自覚
目の前の光景に、つい口を尖らせる。
ほんの少し前まで、仲良く本を読んでいたはずの二人は深い夢の中にいた。
椅子の上で少女と青年が身を寄せ合って、穏やかな寝息を立てている。ウェーブのかかった黒髪の青年――ヴィネは己の膝の上に眠る金髪の少女――グレモリイを落とさぬようしっかりと抱きしめ、対するグレモリイも彼の服を握りしめている。
少し年の離れた兄妹が仲良く眠っている。そうみれば微笑ましいが、二人は兄妹ではない。
いつの間にか傍にやってきていたハウラスがふっと笑みをもらす。幼馴染と自分の妹の仲睦まじい姿に微笑ましい気持ちになったのだろう。自分も二人でなければそう思っていただろう。想い人と非常に可愛らしい女の子が一緒に寝ているのだ。その光景を見て、心を平穏に保てる者がいるのであれば教えてほしい。
ハウラスの榛色の瞳がこちらを見下ろす。
彼は私の表情に気が付くと、微笑みを意地悪そうなにやつきへと変えた。
「なんだ、嫉妬か?」
彼とは数年の付き合いになるが、人を食ったような言動が多かった。私は尖らせていた唇の端を下げて睨みつけた。ただ彼は薄ら笑いを深めた。
「……そうよ、だからなんなのよ」
「どうしたいんだ」
何を、と彼は言わなかった。けれど、何のことかすぐにわかった。ちらりと寝ている彼へ視線を向ける。
「……別に、どうもしないわ」
「どうもしない、ねぇ」
「……何よ?」
「素直じゃねえなって思っただけさ」
「貴方に言われたくないわ」
「俺のどこが素直じゃないって?」
ハウラスが片眉だけ上げる。
「全部よ、全部」
「ひでーなぁ。こんなに正直だっていうのに」
「自分の欲望にはね」
彼が女性関係で好き勝手やっているのをグレモリイから聞いていた。
途端、頭に何かが降ってくる。そして、それは私の髪をぐしゃぐしゃに乱す。
「ちょっと口で敵わないからって止めて!」
ハウラスを見上げて言う。が、彼は手を止めずに、
「素直になったらどうだ?」
「うるさい、わね……!」
手をどけようとしても、相変わらずびくともしない。
ぐぐぐっと腕に力をこめ、ハウラスの腕を除けようとしていると、ふと視線を感じた。
振り返る。いつの間にかヴィネ様の赤い瞳がこちらを見ていた。
そして、同じく目覚めたグレモリイが眠そうに目蓋を擦り、大きな欠伸をしている。
「……どうしたの?」
と、眠さが抜けない声で彼女が問う。
「なんでもないわ。起こしてしまってごめんなさい」
「ソフィア様はいいのよ。どうせお兄さまがちょっかいだしたのでしょう?」
「どうせ……」
頭に乗っていた手がそっと離れて行く。流石のハウラスも実の妹からの冷たい物言いはこたえたようだ。
ただ、ヴィネ様が会話に入ってこないことが気になった。ただ、ぼうっとこちらを眺めている。起きたばかりだからだろうか。いや、普段の彼は寝起きが良い。どうしてのだろうと、問おうとするが、その前にグレモリイがばっと起き上がって言う。
「みんなでお散歩に行きましょう!」
「唐突だな」
「ええ、いま浮かんだことだもの」
「そうか……」
「そうね。今日は晴れているし、そろそろ外の空気を吸いたいと思っていたの」
そう言って手元にあった本を閉じて、立ち上がる。
私に続くようにヴィネ様も静かに立ち上がったので、先程のことを問うのは止めにした。きっと慣れないところで寝たから、と。
そうして、さっさと部屋を出て行こうとしているハウラスの後へ続いた。
ソフィア達が部屋から出て行くのを見送ると、私は思わず胸を抑えた。
目を覚まして最初に視界に飛び込んできたのは、じゃれ合う幼馴染と妹だった。それを認識した途端、胸に湧いたのは何とも言えず苦しいものだった。
先ほどより苦しさはない。けれど、くすぶるような、心臓の辺りを触られているような、そんな嫌な感覚が残っていた。
遂におかしくなってしまったか、と自身の体を見下ろす。
「ヴィネ様?」
グレモリイだった。私がついてこないことを心配したのだろう。
「すまない。すぐに行くよ」
扉へ向かって歩き出す。けれど、今度はグレモリイがこちらを見つめたまま動かない。
「考え事?」
「……そんなところかな?」
「もしかして、お兄さまとソフィア様のこと?」
ぎくりと肩が揺れた。別に聞かれても何も問題はないのに、なんとなく体が反応してしまった。どう答えたら良いか、口に出来ずにいると、
「どんなこと?」
彼女が問う。
「いや、言うほどのことでは……」
思わず口ごもる。言うほどのこと、というよりは上手く言語化出来ないというか。そんな自分を気にする様子もなく、彼女は視線で先を促す。聞くまでは動かない、と言っているようだ。
そっと溜め息を吐く。
「……二人を見ていると、心臓の辺りが変なんだ」
「変?」
目線を合わせるように屈み、首肯する。
「どんな風に?」
「どんな……なんだかじりじりと燃えているような、無遠慮に触られているような……」
口にしていて、よくわからないことを言ってしまったなと自分で思う。
「ふーん――それは二人が一緒に居たから?」
「……恐らくは」
「じゃあ、お兄さまのとなりに綺麗な女性がいます。どう思いますか?」
「どう思う……? いつものことじゃないか」
「まあ、いつものことね」
うんうん、と二人で頷きあう。じゃあ――と彼女は続ける。
「ソフィア様のとなりに格好良い男性がいます。どう思いますか」
途端、言葉に詰まる。再び心臓に火が灯るような、嫌な感じがした。
「ヴィネ様、わかった?」
そう言ってグレモリイが私の顔を覗き込む。わかった、と言って彼女を見下ろす。その大きな瞳はキラキラと輝いていた。
「――私は、とても過保護なのかもしれない」
そう言って唇を噛む。途端、彼女の瞳が輝くを失う。
「……そう、かもしれないデスね」
次いで、もう少しねと聞こえたので、彼女に聞き返す。
「なんでもないわ。それより、行きましょ!」
手を引かれる。慌てて足を動かす。玄関の前でソフィアとハウラスがまた言い合っていた。
それを見て、心臓についた火が一層大きくなったような気がした。