第10話 友久教授のアパート
10、 友久教授のアパート
大通りを抜け、しばらく歩くと広場に無数のトレーラーハウスが停められていた。山部がその数の多さに唖然としているとルカベンは――、
「このトレーラーハウスもブルンガ政府が用意したもんで、主に新しく島に来た人のためのもんですわ。なんでちゃんとした家やないのかというと、当初島の人口を3千人と想定していたのが8千人にも増えたもんで、建設が間に合わなかったんですわ」と説明した。
「ハミの人もクマの人もいるの?」
「この地区はそうです。両民族がモザイク状になって住んでます」
各トレーラーハウスには水道やガス、電気も引き込まれていた。
「日本でよく見かけるキャンピングカーとは違うようですね」
「こういう大型のトレーラーハウスはあまり無いね。大災害時とかで緊急に住居が必要になった時、日本では仮設住宅が建てられるけど、こういうのもいいね」
「それにしても大きいですね。これらはみんなアメリカ製なんですか?」
檜坂がトレーラーハウスの側面にあるメーカー名を見ながら尋ねた。
「こういうのはアメリカ製の中古が一番安いんですわ。私はむしろ地震の多い日本で、なぜトレーラーハウスが普及しないのか不思議なんですけどね。トレーラーハウスは後部にタイヤも付いてますよって揺れにも強いですし、固定資産税もかからへんでしょ? 例えば、東京の人が別宅として日本海側にでも置いといたら普段はバカンスに使えますし、大地震があった時には、窮屈な避難所暮らしをせんでも、トレーラーハウスの置いてある場所に行って、復興が進むまでゆっくり暮らせるやないですか。なにも人は土地に縛られることないと思いますよ」
ルカ・ベンが災害時の有用性について述べると――、
「確かに、そういうのもいいかもしれませんね。阪神淡路の時も、東日本大震災の時も避難所では女性に対するセクハラはもちろん、性暴力さえ発生したと言われてますからね」
檜坂が女性の立場で言った。
アパートはクマ族の住居群の中にあるということで、山部たちはその地区に入った。この辺りにある建物は、トレーラーハウスではなく、木造モルタルだ。
山部にも馴染み深いこうした建物は、島をリースする際に日本側が予め用意したものかもしれない。
ところが、そうしたどこか懐かしい風景とは裏腹に、これまでとは打って変わって、住民の山部たちを見る目が険しい。
特に同じカーキ色のシャツを着てたむろする数人の男たちからは、嘲笑を含んだあまり好意的でない視線を向けられた。それはルカ・ベンも分かっていると見え、押し黙って周りを注意深く警戒し、その顔には緊張の色が見えた。
「危ない!」
どこからか飛んできた飛来物に反応して、山部が檜坂を引き寄せた。こちらに向けて石が投げられたのだ。
さほど勢いよく投げられたものではなく、しかも山部たちを狙ったものだとすれば逸れたようで、ルカ・ベンの足元にひとつ落ちただけだった。しかしルカ・ベンは慌てて飛び退き、ポケットからスマホとは異なる小さな機械を取り出してどこかに連絡した。
カーキ色のシャツの男たちがルカ・ベンの慌てた様子を見て笑っている。
彼らからは、明らかに敵意が感じ取れた。
ここは今までの用意された檀家周りとは、ずいぶん雰囲気が違うようだ。
ルカ・ベンは、どちらの民族にも顔が利くという話だったが、もしかすると子供たちはともかく、大人のクマ族にはハミ族の彼は、あまり歓迎されないのかもしれない。
そういえば、ビアホールでも、ルカ・ベンの顔を見ただけで奥に引っ込んだギャルソンがいた。
教授が住んでいたというアパートは、昔日本にあった文化住宅を思わせるものだった。
1階にある部屋はブルンガ人の家族が住んでいるらしく、山部が先程店で勧められた民族服の他、大人用子供用の様々な洗濯物が所狭しと干してあり、自転車置場の横にはヤギが2頭繋がれていた。
ルカ・ベンがコーバンから借りてきた鍵には201というプレートが付いていたので、教授の部屋は鉄の階段を上がった2階の突き当りと思われる。
部屋を調べている最中に、先程のカーキ色のシャツを着た男たちがやって来ると困るので、山部はルカ・ベンに見張りを頼んで檜坂と共に部屋に入った。
檜坂が手順通り先にホテルの部屋でも試した簡易式の盗聴・盗撮発見器を使って調べたが、ここでも異常は感知されなかった。
間取りは台所と居間のみ。
中はブルンガ警察が報告書に書いたように、一見した限りでは荒らされているように見えなかった。
台所には今でも教授が生きているかのように、レトルト食品が無造作に置かれている。
これは日本でもよく見かけるメーカーのものだ。日本円の値札もついていたがこの島でも円が流通しているとなればこちらの店で買ったものか、日本から持ち込んだ物かまでは分からない。ゴミ箱には350mlのビール缶が数本捨ててあった。
これだけの量を教授が当日飲んでいたとしたら、遠目にも『酔っていたように見えた』と言う目撃証言と一致する。
しかし検死報告では血中アルコール濃度がほろ酔い状態の0.3㎎/mlと言っていたので、そちらとは少し矛盾する。
今回の調査では部屋の中のゴミを全て持ち帰ることができないので山部はポケットから簡易指紋検査キットを取り出し、ビール缶についた指紋をアルミパウダーを使って浮かび上がらせた。シアノ法を使わないのは、ビール缶が捨てられたのが数日前と推測されるためだ。(要するに時間が経ちすぎている)
山部は、画質が格段に優れている檜坂の6Gスマホを借りてその写真を取ると『教授の部屋にあったビール缶についた指紋』とタイトルを付けて河野に転送してもらった。
ブルンガ島のインターネット環境はデーター通信が難しいと聞いていたが、今回はスムーズに行ったようだ。
さらに山部はビール缶の縁についているはずの唾液を、これまた簡易DNA検査キットで採取し保管した。
こちらは持ち帰って、河野には後で鑑識へ回すように指示することにした。
それにしても質素な生活だ。
教授は毎週15万円程を生活費として使っているという報告があったが、この暮らし方ではそんなにかからないのではないかと山部は思った。
隣は日本の江戸間サイズ換算で六畳くらいの広さがあるリビングルームで板張りになっている。ここには大きな本棚と書類ケースが整然と並べられており、カーテンで閉ざされた窓際には机とノートパソコンがそのまま置いてあった。
何も異常はない。しかし、違和感があった。
「どう思う?」
山部は小声で檜坂に尋ねた。
「なんだか生活感が無いように感じます。たとえて言うなら、有名人の記念館によくある、再現された部屋といった感じです」
「そうだな。この部屋は、まるで何事も無かったかのように工作されている」
確かに、本棚から取り出された本が机の上に置かれ、書きかけの書類らしきものもその前にある。しかし、書籍のタイトルは――、『corridor of Timbuktu(トンブクトゥの回廊)』という旅行者向けのガイドブック。それに対して、手書きの書類に書かれていたのは『ブルンガにおけるポストコロニアリズム(植民地支配が終わった後の秩序や文化)』という学術的なことがらで、どこかちぐはぐな感があった。
となると、パソコンの中身はどんな風になっているのか……。
山部が机の上のノートパソコンのスイッチを入れると、意外にもファイルはロックされていなかった。ただし中にはどこにでも転がっている、アプリケーションが少し残っているだけで、それ以外の履歴などは全て消去済みだった。
「やはり、何も残ってないか」
山部が少し落胆したように呟くと――、
「でも復元できるかもしれませんよ。このノートパソコンは3代前の古いOSの Windows12を使ってますし」
と、檜坂がポケットから何やら取り出した。
それは小さな青いUSBで、彼女がそのUSBをノートパソコンに差し込むと、消えていたはずの履歴がゾロゾロと出てきた。
「なんだい、それは?」
「表面上消去されたデーターを手早く復元するソフトですよ。こういうのは素早さが肝心でして」
檜坂が、そう言いながらエンターキーを押すと消えていたワードデータが大量に現れた。
「君はすごいな……」
唖然とする山部を尻目に、檜坂はそれらを今度は、別のオレンジ色のUSBに手早く記録し始めた。
「これで教授が書いていたファイルを見れるといいんですが……」
記録し終わると、檜坂はまたしても青いUSBと交換し、別のプログラムを起動した。
「ファイルを消去した人物が教授でないなら、その人に気付かれないように元通り消去しておきます。その際、今の日付ではなく前に誰かが消した日付にしておくのがミソです」
檜坂は喜々として作業を行っているが、裁判所の許可もなくそういうことをするのは、違法じゃないのか? 山部は一瞬思ったが、これらの遺品が大学に戻されるまでには証拠隠滅されるだろうから仕方ないことかもしれない。
第一、ここは日本ではないのだ。
それにしても檜坂はこんな技術をいったいどこで覚えたんだろう?
山部は不思議に思った。
どこかで教会の鐘の音が聞こえる。
そういえばブルンガはキリスト教の国だった。
他に教授の行動を知る手がかりは無いかと書類入れの中を物色し写真を撮っていると、外の見張りをしていたルカ・ベンが、かなり疲れた表情で部屋に入ってきた。
「山部さん、どんな具合ですか? このへんは、夕方になったら、ちょっと危ないんで」
「ひと通り終わったところだよ。写真も撮り終えたので、そろそろ引き上げようかと思っていたところさ」
山部は檜坂が、ここで教授のファイルを回収したことは黙っておいた。
もちろんルカ・ベンが、教授の死となんらかの関係があったとは思えないが、もしかすると彼の親しい者の中に関係者がいるかもしれないからだ。
「この後はどうされますか?」
「腹が減ったので、いったんホテルで食事にするよ。ルカ、君はどうする?」
「私は差し支えなかったらいったん、自宅に戻りたいと思います。て言うてもホテルの辺までは送らせてもらいますよって」
ルカ・ベンは、やはりだいぶ疲れているようだ。
表面上は陽気な男だが、彼なりに色々気を使ってくれたのだろうと山部は推測した。
檜坂が吉浦電気・工場近くのコンビニへトイレを借りに入った時ルカ・ベンは、ポケットから小さな器具を取り出し、それを山部に手渡した。
「これはページャて言うて、私らブルンガ島の公務員が、お互いの連絡用に使うてる簡易の通信機です。こっちのボタンを押すだけで指定の相手と直に話せるようになってますんで、単純やけど非常に便利なもんなんですわ。ちなみにこのページャの場合は、ボタンを押すと私につながる設定になってます」
そういえば先程、誰かに石を投げられた時、ルカ・ベンがどこか(おそらくはコーバンと思われる)に通報するのに使っていた。
日本では誤解されている場合が多いが、アフリカでは先進国よりスピーディに携帯電話やスマホが普及した。それは固定電話用の既存施設が殆ど無かったのが原因だが、本来であれば携帯電話が普及した地域では、ポケベルなどはいらないはずだ。その意味でページャと呼ばれるこの機械は、必要に応じて新たに再開発されたものだろう。
「ここにいてはる間は、これを肌見放さず持ってて欲しいんですわ。ボタン一つで、夜中でも駆けつけますよって」
「今日は色々とありがとう。君の奥さんに悪いから夜中にボタンを押すようなことは滅多に無いと思うけど、もしもの時には使わせてもらうよ」
すると、ルカ・ベンは少し寂しげに笑って――、
「私の妻は内戦で亡くなって今は一人もんですよって、遠慮せんと呼び出してください」と言った。
「そうか悪いことを言ったね」
「大丈夫です。ほんだら、また明日」
そう言い残すとルカ・ベンは、手を振りながら帰っていった。
「あれ、ルカさんは帰られたんですか?」
檜坂がコンビニでトイレを借り、買い物をした後レジ袋を下げて戻って来た。
レジ袋は日本では使用が制限されて久しいが、ここブルンガでは投棄には罰則があるものの、使用自体は奨励されているようだ。理由は紙袋にすると、本国の森で樹木の伐採が進み砂漠化が進行する上、CO2が増える原因になるからだという。
日本人が奇異に思うためか、コンビニの前に『ブルンガのルール』という注意書きのポスターが張られていた。
ホテルに戻り、ロビー兼食堂で間宮の出してくれたサンマ定食をごちそうになっていると、テレビからブルンガの歌番組が流れて来た。それは山部たちが島に上陸した時に聞いた印象深い曲『ケセラセラ』だった。
マリンバの伴奏に合わせて歌っているのは、重低音から想像した大男ではなく、少しお腹の出た小柄な中年男だった。
歌の合間に南アのブブゼラに似たラッパが鳴り、三人の女性コーラスが踊りながらMasquer les choses importantes(大事なものは隠そう)と、合いの手を入れていた。
「この歌は陽気な旋律に聞こえるけど、本当は村がテロリストに襲われて妻が殺されたという男の悲しい話なんだってね」
山部が檜坂に教えてもらった情報を呟くと、
「深い悲しみほど、周りには見えにくいこともあるのかもしれませんねえ」
間宮が相槌を打った。
食事の後で、山部は日本人が集まるというスナック・ブルンガに出かけることにした。
檜坂にも「来るかい?」と誘ってみたが、彼女はあまり気が進まないのか「USBにコピーしたデーターを部屋で分析してみます」と言って、ホテルに残った。