第18話 トウキョウ・初等・中等学校とカタコンベ
18、トウキョウ・初等・中等学校とカタコンベ
午後からは、少し書類を整理したいという檜坂と別れ、山部はルカ・ベンと共に、日ごろ彼が教鞭を取るという学校に向かった。
目的は二つの民族の関係を探るためだった。
山部には町中を歩いただけでも、クマ族とハミ族の間に微妙な確執があるように思えたのだが、学校で学ぶ子供達を観察すればもっとはっきり分かるかもしれないという思いがあった。
もし東京の間近で、民族紛争が起これば厄介な事になるだろう。
要するにこれもまた森倉警視監の依頼に沿った視察だった。
『トウキョウ初等・中等学校』は先程通った道を戻った学校通り沿いにあり、その近くには二つの教会と修道院がある。
ガイドマップによれば修道院内でシアバターを製造しているという。
途中修道院の前を通ることになったので、山部が垣根越しに敷地内を覗いてみると、2mを軽く超える巨漢の修道士が、よく伸びるカウンターテナーで賛美歌を歌いながら、コスモスに水をやっていた。
「あいつはウチのサッカーチームのライバル、聖職者チームのゴールキーパーをやってる、ウン・ボロゥというやつなんですが、気が荒うてこの前の試合でも審判を締め上げたもんで3ヶ月の出場禁止を食ろうとるんですわ」
ルカベンが山部に耳打ちした。
すると、修道士が山部たちに気付いたようで、ルカ・ベンに対して指を1本下にするポーズをして見せた。
これに対しルカ・ベンも同じポーズを返す。
山部はこれを『次の試合ではお互いに頑張ろう』という意味だと解釈することにした。
巨漢の修道士がシアバターを作る修道院とはどんな所なのだろうと、山部は興味が湧いたが、今回は観光に来ている訳ではないので別の機会に譲ることにした。
この辺りは人工の浮島なのに小高い丘になっている。
「自然な感じで、良くできているね」
と山部が感心すると――、
「その自然な感じを出すために、盛り土を多くしたと高本さんから聞きました」
ルカ・ベンが説明した。
「高本さんとは?」
「この島を作った桑山造船の人ですわ。島に常駐して保守点検をしてはります」
「その人とも会えないかね」
「そんなら、後で行ってみましょう」
ルカ・ベンのネットワークも、NGOの日浦に劣らず、なかなか大したものだった。
学校は住居や教会と違って、二つの民族の子供達が仲良く学んでいるようだった。
しかし門の横には警察官の詰め所があった事から、ここでも檜坂の言う、フランス型の警備体制が取られているようだ。
校庭では、サッカーの練習試合が行われており、ルカ・ベンによれば、対戦する二つのチームは偶数月生まれと奇数月生まれに分けられているらしい。要するに民族の融和策というやつだろう。
夢中になってサッカーを楽しんでいた子供達がルカ・ベンを見つけて「ムワリーン!」と手を振った。島の人口比からみればクマ族の子が半数以上を占めるだろうに、ハミ族のルカ・ベン先生はどの子からも慕われているようだった。
こうした様子を見る限り、ギャングを除けば、両民族間の確執など無いように思えた。
しかし校舎に入って音楽の授業を観た途端、山部の目に異様な光景が飛び込んで来た。
歌の授業なのにクラスの生徒の半数以上が口を固く結んだまま歌わないのだ。
「あの歌わない子共たちは?」
「クマの子供です。この歌はハミに伝わる伝統的な民謡やから、彼らは歌わへんのです」
「先生は無理に歌わせたりしないんだね」
「しまへん。以前クマがブルンガを支配してた時、学校ではクマの伝統的な曲を歌わしてました。その頃は逆に、ハミの子供らが声を出さんと口パクして合わせとったんですわ。当時のクマの先生は、そういう子を見つけたら、ムチで叩いとったんです」
「つまりハミの人はそんなことはしないと?」
「そうです。ハミの指導者で現大統領のブタカは、民を無理やり従わせたところで日本語でいう『面従腹背』を招くだけやと言いました。政治家や指導者は、それがハミであろうとクマであろうと誰もが愛して止まないブルンガを作るんが仕事やから、自分の不完全な仕事を梁に上げて、国民を無理に従わせようとするんは独裁者のすることやと言うてます。また誰かが犠牲になって維持される平和や恐れによって保たれる治安など、ヤギ一頭の値打ちも無いと言うてはります」
ハミ族出身のルカ・ベンは少し誇らしげに言った。
なるほど現在のブルンガの大統領はよくできた人なのかも知れない。だがもしこの場に檜坂がいたら『それなのにどうしてブルンガの女性はFGMを強いられるんですか?』と聞いたかも知れないな と、山部は思った。
「ちょっと面白い場所を紹介します」
ルカ・ベンは校舎の間にポツンと立つ管理小屋のシャッターを開け、中に案内した。
小屋の奥に階段があり、吊るされた薄暗い照明を通してその先がずっと奥まで続いているように見えた。
山部は若干の不気味さを感じながらもルカ・ベンに付いて進むと驚くべきことに大きな地下通路に繋がっており、そこをしばらく歩くと寒い程の冷気で満たされた大広間に出た。天井は低いものの正面にはなにやら見事な極彩色の壁画が描かれている。
山部がその絵に見とれていると、ルカ・ベンが――、
「あれはヤン・ホッサールトの『三賢人の礼拝』のレプリカです」
と説明をした。
ただ近くで見ると日本の湿気が高いせいか、既に絵具が剥げ落ちている個所もあり、そういう個所は、残念ながらボルハの教会にある壁画のような修復がされていた。
山部の目が慣れてきて広間全体の様子が見渡せるようになると、左右の壁に沿って棚が幾つも設置されているのが見えた。
そこに数多くの棺桶が並べられていた。
「ここは、我々のカタコンベになってますね」
「カタコンベ?」
「地下墓地という意味で、ローマにあるもんが有名です」
「学校の地下に墓地があるの?」
「ええ、ブルンガ島は土地が限られてますんで」
校舎の地下から墓地に繋がるというこんな仕組みは、いったい誰が設計したのだろう?
「本当は葬儀の度に、それぞれの故郷に埋葬するべきなんやけど、遺族もこの島に住んではる場合が多いですし、島が日本からのリース満期を迎える50年後に全員で本国に帰ることになってますねん。この地下通路は二つの教会のどちらにも繋がってますんで、ハミの者とクマの人が仲良く一緒に眠ってますねん」
ルカ・ベンはしんみりした表情で言った。
「民族間の紛争で殺された者がいた場合、納棺の最中に揉め事が起きる事はないのかい」
「無いですね。一般の人達同士で諍い事を起こすことは、めったに無いですよ。それはギャング同士の揉め事です。日本ではブルンガの民族紛争を、ルワンダのフツとツチの争いごとのように見てる人が多いんやけど、ハミとクマの関係は、むしろ南スーダンのヌエルとディンカの関係に近いんですわ。と、言うても分からんでしょうけど、要するに元々隣り合わせで仲良く住んでたということです」
「殺されたモカンゼはギャングとかじゃなくて、工場の作業主任だと聞いたんだけど?」
「おそらく裏の顔を持ってはったんやないかと思いますね」
ルカ・ベンは、モカンゼについては何か知っていそうだったが、それを言う気は無いようだった。
不思議なことに、どの棺桶にもキリスト教徒を表す十字架ではなくハートマークが付いている。山部がそれを尋ねると、
「これはサンコファ(Sankofa)と呼ばれる西アフリカの人々が使うシンボル(Adinkra symbol)の一種で、最初に墓地にこのシンボルを刻んだのは、ブラジルで亡くなった黒人やそうです。遠く離れた地に住む者が祖先の文化を忘れへんようにという意味合いがありますねん」
つまり日本人が考えるようなロマンチックな代物ではなかったようだ。この島に住むブルンガ人は誰も強制されて来たわけではないが、やはり郷愁の念は想像以上に大きいのだろうと山部は思った。
それにしても棺桶の数は100を超えている。この島には約8000人のブルンガ人が住んでいるというが、多くは工場の労働者か警官他の公務員などで平均年齢は若いと思われる。ロラン・チャタのような年寄りはあまり住んでいないはずだ。それなのにブルンガ人が住みだしてからわずか3年間で、これほどの人間が亡くなったのだろうか?
山部はそこに、ただならぬ理由があるように思えた。
「そうそう先程、山部さんが会うてみたいと言うてはった桑山造船の高本さんには、ここから会いに行けます」
ルカ・ベンは地下小ホールの脇にあるドアを指差して言った。
「えっ、こんな所から?」
まるでRPGゲームによくある迷宮のような話だった。
「当初の計画ではここに盛土は無く平地でしたから、このドアは地下の処理施設から地上に抜けるドアの一つやったと聞きました」
それが今では5mもの土が盛られ、学校や教会の建つ丘になっている。浮島の船底部から地上に出るドアは幾つもあるだろうが、間違えてこの場所に出れば不気味に違いない。
それにしてもブルンガ島の心臓部ともいえる地下処理施設に誰でも行けるとしたら島の保安状からみて危険ではないだろうかと思ったら、一応鍵はかかっていた。
ただ、ルカ・ベンはなぜか、そのドアを開ける鍵を持っていた。
「私は教師であるだけやなく、この地区の管理責任者もやってますから」
と説明したが、山部にはそれだけでは説明がつかない気がした。
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キャラクター表は第一話の前書き部分にあります。