第16話 河野からの報告
16、河野からの報告
「これじゃあ、何も分かりませんね」
檜坂が長老の家を振り返りながら口惜しそうに言った。
「やはり日浦さんが快復された時に聞くしかなさそうですね。でもアミラさんは、そもそもどうして日浦さんと接点を持ったんでしょうか」
「そうだねえ。アミラさんは、おとなしい人のようだし、学校の先生をしているといっても職場と家を往復するだけに思える。まさかスナックでビールを飲んでいて、日浦さんと知り合ったようにも思えないしね」
「いや、そのことやったら、日浦さんが彼女を見初めて声を掛けたていうことらしいですよ。実はブルンガ島の者が日本へ団体旅行する際は、ビザを取得したりする手続きが必要なんですけど、それを代行してるんがNGOのハミクマなんですわ」
となると、日浦はそういった利権も持っていたのかもしれない。
「アミラは一回だけ初等科の卒業バスツアーに引率として参加したらしいんやけど、その時、日浦にアニメの聖地・秋葉原を案内されたみたいです」
「で、アニメ好きなのが分かってしまったと……」
「後は土産攻撃ですがな。ブルンガ人はそう簡単に秋葉原には行けませんが、日浦さんやと関係官庁との連絡を兼ねてしょっちゅう出入りしてはりますからね。日浦さんは秋葉原や、もう一つのアニメの聖地・中野で彼女の好きなグッズを買って来てはプレゼントしまくってたみたいです。それは直接アミラから聞きました」
ルカ・ベンがそこまで知っているということは、アミラにとって彼が話しやすい同僚だったからかもしれない。
「でもアミラさんの家にはそれらしいものは無かったですね」
檜坂が不思議そうに言った。
「前にいっぺん、長老に全部グッズを捨てられたんや言うて、職員室で泣いてたことがありましたわ」
「つまり長老は日浦さんとの交際を快く思っていなかったということでしょうか?」
「保守的な人のようだからアミラさんが日本の文化に染まるのは気に入らなかったんじゃないかな。それに日浦さんは昨日、『島の学校で先生をしているブルンガ人女性が、家族から仕事を辞めるように言われたというので、続けられるよう説得に行く』なんて言ってたからね」
「趣味を否定された上、自分が好きな仕事まで辞めさせられるなんて辛いですね」
檜坂がしんみりと言った。
「そうだねえ。長老には長老の考えがあって、彼なりにアミラさんを守ろうとしていたのかもしれないけどね」
だとすると、日浦を襲ったのは――?
山部は先程、長老がバブーシュを投げたのを思い返した。あれはどう見ても老人の動きではなかった。
ともあれ、捜査権もないこの事件に関してはこのくらいに留め、現場の写真や聴取した印象のみをメールにして河野に送った。
するとすぐに河野から折り返しの電話がかかってきた。
ルカ・ベンの前なので小声で話そうとすると、
「せっかく百均で買った便利グッズをいっぱい持ってきたのにもったいないから、渡してきますわ」
気を利かしたのか、突然ルカ・ベンがそう言い出し、もう一度長老の家に戻っていった。
山部は再び河野からの電話に出た。
〈現場の写真を送って頂き、ありがとうございました。日浦さんは南湾岸病院に搬送されたようなので、これからちょっと行って来ようと思います。それから昨夜送って頂いた友久教授には、金沢区に奥さんがいるらしいという情報ですが、大学の同僚の教授にあたったところウラがとれました。奥さんといっても内縁の妻だそうで、三浦悦子という人が能見台に住んでいたんですが……〉
山部の脳裏に電撃が走った。
能見台……。
確か聞き覚えがある。初めてこの件で警視庁内の喫茶琢磨に呼び出された時、神奈川県警の刑事部長と外務省の人間がいたことで、山部はここ数日起きた神奈川県内の事件事故のうち、本牧で上がった水死体の方で呼ばれたのだと推測したのだが、もう一つ県内で起きていた事件が……、
〈おい、もしかして能見台・ストーカー殺人事件の被害者が彼女だったんじゃないか?〉
〈そのとおりです!〉
〈となると、友久教授が水死体で見つかった同じ時期に、その内縁の妻も殺されていたことになる。これを偶然とは考えにくいんじゃないか?〉
〈神奈川県警に問い合わせたところ、悦子さんは殺されるしばらく前から、何者かに監視されていると警察に言っていたそうです〉
〈それでマスコミがストーカー殺人と名付けてたんだな〉
〈ええ、地元の交番は彼女の自宅周辺のパトロールを強化すると共にストーカー対策を教えていたそうです〉
〈で、結局彼女を守れなかったと〉
〈残念ながら。具体的にメールが来るとか、郵便受けに気味の悪いプレゼントが届くとかいうこともなく、単に彼女が監視されている気がすると訴えていただけらしく動けなかったのでしょう。勘違いということもよくありますし〉
〈それで思い出したんだがね。友久教授は昨年銀行から現金で300万円を引き出していたそうだよ。被害届は出ていないが、元銀行員の君としては、これをどう思う?〉
〈そりゃあ、怪しいですね。私が銀行勤めをしていた二十年以上前でも、現金でそれだけ引き出す人はあまりいなかったですよ〉
〈やはり、そうか〉
〈いえ、もちろん無いわけではありません。例えば商店街のイベントで現金のつかみ取りをするといった理由で見せ金が必要な場合。あるいは、会議の参加者全員にお車代を支払うような場合、それとこれが一番多いんですが、日払いのアルバイトに給料を支払う目的で現金が必要な場合もあります〉
〈友久氏は大学教授だからね。研究のために学生アルバイトとかも雇っていたということかな〉
〈そうですね。ただ、そういう場合は必要経費として表に出てくると思うんですけどね。そうでなければ本人、もしくは相手にとってあまり公にしたくない使い途だったのかもしれません。賄賂とか、手切れ金とか……〉
〈つまり悦子さんを巡るいざこざで、脅されていたということも考えられるな。その場合は大抵、相手は元恋人か元夫というケースが多いだろうに〉
〈神奈川県警でも彼女に離婚歴があることで元夫の三浦義之が怪しいとみて、住民票をあたりましたが、期間工をしていた会社は既に辞めていたようで寮にはおらず、転居先が何処なのかを調べています。もしかしたら義之が悦子さんと友久教授の双方を殺したという線も出て来ますね〉
〈友久教授が妻を殺してから、自殺を図ったということもあるんじゃないか?〉
〈心中ですか。それも考えたそうですが、妻が殺された時には友久教授はブルンガ島から出ていません。もちろん小型船舶を利用して移動したことも考えられますが、密航を防ぐ目的で島は常に監視されているので、貨客船を使わない渡航は不可能だそうです。結果、元夫の義之が容疑者になっています〉
〈だったら、そいつがブルンガにいる友久教授を殺すことも不可能じゃないのか? もっとも島の人間による委託殺人であれば可能だが〉
〈その線も当たってみます。この事件は、もしかすると案外単純な嫉妬、もしくは手切れ金をめぐる殺人なのかもしれませんね〉
河野はそう言って電話を切った。
そうかもしれない。だが山部の勘では、何故か別の線があるような気がしてならなかった。
「今の電話は河野さんですか?」
檜坂も電話の内容が気になるようだった。山部は頷きながら、
「日浦さんが運ばれた病院に向かうそうだよ。それと君も知っていると思うけど、例の能見台ストーカー殺人事件。その被害者は友久教授の奥さんだったらしい。三浦悦子という人だけど、元々何者かに監視されていると言っていたらしい」
「なんてこと……」
檜坂が絶句した。
「同じ時期に夫婦が亡くなった事で元夫が怪しいと疑われているようだが、君もそう思うかい?」
「分かりません。普通はそうなのかもしれませんが、でもそうだとすると、奥さんは何故『何者かに監視されている』という表現をしたんでしょう? もし元夫がよりを戻そうとして接触を図っていたのなら、元夫がストーカーだとはっきり言ったはずですよね」
確かにその通りだと山部は思った。
ではどんな人物が考えられるだろう?
ブルンガ島で亡くなった教授とその内縁の妻の死が、共通する何者かの手によるものだとしたら……。
脳裏にふと世田谷で捕まったというブルンガ人が浮かんだ。
こいつが釈放されていなければいいが……。
山部はもう一度、河野を呼び出すと、
〈河野君、ストーカーが元夫なら三浦悦子さんは何者かに監視されているという表現は使わなかったんじゃないかと檜坂君が言うんだが、そうすると犯人は彼女が予測できない人物になる。もし教授の死と内縁の妻の死が共通の犯人もしくは組織による犯行だとしたらやはりブルンガというキーワードが関わってくるんじゃないか?〉
〈それは確かに……〉
〈でな、そっちに確か四課が調べている、薬物関連のブルンガ人が勾留されていただろう。まだいるか?〉
〈やつでしたら藤田さんが連日、鋭意尋問中です。『知らない。日本語分からない』と、のらりくらりかわすので藤田さんも手を焼いているようです。しかし、あいつが血みどろで捕まったのは、世田谷の千歳烏山ですよ。ブルンガ関係というだけで、横浜の能美台の事件と関連付けるのは難しいんじゃないですか?〉
〈容疑者として探しているという元夫だけど、そいつの住んでたのが世田谷なんじゃないか? もしあのブルンガ人が絡んでいるとしたら、元夫も殺されている可能性が高いだろうね。千歳烏山の周辺で何か事件が起きてないか、所轄に問い合わせてみてくれないか〉
〈そいつは、衝撃の展開ですね。わかりました。すぐにやってみます〉
〈それからな。やつはおそらく禁止薬物をめぐる組織内の金銭トラブル程度なら、そのうち本国に送還されると考えているんだろう。だが人を殺したという容疑がかかれば話は別だ。藤田さんに『強制送還は期待するな』と言うように伝えてくれないか〉
〈日浦さんの病院に向かう前に、藤田さんに伝言しておきます〉
これでどんな結果が出るか……。
山部としては河野からの次の報告を待つしか無かった。
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