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風の果て雲の彼方  作者: 加藤 弓雅
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翌朝早く、長達の亡骸が帰ってきた。

一頭に大人を二人載せる重荷に歩みは遅く、途中、狼にも狙われ、危ういところであったという。

父母と対面をしたミルカは泣かなかった。

少し涙をこぼしはしたが、終始冷静に、抱擁の礼と遺骸の拭き清めをこなした。

父たちの悲報から立て続けに事が起き、どこか覚束ない様子だったミルカは、一晩明け別人のような平静さを取り戻していた。

葬礼で哭するまでの分は、もう泣いたから。

問わず語りで兄に言い、

「兄さまも泣いたら良いと思う。すっきりするから」

出来ることならば、それが一番なのだろう。

「とりあえず、手近のことを終わらせてから考えよう。ミルカも頼む」

兄の言葉に、妹も表情を引き締める。送るのは自分たちの父母だけではない。

だけではないが、だからこそ、長が残した子として、父母への礼を果たす事が、同胞への務めともなる。

「エイカ殿は」

「天幕に。今は姿を見せない方がいいかなと」

昨日のバンガルの胡乱な仕打ちと、対するエイカの凛とした態度もあって、長の死に関わったとされるエイカを責める空気は強くはないが、かといって自由に振舞えるかというと、そうではない。

「兄様は、エイカを酷い目にあわせたり、追い出したりなどしませんよね。約束してくださいますか」

何を思ってのことなのか、二人で一晩を過ごした後、いや、バンガルから引き渡された時から、ミルカはエイカを守る対象と定めた節がある。下手なことを口にすれば、肉親の縁さえ切りかねない勢いだ。

「そんな心算もないし、ミルカが良かれと思ったように差配してやればいいよ、暫くは」

「はい」

ラハムは、笑顔で返す妹に、主だった女たちを長の天幕に集めるように告げ、自らも男衆を呼ぶため、その場を後にした。


長の天幕には、命を落とした五人が、拭き清められ、上座に安置されている。

その下座には、まず死者達を背にラハムが座り、その左隣にミルカ、右隣に大叔父のケムレルが座する。

三人に相対して、戦士頭のバング、若衆頭のトブア、女性で一番年嵩の大婆様ら、男女のまとめ役7人が座る。

ラハムは、未だ新たな長と定まってはいないが、この場にいる者達に、異を唱える様子はない。

が、これからの次第によっては、その立場も吹き飛びかねない。

ラハムは、覚悟を決めて話を切り出した。

「皆に集まってもらったは、五人の葬礼を三日後としたいと考えたからだ」

ディナル氏族に限らず、草原の民が葬儀にかける時間は長くない。遅くとも翌々日には全てが終わっている。今回のように、一族の者が宿営地の外で命を落とした時でも、死者の帰還を労い、家に迎え入れる抱擁の礼に始まって、一連の儀礼をその日のうち終える事すら珍しくはない。

理由は二つ。

死者を弔わずに長く置くことは、良からぬ物が死者に取り付く隙を与えるという観念があることが一つ。

そして、もう一つはより現実的に、遊牧を生業とする氏族では、日々為すことがあまりに多く、親しき者のためとて、長く手を休める訳にはいかぬからだ。

今まさに死者を迎え、葬儀を始めておきながら式を止めるなど、本来なら正気の沙汰ではない。

「何故に、と、聞いてよろしいかい」

氏族女性のまとめ役リムレが、口を開いた。

氏族の子供たちにとって、実の母親と同じ程に母親のような存在であり、同時に、三人の子の母親でもある。そして、その一人は氏族の若衆の中でも抜きんでた戦士となり、いま上座で長と一緒に横たわっている。

「ヴィスカベルの宿営地を見ておきたい。おそらくは、討たれた時のままであろうから、弔いが出来ればと思う」

「身内の者を措いてもですか」

「エイカ殿には、誰もおらぬからな」

誰も言葉を発しない。死した氏族の同胞を粗略に扱うことが人の道に外れるのは間違いない。が、打ち捨てられると判っていてそれを見過すことも、人としての在り様を問われる。

仕方ありますまいな、重い空気を払い、バングが口にした。

「例え、討つ討たれるの間柄でも縁は縁。なれば、弔いもなく打ち捨てられ、虚界に堕ちるを見過す訳にはゆきますまい」

「私からもお願いします」

ミルカが言葉を重ねる。上座を見渡し、

「ここの皆には、私がいずれ冥門で詫びます。どうか、エイカの氏族を先に弔ってください」

他の者が決めかね、言葉が途切れて暫し。わしからも良いかえ、と、大婆様がいう。

「日延べは正直に有難い」

大婆様曰く、用意に時間かかる物があるのだと。

葬儀の一連の儀式の最後にあたる、暇後の宴には、ある三種類の実が必要になる。

食用ではあるが、毒抜きをする前は猛毒を持ち、そのままでは、生者は口にすることが出来ない。

死者の膳に捧げものとして供え、死者が口にしてなんともないことを確かめ、自らが死んだことを理解させる意味を持つ重要な物だ。

「何せ急なことで、人数も多い。しかして実りの時期にはまだ早い。干した物の一つ二つはむろんある、じゃが、実を割って五人の分とする無作法は、出来ればしとうはないものな」

「他に存念のある者は述べてほしい」

ラハムは、大婆様の言葉を受け、皆に言う。

「存念とは異なりますが、申し上げたき議が御座います。よろしいか」

トブアが言う。ラハムは頷き、促す。

「我らが狼に狙われ難渋して居るところを、サマチア氏族にお助け頂き、この近くまで伴をくださったのですが」

「ライヌ殿の差配でしょうな」

サマチアは、アルタヴァの連合に属する南の氏族だ。ライヌは、長の次子で、ラハムが花会で知遇を得て以来、何かと世話になっている人物だ。

「機会を見て礼をせねばな」

「その者たちが申しておりました。ヴィスカベルの宿営地に、バンガルの者たちが向かっておると」

「なるほど、戦利品競争か」

戦となり、片方の氏族がもう一方を打ち滅ぼしたとき、滅ぼされた氏族の財産は、滅ぼした氏族の男たちで山分けする。当然、戦での功績も考慮されるが、大方は早いもの勝ちである。

「サグア殿も、バンガルに何やら動きがあると申しておりましたが、この様とはな。正々堂々の戦をしたわけでもあるまいに」

「他には何か」

沈黙が、ラハムへの肯定を示す。

「式の支度、人はいかほど入用か」

「そうさな、家畜の世話も含めて、氏族の半分もおれば十分じゃろう」

「では、トブア、バング、馬脚の速い者十騎、選んで支度をさせよ。充分な武装を忘れるな。大婆様、女手も欲しい。早駆けの得意な娘を三人選んで支度をさせてくだされ」

「私じゃ駄目かい」

「お前さんは残ってくれ。この婆を殺す気かえ」

座に、微かな笑いが漏れる。

「ケムレルとミルカは、大婆様と式の支度を頼む。残りの者は、エイカの支度が済み次第、共に出立させよ。行って帰って日帰りとはゆかぬ。くれぐれも用意を怠るな」

ラハムの下知に、皆が慌ただしく席を立った。


エタリそう。


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