08――ミルク粥と兎人族の少女
名無しだと呼びにくいので、彼女が意識を取り戻すまでは『ウサ子さん』と呼ぶことにした。あまりにあちこちが汚れていたので、シーナに教えてもらった洗浄魔法で彼女をまるっと洗ってしまう。ただせっかく助けたのに窒息してしまったらマズいので、顔に魔法をかけるのはやめておいた。後で濡らしたタオルで拭いてあげようと思う。
ソファーに汚れても構わないシーツを敷いて、クッションの上にタオルを畳んで置いたところに彼女の頭がちょうど来るように、魔法でふわりと持ち上げてそっとシーツとクッションの上に彼女を載せた。
《洗浄の魔法もその浮遊の魔法も本来なら制御が難しい魔法なんですが、リノは簡単に使いこなしますね》
「そうなの? 多分イメージしやすい物が日本にあったからじゃないかな」
洗浄の魔法は洗濯機をイメージしてるし、浮遊は気球とか飛行船とかの発進時のふわっとした感じを真似させてもらっている。この世界に飛行機や気球があるのかどうかはわからないけれど、魔法使いの人が制御しにくいっていうなら多分そういう発想が浮かばない環境なんだろうな。
それはさておき、貫頭衣って言うんだっけ? ウサ子さんが着ている服を脱がさないと、スキャン魔法が使えない。汚れは落ちているけど、あちらこちらに穴が開いていたり毛羽立っていたり、かなりボロボロになっている。脇から切っちゃってもいいんだけど、ウサ子さんのお気に入りだったら取り返しがつかない事になるし。うーん、悩ましい。
私が悩んでいると、シーナが一度彼女を浮遊魔法で浮かせてソファーに座らせてから、今度は服に浮遊魔法を掛けて脱がせたらどうかと提案してくれた。その通りに彼女をふわりとソファーにもたれ掛かるように座らせて、慎重に服を脱がせる。なんとか破いたりせずに脱がす事に成功したんだけど、今度は真っ白い肌が目に飛び込んできてちょっと見惚れてしまう。
《リノ、早く寝転ばせないと彼女が倒れてしまいますよ》
ズリズリと背中をソファーの背もたれに擦り合わせながら、ウサ子さんの体が重力に負けて傾いていく。慌てて魔法で静止すると、ゆっくりと彼女の体を浮かせてソファーに寝かせ直した。
スキャン魔法で怪我や病気を確認すると、擦り傷切り傷以外は栄養失調ぐらいで思ったよりも軽症でホッとして小さく息を吐く。治し忘れがないかを細かくチェックしながら、痛々しい傷を治療していく。タオルケットをクローゼットから引きずってきて、そっと掛ける。裸だからね、風邪ひいたら大変だし。
あとは起きるのを待つだけなんだけど、その間に何か食事を用意しておいた方がいいかもしれない。冷蔵庫の中身をチェックしながら何を作ろうかと考えていると、ふと疑問が浮かんだ。
「獣人の人って種族的に食べられない物とかあるのかな? 例えばウサ子さんだとウサギの獣人な訳じゃない? ウサギって草食動物だから、肉とか食べられないよね」
《それぞれ好みはあるでしょうが、彼女の場合は人寄りの獣人なので肉類も食べられると思いますよ》
なるほど、それなら肉についてはウサ子さんが起きて欲しがったら何か作ろうか。いざとなったら冷凍食品もあるしね、日本のメーカーが作る冷凍食品は本当にすごく美味しいので是非食べさせてあげたい。
パンを使ったミルク粥でも作ろうか、簡単だしね。メープルシロップを少し足すのが私流、アクセントになっておいしいのだ。
ミルクパンでミルクとトーストしてちょうどいいサイズに切り分けた食パンをコトコトと火に掛けていると、不意にくいっと服を引っ張られた。それほど強い力ではなかったけれど、急だったのでびっくりして視線を向けると、ウサ子さんが不安そうな表情で私を見つめていた。
「ここは、かみのみその?」
知らない単語に首を傾げていると、シーナが《リノの世界で言う天国の事です》と教えてくれた。あー、確かにこの部屋はこの世界の標準とはかけ離れてるだろうし、そう思っても仕方がないかも。
「違うよ、ここは私の家。体の調子は大丈夫かな、一応お腹すいてるかなと思ってごはん作ってみたんだけど」
私が言うと、ウサ子さんは小首を傾げた。しかし踏み台に乗ってる私と目線が同じって事は、ウサ子さんは結構身長が高いんだね。というか私が小さいのかな、色々不便なので早く大きくなって欲しい。せめて日本にいた時と同じぐらいの身長が欲しい、153cmしかなかったけどね。
準備するから座ってて、とウサ子さんをリビングへ追いやった後、お盆にミルク粥とお茶を載せて運んだ。このお盆はどういう理屈なのかわからないけど、多少傾けても載せた食器が滑ったり倒れたりしないようになっているから便利だ。力もなくバランスも悪い子供の体でも、ちゃんと粗相なく持っていく事ができる。
「お待たせ、熱いからよく冷まして食べてね。お茶を入れてきたけど、お口に合わなかったらお水もあるから」
私がそう言うと、ウサ子さんはこくりと頷いて早速ミルク粥を食べ始めた。時々舌を火傷してお茶を飲んで冷やしながらもまた木匙を口に運ぶ様子を見ると、余程お腹がすいていたんじゃないかと想像に難くない。お茶を2杯ほどおかわりして器が空になる頃には落ち着いたのか、満足そうな表情を浮かべていた。
「そう言えば、自己紹介もしてなかったね。私はリノ、あなたが狼達に襲われているところに通りがかって、意識のないあなたをこの家に連れてきたの」
「……ミミ、とじんぞくのラサとひとぞくのラガンのむすめ。たすけてくれてありがとう」
ボソボソと喋るのは彼女の癖なのか、ウサ子さん……もとい、ミミと名乗った少女は私を真っ直ぐに見てお礼を言った。頭を下げる文化はないのかな、だったら私も無闇矢鱈にペコペコ頭を下げる日本人的な癖が出ないように気をつけないと。
年齢と食べられない物があるのかどうかを聞いたところで、まだ体力が回復し切っていないミミは目をトロンとさせて今にも眠りそうな状態になってしまった。詳しい事情を聞くのは彼女が長話に耐えられるまでに回復するまで待つことにして、ミミにソファーへと横になってもらう。
「ソファーでごめんね、寝難くない?」
「このねどこはすごくきもちがいい、ありがとうリノ」
半分眠っている状態でお礼を言った後、ミミはすぐさま静かに眠りの世界に完全に落ちた。体の上に再びタオルケットを掛けてあげて、リビングの電気を消す。私には自分の部屋があるからね、そこでしばらく休憩する事にする、考えたい事もあるし。
しかしミミの方が背が高いと思ったら、6歳だったのか。この年頃の数年っていうのは大きくて、結構な体格差が生まれたりする。ただ個人差も大きいから、年齢が上でも小さい子もいたりするんだけどね。それも個性なんだけど、我が子の成長に思い悩むママさん達を色々見てきた私としては、心配するのも仕方がないと理解している。うちの娘は平均的に育ってくれたので、体の成長についてはそれほど心配する必要はなかったんだけどね。
ミミはお肉も問題なく食べられるという事だったので、起きたら肉料理でも作ってあげようかな。私も今日は色々あって疲れたので、ちょっとガッツリとした物が食べたくなっている。頭の中で献立を考えながら、私は自分の部屋のドアをガチャりと開けた。