表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/27

第13話 思いがけない事件  

13、 思いがけない事件( 10月16日 )


 翌朝早く、山部はヘリコプターの騒がしいローター音で目が覚めた。

 ズボンを履き上着を手にしたまま部屋を出てロビーに移動すると檜坂も慌てて出てきた様子で上着はなんとか身につけていたもののスカートはたくし上げている最中だった。

 しかも廊下にあったジャッカルの置物にぶつかって――、

転んだ。 

 彼女には明らかに視野狭窄がある。山部は檜坂が税関に示した目薬を思い浮かべた。

 キサラタン……。それは亡き妻が使っていた緑内障患者のための眼圧降下剤だった。

 山部の妻・智美は、最強の認知症治療薬と言われる、アリセプト(ドネペジル塩酸塩)や本人の皮下脂肪由来の幹細胞を用いた最新の治療の甲斐もなく2年前に旅立った。

亡くなる少し前には記憶障害もひどくなり、他の薬と同じく、その回の分を使用したのかどうかすらあやふやになっていた。それで山部が薬剤を管理し、点眼をしてやっていたことからキサラタンという名を知っていたのだ。 

 檜坂は何事も無かったかのように「何か起こったんでしょうか」と険しい表情で言った。


 ホテルを出て空を見上げると、近くに見えるヘリポートにゆっくりと降りてくる東京消防庁航空隊所属のヘリが見えた。

「誰かが緊急搬送されるようだね。この島では緊急事態が起こると、日本の病院に運ぶようになっているのかな?」

「大使館や外国船籍の船から要請があった時と同じ扱いになると思われます」

 檜坂が言った。

「おーい、聞きはりましたか?」

 通信機器のページャを押したわけでもないのにタイミングよく、ホテルにルカ・ベンが駆けつけて来た。

 ブルンガ島は人工物としては途方もなく大きいが、そこに住む人々のコミュニティーはそれほど大きくないということだろうか。

「日本人が襲撃受けたみたいですわ」

「何!」

「ここの病院では対処でけへんので東京へ搬送するみたいです」

「じゃあ、私たちもヘリポートへ行ってみましょう」


 ヘリポート近くの道路『オーシャンライン』は、すでに野次馬でごった返していた。工場で働くブルンガ人や日本人、その他近隣に住む住民たちだ。

 山部たちが見物に来た人を掻き分けながらヘリポートに入ると、到着した東京消防庁の隊員がヘリから降りてタンカの準備をしているところで富永ら日本人数名が緊張した面持ちで取り巻いている。

 山部は刑事時代からの習慣で、見物人の中に怪しい動きをする者がいないかと目をこらしていると、ひときわ熱心に事態を見守っている男を見つけた。

 この男、以前どこかであった気がするのだが、誰だったろう?

 少し考えてから、それは昨日ビアホールで情報を聞こうとした時に給仕室に引っ込んだギャルソンだと思い立った。

 背丈は山部ほどで、さほど高くはないが、筋肉質体型の若い男。黒人とセム系のハーフのような風貌で、濃い眉と、くっきりした目鼻立ちの端正な顔つきをしている。

 ギャルソンは山部と目が合うと、すぐに人混みに紛れて立ち去ってしまった。

 ほどなく馴染みのある日本式のサイレンを鳴らしながらやってきた救急車は東京都からの払い下げとみえ、東京消防庁のロゴの上から『Ambulance』とフランス語で上書きされてあった。

 救急車から降ろされ、タンカでヘリに移されたのは山部が昨夜スナックで会ったばかりの男で、全身が血まみれで意識も失っているようだ。

 一緒にブルンガの救急車に乗ってきたのかスナックのチーママ・静香が付き添っており、「日浦さん、しっかり!」と懸命に声をかけていた。

「襲撃されたというのはNGOの日浦か!」

 山部はうなった。

 檜坂もすぐにそれが誰だか分かったようで、「船に乗る前に私に話しかけてきたあの人ですか」と絶句した。

「バイタル正常。ラリンゲアル・チューブ挿入します。抵抗なし」

「口の中にバイトブロックが入ります。バイトブロックよし!」

 日本からヘリで飛んできた救急隊員たちがてきぱきと処置を行っていた。

「この事件が友久教授の件と関係があるかどうかは分かりませんが現在島には私たち以外に日本の警察関係者はいません。これは日本人がらみの事件ですから、ここは私たちが調査しておく必要があるのではないでしょうか」

 檜坂が押し殺すように言った。

 確かにそのとおりだった。

 山部たちは友久教授の事故、もしくは事件を調査するという名目で、ここに派遣されたわけだが、東京湾に浮かぶ外国・ブルンガ島の治安状況を調査し、報告するというのも、もうひとつの重要な任務だったからだ。 

 友久教授の死について、穏便かつ形式的に終わらせたかった羽島局次長ら外務省の人たちには申し訳ないが、日浦の事件もいっしょに調査(あくまで捜査ではない)するのは成り行き上、仕方がないことだった。

 羽島局次長らにとって、この事件と檜坂のパソコン・データーに対する処理能力の高さは想定外のことであったと思われる。

 日浦には気の毒だが、この事件は真相究明に至る一つの突破口になるかもしれない。 

「そうだね。権限は無いが、一応了解を取ってみよう」

 山部が電話すると、一度コール音を聞いただけで河野が電話口に出た。

〈あ、おやっさん昨日は教授の部屋の写真や、重要な情報メールを頂き、ありがとうございました。この電話はメールにあった女性に関することでしょうか〉

〈いやいや、そこまでせっつかないよ。そうじゃなくて、昨夜あれから日本人が一人襲撃されたようなんだ。日浦というNGOの人でね。今、東京消防庁の緊急ヘリが搬送準備中なんで、そちらで問い合わせて搬送先が分かったら聞き込みをしてくれないか〉

〈えっ、それは尋常じゃないですね〉

 河野は、ブルンガ島で日本人が巻き込まれる事件もしくは事故が続けて起きた事に驚いた様子だった。

〈分かりました。問い合わせて後で病院に行ってみます〉

〈それからね。立て続けにこういうことが起きたようだから、できる範囲で少し調査してみてもいいかな〉

〈はい。それはもうお願いします。そうそう、おやっさんが送ってくれたビール缶の指紋なんですが、四人分検出した中に友久教授の指紋はありませんでした〉

〈なに! 友久教授の指紋がついてなかったのか?〉

〈はい、その点がちょっと引っ掛かります。ただ教授や先生といった人の場合、生徒や助手が御酌することもあると思いますので、何とも言えませんけどね。それからメールにあった女性の件については、もう少し調査が進んだ段階でお知らせします〉 

 河野は、そう言って電話を切った。

 友久教授の部屋にあったビール缶から別の人間の指紋が複数検出され、住民である教授本人の指紋が検出されないのは、どう考えたらいいだろう?

 山部もまたそこが引っ掛かった。

 そもそも教授は、あの部屋に少なくとも四人の人物を自ら招き入れて酒席を開いていたのだろうか、あるいは教授の許可無く部屋に入り込んだ人間が無理やり教授にも酒を飲ませたのだろうか?

 それらは教授の顔見知りだろうか、それとも知らない何者かだったのか……。 

 もしかすると、数本あったビール缶は教授を泥酔状態であったと見せかけるために殺害後にわざと置いたものかもしれない。

 だが、今は日浦の襲撃事件から当たることにしよう。山部はそう決めた。


「さて、それじゃあ許可ももらったことだし檜坂君、調査を開始するぞ」

「どこから聞き込みましょうか?」

「まずは、日浦さんに付き添っていたあの女性だな」

 檜坂にそう言うと、山部は静香に向かって親しげに手を振り、ペコリとお辞儀をした。

「山部さん、あの方をあの方をご存知なんですか?」

「昨日、行ったスナック・ブルンガのチーママで静香という人だよ」

 山部は小走りに静香に近寄って声をかけた。

「いったい何があったんです?」

「それが今朝方早く、病院から私に連絡があったんです。日浦さんが襲撃されたので、病院まで来て欲しいとのことでした」

「それは日浦さん自身が電話されたんですか?」

「いえ、病院のかたからです。彼は意識不明と言われました。あの人はこの島での緊急連絡先に私を指名していたようで、手帳に書いてあったそうです」

「同じNGOのメンバーではなく、あなたにですか」

「ええ。NGOといっても殆ど日浦さんの個人事務所のようなもので常駐している日本人は日浦さんだけなんです。あとはブルンガ人のアルバイトスタッフがいるだけでしたから」

「私、この後日浦さんが収容されるという東京の病院へ行きたいと思います」

「そうですか。ご苦労さまです。あちらでも事情聴取されるかもしれませんが、協力してあげてください」

「あら、なんか警察の方みたい」

「あ、いえこれも保険調査員の仕事です」

 山部はあせって繕った。

「ええっと、あなたはフランス語がおできになるんですね」

檜坂がうまく話題をそらした。

「こちらの方は?」

「ああ私の助手です」

「なるほど。あの人が店に来ることを期待してたはず……」

 静香が少しだけ微笑んだ。

「ええ。私、御茶ノ水にある語学学校で学んでいたことがありますもので」

 静香はそう言い残すと、ペコリとお辞儀をして港の方に小走りで駆けていった。

 確かこの島と羽田を結ぶ船は一日一往復なはずで、来るのは毎日昼過ぎのはずだが島から出る手続きに時間を要するのだろうか。それとも別にチャーター船もあるんだろうか?

 この島は外国という扱いだから、簡単にチャーター船は出せないはずだが、もしあるとすれば話がややこしくなる……。

 山部は静香を見送ると、次はルカ・ベンに頼んで、現場を検証した警察官から事情が聞けるよう取り計らってもらった。

 ルカ・ベンが日頃から人望があるせいか、警察官たちは皆フレンドリーで、今回の事件に関して、山部が知りたい事を丁寧に説明してくれた。


 その結果、分かったことを山部は手帳にメモした。


○ 山部とスナックで別れた後、日浦はこの島にいるブルンガ人女性に会いに行き、その女性の家近くで何者かに襲われて、かなりの深手を負った。コーバン(ブルンガ警察)には、救急隊の方からムッシュ・イウラ(日浦のこと)が襲撃されたという連絡があり駆けつけたそうだ。救急隊員にまで顔を知られているところを見るとNGOの日浦は亡くなった友久教授以上に有名な日本人なのかもしれない。


○ 日浦が会いに行ったのは(おそらく静香が言っていた)若い女性で、長老のロラン・チャタと暮らしているアミラ。(となると、やはり昨日、商店街の広場でピアノを弾いていた、あの女性だ)職業はルカ・ベンも言っていたように、初等科の先生らしい。

なお、長老のロラン・チャタという人物は、伝統的な術者で、(風水師のような?)人生相談にも乗ることから、この島のブルンガ人の誰もから尊敬されているらしい。

(アミラが事件と関わっていることについては、ルカ・ベンも衝撃を受けたようで、警察官に安否について確認していたが、アミラは怪我をしておらず、また事件の被疑者でもないと言われ、ホッとしたようだ)


○ 日浦とアミラの交際はブルンガ人には良く思われていなかったらしく、これまでにもフランス語で書かれた脅迫の手紙などが日浦のNGO事務所に届いていたようだ。これについては日浦自身からコーバンまで被害届と捜査の依頼が出ていたという。


○ 襲撃に使われた武器は状況から見て刀身が40センチもあるブルンガ・ナイフ。これはこの国の成人男性なら誰もが所有しているものの、警察官以外は日頃から身に付けるわけではないという。またずっしりと重いことから自由に扱うには、かなりの体力と訓練が必要なのだという。


○ 島のコーバンでは、ギャングによる金目当ての襲撃、仕事上のトラブル、嫉妬した恋敵、あるいは他民族との交際に否定的な集団による者などが原因と見て、多方面から捜査中ということだった。


「なるほど。まあ、そういうところだろう」

 山部はブルンガ警察から聞いた情報を手帳にメモすると、今度は昨夜現場に駆けつけた救急隊員に話を聞いてみることにした。

 ブルンガ人の救急隊員は、日本から飛んできたヘリに日浦を搬送し終えた所で、ストレッチャー(車輪付きの搬送用ベット)を車に仕舞い込んでいた。

 山部はルカ・ベンを通訳にして、その救急隊員から駆けつけた時の様子を尋ね、こちらもメモした。


○ 救急隊員は、日本のような消防吏員しょうぼうりいんや非常備消防の地域における自治体職員ではなく、現場で治療行為に当たれる病院勤務の医師で、彼の見立てによれば大型のナイフと見られる刃物による創傷で、傷は数箇所。出血がひどく意識も無かったという。


○ 昨夜11時15分頃、病院に男の声で、ケンカで刺された者がいるとの緊急通報があり、すぐにコーバンへも連絡すると共に、宿直看護師と(これは男性)救急車で現場に駆けつけたところ、血まみれで倒れている日浦を発見したという。その後、しばらくして警察官も来た。


○ 日浦の側には、若い女性が付き添っていたが(これはブルンガ人ということだから、アミラに間違いないだろう)その女性も襲撃そのものは見ていなかったと主張し(本当だろうか?)日浦がどういう状態でケガをしたのかは答えられなかったという。


○ 医師でもある救急隊員は、すぐに病院に運んで(ここで静香が呼ばれたようだ)できうる限りの処置をしたが、傷は当初考えていたものより深く、大きな手術を施す必要があると判断したため、今朝早く設備の整っている日本の病院への搬送を要請したという。

ちなみにブルンガ島から東京の病院に依頼するのは、年に数回あるのだそうだ。


「日浦さんはエライ気の毒なことでしたが、緊急搬送できたようで良かったです。私の同僚のアミラのことも心配ですが、こっちは怪我が無かったということで、ちょっと安心しました……」

「でもショックだったでしょうね」

「ええ、そうやと思います。せやから彼女は当分、学校へは出て来んでしょうね」

「アミラさんの家に電話しなくていいの?」

「いえ、彼女は長老から……」

 ルカ・ベンが山部に答えかけたその時、東京消防庁のヘリが飛び立ったので、最後の言葉は爆音で消された。

「横浜の方が近いのに、なぜか東京からヘリが来るんですね」

 上昇するヘリを見ながら、ルカ・ベンが変な感心をした。



お気軽に感想でも頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ