05――魔法の威力と命の軽さ
「んんっ……!」
1日ぶりに家の外に出た私は、グーッと腕を上に持ち上げながら伸びをした。森だからなのか、すごく瑞々しい空気が肺の中に満たされる。
昨日の夜は通販でこれからの生活に必要なものを注文し、届いたダンボールからクローゼットの収納に片付けた後で眠りについた。新婚だった頃から使っているダブルベッドだが、離婚を切り出したのを機にマットレスだけは新品に変更した。元夫が寝ていた事を考えると、元のマットレスは汚らしく思えて触ることにすら嫌悪感を覚えた。そんなところに寝るなんて無理でしょ、普通。
新しいダブルベッドって高いから、フレームはピカピカに磨き倒して再利用。両親の離婚にやっぱり精神的ショックがあったのか、それとも自分の父親のクズっぷりに傷ついたのかわからないけど、娘が度々潜り込んで来たから役には立ったんだけどね。シングルベッドだったら多分私、娘に蹴落とされてただろうし。
奮発してポケットコイルのマットレスを買ったから寝心地はいいんだけど、小さな子供の姿になってダブルベッドにぽつんと寝転ぶとなんだかものすごく寂しさが襲ってきた。なんというか広すぎて落ち着かないし、ちょっとだけ寝不足だったりする。
日本だったら自宅の前に出るのにスウェットの上下とかラフな格好のままでOKだけど、この世界はそうじゃない。異世界なんだから魔物もいるし、猛獣だっているらしい。私が現在いるところは現地の人も寄り付かない危険な森らしくて、万が一を考えて昨日のうちに購入した装備をシーナの指示のもときっちりと身につけていた。
まずは登山靴、私の足のサイズは16cmだとシーナが言うので、該当サイズのしっかりとした品物を選んだ。当然そうなるとお値段もそれなりになると思うんだけど、私はこっちの貨幣価値がまだわかってないのでピンとこなかった。大銀貨1枚って日本円に換算したらいくらくらいになるんだろう、1万円ぐらい?
続いて購入したのは魔術師が身を守る為に着るローブ、お値段はなんと金貨10枚。相手の魔法の威力を低下させたり、逆にこちらの魔法の威力を上げる事ができたり、そういう仕掛けがいくつも仕掛けられているものらしくて高級品らしい。しかもこのローブ、持ち主の体の大きさに合わせて伸びたり縮んだりするというのだからびっくりだ。長く使えそうだし、金貨10枚という値段も特に暴利という訳ではなさそう。何より茶色と黄土色の中間みたいな色だから、汚れが目立たなそうでいいよね。
ちなみにローブの中身は何の変哲もない子ども用のジャージを着ている、黒一色だけどローブ着てたらわかんないよね。その下は普通に肌着のTシャツと綿のパンツ、3枚セットで安かったからこれにしたんだけどジャージを脱ぐこともないし、変には思われないでしょ。
背中まである亜麻色でふわっふわの髪は、シュシュで後ろにまとめている。前世の私の髪は硬いし毛の量も多くて嫌いだったんだけど、なんの因果かあの頃憧れていた柔らかくてしなやかな髪質を違う世界で手に入れてしまった。でも自慢したくても見せびらかす人もいないし、かなり寂しい。
《さて、それでは早速魔法の練習を始めていきましょう》
ちょっとだけホームシックみたいに寂しい気持ちになっていたのを、シーナの号令で練習へと意識を切り替えた。どれだけ寂しく思ってももう地球には戻れないのだし、私の精神は大人なんだから大丈夫。
「そもそも魔法そのものがよくわからないんだけど、何をどうすればいいの?」
《魔法とはものすごく簡単に説明すると、魔力を使って世界に望んだ現象を起こす事象の総称です。より正確に術者の希望を魔力に載せる為には、イメージがとても重要になってきます》
私の質問にシーナは淀みなく答える。例えば風を吹かせたいとイメージして魔力を使えば、風が起こるよということなんだろうね。つまりは望む現象を正確に起こすために、想像力というかイメージが大事なのだろう。どちらかというと理論よりも慣れが必要なのかもしれない。
《イメージを固めたら魔法の発動体であるその指輪に魔力を流してください、待機状態になったら脳内で発動トリガーを引けば魔法が発射されます》
まぁやってみればすぐにわかりますよ、とシーナにしては投げやりな感じに言われてしまったので、私は言われた通りにイメージする事から始まることにした。ちなみに魔法発動体の指輪は青い宝石が台座に嵌まっているもので、台座と一体になったリングも金で出来ているからか私の小さな手指には少し重く感じる。ちなみに価格は大銀貨9枚、それなりにいい品質のものらしい。こちらも自動サイズ調節機能がついているので、長く使えそうだ。
さてさて、しかしイメージって言われても、私の中には娘と一緒に遊んだロールプレイングゲームぐらいしか魔法のイメージはないけど。森の中だし火事になったら大変だから火はやめて、氷にしてみる?
目の前に立っている大型重機のタイヤの直径ぐらいの太さがある大木に向かって、尖った氷の礫が飛んでいく様子をイメージする。強くイメージした後で青い宝石に意識を向けると、まるで待ってましたと言わんばかりにスルッと微量な何かが体の中から出ていった感覚がした。
すると脳内に発射ボタンの様なものが浮かび上がり、これがシーナの言っていた発動トリガーだと理解した私は迷う事なくそのボタンを押した。その瞬間宝石が青い光を放ち、空中に現れたイメージ通りの氷の礫が次々に大木に襲いかかる。ガガガガ、と大きな音がしばらく響いた後で命中した大木を見ると大きく幹の部分がえぐれていた。
《リノはハイエルフですから心配はしていなかったですが、予想以上の威力でしたね》
「あんな魔法をもし人に撃っちゃったらひとたまりもないんじゃない!? 私、護身用程度の魔法が使えればそれでいいんだけど」
のんきに感想を述べるシーナに、私は慌てふためきながらそう言い返して命中した大木へと駆け寄る。幹がすごくえぐれてるし尖った氷片がところどころに刺さり、そこだけ冬の様な冷気が立ち込めていた。どう考えても威力過多である。
「……調整できるようになるまでちゃんと練習しよう、そうしないといつ事故が起こってもおかしくないよコレ」
《威力の調整は大事ですが、敵にまで手加減しない様に気をつけてくださいね。この世界では油断をするとあっという間に自分の死につながりますから》
『自分の手で他人の命を奪いたくない』そう思っての言葉だったが、シーナの言葉に気が引き締まる思いがした。この世界は日本と比較すると、きっと命の価値が非常に軽い世界なのだろう。
できるだけ他人に危害を加えたくないという気持ちは変わらないけど、私の命を奪いに来たりこちらに危害を加えようとするなら容赦はしない。そう思えるように緊張感を持って生きていかなければいけない。となると、便利な家にずっと引きこもっている訳にもいかないか。
「私もこの世界に順応できるように努力するけど、間違っているとかこうした方がいいよって思う事があったら、シーナから教えてもらえると嬉しいな」
《リノのために私が生み出されたのですから、頼まれるまでもありません。リノが無傷で天寿を全うできる様に、全力を尽くします》
……どうしよう、気持ちは嬉しいんだけどシーナの想いがすごく重い。でもこの想いに応えられるように、私もシーナのパートナーとして頑張らないと。