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八神くんの戦い

 八神やがみとおるは小学生の頃から剣道をやっており、その実力は折り紙付きとのこと。

 なにせ中学の大会では個人戦で優勝したくらいなのだ。少し調べればすぐわかることだった。

 そして名塚なつかまことも彼と同じ小学校で、家も近所だということ。

 つまり二人は幼馴染ということになり、少し考えれば、その繋がりもわかることだったのだ。

 この間の返り討ちにあった件は名塚の手引きだったのではないか。不良たちがそうざわめくのも、ある意味当然と言えた。

「名塚だ。あの野郎ハメやがったんだ」

「間違いねえ。今思えばあいつ変だったもんな。普段はあんなこと言いやしねえのに」

「俺らが目ぇかけてやったのをいいことに調子こきやがって。どうする? 久須見くすみ

「決まってるだろ」

 久須見と呼ばれた男が鼻で笑った。彼がこのグループのリーダー的存在であり、大体の主犯だった。「名塚の野郎をとっちめてやんねえとなあ。放課後やるぞ。おまえら、人数集めとけよ?」

 男たちの声は密談と言うにはあまりに大きく、加えて、階段という場所は結構音が響く。

 だから、その場に居合わせ、階下の裏に潜んでいた八神にも、その物騒な話は十分聞こえていた。

 言わんこっちゃない。

 吐息にも近い八神のため息は、誰の耳にも入らずに終わる。



「なーつかくーん、あーそびましょー」

 二年A組の教室に、四人組のうちの二人がやってきた。軽そうな口調とは裏腹に、二人からは逃がすまいとする威圧感が漂っている。

 どう考えても、「カラオケでも行こうぜ!」と言った楽しげな雰囲気ではない。

「は、はーい……」

 凍り付いた教室の一角で、名塚は顔を引き攣らせ、椅子から立ち上がった。

「な、名塚くん、大丈夫?」

 近くにいた男子生徒が駆け寄る。はやしだ。「このあいだ、僕の財布取り返してくれたりしたから……」

「大丈夫だって! ヤバくなったら逃げるからよ、心配すんな」


 とはいえ、これはちょっとヤバいかもしれない。

 二人に脇を挟まれ、名塚は屋上までの道を連行されていた。こうもがっちり掴まれては逃げようがない。

 四人を嵌めたことに対する後悔はなかった。悪いのは林くんの財布を巻き上げた彼らのほうなのだから。

 あるのはただ、これから自分がどうなってしまうんだろうという、漠然とした恐怖だった。

「さぁて、ショーの始まりだぜ名塚ぁ」

 屋上の扉を前に、男が笑った。名塚の腕は解放されていたが、すぐ後ろにもう一人いて逃げようにも逃げられない。それにこの扉を開けた先には大勢の不良どもがいるのだろう。ここで騒ぎを起こしても袋のネズミだ。漣程度の抵抗をしたところで、やはりどうにもならない。

 つったって、怖ぇもんは怖ぇよちくしょうめ―――。

 名塚の心の準備など待ってくれるはずもなく、男が容赦なく扉を開ける。

 それを待ってました、とばかりに、木刀が振り下ろされた。

 名塚にではなく、扉を開けた男に。

「悪いが、ショーはもう終わりだ」唇の端から血を流している八神が、まるで血の通ってない声で言った。

 屋上にいたのは、倒れているいくつもの人影だった。その中にはリーダー格の久須見の姿もある。

 不意打ちを食らってよろめく男も、名塚も、名塚の後ろにいた男も、誰もが混乱するなか、八神の木刀だけが流れるように舞った。男が膝をつく。

「……と、おる」

「てめぇ、八神!」

 加勢に行こうと自分を横切る男の腰に、反射的に名塚は飛び掛っていた。離せ、と叫ぶ間さえなく、その男も八神の木刀に打ちのめされる。名塚が手を離すと、男の体は力なく地面に倒れ伏した。

「徹!」

 名塚は、慌てて八神に駆け寄った。「おま、怪我してっ」

「大したことない、平気だ」指で口元の血を拭う八神は、やはり素っ気ない。「それよりさっさと行くぞ。こいつらが起きてくると厄介だ」

 短く言って、八神はさっさと屋上を後にする。名塚はただ、その背を追うことしかできなかった。



 学校を出て、終始無言のまま八神は家路を進み、その話し掛けづらい背中を見ながら名塚も黙ってついて行く。

「徹」

 名塚が意を決して呼びかけたのは、閑散とした住宅地に入ったあたりだった。唇を引き結んだまま、八神が肩越しに名塚を見る。

「その、……ごめん。あと、ありが」

「八神、って言ってるだろ」大袈裟なため息と共に八神は振り返った。「っとにおまえは。だから気をつけろってあれほど」

「友達なのにか」

「え」

「友達なのに、……なんで名前で呼んじゃいけねえの?」

 今はその話をしてるわけじゃ。

 しかし名塚の声音がことのほか真剣であったために、八神はかける言葉を見失っていた。息を飲んで、押し黙る。

「わかる、俺がバカなのも、徹が怒ってんのもわかるけど。でもおまえ、俺のこと助けに来てくれたんだろ? 誰に頼まれたわけでもねえのに、喧嘩も嫌いなのに。それって俺とおまえが昔からの仲で、友達だからだろ? じゃあ、普通に徹って呼んだっていいじゃんか」

 八神はなにも言わなかった。名塚はさらに続ける。

「別に後ろめたいことなんてないし、隠す必要ないだろ? まあ俺の素行に関しては……これから気を付けるとして」

 それでも八神はなにも言わない。名塚は、思いついた端からさらに口にしていく。

「内申って言っても教師だって徹自身の人柄を見てるんだ。付き合う人間だけで判断なんかしねえよ。むしろ不良まがいの奴と付き合っても流されない、意志の強ぇ奴ってことで逆に評価されたりして」

「……それは飛躍しすぎだろ。どんだけ楽観的なんだ、おまえは」

 八神が、ようやく言葉を発した。首に手を当て、観念したように息を吐く。

「別に怒っちゃいない。そもそも悪いのは下級生を相手にカツアゲしたり、集団で一人をいたぶるような卑劣な行為をするあいつらだろ。おまえに怒る理由はない」

「そ、っか。そうかな」

「まあ、考えが甘いなって呆れはしたがな」

「う。そ、そうか……」

 八神が釘を刺すと、名塚が縮こまった。しおらしい彼は珍しく、可笑しささえ込み上げる。

「まあでも、そうだな。……友達、なんだもんな」

 八神は顔を上げていた。清々しく笑い、そして名塚と正面から目を合わせる。

「もう、下らない意地を張るのもやめにしようか」

「意地?」と名塚が目を見開く。

「子供の頃の、自分に対する意地だ」


 八神は、小さい頃の自分が嫌いだった。小柄で、自分に自信がなくて、なにをするにも名塚の後ろをついて回っていたあの頃の自分が。だからそんな自分を変えたくて、必死だった。剣道も、勉強も、何もかも。

 名塚と距離を置こうとしたのも、変わりたい一心からだった。昔の自分を知っているからこそ、遠ざけたかった。

 でも、変わろうとする八神の一方で、名塚は一向に変わらなかった。むしろ、そんなことに拘り続けるこちらが矮小だと言わんばかりに。いや、おつむの弱い名塚はそんなこと考えちゃいないだろうけども。

 今もなお、なんのことやらわからない名塚は口をへの字にしながらきょとんとしている。なにも考えていなさそうな、実に間抜けな面だ。

 だから八神も、考えることをやめた。

「……なんか、おまえといるとあれこれ考えるのが馬鹿らしくなってくるんだよな」

「え、俺といるのに頭使うことなんてあるのか? んなもんその場のノリでいーだろノリで」

「遅刻の方はまああまり期待していないが、授業をサボるのはやめろよ。それはノリじゃ済まされないからな」

「わかってるって」

「誰かに誘われても断るんだぞ」

「……ど、努力する」

 やっぱり、こいつはただの馬鹿なのかもしれない。真顔で応える名塚に、八神は顔をしかめて「実践をしろ、実践を」と呆れた。

「なあ徹ー」

 胸のつかえがおりた名塚が、間延びした声で呼びかける。「腹減らね?」

 そう言われると。日は沈みかかっており、確かに小腹が減る時間帯だった。

「なんかそのへんで軽く食ってこうぜ。さっきの礼もあるし、ワンコインなら奢ったる」

 いつもなら断るところだ。外でなんて、どこで誰に見られるかわからない。

「なにを食べるかは俺が決めるぞ」

 けれど八神は、たいして考えもせずそう言っていた。

「おう」名塚が屈託なく笑う。

 気恥ずかしくなった八神は、前のめりでさっさと歩き出した。足取りも軽く、名塚がそれに続く。

 ふと思い立ち、前を行く八神が首を後ろに向けた。「おい、真」

「ん? なんだよ」

「ワンコインって、五百円の方だからな」八神はそう、念を押していた。


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