ったような気配を感じる。ブルンガ島にはギャングがいるが、そういう連中が金目当てで入った場合は乱雑に金目の物を家探しするので、彼らとは考えにくい。なんと表現すればよいか分からないが、部屋に漂う空気が違うといった微妙な違和感があるのだ。あるいは食事から帰ると何か配置が違っている気もする。考え過ぎかもしれないが、これはプロの仕事ではないかと思ってしまう。もしも私が知らぬ間に大勢の人間が、ここに入り込んで部屋の中を探っていたとしたら恐ろしいことだ。そういえば、悦子も気になることを言っていた。能見台の家の周辺が常に見張られている気がするというのだ。私は前の亭主に、手切れ金として300万円をやったにも関わらず、寄りを戻そうとしているのだと思い、警察に連絡するようにと言ったが、もしかしたら悦子の周りをうろついているのは、私の部屋に侵入して何かを探していた者たちなのかもしれない』

 するとやはりあの300万円は手切れ金だったようだ。


「どうやら教授も部屋に誰かが侵入しているのを感づいていたんですよ。それで奥さんの写真だけでなく、このファイルもシークレットにしたんですね」

 檜坂が真剣な表情で、奥さんの写真だけでなくという語句を加えたので、山部は思わず苦笑してしまった。

『10月4日、モカンゼが殺された。おそらく連中はモカンゼが旧王族の第七王子であると感づいたのだろう。元近衛准将を名乗るハミ族の(王家はクマ族なので、これは珍しいことだ)年寄りから、私の身に危険が迫っているから島を出るようにと警告があった。私がモカンゼと親しくしていたので、連中は私を日本の工作員と見ているという。私に危機を知らせてくれたあなたは大丈夫なのかと問うと、彼は笑いながら近衛隊は式典用の儀仗兵を別にすれば、アサシンのような存在だったから、共和主義者は誰も自分の正体を知らないのだと笑った』

 この後の記述はなかった。


「これは私たちが単独で踏み込んでも良い事件なのでしょうか?」

 同じファイルを読んでいた檜坂が呟いた。

 もし、友久教授が記述したこの文章が事実で、しかもその推測が当たっていたとしたら、ひとりの大学教授の(おそらくは殺人)事件は国家間をまたぐ陰謀ということになる。

 それは退任した警察官と、採用されて間がない巡査部長が追うような事件ではない。

 でもまあ良い。どうせ我々の任務は明日で終わる。秘密ファイルが入ったUSBと、撮り貯めた写真で報告書をまとめて、責任者である森倉警視監に渡せば、お役御免となるだろう。  

だが、河野からの電話によって、山部は自身の甘さを教えられることになった。

〈おやっさん、今この電話口には誰がおられますかね〉

 それは少し含みのある物言いだった。

〈誰って、私と檜坂君だけだが……〉

〈つまり現地の日本人の方も案内役のブルンガ人もいないんですね〉

〈ルカなら、今はサッカーの試合にでも出てるんじゃないかな〉

〈そうですか。では現在差し迫った危険はないんですね?〉

 河野は少しホッとしたようだった。

〈どうしたんだ? 何かまずいことでもあるのか。確かにこの島の治安は良くないようだが、外に出る時は常にルカがついてるからね〉

 檜坂が単独行動をしたことは言わなかった。

〈まあ、友久教授のアパートに行った時には投石もあったけど〉

〈投石! お怪我は?〉

〈いや、おそらく軽い威嚇のようなもんだろうと思ったんで君にも報告しなかったんだ。今は、ホテルの中で友久教授のパソコンに隠されていたファイルを分析しているところだよ。なんだか驚くような内容が書かれていてね。これは明日、帰ってから報告することにするよ〉

〈それは楽しみです。それとルカさんなんですが……、友久教授ともお知り合いだったんですかね〉 

〈いや、確か教授は、ブルンガ人の間では有名人だから、何をしている人かまでは聞いていたそうだけど、個人的にはあまり詳しくは知らなかったと船の中で話していたけどね〉

〈そうですか。ちょっと変ですね。いえね。おやっさんが送ってくれたビール缶なんですが、そこに付いていた指紋の中にルカさんのも混じっていたもので……。ブルンガ人の指紋は、データーが無いので何も出ないだろうと思いつつ、コンピューターで照合してみると、外務省関係で登録された指紋の中にルカさんの指紋があったんですよ〉 

 山部の頭の中で、何か恐ろしいパズルが組み上がりつつあった。

〈それからもう一つ展開がありましてね。警視庁で尋問していた例のブルンガ人が吐きました〉

〈やはり関連があったのか?〉

〈ええ、やつはどうやら友久教授が、クマ族の王家に伝わる宝を、王族の関係者から預かったと見ていて、教授の内縁の妻や元夫を襲ったようです。その宝というのは……〉

〈ブルーダイヤか?〉

〈よくそれをご存知で!〉

〈しかし、どうしてやつがそこまでの情報を掴んでいたんだ?〉

〈やつの背後にはBDGSE(Burunga Direction Générale de la Sécurité Extérieure)という組織、要するにブルンガの諜報機関が絡んでいるようです。秘密警察を傘下に持ち、本国でクマ族の虐殺を遂行した疑いがあって、国連の人権委員会でも……〉

 電話がそこで切れた。

「檜坂君、これはどう操作するの?」

「おかしいですね。ちょっとお待ち下さい」

 しばらく山部の携帯電話をいじっていた檜坂の顔色が変わった。彼女はメモ用紙を取り出すと、

(なぜか圏外になっています。しかも山部さんに近づくほど電波状況が悪くなります。何か心当たりはありませんか?)と書いて見せ、昨日ホテルに入った時に使った簡易式の盗聴盗撮発見器を取り出して山部に向けた。

 発見機はプゥオーン、プゥオーン、というハウリング音を発し、その音は山部のズボンのポケットに近づくとさらに大きくなった。

 その中にはルカ・ベンが渡したページャが入っていた。

 スィッチはオフになっているが音は鳴り続けている。

 試しに山部がページャの電池を取り外すと、ようやく静かになった。

「山部さん、それは?」

「昨日、別れ際にルカが渡してくれた物だよ。君がコンビニのトイレを借りている時だけどね。彼がいない時に危険な状態になれば、すぐ連絡できるようにと言ってね。先程までは、これを持っていても電話は普通に使えたんだが、おかしいな……」

「ルカさんが私たちを監視していたという事でしょうか?」

「彼の信用度については何とも言えないが、ルカが完全に我々の側に立っているとは、考えない方がいいだろうね。このページャは、この島で暮らすブルンガ人の役人が連絡用に使っている物だそうだが、我々の話を盗み聞きするとなると、日本語の分かる人間じゃないとだめだろう?」

「その意味で言うと、この島にいるブルンガ人の中では、ルカさん以上の適任者はいないでしょうね」

「彼がいつもタイミングよく現れたのも、逆に河野と電話をしている時には都合よく消えてくれたのも、それから眠そうにアクビをしていたのも常に我々を監視していたせいか。そりゃあ、疲れるはずだ」

 山部はそう言いながら、改めて河野に連絡を取ろうとした時、突然部屋の扉が開いた。



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