第15話 長老の家
15、長老の家
「長老はアルジェリア独立戦争にフランス軍の傭兵として参加されたいう人で、大変なお年ですよって、あんまり疲れさせんといて下さいね」
ルカ・ベンは、山部たちにそう注意しながら、戸口で「Hodi! Hodi!」と叫んだ。
すると家の中から「Nini wote kama?」と言う女の声がした。
「どちらさまでしょうかと聞いています」
スワヒリ語が少し分かる檜坂が山部に通訳をした。
「アミラがいるみたいです。彼女やったら、話が聞けるんやないかと思います」
ルカ・ベンがドア越しに自分の名を名乗ると、ドアの向こうに現れたのは昨日、広場でピアノを弾いていた、あの女性だった。
アミラは近くで見ると小柄で、18歳どころかそれよりも幼く見える。チーママが言っていた『日浦は、若い娘が好き』というのは、こういうことかと山部は思った。
彼女は、突然やって来た日本人を警戒してか怯えているように見えた。
「きれいな方ですね」
檜坂が山部の耳元に囁いた。
アミラは、ダークブラウンのきめ細やかな肌を持つ顔立ちの整った娘で、昨日見たのとは別の清楚なオフホワイトのフレアワンピースがよく似合っていた。
カラーコンタクトをしているのはちょっとしたオシャレなのかと思ったが、片方の目の瞳孔が青っぽかった。人間の目は、瞳の色は様々だが瞳孔は黒い。おそらく彼女は片目に障害があるはずだ。
「ils sont amis(彼らは友達だよ)」
ルカ・ベンはそう言って彼女を落ち着かせ、その後、ここに来た目的を伝えると、彼女は少し興奮したように早口で答えて首を振った。
「アミラさんは、今朝も警察に言ったけど、自分は何も知らないと言っています」
ルカ・ベンが翻訳するより早く檜坂が説明した。
だが、こちらをまともに見られず狼狽している様子を見ると、山部の目には明らかに彼女が嘘を言っているように思えた。
「恋人か誰かをかばっているんじゃないでしょうか」
檜坂がつぶやいた。
犯人も被害者も、知り合いである場合は複雑だ。
少なくともよそ者である我々に語ろうとはしないだろう。
「ルカ、それじゃあ、長老さんに会えないか聞いてもらえないか」
ルカがアミラに伝えると彼女は尋問から開放されてホッとしたように、
「スコシ、マッテクダサイ」
と日本語で言って、部屋の奥に佇む老人に許可を取りに行った。
「アミラさんと長老の関係は?」
「ひいお爺さんやて言うてました」
「お爺さんじゃなくて、ひい爺さんなんですか!」
檜坂が驚いた。
単純に日本の基準では推し量れないが、やはり相当な年だろうと山部は思った。
「彼女の両親は彼女がラゴス(ナイジェリアの最大の都市)大学へ留学している時に内戦で亡くなったとかで、この島で相談役、つまり揉め事を調停する仕事をしてはるお爺さんを頼って付いて来たらしいです」
「それで日本まで……」
「ずいぶん思い切った行動だと思いはるかもしれませんが、ブルンガではまだ女性がひとりで生きにくいのと、彼女自身が日本のアニメを好きやったのが理由やそうです」
つまり、頑なに伝統を守る暮らしをしている爺さんと、そのひ孫娘の二人がここで穏やかに暮らしていたところに、日本人の日浦が現れて波風を立てたという構図になる。
「さっき、日浦襲撃事件を捜査しているコーバンの話では恋敵による襲撃の可能性があるとか言っていたが、アミラさんの美貌だと言いよる男も多かったんじゃないかな?」
「そらあ勿論ですよ。きれいな上に気立てもええ娘ですよって仕事先の学校にまで求婚者が押し寄せて来て、いつも困ってはりました。本音を言うたら私も、候補に混ぜて欲しいくらいですわ」
ルカ・ベンは聞いていないことまで話してくれた。
「せやけど、長老さんが頑固なもんやから、認められるんは大変やと思いますわ」
そう言って苦笑した。
ブルンガの伝統は知らないが、家長制が強い国々では年頃の女性の婚姻相手を父親やそれに代わる祖父等が決める場合が多い。
もしアミラにもそういう相手が既にいたとして、日浦が日本人の感覚で若い女性に近づいたら、超高齢のロラン・チャタにはどうすることもできなくても、婚姻を約束された男やその親族が怒って制裁を加えるというのは十分に考えられる話だ。
そういう制裁もこの国では暗黙の了解があるのだとしたら長老もアミラもよそ者である山部たちにあえて証言などしないだろうし、ブルンガの警察も形式上の捜査しか行わないかもしれない。
家の中では誰かに話しかけるアミラの声がしていたが、しばらく待っても変化がないので、山部はそっと屋内を覗いた。
部屋は、15畳ほどの広さがあるだろうか。外壁のレンガがそのまま内壁になっていて、床もレンガで敷き詰められている。その上に直径3mほどの年代物の絨毯が敷かれていた。窓は小さくて採光は良くない。にもかかわらず昼の間は電灯を付けない習慣でもあるのか、室内は薄暗かった。
壁に沿って机やベッドが並べられており、天井からパーテーションがぶら下がっているものの、あまりプライベートに配慮した造りではなさそうだった。
長老・ロラン・チャタは、すっぽりと体を覆う、ポニシャと呼ばれる白い民族服を着て、木製椅子に深く腰掛けていた。
山部の目にも彼が高齢であることは分かったが、ルカ・ベンが言うように、アルジェリア独立戦争にフランス軍の傭兵として参加したというほどの年ではないように思えた。
アルジェリア独立戦争は1954年から1962年まで続いた戦争で、その戦いに傭兵で参加したとなると、最後の年に20歳で外人部隊に参加していたとしても、現在では90代ということになる。もちろん初戦から参加していれば100歳を超えてしまう。だが、どう見てもロランの顔付きは80歳くらいにしか見えなかった。外人部隊にいたとすれば、1991年の湾岸戦争にでも参加したのではなかろうか。
薄暗い部屋の中で、ロラン・チャタの姿は異様で、最初まったく動かなかったことから、山部たちは彼が生きているのかどうかを疑問に思ったほどだった。
しかし、やがてゆっくりとこちらに向き直ると、険しい表情で「Dégage !」と言って側においてあったバブーシュという羊の革でできたスリッパをルカ・ベンに向かって投げつけた。
バブーシュはルカ・ベンの顔をかすめて背後の壁に当たり大きな音を立てた。山部にはロランが寄る年波からコントロールできなかったのではなく、わざと外してその場所に投げたように思えた。
「Dégage は、フランス語で、出て行けという意味です」
檜坂が翻訳するまでもなく、山部にもそういう意味だろうと分かった。
「まあ、そう言わんといて下さい」
ルカ・ベンは例によって、ここでもお土産攻撃をかけて粘ったが長老のチャタはストイックな男であるらしく、檜坂の翻訳が正しければ、「日本人の日浦という男に何が起きたかなんぞ知らん。わしらの事は放っといてもらおう」と言うばかりだった。
「あきません。『取り付く島もない』ていうのはこのことですわ」
ルカ・ベンは大きく手を広げてお手上げのポーズをした。
山部たちには権限がないので、この島では無理強いできない。ロラン・チャタが頑なに調査への協力を拒むのであれば、断念して引き返さざるを得なかった。
山部たちは長老の家を出た。
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